電撃路上ライブ ~AMENOUZUME~
酩酊亭に響いた警鐘は、トロイアに迫る滅亡の始まりを告げていた。
喧騒から一転、街に不穏な空気が流れ始める中、事代主隊の面々には、いつもの和やかな雰囲気とは異なる、しかし確かな覚悟の色が宿っていた。彼らは普段はオチャラケた言動も多いが、その根底には神としての重みと、幾多の困難を乗り越えてきた揺るぎない信念がある。
バルドルが、
「さて、おっぱじめるとするか!」
と得物を手に立ち上がる。その言葉に、カワノは柔らかな表情の中に凛とした光を、瞳に宿し、落ち着いた声音で応じた。
「事代主隊、迎撃準備。ホウ、ミナ、あたしの傍からはなれるな」
ふたりは、
「「はぁ~い!」」
よい子のお返事、悪い笑み。そんな下知に従うほどお利口さんではいられない。
酒場の外に溢れ出した亡霊の軍勢は、生前の苦しみや憎悪を纏ったおぞましい姿で街を侵食していく。この地では神の異能は封じられ、彼らができるのは肉体的な力で抗うことだけだ。
バルドル隊と事代主隊は連携し、怒涛のように押し寄せる亡霊に立ち向かう。バルドルの力強い剣戟と仲間たちの息の合った連携が亡霊を次々に屠っていく。事代主隊もまた、それぞれの持ち味を発揮する。ヤチホコは好戦的な笑みを浮かべながら豪快に如意棒を振り回して吶喊し、イワノも俊敏な動きと大胆な突出に戦闘鎚で敵を撃ち祓う。カヅチは、
「ちったぁ~戦い方、考えろ脳筋共ッ!」
敵陣に斬り込むふたりに苦言を放ち、大楯神器の元の形状、すなわち双棍を駆使して、ふたりの背中を防御する。
カワノは一見すると可憐な佇まいだが、その眦は常に戦場全体を捉えていた。どこに敵が多いか、味方の配置は適切か、危険な兆候はないか。柔らかい雰囲気を保ちながらも、その頭脳は冷徹に状況を分析し、仲間への指示を飛ばす。
「ヤチホコ、右翼の補強をお願い! イワノ、カヅチは左の突破を阻止して!」
凛とした指示が飛び交い、事代主隊は一つの有機体のように動く。キンとギンのふたりも、迫りくる亡霊を遊撃に退けていく。
激しい死闘の末、彼らは侵攻してきた亡霊の軍勢を殲滅することに成功した。街に一時的な安堵が訪れ、トロイアの住人たちは歓喜の声をあげる。しかし、パンドラの瞳に諦観が滲む。新たな同胞の参入に伴う哀しみも。
撃滅されたはずの亡霊たちが、まるで何事もなかったかのように、再びゆらめきながら立ち上がり始めたのだ。その存在は確かに街に再び現れた。パンドラの予言が現実となるかのように、トロイアの滅亡は定められた運命であるかのように、亡霊は何度でも蘇る。
「…言ったでしょう? 私の予言は絶対なの」
彼女の瞳には、一瞬宿った希望の光は消え失せ、再び深い、深い諦観の色が滲んでいた。抗うことのできない未来を知る者の、どうしようもない悲しみがそこにある。
事代主隊にも、この光景は重くのしかかる。神の異能が使えないこの街で、無限に復活する敵。それは、力や技だけではどうにもならない、底の見えない絶望だった。
カワノは戦場全体を俯瞰する目を向けたまま、その柔らかな口元をキュッと引き結ぶ。普段の能天気な様子は微塵もなく、凛とした横顔には厳しい緊張感が走る。しかし、その瞳の奥には、諦めとは異なる、この絶望的な状況をどうにかして乗り越えようとする強い意志の光が宿っていた。
「カヅチ、禿鬘帽子をできるだけ遠くに投げなさい…」
カワノは下知。カヅチは、
「い、言ってる場合かよ?」
肩で息を調えながら苦言。
