動きは派手に可憐にチラリズム ~PANDORA~
ライブが終わり、静寂がトロイアの街に訪れる。シバ子は木馬型ワゴン車の上で大きく息をついた。
汗が額を伝い、キラキラと光る。観客は、もはや亡霊ではなく、ただ呆然と立ち尽くす事代主隊とバルドルたち、そしてパンドラだけだ。ヤチホコはやり切った顔で肩で息をしている。
「ふぅ〜、疲れたぁ。でも、みぃんな盛り上がってくれたみたいでよかったぁ」
シバはそう呟き、満面の笑みを神々に向ける。しかし、彼らの顔には驚愕と困惑の色がありありと浮かんでいる。特に、カワノの顔は般若笑顔から一変、真顔になっていた。
「あれれ? あんまりウケなかったかなぁ? でも、最後はちゃんと『はいセーの!』って言ってくれたのにぃ…」
少しだけしょんぼりしながら、シバはライブハウス――もとい、木馬型ワゴン車の屋根から飛び降りた。
するとヤチホコが駆け寄ってきて、キラキラと目を輝かせて、
「いやぁ、すごかったっスね、シバ子ちゃん! まさか歌で亡霊を成仏させちまうなんて!」
「えへへ~、君もノリノリだったねぇ! 最後のコール&レスポンス、バッチリだったよ!」
ヤチホコは照れたように頭をかく。その様子を見て、シバ子は少し安心した。少なくとも、一人でも楽しんでくれた人がいたのだ。
他の神々も徐々にシバ子に近づいてくる。カワノはまだ少し困惑顔をしているが、その瞳には安堵の色が宿っている。
「あんた…人格変わってない?」
カワノが問いかける。シバは小首を傾げ、にっこり笑った。
「ん~? シバ子はシバ子だよぉ? 歌はねぇ、みぃんなを笑顔にする魔法なのぉ!」
「魔法? 神の力は封じられているはず…いや、これは神の力とは違う…科学とも違う…」
カワノはブツブツと何かを呟き始める。他の事代主隊たちもシバを不思議そうに見つめている。
彼女の歌は、ただの歌ではない。人々の心に直接語りかけ、感情を揺さぶる力を持っている。そして、それは亡霊にも有効だったらしい。生前の苦しみや憎悪に縛られていた彼らは、シバの歌によって魂が解放され、安らかに消えていったのだ。
「でも、なんでシバ子はこんな力が使えるんだろ? ママとパパにも聞いても、教えてくれなかったなぁ…って、ママとパパって誰じゃ~いッ!」
ここで、シバ人格変。もとい豹変。ここで、笑撃扇がシバの頭上に炸裂。革鎧を着こんだ世話役はナキメであり、
「美猴王?」「ナキメ?」
その後ろの長身美女の肩に乗っているのは、美猴王である。長身美女の面影は誰かに似ている。事代主隊は、思わずに条件反射。鬼教官によく似た美女の前にただちに整列。
「動きは派手に可憐に誘惑影ッ! 次は内臓でも見せるつもりぃ?」
「はッ! う、ウズメ先生? シバ子はなにを…」
笑撃扇に撃たれたシバ、もといシバ子は人格変。仕様変更。ナキメは、キンとギンから目を反らし、長身美女、ふたりの元まで歩み寄り、
「あたくしの美猴王を連れて来てくれたのはあなたたちね? あたくしの名はウズメ。美猴王さまは、あたくしの運命の御方。お礼を申しあげますわ。どうもありがとう――」
ウズメ、正式名称天鈿女命に困惑気味なふたりに、
「先生。お兄ちゃんの名前はホウ。お姉ちゃんの名前はミナです」
ナキメが配慮。声も口調も幼児退行していない。キンとギンの顔が不安に滲む。別れを予感したからだ。
「ウズメ…第一世代のウズメ先輩ッスか? 鬼教官殿ともしかして…」
カヅチの知識が反応し、ウズメ、
「あんな武骨者とあたくしを一緒にしないで頂戴」
チヨとの血縁関係を断固拒否。ここで、
「全員整列ッ! 駆け足だ!」
御当人、号令発動。みんなは条件反射。チヨの前に瞬時に整列。
「へぇ~。ウズメ先輩とそっくりッスねえ。教官殿と違って肌が日焼け…」
ここでもKY。ヤチホコだ。
「カワノ。先の戦闘での失点は?」
ここでもカワノ、
「や、ヤチホコでありますッ!」
売る仲間を。失点有りと言えば失点だ。任務中にアイドルのライブでノリノリだったんだから。
「そこの猿女と肌の色が違うのは研鑽の差だ。来い特別訓練だ」
チヨはヤチホコの後ろ襟をむんずと掴み、
「あたくしの研鑽が足りていない、ですって…来なさい特殊舞踊特訓よ…」
後ろ襟を掴まれたチヨは不敵に微笑。後ろ襟を掴まれたままのKYは涙目に悲鳴。
「えぇ、ちょぉぉいやぁぁぁッ?」
ウズメ、そんなチヨの後ろ襟をむんずと掴んで彼方に射出。からの飛翔。うん。どっちも脳筋だよ。うん。
みんなは、トロイアの星となったヤチホコにビシリと最敬礼。切り捨てる。仲間を。
「…訓練、か。俺たちには、もう関係ねぇな…」
バルドルの声には、どこか寂しさが滲んでいた。彼の仲間たちも、シバ子の歌で亡霊が成仏した光景を見て以来、生気を失ったように静まり返っている。
「バルドル…あんたたち…」
パンドラが心配そうに呼びかける。バルドルは力なく首を横に振った。
「俺たちは、このトロイアを救うために来た。亡霊を…この地に縛られた魂を解放するために。シバ子の歌は…俺たちと同じ力を持っていた。いや…俺たちよりも…」
バルドルは言葉を選びながら続けた。
「俺たちは…もう、ここに留まる必要がなくなったんだ。役目を終えた…」
