短編①
本編途中(在学中)のお話です。
ティギーと温室で過ごすようになり、彼女がどれほど植物を愛しているかを知った。
空いた時間は温室内外問わず植物を眺めて過ごし、時には管理人を手伝って植物の世話をする。他の生徒から質問される事も少なくない。
管理人さえもティギーを頼っており、生徒からの質問に「それは彼女の方が詳しいよ」と案内しているのを何度も見かけた。
さすがは『箱庭の魔女』である。
もっとも、当人はこの渾名については思うところがあるようで、
「温室に入り浸ってるから『箱庭の』っていうところは分かるけど、『魔女』ってどういうこと?」
と首を傾げているのだが、これには俺も苦笑して誤魔化すしかない。
温室にしか現れないところや植物について何を尋ねても答えるところ、管理人さえも凌ぐ知識、並々ならぬ熱意。そこらへんから『魔女』と渾名がついたのだが、当人は自分の優秀さをあまり自覚しておらず「他の生徒よりちょっとだけ植物が好きなだけ」と考えているのだ。
どれだけ己が凄いかを理解していないのも、植物の事ばかり考えているティギーらしくて微笑ましいのだが、説明するのは難しい。
そもそも、渾名というのは深い意味はなく語感とノリで付けられるのが殆どだろう。
「そうやってノートに細かく書くところも魔女っぽいのかもしれないな」
そう俺が話したのは、放課後、いつも通り温室で過ごしていた時。
俺は本を読み、ティギーは落ちたばかりの花を観察している。花を見てはノートに書き込み、時には絵も描き……、と熱心な彼女を眺めていてふと思ったのだ。
俺のこの発言に、ティギーがパッと顔を上げた。濃い色合いの美しい髪がさらりと揺れる。不思議そうに俺を見つめ、「ノート?」と尋ねてきた。
「このノートのこと?」
「みっちり細かく書いてて、なんか物語に出てくる魔術書みたいじゃないか?」
「魔術書って言われても、ただ温室の植物について書いてるだけよ」
「でも専門的なことも書いてるだろ。それに絵も描いてあるしさ」
俺の話に、ティギーが改めるように自分の手元のノートを見た。
彼女のノートは持ち主の性格をよく表している。
綺麗な文字と絵、それとはまた違った少し雑な走り書き。走り書きはきっと閃きを逃さないため急いで書いたのだろう。ノートに書いている最中に浮かんだ疑問、それに対しての答え。そういったものが、みっちりと音がしそうなほどの密度で綴られている。
真面目で熱心で、考えに没頭しがちな彼女らしいノートだ。
そしてそんなノートは、どことなく魔女の魔術書を彷彿とさせる。
ローブを目深に被った怪しい魔女が一冊の魔術書を手に植物を大釜で煮る。魔術書には細かく文字で記されており、出来上がった薬は魔女の秘薬……。なんて童話の中に出てきそうな光景ではないか。
「専門性が高くて独自性に優れ、なおかつ学術的価値がある。という褒め言葉として受け取っておくわ」
ツンと澄ましてティギーが告げてくる。
反論しないあたり、ノートが魔術書っぽいと自分でも思ったのだろう。
その反応が面白くて俺が苦笑すれば、笑われたことが癪だったのか彼女はむぅと眉根を寄せた。
怒ってはいるが、本気で怒ってはいない。子供が怒っていることをアピールするような表情だ。この表情には魔女らしさはない。
「ヒューバートだって、鉱石についてのノートをとってるでしょ?」
「俺のノート……。確かにあるにはあるけど」
チラと隣の席に置いてある鞄を見た。
ティギーが言う通り、俺も鉱石についてノートに纏めている。
といっても俺のノートはティギーのノートほど研究価値はない。既に研究所や専門家の間で名前を知られているティギーと違い、俺はあくまで只の学生。素人が趣味でまとめたノートだ。専門家が見たら子供の宿題だと笑うかもしれない。
だから面白いものでもないと話すも、ティギーはそっと手を差し出してきた。
「見せて」
「……俺のノートを見るくらいなら、図書館で一冊借りてきた方が良いと思うけど」
