閑話休題-ある執事の回想録。
私がラディフォール家にお仕えしはじめて早50年。
そのご子息方のお世話を任せられて35年がたちました。
あんなに小さかったご子息方も今では立派な紳士として王都や社交界でご活躍なされて、皆様の幼少のころよりすぐ側で見守り続けていた私としては感慨深いものがございます。
ご長男のヴァンス様は次期当主としてご主人様とともに王都にて数々のご政務に励まれておりますし、ご次男のファリウス様は騎士団に所属しておられますが日ごろの功績が称えられ、つい先日副騎士団長へと就任なされました。
そのためか最近ではますますお勤めにお力をいれられるようになり…私としてはそろそろご婚約者様のメアリ様との御祝言をあげていただきたいのが本音なのですが、それももう少しお預けとなってしまいそうです。
そしてご三男のクィル様。
お二人の兄上方と同じで優秀な方ではあるのですが、兄上方とは違い家を継ぐという立場におられないためか、昔から少々奔放なところもある方でございます。
しかしそれもクィル様の美点ではございましょう、手のかかる子ほど愛しいとはよく言ったものですな。
兄上様方と同じように哲学する英知の学院をご卒業された後、騎士見習いとして騎士団へ所属しておられた時期もございましたが今は名立たる収集家として各地を精力的に回られておられます。何でも「世界の美しきものたちが僕との邂逅を心待ちにしているんだ!」そうで。
そんなご子息方の成長を目に焼きつけ旦那様にお仕えしてきた私も気づけば70を数える老いぼれでございます、もう年も年ですし執事としての仕事は3年ほど前に全て息子に譲り、ほぼ隠居同然で本邸にお仕えしておりました。
そんな折、クィル様が1年半の船旅を経てこちらへ戻ってこられると知らせを受けたのでございました。
旦那様にお願い申し上げ、急ぎクエフ領の港町ヴィスオラへとお迎えに上がりましたところ、クィル様はお見送りしたときと変わらぬ笑顔で私めを労ってくださいました。
しばらくこのヴィスオラにご滞在なされるということでしたので私もラディフォール家の別邸にてそのままクィル様のお世話をさせていただくことになったのでございます。
さて、クィル様がヴィスオラに滞在をなさってから3週間ほどたった頃のことでございます。
馴染みの服飾店へ出かけられたはずのクィル様が思わぬお客人を連れ帰ってきたのは昼をとうに過ぎた頃合でございました。
そのお客人は大変、お美しい方でございました。目を閉じられていてもその身から漂う気品、色気というのでございましょうか。旦那様のお供で様々な社交場に出向いていた私でも殿方でこれほどお美しい方は見たことがございません。
クィル様の収集家としての情熱はすさまじく…まぁ一種の悪癖といいますか、美しいものに出会うと気持ちが昂ぶってしまわれるのか少々羽目をはずされることがございます。
ただ、一部の悪評高い収集家たちとは違って非人道的なことには一切手を出されないことだけが私にとって安堵の種と申しますか。
今回のようについうっかり人を連れ帰ってこられることもございますが、しばらく歓談すれば満足なさって「帰りたい」と願うものには相応のお礼を持たせて帰されます。
ただ美しいとはいっても男性のお客人は始めてのことでしたし、どうやら少しばかり強引に連れて来られてしまったようでしたので(この点に関してはクィル様も反省なされておりました)その方の手足を拘束させていただくことにしました。
大変申し訳ないとは思うのですがラディフォール家の方々の御身をお守りするのが執事の役目でございますので。
クィル様がそのお客人とコレクションルームでご歓談されている頃、私はお二人のために紅茶を用意しておりました。
焼きたての茶菓子と一緒に盆を持って2階の部屋へ向かう途中のことでございます、背後の玄関から大きな物音がしたのは。
何事かと階段の途中で振り返れば一人の女性がこちらへ向かってくるではありませんか。