彼の言葉に、仲間たちが静かに頷く。彼らの体から、淡い光が漏れ始める。亡霊たちが成仏した時と同じ光だ。
「ちょ…! まだ…!」
パンドラが慌てて叫ぶ。バルドルはパンドラに微笑みかける。その顔は、迷いのない穏やかな表情だった。
「短い間だったが…あんたたちと出会えてよか」
言葉の途中でバルドルと彼の仲間たちの体は、光の粒となって徐々に薄れていく。風に舞う光の粒は、まるで彼らの魂が解放されていくかのようだった。
静寂が再び訪れる。亡霊たちがいなくなったばかりか、バルドル隊まで消えてしまったのだ。トロイアの街に、また一つ寂しさが加わった。いや、街の人々も消えている。
「…あぁあッ! もうッ! ホント勝手ッ!」
パンドラは俯き。長い髪をウンザリと振り乱し、心底、忌々しげに吐き捨てた。キッとカヅチを睨みつけるや、
「おごぉッ?」
回し蹴り。からの、
「……」
接吻。バルドルの代わりだ。うん。尻軽娘だ。
「……」
接吻の余韻が残る中、パンドラはカヅチから顔を離した。カヅチは呆然として、口元に触れている。その場にいた全員が、突如として繰り広げられた暴力的かつ唐突なスキンシップに固まっている。事代主隊の面々は、完全にフリーズしていた。ヤチホコがウズメとチヨにそれぞれ引きずられていったことは、もはや遠い記憶のようだ。
パンドラは、カヅチの反応など気にも留めず、荒い息を吐き出した。バルドルたちの消滅が、彼女の冷静さを完全に奪い去っていた。寂しさと、置いていかれた怒り、そして行き場のない苛立ちが、彼女の心を掻きむしる。
「Can I get a refill?」
カヅチが掠れた声で呟く。
「「おかわり! じゃ、ねえッ!」」
硬直化していたカワノとイワノの強烈な蹴りが、カヅチの臀部に炸裂し、
「いっ痛ぇッ! め、目覚めたらどうすんだよ?」
蹴り飛ばされたカヅチ、涙目で苦情。
「「措け。カヅチ…」」
ふたりは、冷たな眦に措く。カヅチを。うん。目が怖い。
パンドラは答えず、ただ、空を見上げた。そこには、先ほどまでバルドルたちがいた場所があった。今はもう何もいない、ただの虚空だ。
「…勝手ばっかり。結局、誰も彼も、自分の都合でいなくなっていくんだから!」
パンドラは声を震わせながら言った。亡霊も、バルドル隊も、そして街の人々も。トロイアは、急速に「無」へと向かっているように感じられた。
街から亡霊も、街の人々も、そしてバルドル隊までが跡形もなく消え失せた後、トロイアには文字通りの静寂が訪れた。まるで時間が止まったかのようだ。しかし、その静寂は、パンドラにとって耐え難いものだった。すべてが消え、一人取り残されたような感覚。
「…あぁあッ! もうッ! ホント勝手ッ!」
吐き捨てた言葉は、空虚な街並みに吸い込まれていく。ヤツアタリで蹴り飛ばし、唐突に接吻までしたカヅチは、まだ臀部を押さえて呻いている。カワノとイワノの鋭い視線が突き刺さる。キンとギンは、その光景に目を丸くしている。
パンドラは、胸元に手を当てた。そこには、彼女が常に肌身離さず持っている小さな箱がある。古びてはいるが、不思議な彫刻が施された、見慣れた、そして忌まわしい箱。
少彦名の言葉が、唐突に脳裏に蘇った。
――絶対なんて言葉は、ぼくの辞書にはないなぁ
あの時の、少年のようにギラギラと輝く、諦めを知らない瞳。そして、その後に続いた言葉。
予言は、外れた。いいや。的中した。トロイアのみんなが沸いただけだ。亡霊たちは、滅びではなく、アイドルソングのコール&レスポンスで成仏した。予想もしなかった形で、トロイアの終焉は訪れなかった。
パンドラは、シバ子の路上ライブを目にした時、確かに一瞬、希望を見たのだ。自分の「絶対」の予言が覆される光景。しかし、その後のバルドル隊の消滅、街の人々の消滅は、彼女の心に再び深い絶望を刻み込んだ。結局、皆いなくなってしまう。救われることなどないのだと。
だが、少彦名の言葉は、絶望の淵にいるパンドラの心に、僅かな波紋を広げる。あの箱を開ける? 希望も絶望も、あらゆる災厄が詰まっているとされる、あの箱を。
震える手で、パンドラは胸元の箱を取り出した。掌に乗るほどの小さな箱は、ずっしりとした重みを感じさせる。触れるだけで、過去の悲劇がフラッシュバックするかのようだ。
「これは、人の世の始まりを告げる鍵…神代を閉ざす錠…」
パンドラの声は掠れていた。箱を握りしめる手に力が入る。開ければ、何が出てくる? 新たな災厄か? それとも…
「希望」は、最後に箱に残ったという。だが、その「希望」が、どれほどの重みと責任を伴うものなのか、パンドラは誰よりも理解していた。希望とは、絶望があるからこそ存在する光。そして、その光を掴むためには、さらなる苦難が待ち受けているのかもしれない。
しかし、このまま何もしなければ、すべては「無」へと向かうだけだ。亡霊も、人も、そしてバルドル隊も消えたこの街で、彼女は事代主隊と共に取り残された。
少彦名は、絶望を否定しなかった。諦めを知らない、あの瞳。彼の言葉を信じるのか? 自分の予言を裏切り、新たな可能性に賭けるのか?
