バットは男根のメタファーか? ②
手洗い場にいたのは野球部の女子マネージャーたちだった。男子部員があんなバカ騒ぎを繰り広げているのを知っているのかいないのか、部活で使ったジャグやコップをせっせと洗っている。
朱里はそのうち一人、焦げ茶の髪色をしたポニーテールの女子を指さす。
「あの子は|馬渡白≪まわたりしろ≫という一年生よ」
俺は朱里が指さす馬渡とかいう一年生を観察してみる。首元まで垂れさがるポニーテールを揺らし、ほかの女子マネと談笑しながら慣れた手つきでコップを洗っている。一年生だというのに手際もいいし、今日も部活で疲れているだろうに元気な笑顔を浮かべている。見たところ元気で明るい女の子という感じで、特におかしいところは見たらない。
「あの子がどうかしたのか?」
「可愛いでしょ」
俺は思わずずっこけそうになる。
「だからなんだよ!?」
「あの子は快活で明るく、人当たりも良ければ働き者。まさにマネジャーの鏡と言っていい存在よ。しかも可愛い」
「なんだよ、やけに強調するな。確かに可愛い子だけど」
「私の方が可愛いわ」
なんだよ急に。
「ああ、はいはい。そうですね」
そりゃあそうだ。この学校で朱里より可愛い女子なんてないだろう。あくまで見た目の話だが。
「で、まさか野球部男子の癒し的存在であるあの天使より自分が可愛いと言うためだけにここに来たわけじゃないだろ?」
「そこまであの子を褒めたつもりはないのだけど……天使って、普通に引くわね」
いや、だって可愛いし。
「で、なんなんだよ」
「あの子もね、どうやらバットを男根に見立てているようなのよ」
「よし、帰るか」
俺は踵を返し、校門の方へと向かった。
「ちょっと、待ちなさい」
鞄を掴まれる。慣性の法則でこけそうになったがなんとか耐えた。朱里はびくともしていないのが驚きだ。どんだけ軽いんだ俺。
「なんだよ、あの子も股にバットを挟んで振り回してたっていうのか?」
「何を言っているのかしらこの変態は。可愛い後輩が股にバットをはさんで振り回している姿を想像するなんて、最低だわ」
「なんで俺が責められてるんだ……」
「とにかく見てなさい。ほら、ちょうど洗い物が終わったみたいよ」
俺は朱里に鞄を掴まれたまま手洗い場の方を見ると、洗い物を終えた女子マネたちがこちらに歩いてきていた。そして何かに気付いたように足を止めると、
「お疲れさまでしたー」
と言って軽く頭を下げる。
一瞬俺たちに言っているのかと思ってびくっとしたが、すぐに後ろの方から、
「お疲れ! 今日もありがとねー!」
という野太い声が聞こえた。振り返れば、野球部男子の集団がちょうど下校している。こういう勘違いって恥ずかしいよな。よかった、返事とかしなくて。
そんな風に、俺が安心していると、
「何を勘違いしているのかしら、これだからモテない男子は」
どうやら隣の幼馴染みには筒抜けだったようだ。
「失礼な奴だな」
「あら、モテるの?」
「……モテません」
それは幼馴染みである朱里が一番知っているだろうに……ああ、なんでモテないんだろ。ていうかそもそも友達すらいないしな。なんと俺には朱里以外友達がいない。
「そういうお前はどうなんだよ」
「今月に入って、三人から三十回ほど告白されたわ。全部断ったけど」
「人数と回数がおかしなことになってるぞ」
「一人しつこいのがいるのよ……」
「どうせ外見しか見てないやつだろ。てきとうに断っとけ」
「な、なによ急に、やっぱり私が他の男にとられるのが嫌――」
「中身知ってたら誰も告白なんてしないもんな」
ばしん! と思いっきりケツに蹴りをいれられた。
「いてっ! なにすんだよ!?」
「ほら、行くわよ」
再び部室棟の方へ歩き出す朱里。
ほんと、勝手な幼馴染みだ。
「なんでまた部室棟に行くんだ?」
見事な蹴りの入った自分の尻をさすりながら、朱里に尋ねたが、未だにご機嫌斜めなのか、返事はなく、代わりに俺たちのやや前方を歩く女子マネを指さした。
「ああ、なるほど」
馬渡とかいう子がバットを男根に見立てている証拠を見つけに行くわけか。あんな子に限ってそんなことがあるはずもないので、徒労に終わりそうだが。
女子マネたちは野球部の部室まで来ると、洗ったジャグやコップを片づけるために中に入り、やがて、馬渡以外が中から出てきた。馬渡以外の女子マネは部室の中に何やら声をかけた後、そのまま体育館の方へと姿を消した。きっと体育館にある女子更衣室で制服に着替えるのだろう。
「あれ? なんで馬渡は出てこないんだ?」
当然の疑問に、ようやく機嫌が直ったのか、朱里は妖しく笑いながら、
「ふふふっ、それは今から分かるわ」
そう言って、部室棟の裏へと回る。
部室棟は各部活の部室が横一列に連結した二階建ての建物になっており、野球部の部室は一階の一番手前だ。各部室の構造は同じで、裏にはすりガラスの窓が付いている。
「さあ暖人、これで中の音を聞いてみて」
朱里がコップを渡してきた。なんでこんなの持ってんだよ。
朱里に促されるまま、すりガラスなので中の様子が見えない窓に、コップをあてて、中の音を聞きとってみる。初めてやるけど本当に聞こえるものなのか? って、あ、すげぇ、聞こえた。
「こ、これが金剛先輩の……はぁ、んっ……あ、相変わらず、すっごく太い……」
思わずのけぞる。
心底楽しそうな顔をしている朱里へと顔を向け、無言で首を横に振った。
朱里がちょいちょい、とすりガラスの端の方を指さす。
視線を向けてみると、窓が少しだけ開いていた。おいおい、マジかよ。朱里が開けたのか?
