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早くも同居3日目。
とても、とっても、とーーーーーーーーーーーっても不本意ではあるが、人魚との同居生活がはじまったわけだが・・・
考えてみれば、相手は大まかに分類してしまえば所詮魚類(王都の友人が聞いたら絶対に否定されるだろうな)、ペットを飼う(ん、何か違うな)ー・・もといあずかったとでも思えばいい。
うん、それはいい考えだ。
(・・・しかし)
ぷすりと皿の上に盛り付けられたサラダにフォークを突き刺すともしゃもしゃとそれを咀嚼する。
上にかけられたお手製ドレッシングの甘辛い風味が絶妙だ。
最初は人間の暮らしなどコレに出来るものかと危惧したものだったが中々にこの人魚ー・・使える。
ただで置いてやるわけには行かないと一通りの家事をやらせてみたのが一昨日のことだ。
最初のうちこそ手間取りはしたが、あっという間にそれらをものにしてみせた。
当人曰く、この二ヶ月みっちりと人間の生活を予習してきたそうだが・・・なるほど、人魚は知的能力が高い生き物らしい。
それに加えて身体能力も(見た目を裏切ることなく)非常に高いと評価していいものだろうー・・昨日、配送を頼んでいた荷物一式が届いたわけだがその時も人魚は荷物運びという点で、とても役に立ってくれた。相当に重い機材もあったのだー・・きっと私一人では片付けに一週間は要したことだろう。
そして何よりもー・・
「はい、パンが焼けましたよ」
「・・・・・・・・・・おいしい」
飯がうまい。
出来立てほっかほかのパンなど一人暮らしをはじめてこの方、片手で数えるほどしかつくった記憶がない。
パンは作るのではなく買ってくることが多いのだが食べ忘れていたりすることが多いためか基本はカチカチが当たり前・・・野菜中心の食卓に炭水化物がまともな形をとって並ぶことなど年に何度あることか。
ここ一ヶ月ほどは王都でまともな食事を楽しんでいたものだが、人魚が作る飯はそれに引けをとらないほどのおいしさがある。
「本当ですか?恩人さんのお口にあうみたいで良かったです」
照れた様子でそのまま昼食の下ごしらえをはじめる人魚ー・・まな板の上には一匹の生魚。
それを慣れた手さばきで3枚に下ろしていく姿というのはなんともシュールだ。
炊事洗濯掃除・・・不得意ではない(筈だ)が好きか嫌いかと問われれば間違いなく後者。
しかしそれら一切を完璧に人魚がやってくれることによって確実に私には"研究に没頭できる"時間というものが増えていっているわけで・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・正直同居もありなんじゃないか、と
(いやいやいやいやいやいやいやいや、まて私)
危ない危ない、たった二日だというのにどこまで感化されているんだ私は。
確かに人魚がいれば私の生活は今までよりも更に研究中心の非常に充実したものになるだろうー・・だが考えてみろ、この先ずっとこの人魚を置いておけばどうなることか。
(絶対に厄介ごとに巻き込まれるに決まっている)
"幻想種"の中でも"人魚"は特に大陸連合議会の定めた希少幻想種特別保護法の上位に位置する。
大陸連合議会は各種のその数さえ管理・把握していると聞くー・・つまりあまり人魚がここに居座り続ければそう遠くない未来に大陸連合議会の手のものがここを訪れる可能性が高いということだ。
(面倒くさい、絶対絶対面倒くさい!!)
