亡霊の国 ~NAKIME~
端末が復活しました。
総隊長の言葉に、パンドラは少しだけ希望を見た気がした。しかし、すぐに現実を思い出し、自嘲気味に笑う。
「どうせ、亡霊どもに、好きにはさせてもらえないわ。未来視の予言は絶対なんだから」
「絶対なんて言葉は、ぼくの辞書にはないなぁ」
総隊長は、獰猛に笑う。その目は、諦めを知らない少年のように、ギラギラと輝いていた。
「あんたが、諦めようと、絶望しようとかまわない。ただ今は――黙れ…」
カワノの言葉は、総隊長の言葉とは違い、厳しく、そして優しかった。厳しさのない優しさは、敗北と諦観と同義である。徹底抗戦じゃない。
「言うね…処女のクセに…」
冷たな言葉をパンドラは置き、
「うらやましい? 尻軽娘…」
冷たな言葉を、冷たな嘲りに、カワノは措く。
パンドラは、初めて見る事代主隊の瞳に、一縷の光を見た気がした。
事代主隊は、未来視の姫、パンドラと共に、亡霊の国、トロイアを目指していた。
道中には、滅亡の瞬間を野次馬しようと集う天上神や仙人、妖魔たちが、群れを成している。今や、トロイアの滅亡は行楽のひとつとなっていた。
事代主隊とパンドラは、亡霊の国、トロイアへと足を踏み入れた。ウケイ国の喧騒とは打って変わって、どこか寂しげで、滅びの影が色濃く漂う街並みが遊撃小隊を迎える。しかし、その静けさは、みんなが想像していたものとは大きく異なっていた。
「ここが、トロイア…」
ギンの言葉に、キンも不安げに周囲を見回す。
「なんか、不気味な感じッスね…亡霊の国って言うくらいだしぃ…」
普段は勝ち気なイワノが、少しだけ頼りない。キュッとカヅチの袖を掴んでる。乙女なのだから仕方がない。
一方で遊撃小隊に緊張はない。
「ほれ」
カヅチ。イワノに腕を組めるように肘を差し向けてやる。
「え、いや、いいよぉ…ぬまっちに嫌われたくないし…」
誰かにしがみつきたいくらい怯えていた。でも、怪奇が苦手なイワノは遠慮する。カワノがカヅチを狙っていると勘違いして。カワノは苦笑し、
「嫌わないわよ…カヅチは、好みじゃないもの」
バッサリとカヅチを切り捨て、怯えるイワノに目配せ。イワノは、ホッと安堵の吐息。カヅチの腕に自身の腕を組んでしがみつく。
肘に伝わるイワノの胸の膨らみの感触に、カヅチの鼻の下は下衆く伸びる。カワノ、冷たな横目に、
「掴め」
冷たな金箍発動。
「イダダダッ! 好みじゃねえなら妬くなよぉぉぉ?」
カヅチは涙目。不要な一言に、
「割れッ!」
カワノ。制裁強化。もとい凶化。
「ちょぉぉ? お、助かったぜ…異能が止んだ…」
ここで神の異能が停止する。金箍も無効化される。
「チィッ!」
カワノは舌打ち、
「おまえ、ぬまっちになんかした?」
カワノの舌打ちに、ヤチホコはカヅチにジト目を貼り付ける。
「してねえよ…ソミン拠点で、こっそり部屋に忍びこんで…」
カヅチの不要な一言が出た瞬間、
「「この蒙古斑野郎ッ!」」
イワノとカワノの怒声がこだまする。
直後、カヅチの頭部は、前後から挟み込むように、イワノとカワノの超絶怒涛ハイキックが炸裂!
