月の光が青いわけ ~TAKEMIKADUCHI~
異世界転生?
白虎嶺に足を踏み入れる。まず目に飛び込むのは、どこまでも連なる山々の群れだ。
その稜線は、空を切り裂く刃のように、鋭く、力強い。
日の光に照らされた山肌は白く輝き、まさしく白い虎が伏せているかのようだ。
山全体を覆うのは、深く濃い緑の森。古木巨木が天を突くように枝を伸ばし、葉の隙間から木漏れ日が優しく差し込んでいる。
足元には、苔むした岩、名も知らぬ山野草がひっそりと息づき、
「ヘッヘー。滑子、発見」
「こっち、剥茸?」
「ああ、羹にすると美味いぞ」
キンとナキメは、ちゃっかり茸狩り。
「美味いよ?」
そこは、美味しい生命力に満ちた空間が広がっていた。木通をパカリと開いて、ギンは中の果実を匙で掬ってチュルリとし、イワノに勧める。
「皮はこっちにちょうだい。昼飯に使うから」
そう言って、ギンは袋を取り出し木通の皮を回収して回る。
「さすがは、お勧めね。この辺りの土地神は?」
耳を澄ませば、森の声が聞こえる。梢を渡る風の音、小鳥のさえずり、遠くを流れる清流のせせらぎ。森の声に耳を傾けながらカワノは尋ねた。
「白骨夫人なら大丈夫だよ。うちらの祖母ちゃんだもん」
カワノの問いかけにギンは答えた。
時折、鹿や猿など、野生動物の気配が忍び寄ってくる。
「囲まれてるけどな」
ヤチホコは鋭い視線を茂みに向ける。ハラシコ、吐息をひとつ、
「当方に交戦の意思はねえけど?」
大楯の神器で障壁展開。似た展開なら、つい、この前に経験している。キテイ組合との交戦だ。着弾と同時にイワノとヤチホコ、ふた手に分かれて吶喊し、
「暗き 陰よ、 我が 手に 集え。 鉄の 鎖となりて、其の身を 縛れ」
カワノは祝詞で神術発動。あっさり決着。茂みから、イワノに抱えられているのは、猫科の仙人の猫耳女史。三十代半ばくらいの容姿だ。
「武塔神が、ここになに用だい?」
女史は強気な眦に問うが、そこに孫の姿を認めるや、
「う、うちの孫が、なにか粗相を?」
急に弱気。
「此方は、ここからでも見える塔からきた神さまです。ホウとミナには世話になっています。案内人として雇っただけ。あなたが危惧するようなことはしていない」
カワノは、イワノに目配せ。猫耳女史の拘束解除を促した。ここで、
「珍しいな」
イワノはポソリ。ハラシコに目を向ける。
「なにが?」
「いい女なら、誰でもいいんじゃねえの?」
揶揄う。確かに猫耳女史は、妖艶な色気がある。が、
「あれ、孫だぜ?」
山の幸ハンターと化したキンとギンに目を向け嘆息する。女誑しには、女誑しの矜持があるようだ。
「孫つき誘うくらいだったら、おまえ誘うわ」
ここで、ハラシコ意趣返し。初心なイワノは、
「痛い痛い痛~いッ!」
忽ち、惑乱。ハラシコの腹に三度も膝蹴り強か叩き込む。イワノの耳は少し赤い。照れている。
「「今のは、女誑しが悪い」」
カワノとヤチホコは、ジト目を貼りつけ異口同音。
「「イワノってチョロイン?」」
キンとギンは、イワノのチョロさに異口同音。
「チョロインって?」
ナキメは手を止め、説明要求。キンは、ギンを指差し、
「コイツみたいなの」
説明完了。刹那の間もなく、
「虎先鋒ッ!」
ギンは仙術発動。鋭い錐揉み旋風がギンを襲うが、
