マニュアルに囚われた狼の末路
「ねぇ、キャロ、おばあちゃんが病気にかかっちゃったらしいのよ。ちょっとこの荷物を届けて来てくれない?」
母はそう言って私に木のバケットを差し出した。覗いてみると、その中には薬やパン、ワインなどが入っている。
「えぇ...良いけどさ、パンと薬はともかく病人に酒ってどうな訳...?」
「あの人、ワインは水か何かだと思ってるから。切らしちゃったら水分不足で死んじゃうわ」
「病気よりそっちの方が危ないんじゃない?」
正直言って面倒だが、特に用事も無い中の母の指令だ。断れば私の夕食はジャガイモだけになるだろう。生の。それは困る。
そんな訳でこれから始まる私、キャロの不思議な1日はこうして幕を開けたのだった。
「さて、それじゃあ行ってくる。ついでに昼食はおばあちゃんとこで食べてくるね」
「病人と食卓囲むの...?普通に伝染ると思うからやめときなさい。あとこれ、あなたに似合いそうだったから買ってきたの。着けて行くといいわ」
母が取り出したのは赤い赤い頭巾...と言うより付けフードだった。なにこれすっごい赤い。いや、それよりも、これ...。
「この間読んだ《異世界狩人の猟銃無双〜火薬銃器でどんな獣も木っ端微塵〜》に出てくる、やられ役の女の子の赤ずきんにそっくりだなぁ...いや折角くれたから使うけど」
最近冷えてきたしちょうど良かったかもしれない。なんか要らないフラグがたったような気もするけど。あと普通に2Lワインが重い。か弱い女の子になんてモノ持たせてんだ母よ。
そんなこんなで私はおばあちゃんの家までやって来た。道中?いつの間にか花畑ができてて綺麗だった。
あとなんか、クソでかい狼が話しかけてきた。微妙に単語とか文法が変な感じあったけど。あんまりにも普通に言葉喋るもんだから思わず返事しちゃったわ。人間って予想外な出来事が起きたら意外と冷静になれるものだね。
その狼がやたらと勧めてくるもんだから2、3本花をつんで来てみた。小遣いのダシにしようと思って。
「さて。おばあちゃーん、薬持ってきたよー」
『おお、キャロや。中に入って来ておくれ』
声が違う。って言うかこれさっきの狼の声だわ。人間と動物って普通に声帯違うし流石に声で分かる。
さて、どうしよ。とりあえず入るか。
「お邪魔しまーす」
『さぁキャロや。今日は何を持ってきてくれたのかねぇ、もっと近くに来ておくれ』
狼だ。でかい狼が服着てベットに座ってる。そして多分、おばあちゃんの老眼鏡かけてる所為であんまりこっち見えてない。私苦笑いしてるのに気づいてないし。
私はベットに近づいた。間近で見ると本当にでかい。本能的な恐怖を感じる。ベットの脇にあった椅子に腰掛ける。
改めて見ると自分の体長を優に超えるその、刺すように流れる灰色の毛皮と自然に鍛えられ引き締まった筋肉。こりゃあうちのばあちゃんなんて一口だったんだろうなぁ。あと私も一口なんだろうなぁ。
ふむ。ここからどうしようか。お小遣いは貰えそうにはない。目の前のおばあちゃんに扮した狼と私...うん?この状況、何か見た事があるような?
狼...少女...おばあさん...食われる...狩人?
これ、《異世界狩人の猟銃無双〜火薬銃器でどんな獣も木っ端微塵〜》と完全に一致してるわ。赤い頭巾の女の子がおばあちゃんの家に薬届けて質問の後に狼に食われるやつだ。
え、じゃあ何、今目の前でめっちゃ期待の眼差し向けてくるこの狼はセリフ待ってるって事?えー私あの作品そんなに覚えてる訳じゃないんだけど。
まあ良いか。なんだっけ、「なんでそんなに耳が大きいの?」的な事を聞くんだっけ。いや口だっけ?眼だった気もする。口で良いか。
「おばあちゃんの お口は どうして そんなに 大きいの?」
『それはね、お前の声をよく聞くためさ』
間違ったっぽい。これ耳の説明だわ。やり直そう。
「おばあちゃんの お耳は どうして そんなに 大きいの?」
「それはね、お前のかわいい顔をよく見るためさ」
わぁイケメン。じゃなくて。さてはこの狼、あんまり言葉わかってないな?大きい耳活かせてないじゃん。もういいや、とりあえずノルマと言うか、1周はしておこう。
「おばあちゃんの おめめ は どうしてそんなに大きいの?」
『それはねぇ……!』
狼の口が大きく開かれる。覗いた牙が窓の光で輝いた。無数の命に磨かれたその白さを、場違いにも私は綺麗だと思った。
『お前を 食べて しまう ためさ !』
1拍の間を置くと共に処刑のように、規定事項のように、柔らかな私の首元へ向かって口内の刃は振り下ろされた。
「じゃあ、おばあちゃんの 鼻はどうしてそんなに大きいの?」
その牙が眼前で停止する。う...流石に口の中は獣臭がきつい...。
『.......鼻?』
「そう、あなたの鼻」
狼が乗り出していた身を再びベットに戻した。なんか戸惑ってる。もしや鼻がどこか分かってない?へぇ、そうなんだ...。
「私の?」
『お、お前の?』
「頭を?」
『頭!?あ、頭...を?』
「なでるため」
『なでる、ため...』
ふっ、おもしれー狼。楽しくなってきた。こうしてみるとかわいい物だね。
「じゃあ、その腕は?」
『腕は...』
「私の事を守るため」
『お前の事を、守るため...』
1歩、ベットに近づく。たくましい身体へ手を伸ばす。
「脚は?」
『脚...』
「私を乗せて走るため」
『お前を乗せて、走るため...』
狼の頭に触れる。その眼が、耳が、口が、鼻が。私の事を見る、視る、観る、ミる。
「お前は何のために存在してるの?」
『お前に、全てを捧げるために...』
そう、それで良い。狼が床に降り頭を垂れる。それはまるで姫に忠誠を誓う騎士のように。
じゃあ、まずは、食われたおばあちゃんどうしようかな。
おっと、扉が勢いよく開きこの村の狩人が入ってくる。
「キャロちゃん、無事か!?ここらで狼が出たって噂が!もうおばあちゃんは避難してr 「やっちゃって」うわっオオカぐわぁー!」
ふふふ、やっぱり狩人も狭い室内に入ったら狼の方が速いよね。私あの銃で全部を脳死解決する展開嫌いだったんだ。あとおばあちゃん生きてんだ。じゃあもう大丈夫だね。
さぁ帰ろうか。ペットも増えたし今日からは楽しくなりそうだ。
こうして憐れな狼は少女の番犬となりましたとさ。めでたいね。
ご一読いただき恐悦至極。