火焔山と長官夫人 ~SUZAKU&SEIRYOU~
ウケイ国の中心、ひときわ目を引く大木がそびえ立つ広場に、事代主隊の面々は降り立った。トロイアでの想像を絶する事態、シバ子による奇跡的な亡霊の成仏、そしてパンドラの箱から解き放たれた光と闇。さらに、高天原からの刺客、オーゲツとテラスとの激闘。怒涛の日々を駆け抜けた彼らの顔には、心身ともに深い疲労の色が滲んでいた。それはまるで、長い旅路の果てにたどり着いた舟の、疲弊した帆のようであった。
カワノは、柔らかな口元をきゅっと引き結び、周囲の空気を探るように静かに目を巡らせた。凛とした佇まいだが、その瞳の奥には、わずかな動揺が揺れていた。この国に戻ったところで、安息など訪れず、また新たな騒動が待ち受けているであろうことを、彼女の分析的な頭脳は既に予測していた。そして、隊列のやや後方、鎖に繋がれたまま意識を失っているシバ子の存在が、その予感を裏打ちしていた。白い布に身を包まれた未来視の姫は、その怜悧な顔立ちを静かな眠りに沈ませ、あらゆる鎖で雁字搦めにされている。まるで、白い繭に包まれた蝶のように、その内に秘めた力を隠していた。
ヤチホコは、ウズメとチヨによる「特別訓練」を終え、心身ともにボロボロになりながらも、なんとか事代主隊に合流していた。彼の姿は、まるで嵐の後の朽ちた流木のようであった。
「ふぅ~。マジで死ぬかと思った…」
彼の顔には、疲労の色が色濃く浮かび、いつも以上に口数が少なくなっている。その言葉の節々には、生還した者特有の、諦めに似た安堵が滲んでいた。
キンとギンは、遊撃小隊四神であることが露見し、ソミン拠点への強制送還が決まっており、不満が顔に滲んでいた。彼らの顔は、まるで餌を取り上げられた子犬のようである。
「「母ちゃん、マジ勘弁…」」
イワノは、腰に下げた戦闘鎚にそっと触れ、周囲を警戒するように目を細めた。彼女の鋭い視線が、広場の片隅に立つ一団を捉えた。その眼光は、獲物を狙う鷹のようであった。
そこにいたのは、紛れもないクシナだった。
彼女の姿は、以前と変わらず、十代後半といった若々しさを保っている。しかし、その雰囲気は以前にも増して引き締まっており、まるで研ぎ澄まされた刃のような鋭さを感じさせた。日差しを浴びて健康的に焼けた肌には、うっすらと鍛え上げられた筋肉の影が浮かび、飾らない動き一つ一つに、無駄のない力強さが宿っている。それは、柔らかな花びらの奥に隠された、鋼鉄の芯のようであった。
彼女の瞳は、真っ直ぐに事代主隊を見据えていた。そこに、以前のような幼さや頼りなさは微塵もない。むしろ、八十神隊初代総隊長としての確固たる意志と、神鋼輝石を操る武闘派としての重みが、その小さな体に漲っているかのようだった。まるで、小さな器に無限の宇宙を宿しているかのような存在感であった。
クシナの傍らには、数人の屈強な八十神隊の隊員が控えている。そして、その中には、先ほどヤチホコを特訓で追い詰めていたチヨの姿もあった。彼女は、涼やかな表情を浮かべ、事代主隊の様子を静かに見守っていた。その姿は、まるで絵画の中の静謐な風景の一部である。
その場の張り詰めた空気を、チヨの怒号が切り裂いた。それは、静寂に投げ込まれた一石のようであった。
「各位! 長官夫人殿に最敬礼!」
長官夫人と聞いて、そして、チヨの怒号に事代主隊は条件反射で最敬礼した。訓練された兵士の如く、彼らの体が瞬時に反応する。まるで、機械仕掛けの人形が指令を受けたかのように、完璧な姿勢を取った。
「む~ッ! チヨ元総副官?」
クシナは頬を膨らませる。その幼い仕草は、武闘派としての精悍さとは裏腹に、見る者を和ませる可愛らしさを湛えていた。それは、まるで猛獣の咆哮の後に、子猫の鳴き声が聞こえるような、絶妙なギャップであった。
思わず、キンが、その可愛さに目を奪われ、声を張り上げた。
「付き合ってくださいッ!」
チヨは、そんなキンを優しくたしなめるように微笑んだ。その微笑みは、まるで春の陽光のように温かく、しかし、そこには決して踏み込ませない壁が存在していた。