「北斗七星剣捌きッ!」
キンは腰に佩いた北斗七星剣であっさり往なした。
ギンは地団駄。ここで、
「「イダダダッ!」」
イワノ、カワノに制裁発動を要請。カワノは吐息し、金箍をシメあげた。
「祖母ちゃん、ただいま。真名は内緒だぜ? 今はホウでチョロインがミナだ」
金箍を解かれたキン、偽名を隠すつもりはないらしい。
「立ち話もないだろう。おいでな――武塔神さんたちも。おいでな」
白骨夫人こと、組合長キテイの母の名は、雷獣。雷の化身である幻獣である。雷の異能で変化し、自在に姿を変えてみせる。今の姿は、本性のようだ。組合長に似ている。ギンにも。
遊撃小隊は、雷獣に誘われ、茂みの向こうの拠点に足を踏み入れる。
☆ ★ ☆ ★ ☆
そこは天鳥船の艦橋。クロとナキが深刻な面持ちでなにかを話していた。
「ヒルコは、海に流れたろ?」
因果の書き換えで、ナキとナミの初めの子は海に流れて、何処かへ消えた。
「ああ、流れたよウツシの脱け殻が…そこに目をつけた母さんがいたんだ…」
ナキは不穏。人払いは済ませてある。こんな話は、漏らせないし、知られたくない。
「ウツシ。もし、ウツシが女子の姿になれば、母さんは、なにをすると思う?」
淡々と語るナキ。クロはゲンナリと嘆息し、目で続きを促した。
「神州九州に、姿を自在に変える幻獣がいる。名を雷獣…流れた脱け殻が、雷獣に憑けば…」
「事代主隊に、あいつがいるね。あいつに任せよう」
クロの行動は迅速だ。
「ああ、その為に、七星剣を預けたようなものだ。まったく、母さんの計算高さには、ほとほと頭がさがるよ…趣味と実益を兼ねている…」
ナキは嘆息。
「達する。カヅチ。聞こえてるか? え、なに、なんでそれを? おまえ隠す気ないじゃんか。そこはいい。長官代理命令だ。幻獣雷獣の、えぇ~?」
遅かった。ただ、事代主隊に新たな任務が加わったことだけは、確かなようだ。
★ ☆ ★ ☆ ★
白虎嶺の拠点にて、突如の異変。孫の来訪に、相好を崩していた雷獣の姿が突如、変わる。
「「長官代理と言うか、テラス高天原長官?」」
そう女子化したクロに。テラスとも、ちと違う。クロがこの場に居れば、
――事実婚
と言っていただろう。すなわちナミに似ている。
「こ、ここは? 実体?」
突然の変化に、キンとギンは困惑。
「長官代理。なんか知ってんスか? あぁ、もうカヅチでイイっス。極秘回線じゃなくて、説明してください。大伯父御」
ハラシコこと、カヅチはぶっちゃける。
『事代主隊に達する。そいつは、雷獣じゃねえ。俺のドス黒い部分だけが、染み付いた深刻なにかだ』
クロにしては、歯切れが悪い。
「ふふふ。これで異世界転生完了じゃあぁ~」
深刻なにかは、喝采な咆哮。自身の咆哮にふと気づき、
「なんじゃああ、こりゃあぁぁッ!」
自身の姿が女子であることに、また咆哮。うん、うるせ。カヅチ吐息、
「煩いんで殴ってイイッスか」
おうかがい、を待たずの強めの手刀。
『許す。手刀っ!』
クロは許可。踞るなにか(女子)に、
「あんまうるせえと、シバきますよ?」
カヅチは恫喝。これが不味かった。
「シバ。そう我はシバ。異世界に転生してきた雷が化身。反則と超過文明知識で、ハーレム無双じゃあッ!」
真名を見つけてしまった。クロがヒルコ時代に考えていた。異世界転生物語の主人公の名を。うん。確かに深刻なにかだ。
