15:これからも月光樹を見上げて
店を出た時点で既に周囲は暗く、学園の敷地内には当然だが生徒の姿は無かった。
生徒達は寮にいる時間だ。かつてここで生活していた頃、この時間帯、自分は部屋で本でも読んでいただろうか。寝ていた時もあったし、寮の食堂で友人達と話していた時もあった。
景色を眺めながら敷地内を歩いていると当時の事が次から次へと蘇ってくる。たった三年前なのに懐かしい。
温室もまた当時と変わっていなかった。
ガラス張りの天井は高く、広い屋内は多種多様な草花で溢れている。中央に聳え立つのは月光樹。
そして月光樹の根元に立つのは……、
「ティギー」
名前を呼べば、彼女がくるりとこちらを向いた。
俺を見て表情を和らげる。「ヒューバート」と優しい声で俺を呼び、小走りにこちらに駆けてきた。
ふわりと揺れるのは白衣の裾。彼女の姿は研究者そのものだ。
「待たせたかな」
「大丈夫よ。さっきまで管理人さんと話をしていたの。今は他の研究員と話をしているけど、ヒューバートも呼んだって言ったら会いたいって話していたわ」
「そうか。それなら後で挨拶しよう。ティギー、夕食は?」
「今日は臨時で食堂を開けて貰ってるから、そこで皆でとったわ。ヒューバートは?」
「俺はフレッドと。あいつは何も変わってなかったよ」
肩を竦めながら話せば、ティギーがクスクスと笑みを零した。
「まだ時間があるから温室を見て回りましょう。少しずつだけどここも変わってるのよ」
ティギーが俺の手を取って誘う。
それに応えて、俺達は夜の温室内を歩き出した。
なぜこんな遅い時間に母校の温室にいるのかと言えば、今夜、月光樹が光ると予想されているからだ。
そのため今夜だけは学園の温室が開放されており、ティギーの同僚である研究職員や、この研究結果に期待を寄せる学者達がここに集まっている。
俺は無関係なのだが、予想をした張本人であるティギーの希望により特別に同席させてもらっていた。
「なんだかドキドキしてきちゃった。本当に光ってくれるのかしら」
懐中時計で時刻を確認し、ティギーが深く息を吐いて胸元を押さえた。
先程までは穏やかに話をしていたがいざその時となると緊張と不安が勝ってきたのだろう。そわそわと落ち着きを無くし、不安そうに月光樹を見上げては手元の資料を眺めてと忙しない。
「大丈夫だよ。他の所員も学者もティギーの研究結果に同意してるんだろう」
「そうだけど……」
「それなら心配することはないさ。……まぁ、全員が揃って計算ミスをしてるなら三十分ぐらいずれるかもしれないけど」
三年前の卒業パーティー、ティギーは夜の十時に月光樹が光ると予測した。だが実際に光った時間は十時を回って少し経ってから。
あの後いったいなぜと原因を追究したところ、判明したのはティギーの計算ミス。それもあまりに初歩的すぎる計算ミスだった。
判明した時の彼女の唖然とした顔、己の失敗を真っ赤になって話す落ち着きの無さ。今でも鮮明に思い出せる。
その時のことを冗談めかして話せば、ティギーが「もう」と俺の脇を肘で突っついてきた。
怒っているのを伝えるために唇を尖らせているが、その表情はわざとであり、そして心からの怒りではないという証だ。
「三年前のことを言い出すなんて意地悪ね。それなら私だって三年前の貴方のことを持ち出すわよ?」
「そ、それは……。悪かったよ。三年前の事を持ち出したのも、……それに、三年前も」
途端に立場が悪くなり謝れば、ティギーがクスと笑みを零した。
俺の胸元にそっと手を添えてくるのは許したという事だろうか。彼女の手が、俺の胸元にある白い花飾りに触れる。
「持ってきてくれたのね」という嬉しそうな彼女の言葉に頷いて返し、俺もまたティギーの髪飾りに触れた。深緑色の髪に映える白い花。
卒業パーティーの時にティギーが作ってくれた飾りだ。普段は部屋に飾っているが、今日は着けてこようと決めていた。
それを話せば、ティギーも同じ考えだったと笑った。次いで彼女の瞳が輝き出す。
「ヒューバート、光ってるわ……」
「あぁ、ティギーも光ってるよ」
俺の目の前でティギーの髪飾りが白く光り出す。
その輝きを受けて深緑色の髪も明るさを増し、まるでティギー自身が輝いて見える。
なんて綺麗なのだろうか。見惚れていると、気付いたティギーが小さく笑って「上を見ないと」と告げてきた。
「せっかく月光樹が光ってるのよ?」
「そうだな。でも、俺には月光樹よりもティギーの方が綺麗に見えるんだ」
「ヒューバートってば……」
ティギーがほんのりと頬を赤らめて微笑み、俺の頬に手を添えてきた。
ゆっくりと誘うように引き寄せてくる。
頬に添えられた手に従って顔を寄せれば、俺の唇に彼女の柔らかな唇が重なった。
「私の事ならいつだって見られるでしょう? だから月光樹を見ましょう、ヒューバート」
ティギーの口調はまるで子供に言い聞かせるようだ。
それに対して俺は目を細めて同意を示し、一度彼女の唇にキスを返してから頭上で輝く月光樹を見上げた。
ちなみに余談だが、馬鹿な従兄弟のブルーノは今王都からだいぶ離れた田舎の村にいる。
あの一件で父親の怒りを買い、更には自分で手配した汽車の切符が乗り継ぎの時間を考えないめちゃくちゃな酷いものという有様。帰郷の際に俺より一時間早く出発したはずなのに俺より半日遅れて到着したブルーノを見て、彼の父が怒りと諦めで田舎に送ったのだ。
汽車の切符を取る必要のない、汽車のきの字もない田舎。移動は専ら徒歩で、見渡す限り畑と自然が広がっているという。
俺は内心でざまぁみろと思いつつ、ブルーノがこちらに来たいと言い出した時にはそのたびに切符を手配してやっていた。
今回のことでブルーノも反省し、更に田舎村での生活が肌に合っていたようで性格もだいぶ丸くなってきている。村での仕事も真面目にこなしているらしく、戻ってくる時にはきちんと手土産を用意するようになっていた。彼の口から今までを詫びる言葉を聞けるのもそう遠くないだろう。
それに、そもそもの発端であるディル王子がお咎め無しの中、ブルーノだけが罰せられているというのも酷な気がする。
だから年に数日程度の滞在なら世話ぐらいは任されてやってもいい。
なにより……、
「ブルーノが馬鹿な事をしなければ俺はティギーをパーティーに誘わなかったわけだし、そういう意味では感謝してるんだ」
だからお礼代わりに今年も切符の手配をしてやる。
そう俺が話せば、ティギーが「ヒューバートってば」と笑った。
……end……
『婚約破棄の、その横で』これにて完結となります!
異世界恋愛では初の男の子主人公作品でしたが、如何でしたでしょうか?
楽しんで頂けたなら幸いです。
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