月に兎がいる理由 ~TSUKUYOMINOMIKOTO~
そこは、夜之食国の宮殿。ツクヨが手に携えたウサギのヌイグルミを目にして、月の女神のルナは、
「また、隠し子ですか?」
軽蔑の念がこもったジト目を貼りつける。
「ち、違うし? 君たち俺のこと…」
反論するツクヨに、
「「「夜のシツコイ男」」」
執務室の女神たちは異口同音。なにがシツコイかの言及は、ここでは避けさせていただこう。
「これは違うのぉッ!」
「長官、もう認めようぜ?」
数少ない男性陣のひとりコンスが、冷ややかな軽口を叩く。十代半ばほどの少年の姿をしている月の神さまだ。
「なにをだよぉ?」
「助平だって。いいじゃん普通だよ」
畳み掛けるコンスに、
「イダダダッ! ぼ、暴力反対ッ!」
ツクヨは制裁発動。コンスの顔面を鷲掴みにして吊し上げ、吊るされるコンスは、イダダダと悲鳴。
「躾だ。悪小僧」
忌々しげにケッと吐き捨て、ツクヨは解放。ウサギのヌイグルミを執務室の机に飾り、
「報告」
長官席に腰をおろすと不機嫌そうに促した。シツコイ男の渾名は、伊達じゃない。そこは執務官、理解ってる。ヘソを曲げるとシツコイことも。うん。面倒臭い。執務官たちは適宜に報告をあげる。
☆ ★ ☆ ★ ☆
まだ、スサが顕現しきる前のこと。高天原にて――
「おまえ、また泣いてんのかよ?」
大柄な少年は、幼いツクヨの顔を覗き込んで呆れたように尋ねる。ここで、砂埃をあげながら突撃してくる少女がひとり、
「うちのツッくん泣かせてんじゃねえッ!」
叫ぶや否や、少女は大柄な少年に、回し蹴りを叩き込む。紙一重に蹴りを躱して、
「泣いてっから、気にかけてやってんだよバカテラスオトコ女ッ!」
「アマテラスだ。このカマ野郎ッ!」
うん。御転婆の許容量を超えている。もう、御理解りだろう。十歳前後の御転婆許容量超過少女が、幼い日のテラスで、大柄な少年がオーゲツだ。オーゲツは、ウザすぎるフリルの着物を着ていない。では、あれは?
「あ、あれは、おまえが泣いてっから、姉貴の服着て笑わせてやったんだろうが?」
理由があるようだ。
「泣いてないッ! ツッくん。お姉ちゃん泣いてないからね?」
ここで、
「「いっ痛ぁ~いッ!」」
ふたりの頭に拳固。
「ケンカしちゃダメだよ」
通りすがりの道祖神である。そこへ八意、深く嘆息、
「すまないな道祖神」
このために呼び出した道祖神に礼を言い、道祖神は右手を上げて爽やかな笑顔に応え、黄色い安全帽子を被りなおすと、鶴嘴を肩に担いで現場に消えた。
八意は、屈んで、ツクヨの目を覗き込み、
「ツクヨさま。また恐い夢ですかな?」
少し心配そうな声音に尋ねた。ツクヨはコクンと頷き、
「おおきなみずたまりしかないところで、じっとしてるんだ」
たどたどしく、ツクヨは口を開く。五歳前後と言った容姿か。
「あたしとおなじだ…」
ポソリとテラス。
「つか、おまえ、なんでヌイグルミなんか抱っこしてんの?」
オーゲツは、ふと気づいたことを尋ねる。ツクヨは泣き虫小僧だが、安心毛布は、装備していない。
「目がさめたら、なんかもってた…」
うん。ちょっとした怪談だ。ここで八意、
「いいですか。テラスさま、ツクヨさま。夢は夢です。間違っても、大海原にある、祠を訪ねたりしちゃダメですからね」
釘を刺す。ふたりの育て親である、次兄のカグチが、大海原に居るヒルコの長兄の話を漏らしたからだ。近づけぬよう封印も施したし、子供では到達できないだろうが。
ここで、オーゲツ、テラス。
「「はぁ~い」」
よい子のお返事、悪い笑み。
「うん」
ツクヨがコクンと頷くと、
「よろしい」
八意は、満足げにこたえて仕事に戻る。
★ ☆ ★ ☆ ★
案の定に、
「どうしてこうなった?」
姉とオーゲツに連れられ大海原。ツクヨは危惧を回避する性質の幼児である。対してふたりは、享楽の為に危険に挑む性質の悪小僧だ。ここで、ツクヨの感情に変化が起きる。
「おいゴリ。おまえ空中蹴れるか?」
「え、なに言ってんのおまえ?」
不思議を呟くテラスにオーゲツはキョトン。そこでテラス、ピョンと跳び、空を蹴って方向転換。華麗に着地、ドヤァっとし、
「なんだ二段跳びかよ…」
オーゲツもピョンと跳んで、空を蹴り、二度ほども方向を変え、更には一段高くまで跳ね、ドスンと着地。ドヤァを返して、テラスをグヌヌとさせた。
――障壁張って、そこ蹴れば良くね?