「鉱石について知りたいんじゃないの。魔術書じゃないノートがどういうものか知りたいのよ。だから見せて」
ティギーは穏やかに微笑んでいる。優しい表情だ。
だが手を引っ込める様子は無く、それどころか軽く揺らすことで急かしてきた。
無言の圧を感じるのは気のせいではないだろう。これならば「早く見せなさい」と迫られた方がまだ逃げ道を探せたかもしれない。
「そ、そんなに面白いものじゃないからな。それに俺はティギーみたいにきちんと書いてるわけじゃないし……」
無言の圧に負け、言い訳しつつもノートをティギーに渡す。
彼女は悪戯っぽく笑うと「これが普通の人が書いた普通のノートなのね」とページを捲った。
魔女の魔術書と言われたことを根に持っているのだ。もっとも、冗談めかして中を読み始めたものの内容については茶化すことなく、「凄い」と見惚れるように呟いた。
なんだか気恥ずかしくなって頭を掻いてしまう。「そうかな?」という声は自分の声ながら白々しく上擦っているのが分かる。
「ただ自分が気にいったことや気になるものを纏めただけだ。どの本にも書いてあるし、面白味のないものだよ」
「そんな事ないわ。どのページも凄く綺麗に纏められてるし、貴方の鉱石への熱意が伝わってくる。でも絵は描いてないのね、どうして?」
「それは……」
植物についても鉱石についても絵があった方が纏めやすいし分かりやすい。それは俺も理解している。
だけど……、と俺が言い淀んでいると、俺の態度から何かを察したのか、ティギーが小さく息を呑んだ。
次いでいそいそと紙を一枚とペン、そしてテーブルに置かれている花を一輪差し出してきた。先程まで温かみを感じさせる微笑みを浮かべていたのに、今は玩具を見つけた子供のような笑顔に変わっている。期待に輝く瞳は美しいが、今の俺にはそれに見惚れる余裕は無い。
「描いて」
「……ティギーって意外と押しが強いところがあるよな。こう、融通が利くように見えて絶対に譲らないというか」
抗うのは無駄と理解し、溜息交じりにペンと紙を受け取った。
そうして花を観察しつつ、紙に絵を描くこと数分……、
「と、とってもうまいわ……。すごく……、その……、独創的で斬新で、ゆ、唯一無二の迫力があるわ」
笑いを堪えてティギーが話す。
その声は震えており、挙げ句、もう無理だと言いたげに顔を背けてしまった。
「絵が下手な自覚はあるから、いっそ笑ってくれた方が良いんだけれど」
「そんな、笑うなんて……。貴方にも苦手なことがあると知ってちょっと意外に思えたのよ」
「苦手なものなんて絵以外にもたくさんあるさ。……まぁ、なかでも絵は特に苦手だけど。でもティギーが喜んでくれたのなら恥を忍んで描いたかいがあるよ」
ご満足いただけたようで、と肩を竦めて話せば、拗ねる俺の態度が面白かったのかティギーがクスクスと笑う。
……笑いつつ、俺が描いた紙を後生大事に折り畳んで自分のノートに挟んでしまった。保管されるのは恥ずかしいが、取り返してこの話題を長引かせるのも得策ではない。
そう考えて花の絵は諦めて何か別の話題をと考えていると、ティギーが「ねぇ」と明るい声で話し出した。
「もしよければ、笑ったお詫びに絵を描くのを教えるわ」
「教えるって、ティギーが俺に?」
「私もそこまでうまいわけじゃないし、本格的に学んだわけでもないけど。でも、植物の絵を描くためにちょっと勉強していたの」
近所に絵描きが住んでおり、一時期そのひとに習っていたのだという。
「植物の研究を進めるのに絵を描けた方がいいでしょう? それに絵を描く人って対象の特徴を掴むのがうまいから観察眼を磨けるかもしれないと思って」
「絵を習うのも植物のためか。ティギーらしいな」
「私もそう思う。でも植物抜きにしても楽しかったわ。少しずつ描きたいものが描けるようになって嬉しかったし、やってみて損はないと思うの」
どうかとティギーが提案してくる。
絵を習っていて楽しかったというのは本当なのだろう。今の彼女の表情は当時の事を思い出してか随分と嬉しそうで、後押しするように思い出話を一つ二つと語ってくれる。どれも楽しそうな話で、実践するようにノートの端に描く花の絵はどれも上手い。
