第六話 修繕者狩り
「よう、今日は災難だったな」
白竜からの出動要請で、桐崎直刃は現場に向かって夜の空を駆けていた。途中から合流した冴島火乃華は、まるで他人事のようにそう言い放った。
「……誰のせいだと思っている」
そう答えても、火乃華は軽く笑い飛ばすだけだった。
この日は、入学以来もっとも最悪な日だった。登校中に火乃華の元同級生であるマサキなる男に絡まれ、大声で『火乃華と付き合っているのか』だの『アネゴと呼ばせろ』だのと叫ばれたのだ。
「教室に入ってからもクラスの友人たちから揶揄われるし、部活でも散々だった。誤魔化すのにどれだけ苦労したと思っている」
休み時間には、周りの友人たちから質問攻め。『冴島さんと付き合ってるってホント?』だの、『桐崎さんってもしかして元ヤン?』だの、『冴島さんって結構可愛いよね』だのと。すべて、きっぱりと否定しておいた。
「オメェ、友人とかいたんだな」
「どういう意味だ」
「いや、いっつも一人でいるもんだからよ」
直刃は少しムッとした。確かに自分から積極的に友人を作るタイプではないが、クラスでも部活でも普通に付き合いはある。
「……失礼な。おまえよりはまともな人間関係を築いている。何だったんだ、あの男は」
「はは、マサキはアタシにもよく分かんねェ」
火乃華は、「よっ」「ほっ」などと小さく言いながら屋根から屋根へ前方宙返りしたり、塀の上を側転したりと騒がしく動いている。
「……おまえ、少しは静かにできないのか」
「この力に慣れないとな。体、動かしてェんだよ」
「やれやれ……」
火乃華は、戦うことが好きなだけではなく、体を動かすこと自体が好きなのだろう。
「でもよ、別にゴマカす必要なんてないだろ」
「……何?」
「アタシらが組んでるのは事実だろ。ヤマしいことなんかねェし」
「やましいことなどあるはずがない! しかし、〈修繕者〉の活動は内密だ。目立つのは好ましくない」
「言いたいヤツには言わせとけばいいンだ」
直刃は、今日何十回目かのため息をついた。
火乃華は相も変わらずお気楽だ。この能天気さが腹立たしくもあり、少しだけ羨ましくもあった。
「あれか」
先を行っていた火乃華が立ち止まる。
配送業者の倉庫街の一角。空中に、〈ホコロビ〉のヒビ割れが発生している。溢れ出す〈ハザマの存在〉は、四体。こういう場合は、暗黙の内に半分ずつ、つまり二人がそれぞれ二体ずつ相手するようになっていた。
「んー……?」
火乃華が、周りを見回した。
「……どうした?」
「いや、何かヘンな感じがするな。気のせいかもしれねェが」
直刃は、何も感じていなかった。既に現場にいた白竜も、慎重に言った。
[[……ともかく、周囲への警戒を強めよう。『〈修繕者〉狩り』かもしれない]]
火乃華は、野生の勘とでもいうのだろうか、妙に冴え渡る感覚を持っていた。母はそれを『殺気』『闘気』『気配』などと呼んでいたが、直刃には今ひとつ実感がなくピンと来ていない。
直刃に分かるのは、音と風、それからわずかに匂い。目を閉じていても、単純な動きなら察知できるし、大まかな位置を探ることはできる。だが動かないものや、遠く離れたものを察知するには、その『ヘンな感じ』とやらを感じる必要がある。その感覚は、直刃にはないものだ。
火乃華の横顔は、さっきまでの冗談めかした態度とは違う。真剣で、それでいて高揚している。来るなら来やがれ、という台詞が聞こえてくるようだった。
とは言え、〈ホコロビ〉の対処も必要だ。火乃華がメインで〈ハザマの存在〉を相手にして、直刃は火乃華のサポートをしつつ周囲を警戒した。
「おららァァッ!!」
火乃華は順調に〈ハザマの存在〉を撃破し、残り二体となった。始めのころと比べ、動きの鋭さが格段に増している。殴打からの切り返しの早さ。複数相手にするときの視野の広さ。闇雲に突っ込むだけではなく、ヒット&アウェイも駆使している。
火乃華が、三体目に拳打を放った瞬間。
衣擦れの音。横切る空気。直刃は、すぐに叫んだ。
「上だ!」
火乃華の体は、瞬時に反応して後ろに飛び退いた。
体に響く轟音。
火乃華のいた場所に、突然巨大な大槌が現れた。
それは火乃華が相手していた〈ハザマの存在〉を一撃で撃破し、そのまま地面を激しく打ち付けた。
ゆっくりと大槌を持ち上げ体を起こしたのは、黒のパンツスーツにネクタイを締めた長身の女性。ひっつめにした髪を後ろで一つに纏めている。大人びた顔つきは、妖艶と言っていいほどの美しさを備えている。格好と武器と顔。それらは一見不釣り合いだが、不思議と調和しているように見えた。
手にしている大槌のヘッド部分は、人の頭よりも大きい。〈修繕者〉の武器なので単純に実物と比較はできないが、鉄で出来ていたとしたら百キロは優に超えるだろう。おそらく破壊力も、それくらいはあるということだ。
「ッぶねェ! 助かったぜ桐崎!」
宙返りからの着地をして、火乃華が叫ぶ。
女は大槌の長い柄を軽々と肩に載せ、少し感心したように火乃華を見た。
「素晴らしい反応です。それにそちらの刀の子。私が現れることがよく分かりましたね」
少し離れたところで見ていた白竜が近づいてきた。
[[姿を消していたのは〈サダメ〉の力か。どうやって使ったのだ……?]]
