04:温室の魔女
次話は12:30更新予定です。
※昨日の03話で12:00更新と記載しましたが12:30/18:30予定です。
ティギー・マイセンはこの学園に通う女子生徒の一人で、俺と同じ最終学年である。
彼女は貴族ではなく一般市民であり、魔法植物についての優れた知識を評価されてこの学園に通っている特待生だ。
常に追試を受けて誰もが特待生であることに首を傾げてしまうシェイナとは違い、ティギーは成績も良く、とりわけ魔法植物や薬草学に関しては入学時から最終試験まで一度として首位を譲っていない。時には教える立場の教師でさえ彼女の意見を仰ぐ事もあるというのだから、まさに特待生の見本のような存在だ。
根からの魔法植物好きで、彼女は授業以外の時間は常に温室に居るらしい。
朝は早朝から温室で草花の世話をし、休み時間は温室で草花の様子を見て、放課後も温室で研究に没頭する日々。休みの日も同様。
時には友人と過ごす事もあるようだが、その場所もまた温室が多いというのだからよっぽどだ。
その果てに、付いた渾名が『箱庭の魔女』。
「……温室なんて授業以外に来た事なかったな」
校舎の横にあるドーム状の建物、そこが温室である。太陽の光をふんだんに取り入れられるようにガラス張りになっており、なおかつ屋内は常に植物に適した環境に保たれている。
建物内は広く、木々が遮るものなく悠々と成長出来るように天井も高く取られている。とりわけ中央に聳え立ち天高く背を伸ばす大樹は圧巻の一言。
その大樹を囲むように多種多様な草花が咲き誇る。その光景はさながら植物園のようだ。
螺旋状の階段を登ると木々を上から見下ろせ、地下室では土の中に伸びる根を観察することが出来る。学園の施設とは思えないほど充実しており、国内外問わず学者が研究や観察のために訪れる事も少なくないという。
「しまった、もうこんな時間か」
時計を見れば時刻は既に夕方を過ぎている。殆どの生徒が寮へと戻っている時間だ。
寮には門限は無いので何時に帰ろうと罰せられることはないが、校舎や施設には閉鎖時間がある。この温室も同様、あと十分ほどすれば追い出されるだろう。
「明日の朝に来ればいいか。でも朝って何時から開いてるんだ?」
「朝は六時からですよ」
「あぁ、六時か。さすがにその時間は無理でも、七時くらいには……。えっ!?」
背後から聞こえてきた声に慌てて振り返れば、そこには一人の女子生徒が立っていた。
俺が驚いたことが意外だったのだろう、濃紺色の瞳を丸くさせている。首を傾げるとそれに合わせて三つ編みに結われた深緑色の髪が揺れた。
彼女が箱庭の魔女、ティギー・マイセンだ。
「あ、わ、悪い。独り言のつもりだったんだ」
「そうだったんですね。驚かせてしまい申し訳ありませんでした」
ティギーが恭しく頭を下げて詫びてくる。
そんな彼女に対して俺は自分が勝手に驚いただけだと宥め、顔を上げてもらった。じっと俺を見つめてくる。
この温室に生きる全ての植物を取り込んだような深く濃い緑色の髪、吸い込まれそうな濃紺色の瞳。小柄な少女はその落ち着いた色合いの風貌もあわさり、まるで彼女もまた温室に生きるものの一つのようだ。
この雰囲気もまた箱庭の魔女という異名の一端か。
「管理人さんをお探しですか? 今は温室内を見て回っていますが、あと少ししたら施錠の手配もあるので管理人室に一度戻ると思います」
「いや、そうじゃないんだ……」
「それなら、何か調べものでしょうか。それとも授業で使う魔法植物を探しに? もしお時間が無いようでしたら私もお手伝い致します」
「違う。きみに用があったんだ」
「……私に?」
ティギーの声に疑問の色が増す。きょとんとした表情は魔女の異名には似合わず、年相応の少女らしいものだ。
そんな彼女に対して俺はパーティーの事を話さなくてはと考え……、ぐっと言葉を詰まらせた。
なんて言えば良い。どう誘えば良い?