シバは、右手をギュっと握り、無差別に雷撃。攻撃対象にキンとギンも含まれる。大楯の神器を起動させ、カヅチは防ぎ、
「ヤチホコッ! イワノは、ぬまっちたちと退けッ! こいつ、出力だけは脅威ッ!」
ヤチホコは、鉾を構えて吶喊し、
「チィッ!」
鉾を回して石突に刺突を撃つが、
「遅いわッ!」
無駄な挙動に躱される。
ここで、
『七星剣をカヅチに渡しなさい』
ナキ。キンに向けて下知。
無差別な雷撃に怯えるギンとナキメを、必死に庇うキンは、腰の北斗七星剣を美猴王に託し、美猴王は、素早い動きで雷撃を掻い潜り、カヅチに剣を放り投げる。
七星剣を手にしたカヅチは、僅かに顔を顰めた。剣は嫌いなのだ。そんなカヅチに、
『カヅチ、ツクヨの名を出して言霊を放て』
クロは指示。吐息をひとつ、
「月読尊が孫、武甕槌が命じる。神剣七星剣にて禍津雷撃ち祓うッ!」
カヅチは七星剣を居合に一閃。唸るように迫る雷撃を撃ち祓う。
「チッ」
シバは舌打ち。ヤチホコが仕掛ける連続刺突を躱すため、後退疾駆を華麗に踏み、戦闘鎚を大振りに振り下ろすイワノの参戦に、また舌打ち。形勢の不利を認めて、両の掌に雷を集めて、
「猫騙し両掌ッ!」
中二な技名を叫んで、パンと柏手。眩い閃光に、みんなは、
「「「目がぁ~ッ! わ、私の目がぁ~ッ!」」」
ムスカ咆哮。
「なにやってんのよ…」
眼鏡女子のカワノは、耐閃光防御機能のレンズ越しから、みんなにジト目を貼りつける。
「長官代理。あれ、追いますか? えらい勢いで脱兎して逃げてますけど」
さすがは遊撃小隊頭目か、カワノは戦況を冷静に分析して、疲れた声音に、
『お、追って』
「無理」
断固拒否。あれは脅威ではない。出力は脅威だが、シバの紡いだ言葉から、心底どうでも良い存在なんだと認識する。深追いすれば損害が出る。これは事務方である事代主としての判断だ。
『そ、そこをなんとか、お願いしますよぉ~、カワノさぁ~ん』
クロは懇願。
「しょうがないですねぇ~。あっ、見失っちゃった。テヘッ!」
カワノは棒読みにテヘペロ。クロの懇願を華麗に無視。
脅威ではないが、
「「祖母ちゃん…」」
放置するつもりは微塵もない。シュンとするキンとギンの頭を優しくひと撫で、
「大丈夫。これでも神さま任せなさい」
ニカリと笑って請け負った。
「ほら、そこの尊い血筋。説明は、ご飯の準備しながらしてもらうわよ」
パンパンと柏手、カワノは反省会を主宰する。
「だ、誰が蒙古斑だッ! 見て確認すっかコラッ!」
カヅチはやっぱり女誑しに濁すが、
「見ません」
カワノはピシャリ。目が真剣だ。怒っている。
「ホウにミナ。案内して」
ただし子供たちには、一切の険しさも滲ませない。ここでナキメ、ギャン泣き。
「お兄ちゃん」
キンは、
「じいちゃんじゃねえわ」
苦笑しながら慰める。ギンは、
「卑猥河童」
八つ当りをして平常心を掴まえる。キンはグッと我慢のお兄ちゃん。
★ ☆ ★ ☆ ★
鍋の中、ぐつぐつと湯が沸き立つ。
「ほらよ、滑子」
キンが笊から、ぬめりのある滑子を鍋に放り込む。茶色くて小さな傘が、湯の中で踊るみたいに揺れている。
「剥茸もいくよ」
ギンが、今度は剥茸を投入。こちらは肉厚で、色が白っぽい。鍋に落ちる音が、滑子とは違って、どこか重たい。