「グギャアアアアアアア(長ぇ略~)」
カヅチのウザイ悲鳴にヤチホコは嘆息。
「ああ、後で手伝うから、今はやめたってやれや、ふたりとも…」
ふたりを宥めるヤチホコ。相変わらずな能天気振りを見せる事代主隊に、パンドラは吐息をひとつ、
「この国は、神の異能を拒む力場を持っている…引き返すなら今だよ?」
最後通牒を突きつける。
「大黒天隊を舐めるな」
総隊長、不敵に不屈の抵抗。キンとギンは、
「「舐めるなぁ~」」
笑顔に唱和。
「「「「やめて。お願い」」」」
既成事実を積み上げる少年少女に、事代主隊は懇願。少年少女は、
「「「|無理《むぅ~りぃ~。りーむー》」」」
笑顔で断固拒否。
緊張とは無縁な大黒天隊別動小隊事代主隊に、街の中心部から賑やかな声が聞こえてきた。
「パンドラ様だ! パンドラ様がいらっしゃったぞ!」
「尻軽娘美姫! 今日も絶世カワユスッ!」
「未来視! どうか、私たちに未来を!」
事代主隊が驚くことに、パンドラは街の人々から熱烈な歓迎を受けていた。人々は彼女を「希望の星」と呼び、彼女の言葉に耳を傾けようとする。
しかし、パンドラの表情は、その歓迎に応えるように明るく振る舞いながらも、どこか陰りを帯びていた。
「皆、ありがとう。でも、私の言葉は、あなたたちを救えない…」
パンドラの言葉に、亡霊たちは落胆の色を隠せない。それでも、彼らはパンドラに希望を託そうとする。
「そんなことない! パンドラ様の予言があれば、私たちはきっと救われる!」
「未来視、どうか私たちに、この国に未来をください!」
亡霊たちからの愛情と信頼を受けるパンドラだが、彼女の心の奥底には、深い悲しみと絶望が渦巻いている。迫りくる滅びの未来を知っているからだ。自分の予言が届かないことに、彼女は深い絶望を感じていたのだ。
☆ ★ ☆ ★ ☆
酒場は、トロイアの中心部に位置し、陰湿とした街の寂れた雰囲気とは打って変わって、熱気に満ち溢れていた。冒険者たちの豪快な笑い声、酒と肴の匂い、そして様々な種族が入り混じる喧騒が、事代主隊とパンドラを出迎える。
「ここが、トロイアで一番賑やかな場所、酩酊亭…」
パンドラが少しだけ表情を和らげて、酒場の名前を告げる。
「酩酊亭、ね…」
カワノが興味深そうに呟くと、キンとギンは目を輝かせ、
「なんか、楽しそうじゃん!」「お腹空いたー!」
と、はしゃぎ始める。
「おまえら、基本、空腹な…」
カヅチが呆れたように言うが、その顔はどこか嬉しそうだ。イワノは、亡霊たちに慣れたのか飄々と店内を見回している。一方でキンのそばでオズオズとしていたナキメがどこか挙動不審だ。
「ま、入ってみようぜ」
ヤチホコが軽快に言い放ち、事代主隊は酩酊亭の扉を開けた。
店内は、予想以上の賑わいだった。滅びの直前の日々だけ、亡霊から人に戻るようだ。今がその瞬間なのだろう。冒険者らしき屈強な男たち、耳の尖ったエルフ、獣のような耳を持つ亜人、そしてどこか浮世離れした雰囲気の仙人まで、様々な人々が酒を酌み交わし、語り合っている。
一行が店の奥へと進むと、ひときわ騒がしい一団が目に飛び込んできた。屈強な戦士たちがテーブルを囲み、酒瓶を片手に大声で笑っている。その中心にいるホッソリとした面持ちの優男が、鋭い眦を湛えて軽快な微笑みを浮かべている。
「尻軽娘美姫。今度は、ショタやロリにも手をつけんのか?」
その男は、事代主隊とパンドラに気づくと、大きな声で、パンドラに揶揄いを投げた。
「俺はバルドルだ。よろしくなぁ。亡霊ッ!」
バルドルはそう言うと、豪快に笑い、事代主隊を自分のテーブルへと招き入れた。
「同胞?」
カワノが不快そうに呟くと、パンドラが耳打ちする。
「この辺りじゃ有名な、Sランクの冒険者遊撃小隊よ。あんたたちとおなじで、ここを救うって乗り出した酔狂なヤツら…」
