再臨
落ちる。
足の付け根から背筋までがぞわりとする、この感覚。
私は今、落ちている。
こちらに向かって伸ばされた手を掴めず、ただ落ちて―・・
「っっってたまるかぁぁぁ!!!」
…こういうのを火事場の馬鹿力、もといど根性とでもいうのだろうか。
背面から上体を捻り、腰元に備え付けてあった小太刀をほぼ垂直に近い崖に突き刺してやる。
喜ぶべきは崖が岩石のみで形成されたものではなかったことだろう。比較的柔らかい山肌に欠けることなく小太刀は突き立てられる。
しかしそれだけで成人女性の体重を支えきることは到底不可能だ。崖を削りながら、だが確実に落下速度を落としながら落ちていく。
「くっ!」
「…リさんっ!!」
上から自分の名前を叫び続ける声がするが、山肌を削る音と耳元で轟々と鳴り響く風の音でほとんど聞こえない。
死にものぐるいで小太刀を握る手に力を込め続けていれば、やがて風の音とは違うガサガサと五月蝿い音と、視界を緑一色で埋めつくされたと思えば”ボフンッ”という音を最後に落下が止まった。
「はっ、」
助かった、と認識できたのは落下の際中に無意識に止めてしまっていたらしい息を吐き出した時。
いつの間にかあれだけ体に感じていた風は止み、右手を見ればあれだけ必死で掴んでいた小太刀の姿はなく、体のあちらこちらに擦り傷や枝や葉っぱやらがついている。
そのまま視線を上げれば、小憎たらしいまでに木漏れ日をのぞかせる青々とした木々。その一部は不自然に折れてしまっており、その隙間から更に上を見れば山肌をむき出しにした崖が高々とその姿を見せていた。
なるほど、最後の最後で木がクッションになって大怪我は免れたということか。
節々は痛むが動けないことはない。
指先を動かしゆっくり立ち上がろうとしたところで、はた、と気づく。
一難去ってまた一難、とは先人もよく行ったものだ。
「空から女が降ってきやがった!?」
「正しくは落ちてきたというのが正解だな…いやいや、そんな場合じゃないか、この状況」
危うく現実逃避しかけた私は憮然としながらも、周囲に目を走らせる。
鬱蒼とした森の中、移動式の簡易テントがあちらこちらに見え隠れしている。
そして目の前には、私を囲むように"いかにも"な面構えの男たちが騒ぎを聞きつけてわんさかわんさか…少なく見積もっても30ほど。残念なことにまだまだ増えそうな勢いだが。
どうやら盗賊一味の寝座にドンピシャで落ちてきてしまったらしい。
私の下敷きになっているのも簡易テントの一つのようだ。どうやらあの最後の”ボフンッ”という音の正体はこれのようだ。
突如現れた不審者に盗賊たちは殺気たちながらわめきたてる。
「何でぇっ何でぇっ!!」「どっから現れやがった」
「こいつ上から落ちてきたぞ」「おいってかあれお頭のテントじゃ…」
「「おかしらっ!?」」
おおう、何やら不穏な空気…そういう危機的状況をさらに加速させるような要素はいらないぞ。
「ぐぉぉっ…」
と、真下から低くくぐもった声が聞こえた。
よく見れば足元の布の合間から人の腕が伸びてきているではないか。
「お頭っご無事でぇ!?」
「てめぇ、この女ァ!早くそこからどきやがれ!!」
頭の無事を確認した男たちが騒ぎながらも各々獲物を手にじりじりと距離を詰めてくる。
まずい、現状こちらに武器はない。この人数、切り抜けられるか…いや焦ってはいけない、こういう時こそ冷静に対処を、
「くっ…ぐぉぉぉっ、なんだぁ!?なんでこんなに暗い?その上クソ重い!竜馬の幼生でも降ってきやがったんじゃ、ぐぼぉっ!?」
布をかき分け出てきた後頭部にめりこむ靴底。
「…しまった」
わめきたてる男たちの喧噪に掻き消されそうなぐらいの声だったが、ある言葉についうっかり体が反応してしまった。やってしまった、と反省したが後の祭りだ。
ちなみに竜馬とは幻想種の中でも人の世にもっとも密接に生活する種族の一つで、知能や能力は低いが人懐っこく、その脚力と体躯の良さが重宝され主に貴族の移動手段や、競技用のレースなどで使われることが多い。ちなみにその幼生でも体は大きく、成人男性の3人分はあるそうだ。…ちなみに私は一般女性の平均的な数値であるということだけは主張させてほしい。