パンドラの瞳に、微かな光が宿る。それは、諦観の色ではない。迷いと、そして小さな、本当に小さな決意の色だった。
ゆっくりと、パンドラは箱の留め金に指をかけた。震えは止まらない。心臓が激しく鳴っている。
カチリ、と小さな音が響いた。
そして――。
パンドラは、意を決したように、箱の蓋を、開けた。
その瞬間、箱の中から、淡い、しかし確かな光が溢れ出した。それは、亡霊たちが成仏した時の光とは違う。もっと温かく、もっと力強い光だった。光は、パンドラの手に持たれた箱から解き放たれ、トロイアの街全体に広がっていく。
街並みが、光を受けて変化する。寂れた建物が、色を取り戻し、活気を取り戻していくようだ。消え失せていたはずの街の人々の影が、光の中に浮かび上がり始める。彼らは、もはやおぞましい亡霊の姿ではない。生前の、穏やかな表情を浮かべている。
「これは…」
カワノが呆然と呟く。カヅチも、イワノも、キンもギンも、信じられない光景に目を奪われている。
光は、空にも昇っていく。そして、光の中から、再び姿を現す影があった。それは、バルドルと、彼の仲間たちだった。彼らは、成仏したわけではなかったのだ。魂が解放され、新たな形で現れたのか?
「希望」――。
パンドラの箱から放たれた光は、確かに街に、そして人々に、そしてバルドル隊に「希望」をもたらしたかのように見えた。滅亡の定めから解き放たれ、新たな始まりを迎えるかのように。
しかし、光はそれだけでは終わらなかった。
希望の光の中に、もう一つの影が生まれ始めていた。それは、濃密な、漆黒の闇。禍々しいまでの絶望の塊。
希望と絶望が、光と闇が、混ざり合うことなく、しかし確かに同じ場所から現れたのだ。
パンドラは、箱から目を離せない。箱の底には、まだ何かがあるのか?
そして、その闇の塊は、形を成し始めた。巨大な、おぞましい姿。それは、あらゆる絶望、苦痛、憎悪を凝縮したかのような存在だった。
パンドラの箱から、希望と共に、最悪の災厄が解き放たれたのだ。
街に満ちていた穏やかな光は、新たな闇に侵食され始める。再生の兆しを見せていた街並みは、再び歪み始める。蘇りかけた人々は、恐怖に顔を引き攣らせる。バルドル隊も、構えを取る。
「もう、逝くね…あたしは初まりの人間…悠久でない刹那の生を忌み、月読尊と中津国に駆け落ちして捕まった尻軽娘…」
パンドラを含むトロイアが淡い光に包まれ、虚空の宙空に呑み込まれる。ここで、
「いつまで遊んでやがるッ! この放蕩どもッ!」
猫科の仙人キテイの怒号が響き渡り、
「キンにギンッ! 紫金紅葫蘆だッ! 気張んな!」
翡翠色の髪を持つ美女遊撃小隊四神の頭目、玄武の激が飛ぶ。キンとギンは、母の登場に条件反射。
「「はいッ! 母ちゃんッ!」」
よい子のお返事、合体仙術を発動させる。標的は、
「「シバ子ぉ~ッ!」」
らしい。
「はぁ~い」
シバはお返事。ヒラヒラ衣装のアイドルから、桃色がかった中二病なにかが抜き出され、黒歴史なにかが、尻軽娘美姫に憑依する。
「お手柄だ。大黒天隊。後で麦酒を奢ってやろう!」
総隊長、任務達成を獰猛に嗤う。
「「「要らねえからッ! それやめてくださいお願いしますッ!」」」
事代主隊は、既成事実の積み上げを断固拒否!