中秋の名月、うちの父がウサギになる夜
十五夜、って聞くと、すすきと団子とちょっと切ない兎の話を思い浮かべませんか。うちもそのつもりでした、去年までは。今年は隣に新しい住人が来たせいで、我が家の「月見」の様子が、初めて他人の目にさらされることになります。ただそれだけの話なのに、なぜか主人公(父)はいつも通り本気です。本気すぎるくらい本気です。季節の行事回、ほのぼの系のつもりで書きました。少しでも笑っていただけたら幸いです。
うちの父、佐伯浩一は、会社では「鬼の佐伯」と呼ばれている。部下の書類の誤字を三秒で見抜き、会議中に微笑んだところを誰も見たことがない。そんな父が、毎年中秋の名月の夜だけは、驚くほど段取りに厳しくなる。
「では定刻になりましたので、月見の儀を開始します」
縁側に正座した父が、いつもの重役会議と同じ声のトーンで言う。母がすすきを生け、私は月見団子を三方に十五個、崩れないよう慎重に積む。父は毎年これを「工程」と呼び、今年も検温するみたいな真顔で団子の高さを確認した。
「団子の頂点、ややずれている。ミリ単位で修正を」
「お父さん、これ、社内プレゼンじゃないから」
私が言っても、父は聞いていない。ここまでは、毎年恒例の、ちょっと面倒なだけの家族行事だ。近所の人が見ても「真面目な家だな」で終わる範囲。問題は、この後だった。
満月が雲の切れ間からちょうど顔を出した瞬間、父はすっと立ち上がり、三方に向かって深々と一礼した。ここまでは普通。次の瞬間、父は両手を胸の前で丸め、膝を軽く曲げ、月に向かって、ぴょん、ぴょん、ぴょん、と三回跳ねた。表情はまったく変わらない。真顔のまま、まるで四半期報告の続きのように、低い声で言った。
「――月のウサギ動作、開始します」
そして父は、見えない杵を振り上げ、見えない臼に向かって、実に丁寧な所作で餅つきの真似を始めた。ふりかぶって、振り下ろす。ふりかぶって、振り下ろす。一切照れがない。テンションも上げない。淡々と、本気で、餅をついている。
母は慣れた様子で拍手のタイミングを計っている。祖父の代からの決まりごとらしい。「月のウサギは一人であの臼を振り続けている。せめて年に一度、こちらも本気で寄り添う姿勢を見せねば失礼にあたる」というのが、うちの家訓だという。父にとってこれは、ファンタジーではなく「継承すべきナレッジ」らしい。
そのとき、生垣の向こうで「ひっ」という声がした。
先月越してきたばかりの新婚さん、田中夫妻だった。奥さんの方が、庭で餅つきの真似をしながら真顔で跳ねる中年男性を目撃し、完全に固まっている。ご主人が「あ、あの、大丈夫ですか」と声をかけようとして、さらに固まった。父の跳躍が、ちょうどそのタイミングでピークを迎えたからだ。
「お父さん、お隣さんが見てる、お隣さんが」
私が小声で言っても、父は跳ねるのをやめない。「儀式の途中で中断するのは失礼にあたる」らしい。むしろ父は田中さんご夫妻に気づくと、跳ねながら律儀に会釈まで挟んできた。会釈しながら跳ねる中年男性。これは会社の誰にも見せられない映像だと思った。
儀式が終わると、父はいつもの仏頂面に戻り、「今年も滞りなく終了しました」と役員会の議事録みたいに締めくくった。田中さんご夫妻はしばらく無言だったが、やがて奥さんの方が、そっと生垣越しに聞いてきた。
「あの……それ、来年は、私たちも参加していいですか」
父は表情を変えず、深く頷いた。「知識の継承は、多いに越したことはありません」
こうして我が家の月見は、来年から参加者が二世帯に増えることになった。真面目な顔でウサギになる大人が二人になる夜を想像すると、私は少し、いや、かなり不安である。
最後まで読んでいただきありがとうございました。父を終始ふざけさせず、最後まで真顔・本気のトーンを崩さなかったのは、テンションを上げすぎると逆に興ざめしてしまうと感じたからです。また、「社内で鬼と恐れられる厳格な父」という周囲からのイメージと、月に向かって跳ねる姿という実態のギャップも、狙って仕込みました。季節行事ネタは今後も書いていく予定なので、よろしければ感想などいただけると励みになります。