盗賊の頭だという男の頭は起き上がることなくそのまま布に埋もれた。
シン、と辺り一面が静まり返る。
「まぁ…不幸な事故だった、ということで」
「てめぇこらっ!!ふざけてんのかぁっ!?」
「このクソ女!親方になんてことしやがるんでぃっ!!」
「ちっ、流されなかったか」
そもそも失礼な発言をかましたこいつが悪い。
面倒くさいが切り抜けるしかないか、とようやく重い腰を上げた私は足を進めて男たちの前に立つ。
「女一人にこの人数か?天下を騒がす盗賊団にしては情けないな。義賊とも言われてるんだ、もう少し紳士的にいこうじゃないか」
観念するかと思った女が腰に手を当て鼻で笑って一同を挑発する様子に、取り囲む盗賊たちからは失笑が漏れる。最後の悪あがきだととられたようだ。
「はっ!随分強気な姉ちゃんじゃねぇか!お前ら手出すんじゃねぇぞ!俺がひぃひぃいわせて可愛がってや―・・ぎゃひっ!?」
腰に手を当てたまま、思い切りよく振り上げたのは右足。つま先がクリーンヒットして男の言葉を止める。そのまま足の軸を変え、左膝で脂汗が噴き出す男のこめかみを揺らせばその巨体はぐらりと地に伏せた。
唖然とする男どもが我に返ったのは、女がさらに2人の仲間を昏倒させた時だった。
激情した男たちが一斉に武器を振りかぶり女に襲い掛かるが、まるで踊るように軽く身をかわす女の動きを捉えることは難しく一人、また一人と倒れ伏していく。
「なっ、なんなんだあの女…っ」
「まさか喰らう昏いモノが化けてんじゃ…」
「おいっ!縁起でもないこと言うんじゃねぇよっ!」
あっという間に取り囲んでいた男たちは半分に減り、残ったものたちも無暗に突進することはせず距離を置いて警戒を始めた。
「さて、なんだったか。ひぃひぃいわるんじゃなかったかな?」
「くそっ、強ぇ…」
セリは動揺する男たちを見て、内心ほっとした。
(うん、これなら何とか)
そこそこ鍛えてはいるが、セリ自身にこれだけの賊を真面に相手にするだけの腕力も体力もない。
ただ彼女は王都でもそこそこ名のある生態錬術師だ。
”観察力”には特化しているし、研究対象には人間も含まれており人体のすべてを網羅しているといってもいい。
どれだけ体を鍛えていようが鍛えられない場所なんていくらでもあるもので、彼女はそこを突くだけ。
正直この人数を相手に立ちまわったことなどなかったのでどこまで立ち回れるかと一抹の不安はあったが、不意を突いたことによる動揺を誘えたことで彼らの動きが崩れたのは重畳だった。
(しかし呆気ない。これが巷を騒がす盗賊団?不意を突かれたとはいえあの騎士団を出し抜くとは思えないな、そこらのごろつきと変わりないじゃないか。まぁ、だが…)
疑問を打ち消す。体力的な面も考えるとあまり長引かせるのもよろしくない。このままこの場を制圧して、さっさと目的のブツを物色させてもらうとしよう。
動揺を隠せない盗賊たちが正気付く前に次の行動に移ろうと体の重心をわずかに下げて前に踏みだそうとする、と
「アンタ、生態錬術師だな?」
「!?」
背後からかけられた声に反射的に体を反転させ、そのまま回し蹴りを繰り出しが、しかし相手に届く前に難なくその足首を掴まれて止められてしまった。
そこには無精ひげを生やしたガタイの良い男が立っている、おそらく先ほど私が踏み潰してしまった盗賊たちの頭だろう。
「何が落ちてきたかと思えば女で、その上生態錬術師とは…奇妙なもんだ。
お前ら!近づくんじゃねぇぞ!生態錬術師相手に近接戦は不利だ!」」
精悍な顔つきのその男の瞳は射抜くようにこちらを見下ろしている。
掴まれた足は微動だにせず下手に動けば体勢を崩して不利になりかねない
「何故私が生態錬術師だと?」
「古い知り合いにいんだよ。そいつも一見華奢な奴だったがアンタと同じ動きをしてたからな。