「早くしないと爆ぜるよ?」
カワノは不穏。ニコリとした笑みに手にした機器のボタンをポチり。
「不穏ッ? え、ちょぉっ?」
察したカヅチは、慌てて禿鬘帽子を脱ぐや前方に投擲。忽ち、
「神さま舐めんなよ?」
亡霊の軍勢が爆風に消滅した。
あまりの出来事にパンドラは、
「そ、そんな神力は…」
大混乱。そう神力は使えない。が、あまりの出来事に、パンドラは混乱していた。このトロイアでは封じられるはずだった。目の前で起きたのは、物理法則を捻じ曲げるような、常識外れの爆発だ。
「物理法則まで封じられたわけじゃない」
カワノの一言に、みんなは得心。カワノは凛とした佇まいのまま静かに応える。そして、手元にある機器を軽く示す。通常攻撃が有効であること、それはつまり、この地で封じられているのは、神の異能そのものであり、つまり、
「科学も舐めんなよ?」
物理法則や、それを利用した科学までは封じられていないことの証明だった。カワノは不敵に微笑み。爆心地から離れた場所に転がされていた禿鬘帽子が、ボロボロになりながらも微かに湯気を上げている。それに気づいたカヅチが、青ざめた顔でカワノを振り返る。
「てか殺す気? あんなん着けられてたの俺?」
涙目に狼狽。文字通り、自分の頭のすぐ傍であれほどの爆発物が作動する可能性があったのだ。
「あそこで躊躇してたら、私たちは亡霊の数に押し潰されていたわ。状況判断の結果よ」
カワノは冷静に言い放つ。そこに悪気はない、あくまで最善の策をとっただけ、という態度だ。しかし、カヅチにとってはたまったものではない。
「あんまりだぁぁ! ちょっと! 祖父ちゃん擬き。 見ました? この人の外道っぷり!」
カヅチは救援を求めるかのように、呆然としているバルドルに訴えかける。バルドルは、カワノの予想外の行動と、その結果にまだ思考が追いついていない様子だ。
「…おいおい、冗談だろ? てか、自分の身は自分で守れ。悪小僧。甘えんな…」
バルドル冷たな声音に、カヅチの訴えを棄却する。家族に厳しくは基本である仕方がない。
「うっわ。祖父ちゃんぽい。殴りたいぃ~」
カヅチは手巾の端を噛んで涙目。相変わらずに緊張感と言うものが皆無である。事代主隊が。いや、八十神隊が、か。
「続けんなら吹き飛ばす。それとも対話もできないのかしら?」
カワノは、獰猛に嗤う。再び集結する亡霊たちは、手にした得物を打ち捨て武装解除。怖かったらしい。みんな涙目だ。
「あんたたちは、なにが望み? こいつの乳房? それともお尻?」
そう言って、カワノはパンドラのスカートを大胆に捲り上げる。カヅチとキンは、思わずに条件反射。あ、バルドルも。カワノは懐の拳銃嚢から銃を抜き、三人の足下に三発発砲。三人は涙目に悲鳴舞踊。
「ちょ、ちょぉぉ?」
「素知ぶってんじゃない。この尻軽娘ッ!」
スカートを掴んで隠そうとするパンドラにカワノは無双。一方で警告射撃の意味を理解した三人、御目を諸手に隠して、指の隙間から覗見する。
『一度だけ、未来視の姫が滅亡を回避させたことがある。我らは、あの興奮を今一度味わいたいだけだ』
亡霊の一人が声をあげる。視線はカワノとパンドラの攻防戦に釘付けだ。
「じゃあ、もういいじゃねえか? おまえら俺らに負けたじゃん」
如意棒を肩に担ってヤチホコ。
「なんなら、もう一戦すっか?」
イワノも威嚇。脳筋なふたりに、
「つまり感動が欲しい、と?」
カワノは嘆息。チラリとヤチホコに目を向けると、
――興味ゼロか?