パンドラは陰りのある笑みを浮かべ、悲しい視線を床に落とした。
Sランクという言葉に、キンとギンは目を輝かせ、
「Sランク! すっげー!」「カッコイイ!」
と、興奮気味に声を上げる。
カヅチはバルドルを見た瞬間、何か言いようのない既視感を覚えていた。
――この顔…どこかで…
バルドルの顔をじっと見つめる。その顔立ちは、確かに自分の祖父、ツクヨにどこか似ている。
「ツクヨが寄越した援軍よ…似ていてアタリマエ。鏡像複製を混ぜた疑似生命体だもの…」
視線を床に落としたまま、パンドラはカヅチの無言の問いかけに、掠れた声を絞り出すように答えた。
今にも泣きだしそうなパンドラを措き、バルドルは事代主隊に酒を勧めてくる。
「まぁ飲めや…トロイア名物の炎酒だ…」
差し出された炎酒は、見た目にも美しい赤い酒だった。
「ありがとうございます」
カワノが代表して礼を言うと、事代主隊はそれぞれ酒を受け取り、バルドルと共に乾杯した。キンとギンには、果実水である。美猴王とナキメの姿は消えている。
「バルドル。お願いよ。あんたまで、あたしに縛られることはない…この地獄に縛られるのは…」
未来視の姫の唇を、バルドルはソッと指で撫でて塞ぐ。うん。妖艶い。カヅチは複雑だ。
――い、いや…孫の前でやめてくんない? 祖父ちゃん擬き…
それである。バルドルの姿は二十代中盤な美丈夫だ。相手の未来視の姫は、妖艶い美女ちゃんだ。うん。容姿は神さま。仕方がない。
「あれ、ナキメは?」「美猴王も」
キンとギンはふと気づき、
「ああ、さっき出ていった」
そう言って総隊長は、席をたち、
「じゃあ、後ヨロシク」
一言告げるや姿を消した。既成事実の積み上げ停止にみんなは安堵。
★ ☆ ★ ☆ ★
美猴王は、こっそりナキメを尾行ていた。美猴王なだけに。
「こ、ここは…」
痛む頭を押さえながら、ナキメは口を開く。その眦に険が滲む。
「やあ、ぼくの名前は少彦名。ぼくの声に覚えはある?」
耳朶に届いた少彦名の声に、ナキメはビクリと肩を竦ませる。
「い、嫌だ…や、やめ、やめてくださ…」
わかりやすく怯えるナキメと少彦名の間に、美猴王が割って入る。美猴王は、キンの肩に乗るくらいの小さな猿神だ。でも、少彦名相手に退く素振りは見せない。少彦名、美猴王に苦笑で応え、
「別に薄い本には換えないよ…さて、旧ソミン拠点住人ナキメ。君に任務を与えよう。達成できれば、ソミン拠点での罪は不問にする。受けるかい?」
少彦名は、怯えるナキメに司法取引を持ちかける。一枚の精巧な絵姿。その絵姿は、
「そいつの名はシバ。そいつを籠絡して、ここへ誘導して欲しい。逃げてもいいが、その時は出雲の総てが、君を追う。これはお願いじゃなくて命令だ」
総隊長、獰猛に紳士的振舞。ヒッとナキメは怯え、コクコクと承諾な首肯。逆らえない。
「君はお目付け役だ。美猴王。ナキメが道を誤らないように導いて差し上げて」
総隊長の依頼に、美猴王は鼻息をふんすとさせて請負った。
「彼女は、間違いなくここにくる。未来視の姫にご執心なようだ。君は彼女が寄り道しないための保険だ」
総隊長は、ポツリと置いて、ふっかつのことだまを発動。出雲八重垣に帰還する。
キョトンと取り残されたナキメ。美猴王は街の入り口に、目深に頭巾を被った中二な影。シバだ。美猴王は、トラウマに茫然とするナキメの後ろ頭に回し蹴り。
「ろ、籠絡って、女が女にときめくか?」
ナキメは、総隊長の依頼に懐疑的。小さな足に足蹴にされた後ろ頭をさすりながら、いつものよに媚態を造って接近し、
「お、お助けくださいましッ! ゆ、勇者さまッ!」
切迫つまった声音に懇願する。
「…勇者、だと? な、なぜそれを? 女、このシバが瞳の奥に宿る『闇』を見抜けるとは、貴様、何者だ?」
右の前髪を左の掌で掻き上げる中二な仕草に、シバは宣い。
――な、なんだ? この中二な残念美人?
