帰宅
ふふふ、と思わず緩む口元を押さえられない。
顔が自然とにやけてしまう-・・だがいた仕方ないことだろうと思う。
王都からの帰りの馬車の中、私はいつにもない上機嫌で2ヶ月ぶりの我が家への帰路についていた。
あの人魚(後で詳しく調べてみたら確かに人魚の幼体はあの姿だった)を海に返してから2ヵ月半が経過していた。
人魚だといわれたときには心底面倒くさいものを拾ってしまったと一瞬後悔したものだが、いまとなっては思わぬ幸運に巡り合えたといってもいいだろうか。
あの鱗-・・ふふふと再び笑みがこぼれる。
この世界には海には人魚や半魚人、陸には竜や天馬といった人間とも動物とも違う"幻想種"と呼ばれる生き物が存在する。
それらは神が創られた"神の御使い"と呼ばれるものもあれば、人に害をなす"魔物"といったものも一括りにした総称だ。
そしてその幻想種のなかでも特に種としての総大数が少ないものに関しては大陸連合議会で決められた希少幻想種特別保護法というものが適応されていることになっている。
幻想種は総じて不可思議な力をもつ種が多く、その彼等の体や体の一部は人間の使用する魔具や高価な薬の材料として重宝されているものがあった。
-・・結果、そういったものを目的とした者が後を絶たず彼らは乱獲され数を減らされつつあった。
そして当然のごとく人間と幻想種の間で戦争が起こりそれは50年ほど続いた、やがて一部の良識ある人間と幻想種の間で協定が結ばれ戦争が終結したのがいまから200年ほど前のこと。
だがそれでも密猟者はあとを絶たない-・・それを取り締まるために創られたのが希少幻想種特別保護法なのだ。
現在そういった"もの"が全く市場に出回らない、といえばそうでもない-・・"表側"でも"裏側"でも。
しかしやはりその数は極端に少ない上に、たとえ運良くお目当てのものに巡り合えたとしてもその額は半端ない。
そしてあの自称人魚が剥がした鱗-・・それは私が過去、材料を手に入れることができなかったために作成を諦めた薬剤をつくるのに必要不可欠なもの。
目の前に長年探していた物があったら何としても手にいれたいと思うのは人として当然の性だろう。
"獲る"ことは禁じられていても"拾ったり"、"譲り受ける"のは法の適用外だ。
・・・・・・手当てなどしなくても海へ返した後にそのままこっそりもらってしまえばよかったのかもしれない、がそれでは何となく後味が悪い。
治療をする代わりに鱗という報酬をもらったのだと思えば、後ろめたさもない。正当な取引で手に入れたものだ、誰にも文句は言わせない。
なんという僥倖!!棚からぼた餅とはこのことを言うのだろう。
それだけではない、あの人魚はさらに"置き土産"を残して行ってくれたのだ。
あの涙の代わりに多量に流された結晶だが-・・人魚を放流して帰宅した後、よくよく観察してみればそれはかなり上質な"真珠"であることがわかった。
この国でも装飾用として貴族の女性たちを中心に大変価値のあるものだが-・・幸い私はそういったものに全くといっていいほど関心はなかったので快く売り払わせてもらうことにした。
しかしこんな片田舎の村では換金するにも無理な話なので、私は早速荷物をまとめて馬車を乗り継ぎ2週間ほどかけて王都へと足を運んだのだ。
かき集めた真珠は小袋2袋分-・・怪しまれては後が厄介なので何箇所か場所を変えて売り払えばそれは10年は遊んで暮らせるほどの金貨へと変わった。
折角王都まで出てきたのだ、早速その金で新しい研究書や機材などを端から買いそろえる-・・久しぶりに充実しすぎた買い物だった、少々買いすぎてしまった感があるがまぁたまにはいいだろう。自分でもって帰ることは物理的に不可能な量だったのでまとめて家へと送らせる。
その後は久しぶりに再開した友人と話が弾み、そのまま一ヶ月ほど王都に滞在し、漸く私は帰路へとついたのだ。
半分も使い切っていない金貨のおかげで暫くは研究費用にも頭を悩ませる必要もないだろう-・・いっそのこともう1棟研究室を増やしてみるのもありだろうか。
とにかく今は一刻も早く帰宅して大量に買い付けた研究書を読み漁りたい。
わくわくとした気持ちでそんなことを考えていればいつの間にか馬車は村へと着いていたようだ。