〈サダメ〉とは、〈コトワリ〉の上位ルールである。つまり、物理法則を一時的かつ限定的に逸脱することが可能になる。白竜による怪我の治療なども、その一種である。
直刃も、相手から距離をおいて火乃華と並び、相対した。
「……〈修繕者〉狩りだな? 何が目的だ。それに、どこで〈修繕者〉の力を手に入れた?」
「質問に答える必要はありませんね。何故なら、私はあなたたちの〈修繕者の原石〉を貰いに来ただけですから」
女は言い終わると同時に踏み込み、火乃華に向かって大槌を大きく振りかぶった。
「その自慢のハンマー、叩き落してやらァ!」
火乃華はヘッド部分に対して拳を繰り出した。
――馬鹿な! あんな大槌に正面から……!
〈修繕者〉状態なら、火乃華の拳による攻撃力は直刃の刀に匹敵する。しかし頭では分かっていても、大槌に向かってそんなことができるのは並の胆力ではない。もしくは、余程の馬鹿かのどちらかだ。
ぶつかる寸前、女が大槌の面を――わざと、火乃華の拳に正面から当てに行ったような気がした。
火乃華の拳が、大槌に激突した。
だが衝突の瞬間、直刃は妙な違和感を覚えた。
「ぐォわッ!?」
激しい勢いで吹き飛ぶ火乃華。
相手は、平然と大槌を振り抜いて立っていた。
火乃華が倉庫の壁に激突し、辛うじて倒れずに着地した。
「大丈夫か!?」
視線は女から外さず、後退して火乃華の飛ばされた方へ近づいた。
「何だァ、今のは? ただのハンマーじゃねェ」
火乃華は自分の拳を見た。
「硬ェとか重いとか、それだけじゃねェ。なんていうか……跳ね返された感じだった」
直刃は気づいた。〈修繕者〉の武器が持つ、特別な能力。
「まさか――」
女が、直刃の言葉を遮るように答えた。
「ご明察です。それは私の大槌の特殊性能。『弾性衝突』です」
直刃の胸に、歯痒さと畏怖が湧き上がる。
特殊性能。それは〈修繕者〉の武器に付随する能力。直刃と火乃華は、まだその力に目覚めていなかった。
▽ ▼ ▽ ▼ ▽ ▼ ▽
「特殊性能だとォ?」
火乃華は、大槌の女を見据えた。
それは〈修繕者〉の持つ武器に付随する能力のことだと、以前に白竜から聞いている。火乃華も直刃も、発現していない。ある程度の経験や、閃きのような偶然など、発現条件は人によって異なるらしい。
――無いものはしょうがねェ。しかし、厄介な能力だな。
あの女は『弾性衝突』と言ったが、火乃華にはイマイチその言葉の意味が分からない。とにかくハンマーの打面に触れるのは危険だ。殴ったときの衝撃が、想定以上に返ってくる。それに、腕だけじゃなく体全体が弾き飛ばされるような感覚だった。
ハンマー女が、ニヤリと笑った。
「さあ、続けましょうか」
女は武器を掲げると、何故かその場で地面に叩きつけた。
火乃華の背すじに、ゾクッと鳥肌が立った。
さっき拳が弾かれたときに感じた、違和感。叩きつける音が鳴らなかった。常識が覆されるような気持ち悪さ。しかし、火乃華はそんなことには構わないことにした。そういうものだ、と受け入れるしかない。
ハンマー女は、弾かれる衝撃を利用して火乃華の方に猛スピードで突っ込んでくる。
――カウンターをお見舞いしてやる……!
ハンマーの打面を避けるようにして、火乃華はタイミングを合わせて拳を繰り出そうとした。
しかし、相手の体は眼前で姿を消した。さっきの〈サダメ〉というやつか? いや、そうではなかった。再び地面を叩いて急激な方向転換をして視界から消えたのだった。
「こっちか!」
ハンマー女は右から回り込んでくる。しかし、また方向転換。
「上か!」
突き出した拳を潜り抜け、女はハンマーを振りかぶる。
火乃華の視界が真っ白になり、すぐまた真っ暗になった。
額を打ち付けられ、体が地面に沈んだ。
「がはァッ!」
「おまえっ!」
直刃の声が、辛うじて聞こえた。
体に力が入らない。すぐには立てそうになかった。
「喧嘩慣れはしているみたいですが、頭上からの攻撃には弱いみたいですね。まさしく野生の獣のようです」
そして、倒れた火乃華に向けてさらにハンマーを振り下ろした。
――やべェッ! 体がまだ動かねェ……!
