影女 四頁目
私と哀川ケイコは同期だった。
自分で言うのもなんだが、私はそれなりモテたし、女友達もボーイフレンドと呼べる男達も昔から多かった。会社内でもいつも人の輪の中心にいた。
でもケイコは私とまるで正反対。いつも厚ぼったいぱっつんの前髪で目を隠し、自信無さげに俯いていた。無口だしあまりはっきりものを言う子でもなかったから、友達と呼べる人もほとんどいなかった。そんな彼女だから私は自然と世話を焼いていた。同期入社だからというのもあるが、いつの時代も面倒見の良い女性は受けが良いのだ。ケイコは驚くほど素直な子だった。化粧変えた方がいいよ、というと次の日には薦めたブランドものを買って来た。服や鞄もそうだ。あれが可愛いといえば私の薦めるがままに着飾った。
彼女も私を友人と思ってくれるようになったのか、急な用事で仕事が片付けられなくなった時も、ケイコは進んで引き受けてくれた。
私もケイコも良い友人関係だった。私のおかげでケイコは幾分か見栄えの良い女になったのだ。
そんなある日。
「秋川さんって、哀川さんと仲良いの?」
総務課の浮田課長だった。浮田課長は三十代そこそこで課長になったやり手の社員だ。性格良し、ルックス良しのまさに女子社員の憧れの上司だった。
そんな課長が廊下ですれ違い様に私に訊いてきたのだ。
「よく一緒にいるよね?どんな子なのかな。遅くまで一人で一生懸命残業しててさ、そんな姿みてたら、なんか気になってきちゃって。今度食事に誘いたいんだけど、彼女、何が好きかな?」
意外だった。まさかアクロス社ナンバー・ワンの出世頭で正にイケメンの男から、道に咲いた小さなタンポポみたいな女に指名がかかるとは……!それはあっという間に秘書課、いや、他の課にまでも噂は広まった。
「やったじゃん、哀川さん。あの浮田課長から指名がかかるなんて」
「ほんと、羨ましいなあ」
私も最初は僻んだりもしたが、でも、たしかにその時のケイコは前よりも可愛くなっていた。相変わらず重たい前髪だったけど、長くて豊かな後ろ髪は控えめなバレッタで纏めて、服もフリルがさりげなく見える可愛いものを着るようになった。オドオドした喋りも、見ようによっては小動物みたいで庇護欲を刺激されるのだろう。
(ま、仕方ないかな)
たしかに哀川ケイコは可愛い女になったのだ。
私は素直に応援することに決めた。
それから浮田課長とケイコのお付き合いが始まった。
けれど二人の付き合いが順風満帆かといえば、どうやらそうでもなかったらしい。私はよく浮田課長から相談を受けていた。
「彼女、本当に俺のこと好きなのかなあ」
どうやら課長はケイコが本当は自分に気がないのではないかと心配しているようだった。よくよく話しを聞いてみると、昼食に誘えば来てくれるものの、休みの日のデートは愚か、メールだってなかなか返事を返してくれないらしい。
「きっとあの子、今までお付き合いしたことがないんですよ。だからどうしたらいいのかわからないんじゃないんですか?私からケイコに訊いてみますよ」
そんな話しの翌日、私はさっそくケイコに課長とのことを訊いてみた。
「だって……。私、こういうの初めてだから、ど、どうしたらいいのかわからなくて……。メグミちゃん、私どうしたらいいのかな……?」
「そんなの簡単じゃない。デートしようって言われたら二つ返事でいきますって言えばいいのよ。メールだって、なんだっていいからすぐ返す。あんたはいつも難しく考えすぎなのよ。そんなんだと、課長、他の女に盗られちゃうわよ」
そんな私の忠告も虚しく、二人の関係は平行線のままだった。課長からの相談も日に日に多くなって、それに連れて課長と二人で会う機会も多くなった。
気がつけば私は課長のことが好きになっていた。課長もケイコなんかよりも私のことが気になり始めていた。二人が付き合いはじめるのは時間の問題だったのだ。
それから暫くして、すぐに噂は会社中に広まった。
秘書課の哀川ケイコは、総務課の浮田課長に愛想をつかされた。課長は同じ秘書課の秋川メグミとできている。
「やっぱりねえ。道ばたのタンポポと王子様じゃ釣り合わなかったってことよねえ」
「それに比べて、メグミちゃんと課長はお似合いよね」
「だいたい、最初からあり得なかったのよ。あんなダサい子」
みんな好き勝手に言った。
さすがの私もケイコに申し訳なくなって、自分から課長とのことをケイコに告げた。
「ごめん、ケイコ。別に盗るつもりはなかったんだ」
ケイコは俯いたまま、わかった、と小さく言うとそのまま去ってしまった。
それからというもの、ケイコは前のケイコに戻ってしまった。髪を纏めることもなくなったし、服も地道なグレーのスーツ。そして以前にも増して無口で、無愛想になった。
それからだったか。嫌な視線を感じるようになったのは。
ケイコの周りも、以前より態度の悪くなった彼女に冷たくあたるようになった。そんな状況に居づらくなったのか、ケイコは一週間前から会社に来ていない。
ここまで話した後、私はガクッと肩を落とした。
「まさかケイコが私を恨んでたなんて……。あんなことで、ここまで酷いことをするなんて最低よ。仲良くしてやったのに……。ところで、ケイコは具体的に私に何をしたんですか?テレビとかで観る黒魔術みたいなことで、影女を呼び寄せたんですか?」
今までただ黙って聞いていた男は、私の質問を無視してパラパラと手の中にある本を読んでいる。
「ちょっと!聞いてるの?」
「聞いてます、聞いてます。ところで秋川さん。今の話ですが、それは本当の話ですか?」
「は?」
何を言っているの、この男。まるで私の話は嘘だとでも言うような、そんな口ぶりだ。
「もう一度だけ訊きますよ、秋川メグミさん。今、あんたが話した話は全て事実ですか?」
「当たり前じゃない、なんで私が嘘をつく必要があるのよ!アンタ、私のこと疑ってるの!」
その時だった。
ガタガタガタガタ
「きゃああ!」
突然部屋中が大きく揺れだした。棚という棚から本がバサバサと落ちていく。あまりの揺れに私は頭を抱えてうずくまった。
「ちょっと、なに。地震!?」
こんな揺れの中でも男は慌てることもなく、うずくまる私の姿をただただじいっと見つめていた。
「違いますよ、秋川さん。来てますよ」
「え?」
来てるって、いったい何が……?
「影女」
真っ黒な入り口の向こうから不気味なほどに黒い足が一本、ぬうっと現れた。