バットは男根のメタファーか? ①
夕日も半分以上が地平線の向こうに沈み、完全下校時刻も近くなってきたころ、俺はまた訳の分からないことを言いだした朱里に連れられ、グラウンドの端にある部室棟に向かっていた。男子が好きなものは全て『男根のメタファー』なのかの調査のため、ボールを二つズボンにいれたりバットを股に挟んでバカ騒ぎをしていたという野球部を見に来たというわけだ。
文芸部の部室は校舎内の空き教室を使っているから、普段あまり立ち寄らない運動部の部室棟はなんだか新鮮だった。もっとも、運動部の部室棟といえば、いわゆる『体育会系のノリ』というやつが行われている場所なので、そういうのが苦手な俺はあまり近づきたくはない。
と、部室棟へ近づくにつれ、さっそく男子の叫び声が聞こえてきた。
「っしゃおらあああああ! こいやあああ!」
聞き覚えのある声だ。確かうちのクラスで野球部の……|和田将司≪わだまさし≫とかいうやつのはずだ。クラス内でもテンションの高い、いかにもな体育会系で、正直あまり得意なタイプじゃない。
「和田君だったかしら、元気ね」
朱里は男子たちの叫び声に全く物おじすることなく、すたすたと歩いて行く。俺もしょうがないので後に続いた。
そして、俺たちの目に映ったのは、この世で最も馬鹿な生き物と称される男子中学生をはるかに超えた、男子高校生の宴だった。
バッターボックスに見立てているのだろう、アスファルトにベースを置き、その後ろにキャッチャーと審判役の野球部員が構えている。少し離れた位置にピッチャー。そして、恐らくこの宴の主役であるバッターを務めている和田は、バットを手ではなく足で持っていた。つまり、股に挟んでいた。
「おいおい、マジで股に挟んでるぞ。しかもなんで全員パンイチなんだ」
「だから言ったでしょ」
男子がパンイチで股に挟んだバット振り回してるというのに、朱里は顔色一つ変えない。
「いくぞ!」
パンイチのピッチャーが叫ぶ。
「こいやおらあああ!」
パンイチの和田が二倍くらいの声量で叫び返す。
そしてついにピッチャーの手から白球が放たれた。
力強く放たれた白球に対し、和田は「ふんっ!」と思いっきり腰を回転させ、バットを振った。
カキィンと、思いのほかいい音を響かせた和田はしかし、ボールが前に転がったのにも関わらず、ベースに向かって走ることはなかった。股間を両手で抑え、その場にうずくまっている。
「しょ、衝撃がぁ……」
一瞬の静けさの後、和田の身に起きた悲劇に気が付いたそのほかの野球部員たちが一斉に笑い出す。
「うわっ、痛そうだな……」
「その痛みは私にはよく分からないけど、和田君が本気でのたうち回っているのは分かるわ」
股間を両手で抑え、地面の上を転げまわる和田と、それを見て腹を抱えて笑う野球部員たち。実に楽しそうだが、輪の中に入りたいとは思わなかった。
「それで、とりあえずここまで来たけどどうするんだ?」
「もちろん話を聞くわよ」
「ええ……知ってるだろ、俺、ああいうノリ苦手なんだよ」
「知ってるわ。だからついてきてあげたんじゃない」
「ついてきてあげたのは俺だろうが」
「『連れてこられた』の間違いでしょ」
「分かってるじゃないか」
うん、やっぱ俺は、ああいうバカ騒ぎよりこういったやり取りの方が好きだ。
「さ、行くわよ」
「はいはい」
強引な幼馴染みに連れられ、宴を終えて制服に着替え始める生徒たちの中、アスファルトの上で股間を抑えてうずくまっている和田のもとへ向かった。
「おい、大丈夫か」
「あ、ああ……大丈夫だ……って、桜世じゃないか。こ、こんなところで、何をやっているんだ?」
足をプルプルと震えさせ、内股気味に和田が立ち上がる。
なにをやっているんだ、とは俺の台詞だが、生憎とそんなことを言える仲でもない。いや、ほんと何やってんだよこいつ。
「いや、なんかこいつが話聞きたいらしいからさ」
偉そうに腕を組んでいる朱里を指さす。
すると朱里は、俺の指を掴んで本来なら曲がらない方向へと曲げ始めた。
「いてててててて! なにすんだよ!?」
「それはこっちの台詞よ。私には指をさすなと親に教わらなかったの?」
「お前限定では教わってない!」
俺のツッコミを華麗に流し、朱里は俺より一歩前に出て相変わらず内股気味の和田と向かい合った。美少女とパンイチで股間を抑える男が向かい合っている。なんという光景だ。
「初めまして、才神朱里よ」
「あ、ああ……和田将司だ」
初めましてというのは正解だろうが、和田は朱里のことを知っているだろう。というより、この学校で朱里を知らない人間なんていない。それくらい朱里は有名人なのだ。良くも悪くも美人な変人として。
和田はやや緊張した面持ちで、髪を整えるしぐさをした。
っておい、お前坊主だから整えるほどの髪の毛ないだろうが。
「いきなりで悪いんだけど、いくつか質問に答えてもらっていいかしら?」
芸人気質な和田のボケを完全にスルーした朱里は一方的に自分の要件を伝える。
「なんであんなことしてたの?」
「え? いや、なんでって……」
「ああ、言い方が悪かったわね。なんでバットを股に挟んでいたのかしら? あれは、何を表していたの?」
「な、なにって、そりゃあ……」
和田が困ったように視線を向けてくる。俺はしょうがなく和田を少し離れた位置に連れていき、こっそり答えを聞く。
「すまんな、変な質問して……まあ、男子の俺になら答えやすいだろ」
俺は聞きたくないが。いやもうほんと、心の底から聞きたくない。
「何を表していたのかって言われても……まあ、もちろん、強いて言うならち○こだけど」
「……だろうな……ありがとう」
欲を言うならもうちょっとオブラートに包んだ言い方をしても良かったんだぞ?
答えを聞き終え、朱里のもとへ戻ろうとする俺を、和田が呼び止めた。
「おい、なんなんだよ、気になるだろ」
「いや、申し訳ないけど俺にも分からん」
「そうか……って、あ、あれ……? やべぇ……」
痛みが治まったのか、いつの間にか普通の立ち方に戻っていた和田が、青ざめた顔で自分の股間を再びおさえる。
「ど、どうした?」
なんだろう、割と深刻なダメージでもあったのだろうか?
「き、金玉が、割れて二つになってる……」
「……安心しろ、元からだ」
俺は和田のボケを無表情で処理し、朱里と共に体育会系の部室を立ち去った。
部室棟から離れ、グラウンドのそばを通りながら朱里に尋ねる。
「それで、こんなことして意味あんのか?」
期待通りの答えが得られたからか、朱里の様子は満足げだ。
「もちろんあるわよ」
「どんな?」
「和田君の話を聞く限り、やっぱり彼ら野球部男子はバットを男根に見立てていることが分かったわ」
「いや、まあそうだけどさ」
「こうやって一つ一つの事象を精査し、積み重ねていくことが大事なのよ」
と、そこで朱里は突然足を止め、校門とは反対方向へ曲がった。そっちには手洗い場くらいしかないはずだが……どうしたのだろう?
「おい、どこ行くんだよ。帰るんじゃないのか?」
「何を言っているの? 本番はこれからよ」
あれ? 今日の目的って野球部の男子が本当にバットを男根に見立てているかどうかを確かめることじゃなかったのか?
俺は不敵に微笑む朱里の後を追い、手洗い場へと向かうのだった。