ある日の料理対決 ②
「失礼するよ」
そう言ってノックもなしに文芸部の扉を開けたのは、朱里を学園一の美少女と呼ぶならば、そいつは学園一の美男子と呼ぶべき存在――早瀬恭一だった。
「ええ、とても失礼だわ。今すぐ帰ってくれるかしら」
冗談でもなんでもなく、心の底から嫌そうな顔で早瀬を追い返そうとする朱里だったが、早瀬は慣れているのか、ワックスで固められた髪をかき上げつつ、目もくらむような爽やかさで笑った。
「はっはっは、相変わらず手厳しいな。いい加減、心を開いてくれてもいいんだよ?」
突如現れたイケメンに目を丸くしつつ、馬渡が俺にこっそり尋ねる。
「あの爽やか系のイケメンは誰ですか? なんか朱里先輩の知り合いっぽいですけど」
「お前知らないのかよ。あれは早瀬恭一といって、料理部の部長だ」
この学校の女子なら知らない人間はいないと言われるほど絶世の美男子で、しかも女子が好きそうなオシャレな料理を作るものだから、校内一モテる男子である。
しかし、そんなやつが文芸部になんの用だろう? しかも何やら朱里と知り合いのようだし……なにより気になるのは、朱里が嫌悪感を隠そうともしない表情で早瀬を睨んでいることだ。人に暴言を吐くことに躊躇のない朱里だが、案外人の好き嫌いは激しくない。恐らくそれは自分に対する圧倒的自信からくる余裕の産物なのだろうが、朱里はあまり人を嫌いにはならないのだ。そんな朱里が、目の前のイケメンに対して明らかに呪詛の念を放っている。これはただ事じゃないだろう。
早瀬は朱里が呪いを投げかけていることに気付いているのかいないのか、まるで有名人がファンにサービスするように馬渡へと笑顔を送ってきた。
「え、なんですか今の……なんか腹立つんですけど」
普通の女子ならばあれでイチコロだろうに、馬渡の心には全然響かないどころかイラつかせたらしい。
早瀬は馬渡に送った笑顔をそのまま俺に向ける。そのあっまゆっくりと近づいてきて、俺を品定めするようにじっくりと見つめてきた
「な、なんだ……?」
早瀬はしばらく俺を見た後、失礼なことに鼻で笑った。
「ふっ……まるで精製オリーブオイルのような男だね」
精製オリーブオイル――オリーブオイルの中でも等級の低いものだ。つまりはバカにされているのだろう。
「おい、いきなりやってきて、人様をオリーブオイルにたとえないでいただけますかね?」
「おっと、これは失礼……でも、僕の気持ちを少しは察してくれたまえよ、桜世暖人君」
「俺の名前知ってるのか、どこかで会ったっけ?」
なんだかいちいち癇に障る態度に、思わず喧嘩腰になってしまう俺だったが、早瀬はどこまでも余裕の笑みを浮かべていた。
「まさか。君のような精製オリーブオイルとブレンドされたら、僕がピュアオリーブオイルになってしまうじゃないか」
面倒だが説明すると、オリーブオイルの中で最も等級の高いエクストラバージンオリーブオイルと、等級の低い精製オリーブオイルを混ぜたものが、ピュアオリーブオイルなのだ。つまりこの男は遠まわしに自分が最も等級の高いエクストラバージンオリーブオイルだと言っている。分かりにくいことこの上ない。
「いちいちたとえが分かりづらいんだが……ていうかお前の気持ちってなんだよ。察してやれないんだけど?」
「おや、君は朱里さんから僕の話を聞いてないのかい? 寂しい話だ」
大げさに、まるで悲劇の主人公のような顔をする早瀬だったが、すぐに爽やかな笑顔へと戻り、言葉を続けた。
「僕は朱里さんに何度もアタックしているんだが、中々いい返事がもらえなくてね」
ああ、朱里が言ってたしつこいやつって、こいつだったのか。