湯気が立ち上り、森の匂いに混じって、茸の香りがふわりと鼻をくすぐった。出汁のいい匂いも漂ってきた。
「焦げ付かせないでよ」
心配そうな顔つきで、カワノが鍋の中を覗き込む。
「大丈夫だって」
ギンは、胸を張る。
ナキメが火加減を調整しながら、鍋の中をゆっくりと混ぜる。木杓子が、トロリとした汁を掬い上げる。
「いい感じじゃね?」
イワノが、鍋に顔を近づけて、くんくんと匂いを嗅ぐ。
「もうちょいだ。味が決まらねえ」
カヅチが、腕組みをして鍋を見つめる。職人みたいな顔だな、とカワノは心の中で呆れ気味に笑った。
仕上げは、森で見つけた山椒の葉っぱだ。
「これ、刻んで散らすと、香り立つんだ」
キンが、丁寧に山椒の葉を刻む。鮮やかな緑が、目に鮮やかだ。
刻んだ葉を、羹に散らす。
その瞬間、香りがぱっと開いた。茸の深い香りに、山椒の爽やかな香りが加わって、食欲をそそる出来映えだ。
「よし、できた!」
ギンが、鍋をドンとテーブルに置く。
湯気を纏った羹は、熱気を帯びて、まさに出来立て。
「熱いうちに、食おうぜ」
イワノが待ちきれないように、箸を手に取る。
みんなも釣られて、箸を伸ばす。
それぞれの椀に、羹がよそられていく。
熱いから、ふーふー、と息を吹きかけながら、口に運ぶ。
滑子の、とろりとした舌触り。剥茸の、噛み応えのある食感。
茸の旨味が、口の中に広がる。出汁の滋味深さと、山椒の香りが、味をさらに引き立てる。
「……美味い」
最初に呟いたのは、カヅチだったか。
「だろ?」
ギンが、得意げに笑う。
みんな、黙々と箸を進める。
木通の肉詰め焼きに箸を伸ばし、カプリと噛み千切って咀嚼し、子供たちが落ち着きを取り戻した頃合いに、
「なんで怒ってんだよ? ぬまっち?」
カヅチは直球。
「まずヤチホコ。なぜ躊躇った?」
カワノはピシャリ。シバは、少しばかり格上の相手だった。手心を加えて挑む相手じゃない。
「イワノ。あたしは戦える」
またピシャリ。事代主隊の頭目はカワノである。後方にさげられては、神術の支援が届かない。シバを無効化することもできない。ここで、
「最後におまえだハラシコ。なんで今まで隠してた?」
声を一際冷たくしてカワノ。カヅチはビクリ。普段ポワンとしているカワノがキレている。うん。とても怖い。
「い、いや、そ、そのですね。葦原色許男神じゃないっスか自分の呼び名…親が付ける名前じゃないじゃないっスかぁ」
カヅチ。シドロモドロ。ここでカワノ、
「隠してたら恋的接近かけらんないだろうがッ! この血筋だけ優良物件ッ!」
シドロモドロをぶった切り、打算を咆哮。カワノは認めないだろうが、彼女も大概能天気だ。
「「「「「そこぉッ?」」」」」
五人は声を揃えて異口同音。
「まぁいい。蒙古斑とカヅチ、呼ばれるならどっちがいい?」
「カヅチでお願い…」
「カヅチか。わかった。あと、これ着けて…掴め…」
「イダダダ…ごめんてぇ~」
カヅチの言葉に言葉を被せ、有無を言わさず祝詞を唱え、禿鬘帽子を装着、内に仕込んだ金箍を絞めつける。薄い頭頂部が哀愁を漂う逸品を装着させられても、カヅチは逆らわない。カワノの怒りが別にあることなどは、冷たな声音でわかるから。
主人公カワノさんの夢は玉の輿?