山に行こう!2
セリ視点とディオン視点。
さすが人里離れた山奥というべきか、進むにつれどんどんと道は険しくなっていく。
なるべく音をたてないように草木をかき分けながら獣道すらなくなりつつある山を進む。
「大丈夫か?」
「は、はい」
かけられた声に顔を上げれば、少し離れた場所にセリさんが立ち止まってこちらを見ていた。
しまった、また距離が開いてしまった。
人化して暫く経つ、最初の頃よりもこの体にも慣れてきたつもりだったが、ここまで荒れている山の中を進むのはまだ私の足には負担がかかるらしい。
さすがに転びはしないものの、枝や木の根に足をとられなんどもその体をよろめかせてしまう。
結果、セリさんの足を大きく引っ張ってしまっているのが現状だ。
セリさんと離れたくなくてついてきたのは私だ。
足でまといにだけはなりたくない、そう思って何とか追いつこうと躍起になって足を動かすが、山はどこまでも私に意地悪だ。
茂みに隠れた木の根に足をひっかけるのはもう何度目のことだろうか、思うように動いてくれない体に少し情けなくなる。と、前からセリさんの近づく気配がした。
再び顔を上げれば、先に進んでいたはずのセリさんがすぐ目の前までやってきていた。
「セリさん?」
その眉間には皺がより、どうみても機嫌が悪そうだ。
「遅い」
あぁ、やっぱり怒ってる。
「…はい、すいません」
何とも返す言葉もない。項垂れ謝るしかない私にさらにセリさんの言葉が降ってくる。
「お前のペースに合わせていたら日が暮れてしまう」
このままセリさんの足を引っ張るようならば、いっそのことここに置いていってもらおうか、とも考える―・・あぁ、でもそんなの嫌だ、セリさんと離れるのだけは嫌だ、嫌われるのは嫌だ、捨てられるのは嫌だー・・すぐに沸き立つそんな我侭な自分の思いに嫌気が差す。
どうすればいい?どうすればこれ以上セリさんが不快にならずにすむ…いや、やっぱり置いていってもらおう。それしかない、と口を開こうとするが心臓がきゅうっと締め付けられて、声が中々でない。
何て自分だけに都合のいいからだなんだ、と悪態を吐きたくなり思わず両手に力が入る。
と、痛いぐらいに握り締めたその片手に触れる柔らかい感触。
「野宿はゴメンだからな」
次いで耳に届いたその言葉に「え、」と声をあげる間もなく、そのまま引っ張られるように体が前へ進む。
あれ?これってもしかしてセリさんと手を繋いでる!?やったー!!…じゃなくって、あれ?
「あの、セリさん」
「何だ?」
「置いてかないんですか?」
「はぁ!?」
呆れた顔で振り向いたセリさんに、本当に心底呆れた顔で「馬鹿」と怒られた。
「置いてく訳がないだろう、…迷われても見ろ、捜すほうが手間じゃないか」
私の手を握ったまま、セリさんは茂みをかき分け先へ進む。
進むセリさんの歩幅は変わらないが、その歩みは遅くなっている気がした。
それにすぐ目の前のセリさんがいてくれるからか、さっきまでとはうってかわって凄く進みやすいし、その足元を見て真似すれば、躓くこともなく悠々と進むことができる。
掴まれていたままの手を握りやすいように少し動かしてもセリさんは何も言わなかった。
それから暫くは会話らしき会話はなかったが、繋がった手の温度と、顔は見えないけど少しだけ赤くなった彼女の耳を見て、私の心はポカポカと温まっていく。
この手を絶対に離したくない、そう願ってやまなかった。
*
後ろを見やれば先程よりも少し離れた位置にディオンがいた。
声をかければ返事は返ってくるものの、だいぶ山道に悪戦苦闘しているようだ。
人化してそれなりにその体にも慣れてきたとはいえ、ここまで荒れている山の中を進むのは彼に大きな負担をかけていると見える。
転びはしないが、枝や木の根に足をとられなんどもその体をよろめかせている。
それでも私に遅れないよう必死についてくるその様は、さながら迷子になりかける幼子のようだ。
仕方がない、と私は歩みを止めると来た道を少し戻った。
戻ってきた私に、何やら考えこんでいたらしいディオンが顔を上げた。
「セリさん?」
「遅い」
「…はい、すいません」
「お前のペースに合わせていたら日が暮れてしまう」
そういって項垂れる彼の片手をとるとくるりと背を向けて再び歩き始める。
「野宿はゴメンだからな」
背を向ける直前、彼の目は大きく見開かれていた。
私の行動が予想外だったらしい。戸惑う声が「置いていかないんですか?」と問いかけてきたのでとりあえず「馬鹿」と返しておいた。
なるほど、さっきから沈んだ顔で考え事をしているとは思っていたが、置いて行かれると思っていたのか。
…本当に馬鹿だな、こいつは。
「置いてくわけないだろう、」
と口に出してから、はっと言葉につまる。…その続きを何というつもりだったのか、私は。
咄嗟に「迷われても見ろ、捜すほうが手間じゃないか」と口にすれば、「はい」と嬉しそうな声が後ろから聞こえてきた。
何で嬉しそうなんだ!とか思ったけれども声には出さずにぐっとこらえた。
…どうにも、最近調子が狂ってしょうがない。
ふと、今頃同じように山道を進んでいるであろう旧友が昔投げかけてきた言葉が思い出される。
『君は一度でも自分の領域に他人を受け入れると、とことん甘くなるよね。何というか、お人好しすぎて見ているこっちが不安になるよ』
そんなことはない、と返せば『その上、無自覚だから余計タチが悪いね、君は』と呆れた声で笑う友との昔懐かしいその会話。
それを何故だか今、この瞬間に思い出して―・・あぁ、そうか私は彼を受け入れつつあるのか、と納得してしまった。
…ここでポイントなのは”受け入れている”ではなく”受け入れつつ”であるということ。
断じて完了系ではない!無駄な足掻きと思われるかもしれないが、あくまで現在進行系であるということを理解して欲しい。
『もう少しだけ一緒にいさせて下さい』
その言葉と、力を使った彼への”感謝”の気持ちとして、私はディオンを受け入れつつあるんだ。
だから握り返された掌の温度が嫌ではなく、むしろ”落ち着く”と感じてしまうのはきっとそのせい。
*
暗転する視界。
どうなったのかと頭の片隅で冷静に状況を把握しようとする自分がいる。
足が滑って、傾いて。咄嗟に握っていた手を振り払った。
そうこうしている間にも浮遊感が全身を包んだ。
あぁ、足が地面についていない、そうか、私は今、落ちている。
最後に見えたのはこちらに伸ばされた大きな掌と、泣きそうな顔の彼と、私を呼ぶ大きな声。
人魚のくせして、捨てられた犬みたいな顔をするんじゃない。そんな私の声は届かない。
そして私は落ちていく。
伸ばされた彼の手は私には届かない。