【第9話 夜の涙、契りの印】
封域の結界が、微かにきしんだ。
それは、かつてないほど不吉な兆候だった。
夜の自習を命じられた千歳は、或とともに封域へと向かう。
「……ここに、来いというのですね」
「恐れるな。君には、僕がついている」
そう言って手を伸ばした或の掌には、赤い封印の紋が浮かんでいた。
封域の中心部。そこにはかつて千歳の母が使っていたとされる、古びた封神鏡があった。
近づくごとに、千歳の胸の奥が疼く。
「……これが、私を“器”にした力……?」
或は無言で鏡に手をかざし、結界を展開する。
「これより“契印”を交わす。君が望むなら、ここで逃げてもいい」
「逃げません。私は……先生の式神になった。今さら、戻れません」
その言葉に、或の瞳がかすかに揺れる。
「……あの時、抱きとめた君の体が、震えていた」
「でも、嬉しかった。先生がそばにいてくれて」
二人の間に、風が吹く。
或は千歳の頬にそっと触れた。
「では、印を。目を閉じて」
そのまま、唇が触れそうな距離で、彼の指が千歳の額に印を刻む。
「“鎖呪の君”として、君を認める。契約は、完了だ」
その瞬間、千歳の中の何かが解き放たれた。
遠くで、封神鏡がひび割れる音がした。
「……来るぞ、千歳。これが最後の“試練”だ」