近づいてくることにはっきりと見えてきたその方の顔を、私は不躾ながらも凝視してしまいました。
「ティティール様」
記憶にあるティティール様の色彩とはまったく違っておりましたが、そのお顔を忘れたことはございません。ティティール様も私のことを覚えていてくださったのか一瞬驚いたようなお顔をされましたがすぐに来たときと同じ憮然とした表情で尋ねてこられました。
「連れが来ていると思うのだが?」
「2階の左奥の部屋でございます」
とお答えすればティティール様は足早に階段を駆け上がっていかれました。
その後ろ姿に無駄だと知りながらも私は声をかけずに入られなかったのでございます。
「ティティール様、出来れば歩行可能な程度で済ましていただければ幸いでございます」
私の願いを聞き届けていただけたのかは定かではありませんが、数々の収集品の中に埋もれてしまっていたクィル様のお怪我といえば、顔にくっきりと残った足跡とお腹にまん丸と出来た青あざ程度で済んだようです。
あの頃に比べれば随分とマシな怪我だといえるでしょう。
それよりもお連れの方に抱き上げられて出て行かれたティティール様のほうが心配だと感じてしまう私は不忠義ものでしょうか。
どうにもお顔の色が悪かったような…なんとも声をお掛けすることの出来る雰囲気ではございませんでした。後日、改めてお詫びをしなくてはいけませんね。
「あぁ痛い…でもこれも愛の試練だと思わないかい、レイン?」
「クィル様、馬鹿な事を仰っていないで早くお飲みください」
ティティール様との邂逅から一週間。
ヴィスオラの別邸の一室では未だ痛む腹をさすりながらうっとりとした表情を見せるクィル様ではございますが、苦い薬湯を飲むのを渋ってティティール様へと思いを馳せていることを私は見逃しません。
口元にグラスを持っていけば観念なさったのか、顔をしかめながらも渋々とそれを口に含んでいただけました。
「馬鹿なこととはなんだい、ティティに対する僕のこの思いは本物だよ!」
「存じておりますよ。さ、クィル様次はこちらを」
「ぐっ…まだあるのかい?」
私の差し出した別の薬にクィル様の眉間のしわは増える一方でございます。
「お元気そうでございましたね」
私がそう呟けば、クィル様の手が止まりその目が窓の外へと向けられました。
遠い日、どこか別の場所を懐かしむようにその目が細められます。
「…あぁ、そうだね」
過去に思いを馳せているうちにそのお顔が段々と悲しげになっていくものですから、私は話題を変えなければと先ほど届けられていた手紙をお渡しすることにしました。
「クィル様、王都からお手紙が届いております」
「おや、誰からだい?」
"思い出"から戻ってきたクィル様はいつもの飄々とした笑みを顔に貼り付けると手紙を手になされました。
ですが薄墨色の封筒を開け中に入った便箋の文字を追っていくうちにクィル様の表情がなくなっていきます。
いつになく真剣なそのお顔に、普段からそうであればきっとティティール様にも"変人"扱いされずにすむだろに、と不謹慎ながらも思ってしまったのであります。
読み終えた手紙から目を離したクィル様は何事か思案するようにしばらく考え込んでおられましたが、ため息をひとつつかれると寝台を降りられました。
「出掛けてくるよ、馬車の準備をしてくれるかい?」
「はい、畏まりました」
着替えのために枕もとのベルを鳴らして控えていた侍女たちを呼び出してから私は馬車の手配をするために部屋を後にしました。去り際にちらりと見えたクィル様のお顔がいまいち晴れやかではないのが気がかりではありますが…
世間様からは奇人変人扱いされておりますクィル様ですが、願わくば彼にこれ以上の心労が増えないことを祈るばかりでございます。
設定話。
ヴィレル・セド・ヴァンス・ラディフォール/長男
ペリグド・セド・ファリウス・ラディフォール/次男
ヴィレル・セド・クィル・ラディフォール/三男
長男と三男は正妻の子で、次男は第二夫人の子供なので最初の姓が違います。