おっと動くなよ、女を傷つける趣味はねぇんだ。生態錬術師の戦い方はしってる、瞬発力があって相手の隙を見つけるのが得意。だが、持久戦と長距離戦、それに腕力での競い合いは苦手、だろ?戦い方さえしっていれば防ぎ方もどうにでもなるってもんさ」
まったくもって男のいう通り過ぎて舌打ちしたくなる。というかした。
口調は軽いが男のすべてに一切の隙はなく、こちらの一挙一動を見逃さないとばかりにその眼は私をとらえている。
なるほど、腐っても騎士団を出し抜く盗賊の頭目なだけはある。おそらくこいつが一番厄介で、騎士団も手を焼いているのだろう。裏を返せばこいつさえ片付けられれば何とかなるのだが…うん、ちょっとヤバいかも。
「さて、じゃ質問させてもらうとするかな。生態錬術師のお譲さん、アンタ何が狙いだ?どうやってここまで来た?」
「私が生態錬術師だといったのはお前だろう?ならば理由は簡単だ。
何、ただの研究活動で山に入ったら崖から滑り落ちてしまった哀れな迷子というわけさ。さらに悲惨なことに殺気立つ男たちに囲まれているわけだ、人として防衛本能に従ったまでの結果のこと。見逃してくれるというならそれ相応の謝罪はしてすぐにでもここから立ち去るよ」
「そうかそうか、それは難儀だったな。じゃまぁここでのことを他言しなきゃ帰してやるよ…とでもいうと思うか?」
「思ったら馬鹿もいいとこだな」
「だよなぁ。で?他に仲間は?」
「いない。私一人だ」
「目的は?」
「だから研究活動だ。というかいい加減足を離してくれないか?内股が痛くなってきたんだが」
「離したら逃げるだろう、譲ちゃん。というか良い足首してんなぁ、俺好みの細さだ」
「それ以上触ったら料金が発生するぞ」
「ははっ、いいねぇ!この状況でそんだけ軽口叩けるとはいい根性してるぜ。名前は?」
「盗賊相手に名乗る名前はない」
「つれないこというなよ。俺と嬢ちゃんの仲だろう?」
軽口を叩きあってはいるが二人の視線は一寸も外れることなく、互いに相手の真意を探ろうとその鋭さを増していく。
ほんの一瞬、一瞬でいいのだ。男の気がそれればこの状況を看破できる。
男の虚をつく何かがあれば…
(まぁこれ以上膠着していても無意味に体力を削るだけ…か、一か八か)
「…わかった、本当のことを話す」
「お?観念したか。そうそう、女は素直が一番だぞ。いってみろ」
「お前たちが盗んだ品物のなかにある落鋼石という鉱物がある。それが欲しくてここまできたんだ」
「なんだ俺たちと交渉して買い取るつもりだったのか?」
「いいや、盗賊から盗みに来たんだ」
「はぁ?」
突拍子もなかったのだろう、私の言葉は。
男が私の返しに唖然としたその眼に向かって指を突きだす。いわゆる目つぶしっていうやつだ。
確かに一瞬の虚をつくことはできた、それを見逃すこともしなかったし行動にも移せた。
私の反撃に男も身をかわそうと動くが私の動きのほうが早く届く、はずだった。
「!?」「ひぃっ」
双方の動きが止まる。
ちなみに言っておくが情けない悲鳴をあげたのは私でも目の前の男でもない、周りを取り囲んでいた盗賊の誰かだ。
…まぁそれはともかく、だ。
「おいおいおい、マジかよ…」
口には出さないが同意見だ。
ずずんと体全体に重くのしかかる、例えるなら流れの激しい水流のような殺気。
と同時に腹の底が凍てつくこの感覚、未だ記憶に新しいあの感覚。
ぎぎぎ、と音がなるぐらい固くなった首を横に動かせば視界に飛び込んでくるのは歩くたびに揺れる青銀の髪。それとその周りをふよふよと漂う水球が4つ。
「魔術師…か…?」
「そこのお前」
冷たく睨みつけるアクアマリン色の瞳は、そこらへんで2,3人殺ってきました!っていうぐらい剣呑としている。
「今すぐその手を離せ、じゃなきゃ殺す」
…盗賊制圧するのに夢中になってちょっと存在忘れてました、だなんて口が裂けても言えやしない。
喰らう昏いモノ(ラヴァドーシャ)=深い森の中に出てくる人を襲う魔物。実際の目撃例は少ないがよく子供の童話などででてくるため魔物の中ではポピュラーな存在。
怪談話で取り上げられることが多く、それを聞いて育った人は大人になってもびびったりするとかなんとか。