その視線はスカート攻防戦に向いていない。逆に少し心配だ。ここでも気分は母親である。
「尻軽娘。一度だけの回避とは?」
ようやくパンドラのスカートから手を放してカワノが問うと、
「未来視の姫が予言を信じんなって奔走したあれじゃねえか?」
バルドルが思い出したように呟いた。
「予言を逆手に取った――てか予言してないじゃん尻軽娘?」
カワノがウンザリと嘆息すると、
「だってぇ~、みんな信じてくんないんだよ? ウソつき呼ばわりすんだよ? 酷くない?」
パンドラは開き直る。思わずに苛立ち、またスカートを捲り上げる。あたりまえだ。先の戦闘が無駄、つまり徒労に変わったのだ。
「ちょぉぉッ? あんた女色?」
パンドラからの思わぬ嫌疑を、
「違いますっ!」
強い言葉でカワノは否定。
「いいから予言え。尻軽娘美姫ッ! 予言わないと剥くからね?」
カワノはキレ気味に要求。パンドラはこれまでにない辱しめに涙目だ。
「木馬の中に誰かがいる。ヒラヒラ衣装のアイドルが。その娘に見惚れてトロイアは亡霊共から救われる」
荒唐無稽な予言に、カワノの表情は、般若笑顔。スカートから手を放すや、神速の手刀を抜刀。パンドラの脳天に叩き込む。
「……」
あまりの痛みに、パンドラは声なき悲鳴。
「舐めてる? ねえ?」
誰もカワノを諌めない。諌められるわけがない。恐いもの。そこに、
「みぃんなぁ~シバ子の歌をきぃ~てぇ~?」
蜂蜜塗れなベタつく声。血と硝煙の匂いが微かに残るトロイアの街角に響き渡る。木馬型のワゴン車の上には、ヒラヒラの奇妙な衣装を纏ったシバがいた。その衣装にヤチホコが目を奪われたのも束の間、シバ子は独特のメロディに乗せ、その声音そのままに粘っこく甘く、熱唱と演舞を披露し始めた。
「い、いい…」
木馬型のワゴン車の上には、ヒラヒラの衣装の着たシバが。その衣装はヤチホコの琴線に響いたようだ。やがてメロディ、シバはベタつく声音で熱唱、演舞を披露する。蜂蜜塗なベタつく声が、さっきまで如意棒を肩に担ぎ、威嚇していたヤチホコは、キラキラと目を輝かせている。彼の脳筋には、小難しい予言や無限復活の絶望よりも、目の前で繰り広げられる派手な歌と踊りの方がよほど響くらしい。如意棒を傍らに置くと、彼は早速、自己流の豪快なステップを踏み始めた。まるで巨人が喜びの舞でも踊るかのような、勢いだけはあるが洗練とは程遠い、見ていて飽きないダイナズムだ。
そして、驚くべき光景が、その場に居合わせた全員の目に飛び込んだ。
無限に蘇り、街に死の影を落としていたはずの亡霊たちだ。つい先ほど、カワノの科学爆弾に吹き飛ばされ、恐怖に涙目になっていた彼らだったが、シバ子の歌声が彼らの耳に届くと、そのゆらめく姿に変化が見え始めた。まるで糸で操られるかのように、おぼつかない、ぎこちない動きで揺れ始める。
生前の苦しみや憎悪を纏ったおぞましい姿のまま、彼らはシバ子のリズムに合わせて踊り始めたのだ。手足を不規則に動かす者、頭をカクカクと揺らす者、ただその場でユラユラと漂いながら、まるで残響のような歌声を上げる者もいる。彼らが求めていた「興奮」や「感動」は、破滅や悲劇によるものだったはずだが、目の前にあるのはあまりにシュールで、あまりに場違いな電撃路上ライブだ。しかし、彼らの飢えた魂は、目の前の強烈な何かに引きつけられずにはいられなかったらしい。