「それで、僕はある日風の噂で聞いたわけさ。『才神朱里にはいつも一緒に居る仲のいい幼馴染みがいる』。そこで僕は気付いた。なるほど、僕の恋が実らないのはその男が原因かってね。でも僕は今確信した。エクストラバージンオリーブオイルのような彼女には、同じくエクストラバージンである僕がふさわしい」
「早瀬君、いつも言っているけど、この私をオリーブオイルにたとえないでくれるかしら。いくら最高等級とはいえ、不愉快よ」
朱里の台詞に、会話に全くついていけずぽかんとしていた馬渡がぼそっと呟く。
「なんで二人ともあの比喩が伝わってるんでしょうか……ていうか、えくすとらばーじんってなんですかね? すっごい処女?」
そのつぶやきが聞こえた俺はいちおう説明しておく。
「エクストラバージンオリーブオイルってのはオリーブオイルの中でも最高等級のオリーブオイルのことだ。ちなみに精製オリーブオイルは一番下」
「はえー、先輩詳しいですね。つまり朱里先輩は褒められてて、桜世先輩はバカにされていると」
「そういうことだな」
俺たちの会話が聞こえたのか、早瀬がすっと馬渡の前まで移動し、優雅に語り掛ける。
「ああ、安心していいよ、君はファインバージンオリーブオイルだ」
馬渡は早瀬から逃げるように距離を取り、俺の後ろに隠れる。
「まったく言ってる意味が分からないんですけど。ふぁいん、ばーじん、ってなんですか? 元気な処女でしょうか。だとしたら間違ってないですけど」
いらん情報をありがとう馬渡。
「上から二番目の等級のオリーブオイルだ」
「喜んで良いのか絶妙なところですね」
こそこそ話をする俺達を気にすることなく、早瀬は、ぱんっ、と手を叩くと、まるで舞台俳優のように大げさな仕草で部室の中央まで歩き、言った。
「とにかく、どうしてエクストラバージンな朱里さんが精製オリーブオイルのような男にこだわるのか……僕は朱里さんの目を覚ましてあげたい。朱里さん、君はいつだったか言ったね、好きなタイプは料理のうまい男だと」
部室の空間を広く使い、無駄な動きで語る早瀬を見つつ、俺は朱里に耳打ちする。
「おい、なんでよりにもよって料理部の部長にそんなこと言ってんだよ」
「別にあれに言ったわけじゃないわ。クラスの友達に訊かれて答えたのが、どういうわけかあのナルシストに伝わってただけ」
「お前、友達いたのか……」
「しばきたおすわよ」
俺と朱里がいつもノリを繰り広げていると、内緒話のようなことをしているのが気に食わないのか、早瀬はややむっとした顔で俺を見た。
「とにかく、桜世暖人――どちらが才神朱里という女性にふさわしいか、僕と料理で勝負だ」
別に俺と朱里は付き合っているわけじゃないし、なにより面倒なことこの上ないので、てきとうに断ろうと思ったが、しかし、早瀬が続けて放った台詞が、俺の唯一と言ってもいいプライドを刺激した。
「ふっ、まあ……君みたいな男が作る料理なんて、しょせん君自身のように精製オリーブオイル程度の味しかしないだろうけどね」
俺は珍しく、早瀬の目の前まで来てその目を睨みつけた。
「いいだろう……料理部の部長だかなんだか知らないが、俺を挑発したことを後悔させてやる」
すごむ俺に、早瀬は全く臆することなく、不敵に笑った。
「ほう、朱里さんの隣に立とうとする心意気くらいはあるようじゃないか。評価を改めてあげよう。まあそれでも、所詮はランバンテバージンオリーブオイル程度だけどね」
かくして、俺は大変不本意ながら朱里をかけた料理対決をすることとなったのだった。
ちなみにランバンテオリーブオイルは精製オリーブオイルの一つ上の等級だ。