そんな彼女に俺も思わず笑みを零し「そういうことなら」と習うことにした。
絵が上手くなるに越したことはない。
持っていて損な技術ではないし、ノートももっと分かりやすく纏められる。ティギーの言う通り観察眼も磨かれるかもしれない。
なにより、ティギーと一緒に過ごす口実が増える。
そう考えると胸が弾み、俺はペンを取り、「まずは対象をよく見る事」とさっそく教え始めるティギーと共に一輪の花を覗き込んだ。
…end…
「見てヒューバート、珍しい花が咲いたの!」
「へぇ、綺麗な花だ。ティギーがそんなに興奮するって事は、それほど珍しい花なんだな」
「お知らせがある時にだけ咲く花なのよ。今温室の管理人さんが報告しに行ってるからすぐに研究所の人達も見に来るわ」
「研究所にまで連絡が行くなんて大事だな。そんなに珍しい花を見れるのは運がいい……って、お知らせ?」
「そうよ。お知らせよ。お知らせがある時にだけ咲く稀少な花なの」
「それなら何か知らせないといけない事があるのか。……あれ、なにか聞こえてくるな。温室の閉館時間にはまだ早いよな」
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本作『婚約破棄の、その横で』のコミカライズが宙出版『コイハルvol.25』に掲載されております。
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「コミカライズですって! 聞いた、ヒューバート!」
「(温室に音声アナウンスなんてあったか……?)」
~♪
掲載されているのは2/18発売のvol.25です。
既に次号が発売間近になっておりますのでご購入の際はご注意ください。(読み切り掲載のためvol.25のみの掲載になります)
また、次号発売後でもバックナンバーは各電子サイトにて購入可能です。
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「このお知らせのために花が咲いたのね。もしかしたらお知らせが他の植物にも影響してるかもしれないわ。温室中を見て回らないと!」
「あ、あぁ、そうだな……(卒業パーティーでの一件がコミカライズか……)」
「行きましょう、ヒューバート! こんな機会は滅多にないんだから隅々まで調べ上げないと!」
「うん……、行こうか……(卒業して数年経ってもいまだ言われてるのに、コミカライズか……
これはあと十年くらいは言われ続ける覚悟を決めるか……)」
「ヒューバート、突然遠い目をしてどうしたの? まさか、ヒューバート、あなた……!!」
「い、いや、違うんだティギー。俺は別にあの時の事は後悔しているわけじゃない。そりゃあ君を騙したことは反省している。でもあの時の俺の判断は」
「……貴方、もしかして花粉症なの?」
「ティギー、思考回路が植物に支配されすぎだ」
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本作『婚約破棄の、その横で』が有難いことにコミカライズされました!
宙出版『コイハルvol.25』にて掲載されております。
コミカライズ作画は涼月とおや先生。植物大好きで控えめ少女なティギーをとても可愛らしく、不器用だけど真面目なヒューバートを格好良く、そんな二人の恋愛をじれじれ可愛く描いて頂きました。
月光樹のシーンは幻想的で必見です!
『コイハルvol.25』は各電子サイトにて配信中です。
次号発売間近という遅いお知らせになってしまい申し訳ありません。
次号発売後でもバックナンバーは購入できます。ご購入の際はお気をつけください。
また別途配信情報が入りましたらご連絡します。
感想・ブクマ・ポイント・誤字脱字報告、ありがとうございました。
コミカライズでも二人の物語を楽しんで頂けたら幸いです!




