11:十時の鐘の音
「結構噂になってるんだぜ、ディル王子の婚約破棄宣言。俺もそれを見るために広間に来たんだ」
パーティーで浮かれているのか、それとも野次馬根性で浮かれているのか、もしくは元々こんな性格なのか。男子生徒は妙に饒舌だ。
対してフレッドがぎょっとしているのはこんな場で話すなと言いたいのだろう。一癖ある性格だが時と場を弁える男だ。俺を見て無言でふるふると首を横に振り「俺が話したんじゃない」と訴えてくる。
「ヒューバートはディル王子の取り巻きの従兄弟を止めるために来たんだろ? 面倒な親戚が居ると大変だよな。同情するよ」
「関係ないだろ。それにこんな所で話すことじゃない。少し黙れよ」
「そう言うなって。お前、一緒にパーティーに行ってくれる子を必死で探し回ってたって言うじゃん。良かったな、相手が見つかって」
あっけらかんと男子生徒が言い切る。この場にそぐわぬ、場所も状況も空気も何一つ読まない発言だ。
だが今の俺には彼の無神経さを咎める余裕はない。
ここまでべらべらと喋らせてしまった事を悔やむと同時にティギーへと視線をやった。
彼女は聞かされた話を理解しきれないと言いたげな表情をしており、俺の視線に気付くと小さく息を飲んだ。
「そ、そう……だったの……。大変ね、ヒューバート」
「ティギー、これは……。その……」
「貴方の従兄弟、リースの時もディル王子と一緒に居たものね。きっと今日も王子と一緒だわ。私はよく事情は分からないけど……、でも、彼を止めるためにパーティーに来たのね。それなら行かないと」
躊躇いを隠し切れぬ口調で、それでもティギーが俺に行くように促してくる。
その表情は切なげだ。俺と視線を合わせることも出来ないのか、俺の顔を見るも、不自然に視線を他所へと向けてしまった。
「俺、本当は……」
もはやタイミングだの言っている場合ではない。今話さないと。
そう覚悟を決めるも、それとほぼ同時に、広間中に鐘の音が響き渡った。
十時だ。
鐘の音が広間に満ちていき、……そしてまるでそれを追うように広間内が一瞬にしてざわつき始めた。水面に石を投じて生まれた波紋のように広間の中央からざわつきが周囲に広がり、俺達の元まで届いてくる。
そんなざわつきの中、高らかに聞こえてくるのはディル王子の声だ。よく通る声でアリア公爵令嬢を責め、そして婚約を破談にすると宣言している。
周囲に居る者達は突然のこの展開に驚き――中にはきっと野次馬めいた期待をしていた者もいただろうが――、かといって場に割って入ることもせずにひそひそと小声で話し合っている。
ディル王子のこの不躾な行動を責め、……そして、案の定ディル王子側に立っているのだろう取り巻き達に対しても非難の声が上がっている。
最悪だ。
なんてこんな時に……。
混乱する俺の胸元にそっと手が添えられた。細く小さな手。
ティギーだ。先程まで混乱を隠し切れずにいた彼女は、今はじっと俺を見上げて濃紺色の瞳で見つめている。
真っすぐに……。
「行って、ヒューバート」
「ティギー……」
「私、貴方にパーティーに誘って貰って嬉しかった。こんなに綺麗なドレスも着られて、素敵な時間を過ごせた。心から感謝してるの。……だから行って。ちゃんと目的を果たして」
胸元に添えられたティギーの手に僅かに力が入るのが分かった。
微かに。それでも確かに。俺の胸を押す。
……まるで俺を遠ざけるように。
そうして彼女の手がゆっくりと離れていき、指先が深緑色の布から離れていった。
「……私、少し外に出てくるね」
「待ってくれ、ティギー……!」
離れていく彼女の手を咄嗟に掴もうとするが、掴みかけたところでするりと俺の手の中から抜けていった。
……否、彼女が掴まれまいと手を引いたのだ。
「私を誘った事を無駄にしないで」
掠れるような声でティギーが告げ、ドレスの裾を翻して広間の出口へと駆けていった。彼女の髪が俺の目の前でふわりと揺れて離れていく。
伸ばした俺の手がむなしく宙を掻いた。
「ティギー……」
彼女が去っていった先を見る。
大広間の出入り口からは、この騒動を聞きつけたのか一人また一人と生徒達が入ってくる。時折その合間をすり抜けて出ていくのはこの喧騒に興味の無い者だろうか。生徒達が行き来するそこにティギーの姿はもう無い。
そんな出入り口の立っていたのは温室の管理人だ。
ティギーに気付いたのか彼女が去っていった先を驚いたように眺め、次いで俺達に気付くとこちらに歩いてきた。
普段とは違う畏まった装いをしているあたりパーティーの給仕を勤めていたのか。その最中にこの混乱と、そして立ち去るティギーを見かけて疑問を抱いたのだろう。不思議でならないと言いたげな顔をしている。
「ヒューバート君、今のはティギーかい? どうしてここに居るんだ?」
「どうしてって、俺がパーティーに誘って、それで今まで過ごしていたんです」
先程までのやりとりを説明するのは気が引けて言葉を濁して説明するも、管理人はいまだ不思議そうにしている。
ティギーがパーティーに来ている事が疑問なのではなく、今この瞬間まで広間にいた事が疑問なのだろうか。
それを考えれば温室に誘おうとするティギーの言葉が思い出され、元よりざわついていた胸がより落ち着きを無くす。
彼女は時間を気にして温室に行きたがっていた。
そこで何かを俺に見せたいと……。
何を、と今更な疑問を抱く俺に対して、管理人はいまだ不思議そうに「月光樹は見に行かなかったのか」と呟いた。