うつ伏せのまま、なんとか逃れようとするが間に合わない。
ガキィン!
瞬間、火乃華のすぐ真上で刀がハンマーの動きを阻んだ。
直刃が、近くに来ていた。ハンマーのヘッド部分ではなく、柄を刀で受けて火乃華への攻撃を止めていた。
「ほう、速いですね」
ハンマー女は余裕の態度で飛び退いた。
「立てるか?」
「あァ……まだちょっとクラクラするけどな」
立ち上がり、相手に向かって構えた。直撃した額から流れる血が目に入らないように、手の甲で拭った。
「アタシが何とか引きつける。オメェは隙をついて攻撃しろ」
しかし直刃は、すぐに否定した。
「愚かな、おまえに凌げるものか。わたしが引きつける」
「いや、ムリだ。オメェのリーチじゃ、ヤツと真っ向から打ち合うことになンだろ。アタシなら懐に入れば有利だ」
「博打だぞ……!」
「だから面白ェ」
火乃華はふらつく足で前に出た。
「来やがれハンマー女」
女は、意外そうに目を見開いて少し笑った。
「彩芽」
「あァ?」
「私の名前です」
「そうか。ぶっ倒してやるよハンマー女」
手招きすると、彩芽と名乗った女は愉快そうにハンマーをまた地面に打ちつけた。
真っ直ぐは向かって来ない。幾度かの方向転換を繰り返しながら、近づいたり離れたりする。火乃華はまだ目眩が残っているので、いちいち反応していられない。
――分かってンだよ、オメェの狙いは。
火乃華は相手を視界に入れつつ、一つのことに集中していた。
その瞬間、火乃華は直刃に向かって跳ねた。
「先に狙うのはこっちだよなァ!」
直刃を狙う彩芽に、横から殴りかかった。
既にダメージを負っていて動きの鈍い火乃華よりも、直刃を先に攻撃するだろうと火乃華は読んでいた。そのために敢えて挑発し、挑発に乗らせてやったフリをしたのだ。
彩芽は直刃が油断している隙を突いたつもりだった。しかし、そんな彩芽の隙を突くことに成功したのは火乃華だった。彩芽の誤算は、手負いの火乃華が想定以上に動けたことだった。
「らァ!」
右ストレートで、彩芽の胴を突く。咄嗟にハンマーの柄で防がれたが、いくらかのダメージは入った。やはり、さっき直刃が刀で防御したようにヘッド部分以外では特殊性能は発揮できないらしい。
「くっ!」
彩芽の顔が、焦りを見せた。
「らららァァ!」
攻撃を緩めない。彩芽のリーチでは戦わない。常にヘッドよりも内側に。
「昔の人は言ってたぜ! 『当たらなければ怖くねェ』ってな!」
彩芽はハンマーの柄で受けるが、火乃華の攻撃は防ぎきれず、いくつかは当たっている。耐えきれなくなり、彩芽は地面をハンマーで叩いた。いや、叩いたというよりも、重力に任せて落としただけ、という感じだった。
しかしそれだけでも、『弾性衝突』の能力で反動は彩芽の体を大きく飛び上がらせた。
――そこだ、桐崎!
彩芽が空中で体勢を整えている。直刃は、納刀した刀を構えて飛び立つ。空中では、方向転換できない。恰好の的だった。
直刃は鞘を走らせ、刀を抜いた。その勢いのまま、彩芽を捉えたかに見えた。
一瞬、剣閃が鈍った。
その遅れたタイミングで、彩芽は防ぎ切った。
彩芽は、直刃を弾いた反動で少し離れた倉庫の屋根に着地した。
火乃華が直刃の降りた近くに行くと、直刃は彩芽から目を離していなかったが、血の気が引いて真っ青になっていた。
彩芽は、少し残念そうに話し始めた。
「もしかして……お二人は特殊性能が使えないのですね」
火乃華も直刃も、何も言わなかった。
「先程の刀の子の攻撃。喧嘩の子の連打。使う機会は何度もあったはず。私相手に手加減する理由もなし。やはり、特殊性能が使えないと考えるのが妥当ですね」
しかし、次の言葉は火乃華にとって聞き捨てならないものだった。
「そんな力不足の石、頂いても意味はありません。今日のところは、お暇させていただきます」
「んだとォ!? 待ちやがれ!」
去ろうとする彩芽を追おうとしたが、
[[待て、ホノカ。深追いするな。それに、〈ハザマの存在〉と〈ホコロビ〉がまだ残っている。放っておくわけにはいかない]]
「ちッ……おい桐崎、さっきは……」
見ると、直刃は一太刀で〈ハザマの存在〉を斬り伏せ、〈ホコロビ〉の修繕を始めていた。
「〈ハザマの存在〉は……斬れる。だが、人は……」
「オメェ、もしかして……人とは戦えねェのか」
直刃は答えなかったが、その沈黙は肯定の返事に他ならなかった。