全てを話してしまおうか。
だがディル王子が婚約破棄を予定している事はあまり言い触らさない方が良いだろう。ティギーがディル王子派という話は聞いたことはないが、どこからどう話が伝わっていくかは分からない。下手に話を振って彼女に迷惑を掛けては駄目だ。
卒業パーティーに出るのに協力してもらうつもりだが、かといって騒動に彼女を巻き込むつもりはない。
となればディル王子の婚約破棄については隠してパーティーに誘うべきだろう。
……どうやって?
フレッドの『キスの話すら出来ない初心で純情な青少年』という言葉が脳裏に蘇る。
悔しいが事実であり、そんな青少年が咄嗟に誘い文句なんて口に出来るわけがない。
「え、えっと……、その……。や、やっぱりこの木はいつ見ても立派だな! 名前はなんだったか……」
上手い言葉が出て来ず、誤魔化すために温室の中央に聳え立つ大樹を見上げた。
間近で見ると木なのか分からなくなりそうなほどの大樹。幾重に枝を伸ばし葉を着ける姿は自然の力強さを感じさせる。
俺につられたのかティギーも頭上を見上げた。愛しそうに瞳をゆっくりと細める。
「月光樹です。数年に一度、たった数分間、蓄えた月の光で輝く花が咲く大樹」
「あぁ、そうだったな。でもいつ光るかは分からないんだよな」
「はい。月の光を蓄えきったら光るとも、月の満ち欠けの周期に関与して光るとも、周囲の環境変化に合わせて光るとも言われているんです。月光樹が光る規則が分かれば、魔法植物の研究は次の段階へ進めるとさえ言われています」
「見られればラッキーどころじゃないな」
「ところで、私に月光樹の話を聞きに来られたんですか?」
ティギーが改めて俺に向き直って尋ねてくる。
彼女に問われ、俺は再び言葉を詰まらせてしまった。
それとほぼ同時に、温室内に穏やかなオルゴールの音楽が流れ始めた。これはきっと閉館時間を知らせるものだろう。
つまり時間が無い。
閉館時間も、……卒業パーティーまでの時間も。
「あ、あの……、ティギー、俺と卒業パーティーに行ってくれ!」
前置きもなく告げた俺の言葉に、ティギーは濃紺色の瞳を丸くさせた。
「……パーティー」
ポツリと呟かれたティギーの声は温室内に響くオルゴールの音に消されそうなほどに小さい。
そんな彼女に対して、俺は一度言ってしまったのだからと覚悟を新たに口を開いた。
「三ヵ月後に卒業パーティーがあるだろう。それに俺と一緒に行って欲しいんだ」
「で、でも、ヒューバート様のお相手は……」
「俺の相手はいない。だから君と行きたいんだ。こんな時期になって言い出して申し訳ない……。だけど、どうか俺にエスコートさせてくれ」
じっとティギーを見つめて乞えば、彼女はしばらく呆然とした後、その頬をゆっくりと赤くさせた。
そうして口を開いて返事をしようとする。だがその直前「ここに居たのか」と声を掛けられた。
老年の男性が階段を下りてこちらへと歩いてくる。温室の管理人だ。
どうやらティギーを呼びに来たようで、俺の姿を見ると驚いたような表情を浮かべた。閉館間際のこの時間に、今まで授業以外で温室を訪れたことのない生徒が居るのだから当然だろう。
「えぇっと、すまない、話の邪魔をしてしまったかな。そろそろ閉館時間なんだが……」
「あ、すみません。すぐに出ます」
タイミングとしては最悪だが、そもそもは閉館時間を知らせるオルゴールを聞いてなお話を続けた俺が悪い。
そう考えてひとまず伝えることはできたからと場を離れようとするも、ティギーが「あの!」と声をかけてきた。
「う、嬉しいです……。一緒に、パーティーに行きましょう……」
頬を赤らめた彼女が柔らかく微笑む。
次いで彼女は「では」と上擦った声で告げ、小走りに去ってしまった。彼女の動きに合わせて深緑色の三つ編みがゆらゆらと揺れる。
その後ろ姿もまるで草花に吸い込まれるかのようにすぐに見えなくなってしまった。