「こう見えて人妻だ。君のおばあさまより年上だぞ?」
その言葉に、キンは固まり、他の事代主隊の面々も、驚きと困惑の表情でクシナを見つめた。目の前の少女が、自分たちの祖母よりも年上の「人妻」であるという事実に、彼らの脳内は一時停止したかのようだった。それはまるで、思考回路がショートした電化製品のようである。カワノもまた、普段の冷静さを忘れ、思わず目を見開いた。彼女の計算を狂わせる情報が、立て続けに飛び込んできたのだ。それは、正確な羅針盤が突然狂ったかのような衝撃であった。
沈黙が、広場に降り注ぐ日差しの中で、長く重く響いた。場に満ちる驚愕と困惑の波紋が収まるのを待つように、一呼吸置いた後、カワノは静かに一歩前に出た。彼女の視線は、クシナへと向けられた。その一歩は、まるで舞台の幕開けを告げるかのような、静かで確かなものだった。
「ご挨拶が遅れました。事代主隊隊長、カワノです。この度は長官夫人のご到着、誠にお疲れ様でございます」
深々と頭を下げ、カワノは隊長としての礼節を尽くした。そして、顔を上げ、言葉を続けた。
「大黒天こと、シバ子の引渡しのため、ヤチホコ、イワノは出雲に帰投させます。クシナ長官夫人。ご指導の程、よろしくお願いいたします」
カワノは、事代主隊の再編成を宣言した。その言葉に、遠くから総隊長少彦名の号令が響き渡った。それは、まるで雷鳴が遠方から響いてくるかのような、確かな指示であった。
「引っ立てぇ~い!」
シバ子は縛につき、イワノの付き添いのもとに、ゆっくりと広場の中央へと連れて行かれる。その姿は、まるで祭りの生贄のように、静かに、しかし抗えない力によって運ばれていく。
「え、なんでシバ子、悪いこと」
怯えた声で問いかけるシバ子に、イワノはにべもない。その声は、まるで迷子になった小鳥のようである。
「無許可で路上ライブしましたよね?」
イワノの冷静な指摘に、シバ子は口を噤んだ。しかし、そこにヤチホコが駆け寄ってきて、シバ子を慰めるように声をかけた。
「シバ子ちゃん、取調室のカツ丼は格別だぜ? 大丈夫、悪いようにはならないさ」
ヤチホコのその言葉は、シバ子を励ますものだったが、取調室でのカツ丼という具体的な描写に、周囲の隊員たちは引き攣った笑みを浮かべた。それは、慰めと同時に、尋問の過酷さを暗示する、シュールな光景であった。
ヤチホコたちを見送ったカヅチが、どこか落ち着かない様子のクシナに尋ねた。
「大叔母上さま。牛頭って何者です?」
カヅチは、先ほどの訓練で見たクロの圧倒的な力、そしてテラスがクロを指して使った「牛頭」という呼称が気になっていたのだ。それは、まるで心に残った棘のように、彼をチクチクと刺激していた。クシナは、懐かしむように空を向き、ヘニャリと笑った。その笑顔は、遠い記憶の扉を開く鍵のようであった。
「戦友、ですかね?」
その可愛らしい笑顔に、キンは再び目を奪われる。
すかさずに、今度はギンが、何かを振り切るように、仙術を繰り出した。それは、まるで止められない衝動が、形になったかのようであった。
「虎先鋒!」
仙術が巻き起こした疾風がクシナへと向かうが、クシナは微動だにしない。それはまるで、嵐の前の静けさのように、全てを受け入れるかのようであった。
「なんのッ! 神鋼輝石どすこぉ~い!」
クシナは、幼い見た目からは想像できない張り手で、疾風を打ち捨てた。その衝撃でギンはたたらを踏む。それは、まるで岩にぶつかった波が砕け散るようであった。
「ち、ちが、これは、つ、付き合ってください!」
ギンは、顔を真っ赤にして、先ほどのキンのように言葉を紡ぎ出した。その言葉は、まるで壊れた蓄音機から漏れる、ぎこちない音のようであった。
クシナは、その言葉を遮ることなく、にこやかに快諾した。
「いいですよ?」
その言葉に、ギンは満面の笑顔を咲かせた。それは、まるで枯れた大地に水が降り注ぎ、一瞬にして花が咲き乱れるかのようであった。
「え、ギンってまんま女子ですぜ?」
カヅチの言葉に、クシナの笑顔は瞬時にしぼむ。それは、まるで太陽の光が突然遮られたかのように、急速に影が差した。
