「私の人生とあなたの人生、交換しませんか?」と言われたら……
家紋 武範さま主催「夕焼け企画」の参加作品です。
あまり怖くはないと思いますが、ホラーが苦手な方はご注意ください。
平日の黄昏時。
大人が座るには少し小さなブランコに、私はひとりで腰掛けていた。
住宅街にある公園で、虚ろな目をした四十近い女が微動だにしない姿は色々な意味で通報されかねない。
ひとり、また、ひとりと子どもたちは帰路につき、静寂がやってくる。
「私の人生とあなたの人生、交換しませんか?」
周囲から活気が消えた頃、そんな声が突然聞こえて驚いた。
自分のつま先に向けていた視線を上げると、容姿の整った女が目の前に立っていた。二十代後半くらいだろうか。
「人生を交換する? 何を馬鹿げたことを……。宗教とかなら、間に合ってるんで」
「宗教の勧誘でも、冗談でもないですよ。本気のご提案です」
深入りすべきではないと分かっているのに、なぜか勝手に口が動いた。少しばかりの好奇心もあったのかもしれない。
「あなたの人生って、どんなものなんですか? 他人と交換したいくらい悲惨な悩みでもあるんですか?」
女は頬に手を当てて、考える素振りを見せた。
「悩みですか? うーん、そうですねぇ。今晩の夕食の献立が決まらないことでしょうか。他には……、うーん……」
この女には、すぐに思い当たるような深刻な悩みはないらしい。
「嘘でしょ?」
「本当ですよ。自慢じゃないですが、ハウスキーパーさんがいる大きな屋敷に住んでいて、高級車を数台持っています。それから、優しい夫と可愛い猫と犬、おしゃべりが上手なオウムと暮らしています。――こんな人生はいかがですか?」
悩みどころか、本当にただの幸せ自慢だ。
「その条件で、どうして人生を交換したいんですか?」
「んー。何となく、です」
「何となく? そんな軽いノリで、今の生活を手放すつもりですか?」
「これだ、と言葉にして表現できる悩みがないだけで、悩みがないわけではないんですよ」
「それでも、私の何十倍も幸せですよ」
「そうなんですか?」
「見れば分かるでしょ? 四十手前で髪も肌もボロボロ! 頼れる身内も恋人も安定した職も、これといった生きがいもない女の人生が本当に欲しいですか!?」
女は視線を空に向けて、ほんの数秒考えたのちに、はっきりとした口調で答えた。
「はい。良いと思いますよ、そんな人生も。だから、ね? 私にくださいな」
女の口調が少し古風なものになる。
すると、急に全身がゾクリと粟だった。
「ね、くださいな、くださいな。あなたの人生、私にくださいな」
歌うように近づいてきた女が、私が座っているブランコの鎖を両手で握る。
そして、にゅっと私の顔を覗き込んできた。
美しい顔でニヤリと笑ったかと思えば、女の顔が渦を巻くように、ぐにゃりと歪んでいく。
「やめてっ!!」
鼻先が触れそうになった時、私は思わず両手で女の肩を押した。しかし、女の体はビクともしない。
反対に、自分が後ろに倒れていく。景色がスローモーションで見えた。
ガツンッと後頭部に衝撃を受け、ブランコに膝が引っかかった体勢で固まった。
空き缶でも落ちていたのだろうか。カラカラと転がるような金属音が、頭の近くで聞こえた。
元の美しい相貌に戻った女は、指先ひとつ動かせない状態の私を見下ろして、幼い子どものように唇を尖らせる。
「あー、残念。また失敗かぁ」
そして、そんな言葉を残して立ち去っていった。
何が失敗だったのだろうか――。
頭が痛い。赤い夕日が目に刺さる。痛みと眩しさで気が遠くなり、私は目を閉じた。
目覚めると、病院のベッドの上だった。
「良かった! あと少し発見が遅かったら危なかったんだよ!」
「チカ、どうして……」
大学時代の友人が涙目で、ベッドの柵を握っている。
そして、柵に結ばれていたナースコールを鳴らすと、「目を覚ましました!」と看護師に伝えた。
チカから聞いた話によると、あの後、私は公園近くの住人に発見され、救急搬送されたそうだ。
あの体勢で発見されたかと思うと、少し恥ずかしい。おそらく、いい歳した女がブランコで遊んでいて、頭を打ったと思われているだろう。
処置は終わったが、意識が戻らないため、直近の通話履歴が残っていたチカに病院から連絡が来たらしい。
スマホのロック機能が面倒くさくて、パスワードも指紋認証も登録していなかったことが幸いした。
そういえば、チカと半月前に話したっきり、誰とも連絡を取っていなかった。私の日常はそんなものだ。
それでも――。
『私の人生と交換しませんか?』
そう言われたとき、「交換したい」と即答できなかった。怪しいという以外に、何かが引っかかって。
そして、「しょうもない」と思っていた私にも、緊急時に駆けつけてくれる友人がいた。
私の人生の中で、気づいていなかった、忘れてしまっていた大事なものは他にもあるかもしれない。
「あ、雨が止んできたね」
チカの声につられて窓の外を見ると、灰色の雲の隙間からオレンジ色の光が差した。
「え、いま何時?」
倒れた時も夕暮れ時だった。
「夕方の4時くらい。千秋、丸二日間眠ったままだったんだよー。本当に目が覚めて良かった。きちんと会話もできてるし」
「二日もお世話になってたんだ。ごめんね、忙しいのに」
「良いってことよ! 困ったときはお互い様! 私が破水した時も助けてくれたでしょ? 少しは恩返しできたかな、って思ってるくらいだから気にしないで」
「そういえば、そんな事もあったね……」
「とにかく、もうすぐ先生が来るから。まだ起き上がらないでよ!?」
「うん……」
夕日が病室に差し込み、白い壁が夕焼け色に染まる。
黄昏時、逢魔が時。
この世とあの世の境が曖昧になる、と言われる時刻。
電灯のなかった時代、夕暮れ時になると相手の顔がよく見えなくなる。
「誰そ彼」は「あなたは誰ですか?」という意味だ。
問いかけた中には、人ではないものも混ざっているという話を聞いたことがある。
あの女は、いったい何だったのだろうか……。
『私の人生とあなたの人生、交換しませんか?』
歌うような声が、今でも耳に残っている。
お読みくださり、ありがとうございました。
「答えは分からない」パターンの怪談です。
「交換したい!」と即答したら、何が起こるのでしょうか……