海の奇跡
突然の爆弾発言に戸惑う女衆を「詳しいことは後でお話しますのでセリさん以外は外へ出ていてください」と有無を言わせず皆を外へ追い出すと、ディオンがこちらを振り返った。
「…といことですので」
「何がだ!」
ガラにもなく混乱する私は彼の胸倉を掴み問い詰める。
「何を考えている!?」
「勿論、彼女たちを助けることを」
「-・・っ!?」
至極真面目な顔で彼はそう言うのだ。
その目は冗談を言っているようには到底見えなかったー・・だから私はそれ以上言葉を重ねることができずに、息を詰まらせるしかなかった。
「セリさん、側にいて手伝っていただけますか?」
"希望"などという曖昧なものに縋るつもりは毛頭ない。
私が求めるのはいつも確実な"結果"にたどり着く手段だけ。
だけど、今はー・・
「わかった」
…断じて彼の真摯な瞳に動かされてなどではない。
私らしくはないが、少しの"可能性"に賭けてみようと思っただけだ、それだけ。
部屋の扉に内側から鍵をかける。
外から部屋の中が覗き込めない様、閉められていたカーテンの上から更にあまっていたシーツをかぶせ、どこからも部屋の中を覗き込む隙間がないようにした。
寝台の上で眠るマリーネは今は落ち着いているようだ。
暫く目を覚ますことのないよう、用心のため体に害のない薬草で作った安眠作用のある香を枕元で焚きつめる。
「私が何かすることはあるか?」
ディオンが指示したことといえば部屋を外部から封じることと、一桶の水を用意して欲しい、とのこおだけ。
寝台の横で静かに立ち尽くすディオンに声をかければ「いいえ」と首を振られた。
「…私も外に出ていたほうがいいんじゃないか?」
これからディオンが何をしようとしているのか気にもなるし、同時に訝しんでもいるー・・が、彼が"魔術師"だと名乗ったということは何かしら"魔法"を使うということだ。
人魚を含む"幻想種"の使う"魔法"は人間が使う魔法とは根本的な性質が違うのだが…まぁ"人魚"の力を使って何かをするのには違いない。
魔法を使うときには集中力がものをいう、と聞いたことがあるからこれ以上私がここにいるのはかえって彼の妨げになるのではなかろうか。
「いえ、側にいてください」
横に立つ彼の右手が私の左手を握る。
こんなときに何をー・・と思いもしたが、彼の目はただ一心にマリーネの腹部へと注がれている。
その横顔は真剣そのもの。彼と出会ってから始めて目にする表情だ。
(…この短時間でこいつのいろんな顔を見ている気がする)
「はじめます」
手を繋いでいないほうの彼の左手がすっと前に伸ばされた。
その動きを目で追えば、途端その指先が青白く光はじめる。
『――――――――――――――――――――――・・』
(!?)
少し甲高い、音にならない音が彼の口から紡がれている。
不快ではない…むしろ心地と感じるその音は、笛の音に近い。
部屋中が音に満ち満ちた。
『――――――――・・、―――・・、――――――――――――――――――――・・』
確かに耳に届いているはずの音は頭の後ろを突き抜けるように通っていく。
紡がれているのは言葉に違いないが、それが何なのかを理解することはできない。
『―――――――・・』
伸ばされていた手からこぼれる青白い光は、生き物のように動きその範囲を広げていっている。
そしてそれに呼応するかのように、足元に置いた水桶の水面が波立った。
「水が…」
桶に入っていた筈の水がくねくねとその体を伸ばし寝台に眠るマリーネを取り囲むように円を作ってゆく。
光と混ざりあい細い円を作った水の表面がキラキラと光を反射して輝く。
(何て美しい…)
部屋中が青に包まれている。
まるで…そう、まるで海の中にいるのではないか、と錯覚を起こす。
『――――・・、ソルシアータ デマルーシェ ラゴ ヴェデンチェリニア』
いつの間にか、音とだけしか聞こえていなかった彼の声が"言葉"に変わったのに気がついた。
(これは…古語?)
遠い遠い、それこそ神話の時代といってもいいぐらい昔に使われていた古語。神殿では聖句とも呼ばれる言葉。
-・・ソルシアータ デマルーシェ ラゴ ヴェデンチェリニア
海の鼓動よ 聞こえるか
ー・・ツェ マドリグエ ヴェ デマルーシェ オーサ レマンテ
新たなる鼓動の心音を
古語はもっとも古き時代からこの大地に、この世界に息づく精霊に話しかけるために必要なものだと聞く。
ー・・ヌージュディッシュ コウレ コンサンティールウィ ボーテ
彼の命に祝福を 導きを
ぐるぐるぐるぐると円を描いていた水がその輝きを増し、速度を上げる。
時折、円からはじき出される水滴は落ちることなく宙を無数に漂い、夜空に浮かぶ星を思い浮かばせる。
ぎゅっ、と私の左手を握る力が強くなった。
あぁそうか、と隣に立つ彼を見上げる。
この幻想的な輝きの中でも陰ることなく、さも彼自身がこの神々しい術の一部といわんばかりの様子だというのにー・・
(恐れているのか)
失敗してしまうことを。
そんな様子を微塵も感じさせない横顔なのに、彼の手は私に縋りついてくる。
魔法やそういった類にはあまり強くない私でもわかるー・・彼は精霊に愛されている。
慈愛に満ち足りているこの空間で失敗するはずもない。
…だというのに、彼は恐れているのだ。
『セリさん、私は両方とも助けたい』
その言葉に偽りはなかったのだろう。
ここまでの力を行使して失敗するはずなどない自信も彼の中にはあっただろう。
だがそれでも恐れは消えない。だってそれが
(命を救うということ)
ソレを知っているからこそ、彼は恐れる、縋ってくる。
ならばそれを受け止めてやろうと、支えてやろうとその手を強く握り返す。
『ー・・・ヌージュディッシュ コウレ コンサンティールウィ ボーテ』
一際目映い光が溢れ、視界が青白く塗りつぶされた。
古語は適当なのであまり突っ込まないでください(笑