「見ればわかりますよぉ~。おともだちになってってことでしょ?」
ギンの笑顔は瞬時に消失し、肩を落とした。それは、まるで打ち上げ花火が燃え尽き、暗闇に消えていくかのようであった。
「「ドンマイ」」
隣にいたカヅチとキンが、肩を落とすギンを慰めるように声を揃えた。その声は、まるで遠くから聞こえる鎮魂歌のように、静かに響いた。
ウケイ国での牛頭保護任務が終わり、事代主隊は一時の休息を取っていた。シバ子の引き渡しと、トロイア再生の光と闇、そして牛頭の保護。怒涛の日々を経て、それぞれの隊員は次の任務へと向かおうとしていた。
広場の片隅で、総隊長の少彦名がカワノたちの前に立つ。その姿は、まるで舞台の主役が登場したかのように、堂々としていた。
「諸君、先の任務、ご苦労だった。シバ子の身柄はこれで確保できた。つきましては、次なる任務を伝える」
少彦名は、いつもの少年のような顔に、どこか厳かな表情を浮かべていた。その眼差しは、まるで未来を見据える賢者のようであった。
「ヤチホコ、イワノ、シバ子の護送を頼む。出雲のしかるべき場所へ帰投させ、調整作業にあたってもらいたい」
「承知いたしました! 総隊長!」
ヤチホコとイワノは、疲労の色を滲ませながらも、引き締まった顔で敬礼した。彼らにとって、シバ子の護送は容易な任務ではないだろう。それは、まるで重い荷物を背負って険しい山道を登る旅人のようである。
「キン、ギン。お前たちはソミン拠点へ帰還」
少彦名が声をかけると、キンとギンは肩を落とした。彼らの背中は、まるで嵐に晒された小枝のように、小さく震えていた。
「「母ちゃんに怒られるぅ~…」」
「組合長、女将。これでいいか?」
総隊長少彦名。無駄に紳士的振舞。キンとギンを後ろ襟を掴んで御両親に引き渡し。
「「ちょぉ総隊長?」」
ふたりの苦情を、
「聞こえな~い」
総隊長少彦名はバッサリ棄却する。ナキメは、ふっかつのことだまが発動する瞬間に、
「お兄ちゃん! お姉ちゃん!」
引き渡しを強行突破。出雲に移動する。それはまるで、嵐の中を突き進む、小さな船のようであった。
「カワイー子には旅をさせろって言うじゃない?」
総隊長少彦名、玄武と組合長のジト目にすっとぼけ、
「「ま、いいけどよ」」
組合長たちは苦笑に流す。彼らの苦笑は、まるで諦めと慈愛が入り混じった、複雑な表情のようであった。
かくして、遊撃小隊に残されたのは、カワノ、カヅチ、そしてクシナの三人となった。新たな水先案内人としてウズメと、その運命の御方である美猴王が合流する。彼らの組み合わせは、まるで予測不能な化学反応を起こす試薬だ。
★★★★★★
「はぁ~、なんで俺たちだけこんな暑苦しいところに来なきゃなんないんスかぁ…」
カヅチが、既に全身から汗を噴き出しながら愚痴をこぼす。肌を刺すような熱気が、容赦なく彼らを包み込む。それはまるで、熱帯のジャングルに迷い込んだ異邦人のようであった。
そんなカヅチの様子を、クシナはニコニコとした笑顔で見つめていた。彼女の顔には、汗一つ見えない。
「だらしがないですねぇ~、カヅチぃ~」
武闘派としての彼女の言葉には、どこか呆れたような響きがあった。クシナにとって、この程度の熱さは日常の鍛錬の範疇なのだろう。その表情には揺るぎない自信と、隊長としての威厳がにじみ出ている。それはまるで、炎の中で静かに咲く一輪の花のようであった。
「愚痴ってる暇があったら、水分補給しなさい。それと、体力温存。ウズメ先生の出番まで、まだ時間があるわ」
カワノが、冷徹な視線でカヅチを一瞥し、手にした水筒を差し出した。彼女の冷静さは、この灼熱の環境でも揺るがない。それはまるで、どんな嵐の中でも方向を見失わない羅針盤のようである。
目の前に広がるのは、まさに「火焔山」の名にふさわしい光景だった。赤々と燃え盛る岩肌がどこまでも続き、空には黒い煙が立ち昇り、硫黄の匂いが鼻を突く。地面からは熱気が噴き出し、空気は揺らめいて蜃気楼のように見える。それは、まるでこの世の果てに存在する、地獄の業火が顕現したかのようであった。
「まさか、これが火焔山…」