「恩人さん?どうかしましたか?」
突如ぶんぶんと頭を振った私に人魚がいぶかしげに尋ねてきたが「なんでもない」と返す。
・・・・・しかしまぁあれだ、確かに"面倒くさいこと"が起こりうる可能性が高い原因の人魚ではあるが仮にも同居人。その上、客観的に観れば今の私は"世話をする"ほうではなく"世話をされる"立場になっているのは間違いないのだ。
つまりー・・うまい飯を作ってくれる人間(?)に礼節をわきまえないほど私は愚かではない。
「なぁ人魚」
「はい、恩人さん」
「その"恩人さん"だが、私にはセリレイネウスという名がある。今後はそう呼ぶように」
途端、包丁を握る手を止めた人魚はこちらを振り返ると嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。
「本当ですか!?」
「そこまで喜ぶことか?いつまでも"恩人さん"では呼ばれるこちらも困る」
「はい、わかりました。ではセリさん!!」
「・・・・・・・・・・・いきなり略してきたな」
軽く脱力して突っ込めば人魚はしゅんとうなだれる。
「だっ駄目でしたか?人間は親愛の意味を込めて愛称で呼び合うと聞いたことがあるのですが・・・」
「・・・いや、いいよ」
感情表現の激しい人魚だ。
うなだれていたと思えばすぐにその顔を嬉しそうに綻ばせる。
「あのセリさん!」
「なに?」
「できれば私のことも"人魚"ではなく・・・」
「あぁ」
そういえば、そうだ。
私も人魚も互いの名前を名乗ることなく二日過ごしてきた。
当然人魚にも名があるのだろ・・・
「"姫"と呼んでくだ」
「却下」
「えぇ!?」
「お前の何処をどう見たら"姫"に見える!!」
目の前の"人魚"は人間の美意識の最長点に達するほど美しいー・・だがそれは女性的ではなく、"美丈夫"という言葉がぴったりと当てはまる種類で、だ。
うっかりそとで目の前のこの男を"姫"とでも呼んでみればそっち系の人か、そういうプレイなのかと思われてもしょうがないじゃないか-・・そんなのは御免だ。
「うぅっ・・そんなこといわれましても生まれてずっと"姫"と呼ばれてましたし、元々成体したら女体になる予定でしたので」
・・・・・・・・・・・・・・・そういえばそうだった。この目の前の阿呆は私に嫁ぐのために"男"になって陸までやってきたのだった。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・わかった。じゃ、ディオン」
「へ?」
「嫌?ん・・・そうだな、じゃぁ」
「えっいえいえ!!違うんです!!あの・・・それはもしかして」
「人魚の名前候補だけど?」
私は別に人魚でも構わないけどそれは人魚が嫌なようだし・・・・・姫は論外だ。
「私に名前をくださるんですか?」
「ないと不便だろう」
ちなみに"ディオン"は子供の頃に買っていた犬の名前だ。
他にも思いついたものはあったが・・・・どれもこれも薬品や薬草の名前をもじったものばかりしか浮かんでこなかった。
「嫌なら別のものにするぞ?サンディー(草)とかロォディールーン(毒薬)とか・・・」
「いえ最初のっ・・・"ディオン"が!!ディオンがいいです!!」
こちらに身を乗り出した人魚ー・・ディオンはきらきらと瞳を輝かせて新しい名前をその身の内に浸透させるように何度も呟いた。
その様は"魚類"というよりはどことなく大型犬を思わせる・・・犬のディオンは小型犬だったが。
しかし他人につけられた名前一つでここまで喜べるものか・・・
「おかしな奴・・・-・・わっ!?」
「セリさん!!」
思考を飛ばしていたため回避するのが一瞬遅れたー・・ガバリと抱きつかれる。
「放せっ暑苦しい!!」
必死でその拘束を解こうともがいてみるがびくともしない。畜生。
「セリさんに一生ついていきます!!」
「結構だ!!」
訳がわからないほど感無量といった様で抱きついてくるディオンと格闘すること半刻ー・・漸く脱出することに成功した私は尚も縋り付いてこようとする奴を実力行使で止めるとその夜まで部屋にこもることにした。
扉の向こう側では「すいませんもうしませんからー!!」とか涙声で訴えかけてくる声が何度も響いたがそれすらも無視して本へと意識を向ける。
そんなこんなしていたためだろうか・・・"姫と呼ばれていたってことはそれなりの地位もしくは王族だったのではないか?"とか、新たな厄介ごとを秘めた可能性を含む疑問に考え付くまでにそこから二日ほど要した。
・・・・・・・・・・・・・そして、人魚に"名前を与える"行為について思い知らされることになるのはそれから更に一週間ほど経過してからのことだった。