ナキメは警戒。
シバは、確かに美女である。長く、鮮やかなピンク色の髪が、シバの動きに合わせて揺れる。普段は深く頭巾に隠されているのだろう、その髪はまるで内なる激情が形を成したかのように、目を奪うほどの存在感を放っている。しかし、その美貌も、先ほど見せた右の前髪を掻き上げる、いかにも中二的な仕草によって、どこか間の抜けた印象を与えている。整った顔立ち、吸い込まれそうな瞳の色は不明だが、そのピンク色の髪とのコントラストは、彼女がただの美しい女性ではないことを物語っている。ナキメが「残念美人」と感じたのは、その容姿端麗さと、時折見せる子供じみた言動のギャップによるものだろう。
「…貴様、そんなにビクビクするな。別に、今すぐ貴様の魂を刈り取るつもりはない。…まあ、その、なんだ。その…助けを求めているのだろう? フン、勘違いするなよ? 別に貴様を憐れんでいるわけではない。ただ…今の貴様には、このシバの力が必要なだけだ。どうだ? この…選ばれし者の隣で、共に『世界の理』を覆す力を求めないか?」
シバはそう言い放つと、一瞬、ナキメの身につけたレザーアーマーに目をやった。その下から窺える、ふくよかで豊かな確かな膨らみ。そして、首元から覗く、ハッキリとした谷間の陰影。赤い髪が、その白い肌に映えて、中々に見惚れるほどの美しさだ。
「…フッ、なんだ? このシバとしたことが、一瞬、下卑た視線を向けてしまったか。だが、あれは決して邪な感情などではない。あれは…生命の根源たるエネルギーの奔流を、無意識に感じ取ったに過ぎん! そうだ、このシバの『魂の眼』は、あらゆる生命の力を感知するのだ。その証拠に、あの赤髪…あれは、内なる情熱の炎が具現化したものに違いない。そして、そのレザーアーマーに守られた膨らみ…あれこそ、秘められたる力の象徴! まあ、認めよう。その容姿も、このシバの隣に立つには、さほど見苦しくはない、と言ったところか」
シバは内心でそう言い訳しながら、再び尊大な態度を取り繕った。
身の危険を感じ、身体を掻き抱くナキメの恐怖と危機は、まさに頂点に達していた。
――な、なにコイツッ? れ、女色? 全部、声に出てるし?
ナキメは、シバの尊大な態度と、その後に聞こえてきた(ような気がした)独り言に、全身の血液が逆流するような恐怖を感じていた。まさか、総隊長の言っていた「籠絡」とは、そういう意味なのか? だとしたら、自分はどうなってしまうのだろうか?
肌は粟立ち、心臓は激しく鼓動し、喉はカラカラに乾いて言葉が出てこない。目の前のピンク色の髪をした美女が、先ほどまでの残念な印象から一変、得体の知れない危険な存在に思えてきた。
「ひっ…」
小さく悲鳴を上げ、ナキメは自分の身体を両腕で強く抱きしめた。レザーアーマーの硬い感触が、かえって不安を煽る。まるで、見えない何かに怯えているかのように、その小さな身体はブルブルと震えていた。
――やだ、怖い…怖いよ…この人、目が笑ってない…助けて、誰か…ッ!
街の喧騒も、今は遠い世界の出来事のように感じられる。ナキメの意識は、目の前のシバという異質な存在に完全に囚われていた。
救いを求めるように美猴王に視線を向けると、
――う、裏切り者ぉ~ッ!
美猴王は、合掌してナキメを拝むやペコリと一礼、ビシリと最敬礼! 激励を送る。切り捨てたのだ。人身御供とも言う。