死闘の跡が残るアスファルトの上で、脳筋のヤチホコが我流のパワーダンスを踊り、その周囲では、生前の苦痛を宿したおぞましい亡霊たちが、ぎこちなく、そしてどこか滑稽に、シバ子の歌に合わせて揺れ動く。この世の終わりを告げる予言と、物理法則すら捻じ曲げかねない科学兵器、そして神々の真剣な思惑が交錯するこのトロイアの街に、突如として現れたこのカオスな路上ライブは、絶望的な現実を一瞬忘れさせる、あるいは全てを茶番に変えてしまうような、奇妙な熱気を生み出していた。バルドルやカワノ、そしてパンドラは、この信じがたい光景を、ただ呆然と見つめるしかなかった。
街角の電撃路上ライブは、最高潮に達していた。シバ子が汗を光らせながら、とびきりの笑顔で叫ぶ。
「みぃんなぁ~、ありがとねぇ~! それじゃあ、最後の曲、いくよぉ~! 最高に盛り上がっていこー!」
亡霊たちのぎこちない踊りも、ヤチホコの豪快なステップも、この最後の曲に合わせて、どこか必死さを帯びてくる。街に満ちていた滅亡の予感は、今はシバ子の歌声にかき消されている。
そして、曲のクライマックス。シバ子がマイクを観客側に向ける。最も熱がこもり、一体感が求められる、あのコール&レスポンスの瞬間だ。
「いくよぉ! みんなぁ~!」
シバ子のキュートな煽りに、まずヤチホコが条件反射のように叫ぶ。
「「「おぉぉぉーっ!」」」
バラバラだった亡霊たちの動きが、不思議と一つの方向へ向かい始める。彼らは、何を理解したわけでもないだろう。ただ、興奮や感動を求めていた魂が、目の前の強烈な一体感に引き寄せられたのだ。その幽玄な響きが、街に満ちていく。
そして、シバ子が満面の笑みで、最後の言葉を投げかける。
「はい、せぇ~のッ!」
その瞬間、ヤチホコが、魂の底から絞り出すように叫んだ。
「「「はいはい! セーのっ!」」」
亡霊たちの幽玄な声、ヤチホコの力強い声、そして──その場の空気に飲まれるように、呆然としていたカワノ、バルドル、カヅチ、イワノ、キン、ギン、そしてパンドラまでが、小さく、あるいは戸惑いながらも、声を合わせた。絶望的な状況も、理屈も、神としての威厳も関係ない。
ただ、その場の勢いと、もしかしたらこれが事態を打開するかもしれないという微かな期待、そして何より、この異様な光景が生み出す熱量が、彼らを動かした。
不揃いながらも、確かに響いた一斉の
――はいセーの!
それは、バラバラだった魂が、ほんの一瞬だけ繋がった音だった。
その声が街に響き渡った直後、信じられない光景が起こった。
亡霊たちの体が、淡い光を帯び始めたのだ。生前の苦しみや憎悪に歪んでいた表情が、徐々に穏やかになり、中には驚いたような、あるいは何かを理解したような表情を浮かべる者もいた。
彼らは、無限復活という名の苦しみから解放されていく。求めていた興奮や感動は、破滅ではなく、この最期に訪れた、奇妙で温かい一体感だったのかもしれない。
ゆらめきながら、光の粒となって宙に消えていく亡霊たち。その姿は次第に薄れ、やがて完全に街から消え去った。
静寂が訪れる。ただ、シバ子の最後の歌声だけが、余韻のように響いている。
残された神々とパンドラ、そしてトロイアの人々は、呆然と立ち尽くしていた。無限に蘇るはずだった敵が、まさかアイドルソングの「はいセーの」で成仏するなど、誰が想像できただろうか。
ヤチホコだけが、やり切った清々しい顔で、肩で息をしていた。
街から亡霊は消えた。トロイアの滅亡は避けられたのか? パンドラの予言はどうなったのか? それはまだ分からない。だが、確かなことは一つ。
この街の運命は、「はいセーの」という、あまりに唐突で、あまりにふざけた、そして、あまりに真剣な叫びによって、予測不能な方向へと転がっていったのだ。