朱里はそっとそのすき間から中を覗き込み、俺を手招きする。
いやいや、これはまずいだろ。てか部室で何やってんだよ。金剛先輩が誰か知らんが即刻やめさせるべきだ。いや、でも、合意の上なら? って、俺たちはまだ高校生だし、でも高校生くらいにもなれば普通なのか?
テンパっている俺の首根っこを、朱里が掴んでくる。そのまま窓の隙間へとぐいぐい引っ張られる。抵抗しようにも、暴れると部室にいるであろう金剛先輩とやらと馬渡にばれそうなので、抵抗できない。
やばいやばいやばい、ちょ、いやだめだってこれは!
俺はせめてもの抵抗に、目をつぶる。
顔が近づいたのだろう、窓の隙間からわずかに馬渡さんの熱っぽい声が聞こえてきた。
「んっ……あぁ、はぁ……こ、これは、佐藤くんの……すごい、これ」
もう一人いるの!?
まぶたを上下から引っ張られる。朱里がこじ開けようとしているのだろう。
痛い痛い! ばかやろう、目が潰れ、ちょ、って……あ。
おもわず目を開けてしまった俺の視界に、部室の中の様子がダイレクトに映し出された。
そこには、散らかった部室の床にぺたんと座り込む馬渡と……って、あれ? ほかに、誰もいない?
俺の視界に映っているのは、正真正銘馬渡の背中だけだ。
え? じゃあさっきの台詞は?
混乱する俺の脳に、再び馬渡の声が聞こえる。
「つ、次は……斎藤先輩……あっ、だ、だめですよ……そ、そんな……んあっ」
馬渡はあえぎ声をあげながら、恐らく斎藤先輩のであろうバットを抱き寄せていた。
「あっ、あぁ……すごっ……すごく……おっきい、です」
うん、バットだもんな。
馬渡は甘い吐息をはきながら、優しくバットをなでる。
「はぁ……こ、こんなに固く……」
うん、バットだもんな。
馬渡はもう一本バットを引き寄せ、それにまたがる。
「やっ、また、金剛先輩……だだ、だめですよぉ……そんなの、入らな、んっ」
うん、バットだもんな。
馬渡はさらに数本のバットを自分のそばに引き寄せ、またがったり、舐めたり、つかんだり、優しくなでたり……。
「んうっ、はっ、あぁ……こ、こんなに、たくさん……む、無理ですよぉ……」
うん、バットだもんな!
そして、馬渡の脳内でいったい何が行われたのか、急に後ろ向きに倒れると、股の間にバットを差し込み始めた。
「先輩……そんなっ、強引にっ……んっ、あぁ……」
その瞬間、のけぞる馬渡と俺の視線がばっちり交差する。
カラン、と音を立てて、馬渡が握っていたバットが床におちた。
お互いに滝のような汗を流す。
「あ、えっと……その……」
なんだこれ……いや、ほんと、なんだこれ。
完全にフリーズしてしまった俺たちを現実に引き戻すように、バンッ、と大きな音を立て、窓が思いっきり開け放たれた。朱里だ。
「はっ! いや、これは! そのですね、違うんです!」
意識を取り戻した馬渡が両手をわたわたと振り回しながら言い逃れしようとする。
いや、俺もできることなら信じたくないけどさ、これはもう……ね?
言葉を失う俺に対し、朱里は窓から部室の中に侵入した。おい、何やってんだよ。
「大丈夫よ、安心しなさい」
朱里は馬渡の両手を力強く握りしめ、謎の説得力で馬渡を落ち着かせる。
「あなたはバットを男根に見立てていた。そうね?」
馬渡は恥ずかしそうに俯く。
「はい……その通りです……」
「ありがとう、正直に言ってくれて」
今までに見たことのない、まるで聖母のような表情を朱里は浮かべる。
「そ、そんな……引かないんですか……?」
聖母な朱里に対し、馬渡はまるで懺悔をしに来た子羊のようだ。
「当たり前よ。かくいう私だって……いや、みんなそう。心のどこかで、バットを見て男根をイメージしているわ。要するに、男根のメタファーね」
お前はもうそれを言いたいだけじゃないのか。語呂がいいから使ってるだけじゃないのか。
「でも……そうだとしても、私、こんな……」
己の罪を悔いているのか、馬渡は泣き崩れる。そんな彼女を抱きしめつつ、朱里は優しく言った。
「大丈夫よ、確かに、こんな行動までする人はほかにいないかもしれない……でも、私たちは引いたりなんかしないわ。そうよね、暖人?」
ここで俺にふるなよ!
「せ、せんぱい……」
眼もとを真っ赤にし、すがるような目で馬渡は俺を見る。
「あ、ああ……引かなかったぞ」
正直ドン引きだったけど言えるはずがなかった。
その後、恥ずかしさのあまり泣き続ける馬渡を朱里が慰め、最後にこのことは絶対誰にも言わないと約束をして、俺と朱里は下校した。
いやほんと、この学校ろくな奴いねぇな。