クシナが、その壮絶な景色に息を呑む。彼女の目にも、この場所の異様さは強く映るようだ。だが、その表情には、どんな困難にも立ち向かう覚悟が秘められている。それは、まるでどんな逆境も乗り越える、不屈の精神の表れのようである。
「ここを抜けたら、ゴズ保護任務も佳境に入るわ。みんな、気を引き締めて」
カワノは、厳しい表情で隊員たちに告げた。その声は、まるで遠くで鳴り響く警鐘のように、隊員たちの心に響いた。
「さあ! あたくしの出番ですわよ!」
ウズメが、突如として隊列の先頭に躍り出た。彼女は、燃え盛る炎を背景に、まるで自身のステージであるかのように、すっと腕を上げた。その姿は、まさに火の海に舞い降りた、一羽の鳳凰のようであった。
その瞬間、あたりにギラついた不協和音が鳴り響き渡る。どこからともなく放たれたギラギラな照明が、ウズメの艶やかな肢体をエロッティックに浮き彫りにした。彼女の姿は、まるで熱狂の渦の中心にいる舞姫のようだ。それは、まさに神がかり的なパフォーマンスであった。
「な…なにこれ…」
カヅチは、その光景に呆然と立ち尽くす。彼の鼻の下が、僅かに伸びているのが見て取れる。それはまるで、目の前に現れた幻影に魅了された者のようであった。
美猴王は、ウズメの背後で静かにその舞を見守っている。彼らの間の、言葉ではない絆がそこに存在している。それは、まるで長年連れ添った夫婦のような、深遠な信頼の証であった。
「う、ウズメ先生…」
クシナも、そのあまりにも大胆で幻想的なパフォーマンスに、目を奪われている。彼女の武闘派としての研ぎ澄まされた感性が、ウズメの「表現」の奥深さに触れたかのようだ。それは、まるで新たな境地を開拓する、探求者のようである。
カワノは、その瞳の奥に驚きを宿しながらも、冷静に状況を分析しようとする。
「これが…第一世代ウズメの力…異能が封じられるこの地で、このような現象が…」
彼女の言葉に、ウズメは妖艶な笑みを浮かべた。その笑みは、まるで秘密を共有する魔女のように、見る者を惹きつけた。
ウズメが腕を高く掲げ、その体から放たれる熱狂的な波動が火焔山全体に広がっていく。ギラつく照明と不協和音が最高潮に達したその瞬間、信じられない現象が起きた。それは、まるで奇跡が現実になったかのようであった。
炎が、ウズメに見惚れたかのように、すぅっと消えていったのだ。
燃え盛っていたはずの岩肌から熱気が引き、黒い煙は薄れ、硫黄の匂いも和らぐ。灼熱の道を塞いでいた炎の壁は、まるで幻だったかのように消え失せ、彼らの目の前には、安全な道が拓かれていた。それは、まるで魔法の絨毯が、行く手を阻む壁を消し去ったかのようであった。
それは、芭蕉扇が風を起こし炎を消し去るかのようでありながら、ウズメの魅惑的な舞そのものが火焔山の「心」を捉え、その熱情を沈めたかのような効果だった。
「ま、マジかよ…」
カヅチが、呆然と呟く。その声は、まるで夢の中にいるかのようであった。
「これが、水先案内人としての役目ですわよ」
ウズメは、涼やかな表情でポーズを決め、火焔山を背に振り返った。ミラーボールの光が彼女を照らし、まるで舞台のカーテンコールを終えた役者のようだ。その姿は、まさに完璧な演技の締めくくりであった。
美猴王は、その隣で静かに頷いている。
「さあ、みんな! 道は拓けましたわよ! あたくしに続いてくださいまし!」
ウズメは、隊に呼びかけた。その声は、まるで未来へと導く導き手のようであった。
カヅチは、まだウズメのあまりのインパクトに思考が停止している。
「…まったく」
カワノは深いため息をつきながらも、その瞳にはウズメへの確かな信頼が宿っていた。
クシナは、目を輝かせたままウズメを見つめている。彼女の武闘派としての感性が、新たな「研鑽」の形を見出したかのようだ。それはまるで、新しい扉が開かれた瞬間のようである。
かくして、遊撃小隊は、ウズメの華麗な「水先案内」によって拓かれた火焔山の道を、新たな目的へと進んでいった。この旅が次にどんな能天気な展開を彼らに用意しているのか、カワノは、まだ予測できないでいた。