時刻は昼前-・・村の真ん中に馬車の停泊所があるため必然的に馬車から降りれば村人に出くわしてしまうのだが、今はそんなことすら気にならないぐらいにとても気分がいい。
「あら、セリレイネウスさん」
降りた私を目ざとく見つけ、声をかけてきたのはこのコーディル村の村長の奥方だった。
他のご婦人たちに比べれば幾分か話しやすいのが幸いだろうか。
「最近見ないと思ったら、旅行でも?」
「えぇ、カマンサ・レールまで少し」
気分がいいから自然と笑みまでこぼれてくる。
「まぁまぁ、あんな遠いところに?大変だったでしょう」
「そうですね、馬車に揺られすぎて少し腰が痛いです」
「あら!セリレイネウスさんじゃないの!!」
小さな村だ、奥方と話をしていれば次々にご婦人たちが家事の手を止めて集まって来た。
あまり村へと降りてこない私が珍しいのか見つかればあっという間に囲まれてしまうのはいつものことだ。
「王都までいっていたんですって?」
「あらすごい」
「あっちはどうだったの?混んでなかった?」
「セリレイネウスさん!お久しぶりねぇ!」
しまった、いつもならもっと上手く逃げるのだが油断していたためか突破口が見出せないほど囲まれてしまっている。
-・・だがしかし、こういうときの切り抜け方はすでに研究済みだ。
「皆さん」
私は馬車から降ろした手荷物の中で行きよりも増えたものの一つ-・・大きめのトランクをその場で開けた。
「これ、お土産です。気に入っていただければ嬉しいのですが・・・」
「まぁ!」「すごい!!」「いいの!?」
トランクの中に詰められているのは、王都で流行の女性ものの髪飾りやブローチ-・・勿論村のご婦人たちの大体の嗜好を考慮したうえで人数分取り揃えてある。
小さな村ゆえにそれぐらいのことはたやすいものだ。男衆や子供たちにも忘れず酒や甘い菓子などもとりそろえているのもぬかりない。
ざわめく中で婦人たちの代表格でもある奥方にトランクを渡せば彼女は困ったように笑った。
「本当にセリレイネウスさんはまめな方ねぇ、無理しなくてもいいのよ?旅行に行くたびにこんなに・・・私たちは土産話だけでも充分なのよ?」
「いえ、お気になさらないでください」
むしろそれこそ勘弁してほしいものだ。
「皆さんには日頃からよくしていただいてますから、お礼も兼ねてなんですよ」
よくしてもらっているのは本当だ。
村のはずれに住み着いてかれこれ6年・・・あまり接触を持たないよそ者の私を煙たがることもなく彼らは村の一員として受け入れてくれている。
たまに玄関先に野菜などがおいてあるときなど本当にありがたい。
普段コミュニケーションが取れない分こういったときにその分の補填をしておけば彼らも変わらず私を受け入れてくれる。
「そう-・・じゃあありがたくいただくわね」
「はい」
それでは、とご婦人たちが王都のみやげ物に目を取られているうちにその場を後にしようとする。
-・・と、再び奥方に呼び止められた。
「そうだわセリレイネウスさん、ここ最近貴女の家の周りを怪しげな男がうろついてるんですって」
「男?」
「えぇ、ここ一ヶ月ぐらいのことかしらね。真っ黒なマントを頭からすっぽりかぶっててね。怪しいから旦那が声をかけたりもしたみたいなんだけど何も言わずに立ち去るんですって。それでも何度か貴女の家を訪れているみたい」
あきらかによそ者だったわ、と奥方は嘆息する。
「もしかしたら今日も来てるかも知れないわ。もしあれなら男衆に声をかけて戻ったほうが-・・いいえそれよりもうちでしばらく泊まっていったほうがよくないかしら?」
少し逡巡して-・・私は首を横にふった。
「いいえ、大丈夫です。知り合いかもしれません、カマンサ・レールにいる友人が古い知人が近々私の元を訪れる予定だといっていたので」
「あら、そうなの?」
「えぇ、いつも黒いマントを着ていた男でしたので多分そいつでしょう。ご迷惑をおかけしまして」
「いいのよ、それなら。よかったわ、不審者じゃなくて」
「えぇ、本当に。それでは」
「えぇ、ゆっくり休んで頂戴。またゆっくりお話しましょうね」
会釈をして私はその場を後にする。
進むは我が家へと続く道。
・・・さて、どうしたものか。
やっと主人公の名前が出てきましたー。