変化した感情でツクヨはジト目。
「お、おい…この絵面、おかしくないか?」
テラスの肩の上にオーゲツは仁王立ち。
「おまえ空中二段跳び、できねえじゃん」
シレッと宣うオーゲツに、テラスはグヌヌ。
両の掌にオーゲツの足を乗せると、そのまま屈伸。からの全身の発弾をギリギリまで圧縮、オーゲツも同じく発弾を圧縮からの解放。脳筋発射台の出来上がり。オーゲツは上空に空を二段跳び。からの着地。
「「行くよツッくん!」」
ふたりは、ツクヨの有無を問わずに、ヒョイっと抱え、
「どこにだよ…」
幼いツクヨは、諦観の滲む声音に現状を受け入れる。
「「行ッッけぇぇ~ツッく~ん!」」
大音声な掛け声の元に、脳筋発射台は、ツクヨを発射。
――もうヤだ。この脳筋共…
ここでツクヨの感情が、現在の形に完全固定。たどたどしく、言葉を紡ぐ幼児はもう居ない。
投げ飛ばされた先に障壁を展開して、足場を築き、ヒルコの長兄の元へと、ウサギのヌイグルミを全力投球にお届けし、脳筋な二段跳びで中空から帰還していたオーゲツと姉にジト目を貼りつける。
「「そ、その手があったか…」」
呆れた言葉に、吐息をひとつ。
「俺は、連れて来られただけだからな。ジイ…」
冷静な幼児は自己弁護。
華麗に着地するが、
「「「いっ痛ぁ~い!」」」
三人の頭上に道祖神の拳固が落とされる。悪さをすれば叱られる。子供の義務だ。仕方がない。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
再び夜之食国にて、
「ふぅ~ん。昔から可愛げなかったのね長官」
執務室で昔話を聞き終えたルナは辛辣。
「ルナくん…す、少しは長官を立てたまえよ…」
ツクヨはクスン。ルナには頭が上がらない。その故は?
「あの子は、元気にしてましたか?」
「禿げの鬘で弄られたよ」
「あら長官よりは可愛げありますこと」
ルナ、どこまでもすげない。
「カトリのことは、仕方ないと思う…」
ツクヨは小声でポソリ。カトリとは?
「別にそこは怒ってません。あの娘が決めたことに否やはありません」
どうやら、ふたりは夫婦のようだ。カトリは娘のようである。
「まったく長官は押しが弱いのよ。カヅチに養女を娶らせようと中津国に降ろしたのに…しかも、また振られてるしカヅチ…隔世遺伝してるじゃない長官が…」
隔世遺伝とは、祖父母の異能が遺伝すること。つまりは孫の不甲斐なさをツクヨに重ねて責めている。ツクヨはグヌヌ。隔世遺伝していることは否めない。
「しかも、また受入れちゃって。長官、捨て猫拾って放置するタイプでしょう?」
また苦言。ルナは、どこまでも辛辣だ。その故は、
「チャースッ! 夜之食国付き駐留武官のタマモと」
「ミイです。トコシヨとの折衝役は、すべてミイが承ります。オジジさま」
白兎小隊の駐留を、ツクヨが承認してしまったためだ。
「く、クマノさまに頼まれたら、こ、断れないって…」
ツクヨはオヨヨ。危惧は回避する性質なのは、昔も現在も変わらない。
「これで夜之食国は、怪談側確定ですからね。卑猥側じゃなくて残念だったわね長官…」
白兎小隊は、怪異や仙人で構成された混成部隊だ。なにより女子が多い。全体の二割ほどが夜之食国に駐留するようだ。
「いや、仕方なくない? 昼に怪談よりよくない?」
ツクヨの弁明は、
「いいですか、ふたりとも、長官の節操なしは、ここでも、高天原でも中津国でも有名です。なにかされたら、このルナに密告りなさい。粛清るから」
あんまりなルナの宣言に退けられる。
「ジャンル孫に手ぇ出すかッ!」
ウガァと噛みつくツクヨにふたりは、
「「ウッス。ルナ先輩ッ!」」
トドメ。ツクヨは、机に突っ伏しオヨヨとした。
さて、隔世遺伝のカヅチとやらは?
☆ ★ ☆ ★ ☆
神州九州での移動手段は主に徒歩だ。飛翔鰐は使わない。御神徳が漏れるから。当然のようにごねる男が約一名。ハラシコ。隠れた御名は、カヅチ。正式名称は武甕槌。ツクヨの孫である。母はカトリ、父はフツ。正式名称、経津主命である。
「疲~れ~た」
「少女かテメェは?」
ごねるハラシコの尻に、イワノが強か蹴り飛ばす。尻を押さえて、
「いッ痛ぇ~。テメ割れたらどうすんだよ?」
ハラシコはオヤクソク。
「それ初めからよ」
カワノは呆れて指摘、音速で、
「マジで? 見してみ?」
切り返すハラシコの尻を、
「いッ痛ぇ~!」
ヤチホコ、強か蹴り飛ばす。
「ホウとミナも居るんですからね。悪影響が出るようなら、金箍付き罰則帽子着けるわよ?」
カワノ。総隊長から受領した哀愁漂う逸品を取り出し牽制する。
「ちぇ~。わかったよぉ~」
ハラシコは、口をすぼめて不承不承に歩き出す。進む方位は、南西だ。白虎嶺と言う拠点を目指している。案内人のふたりのお勧めだ。