竹刀は男根のメタファーか? ⑥
「ありがとう桜世、もう大丈夫だ」
数分後、泣き止んだ竹田津から体を離すと同時に、なんだか急に冷静になってきた。
あれ? 俺、今とんでもないことしなかったか? いや、これは考えたらダメな気がする。
「じゃ、じゃあ、次の段階に進むぞ」
「わかった。次は何だ?」
そうだ。俺は今、竹田津ジェントルマン化計画の真っ最中なんだ。目的を忘れてはいけない。そう、これは友達のために頑張っているだけだ。
俺は自分にそう言い聞かせながら、朱里のメモの続きを見る。
『作戦二、女装した暖人が誘惑(忍耐力を付けるべし。なお、誘惑の仕方に関しては別紙を参照)』
「できるかボケ!」
「ど、どうしたんだ急に……やはり、迷惑だっただろうか」
しゅんとなる竹田津。さっき泣いたせいで目元がまだ赤く、罪悪感倍増だった。
「いや、そういうわけじゃなくてだな……」
くそっ、やるしかないのか? ていうか俺が女装して誘惑したところで別に何ともないだろ。そもそも女装っていったってそんな道具……って、ん? なんだあれは。
ベッドの上に、紙袋が置いてある。ちょうど、朱里が座っていた位置だ。
ご丁寧に、紙袋にはこう書いてあった。『着ろ』
やれと……? 朱里のやつ、いつの間にあんな紙袋おいていきやがったんだ。
俺は逡巡するも、覚悟を決める。
「……竹田津、俺がいいと言うまで目をつぶっていてくれ」
そして願わくば、その目を開いたとき、俺を軽蔑のまなざしで見ないでほしい。
「わ、わかった……」
何の疑いもなく、まぶたを閉じる竹田津。その無防備さからは、俺への信頼が伝わってくる。
紙袋を手に取り、中身を取り出す。中に入っていたのはウィッグと女物の洋服だった。ご丁寧にウィッグの付け方を書いた紙まで入っている。
「やるしかないんだ」
言い聞かせるようにそう呟いた。
着替えるために一度服を脱ごうと、Tシャツに手をかけたところで、ふと手が止まった。
これって、もしかして目をつぶってもらった女子の前で着替えをする変態ということになるんじゃないだろうか? しまった、一度部屋の外に出てもらったほうが……。
「桜世、まだか……?」
「あ、ああ……もう少し待っててくれ」
ええい! ままよ!
俺は勢いに任せ、Tシャツを脱ぎ捨て、次いでズボンに取り掛かった。すると、衣擦れの音が聞こえたのか、竹田津が、
「お、おい……まさかとは思うが、桜世……脱いでないよな?」
くっ、許せ竹田津。すべてはお前のためなんだ。
「俺を信じてくれ竹田津。やましいことは何もしていない」
俺は竹田津の正面でパンツ一枚のまま言い放った。
しかしそんな俺を、竹田津は目をつむったまま男前な笑顔で信じてくれた。
「ふっ、何を今さら。たとえ脱いでいたとしても、それはきっと私のためなんだろう」
なんていいやつなんだ。竹田津、俺はお前と友達になれたことを誇りに思うよ。
「目を開けていいぞ、竹田津」
俺の合図を受け、目を開けた竹田津がその場で固まる。
きっと今の竹田津の目には、ベッドの上で顔を真っ赤にしながらたたずむ女装した変態がうつっていることだろう。
「い、いや……これは、その……」
沈黙に耐えきれず、俺が弁解しようとした途端、正座から立ち上がったとは思えぬスピードで、竹田津がベッドの上の俺に飛び掛かってきた。
「うわっ!? ちょっ――竹田津!?」
ベッドに押し倒された俺の上に、荒い息を吐く竹田津がまたがる。いつの間にか両手が押さえつけられていた。
「はぁ……はぁ……」
めちゃくちゃ興奮してる!?
「ちょ、竹田津……? 目がこわ――ちょ、顔近っ!」
近づいてくる竹田津の血走った瞳には、見たことない美少女――もとい、女装した俺がうつっていた。
あれ? 俺、今でもかなり可愛い……って、そんなこと言ってる場合じゃなくて!
やばい、全然体動かないし、どんだけ力強いんだよこいつ!
「大丈夫、悪いようにはしないさ」
「落ち着け竹田津! 俺だ俺! 桜世暖人だ!」
「冷静だよ私は。びっくりするくらい冷静だ」
「嘘つけ!」
「君が桜世だということも分かっている……いや、まさか君が女の子だったとは」
全然冷静じゃねぇ!
「違うから! 俺は男だよ!」
「そんなことはどうでもいい、そんな格好までして、誘ってるんだろ? なんだ、男でもいけるじゃないか私」
駄目だ、完全に理性を失っている。
「思えば、あんなDVDまで見せて……そうだよな、桜世も男なんだ、期待していたんだろ?」
「いや、ちがっ――」
竹田津の桜色の唇が、俺の首筋にふれた。
「ひゃっ!?」
「ふふっ、可愛い声も出せるじゃないか」
あ、これはもう駄目ですわ。完全に持っていかれる。具体的には俺の貞操とかが。
「桜世は紳士だからな、自分からは手が出せないんだろう? 分かってるさ、だから私から――」
ああ、まさか人生で二度も同性愛者に襲われるとは。しかも今回は男じゃなくて女のほうとか。一体俺の人生どうなってんだ……。
俺がそう、死んだ目で半ばあきらめかけていた時、
ドンッ!
ベッド沿いの壁が思い切り叩かれた。
壁ドンである。それも、壁が壊れるんじゃないかと思うほど強烈なものだ。
次いで隣の部屋から叫び声が聞こえる。
『朱里お姉ちゃん!? この間もそうだったけどいきなりどうしたの!?』
『いえ、義務的にね』
『どゆこと!?』
突如第三者から与えられた大きな刺激に、俺と竹田津が数秒固まる。
そしてその思考の空白が、竹田津を正気に戻した。
「――はっ! す、すまない! つ、つい……その」
「ああ、いや……ちゃんと説明しなかった俺も悪いし……」
ナイスタイミングだ朱里。なんでこっちの様子が筒抜けなのか気になるが助かった。
「と、とにかく、さっきのは忘れてくれ……それで、なんでそんな格好を?」
「これは、竹田津が可愛い女の子を見ても我慢できるよう、忍耐力を付けるためだ」
「な、なるほど……そして私は見事に理性を失ったわけか」
もじもじと、まるで好きな子の前でいじらしい態度を見せるかのように、竹田津は俺の枕を抱きしめ、ベッドの端に寄る。
俺はちらっと鏡を見る。自分でもびっくりするくらい俺の女装は可愛かった。
ベッドの上に女装した男子と、それを前に興奮している女子……奇妙な構図だ。
「えーっと、じゃあ、今から、俺が竹田津を、ゆ、誘惑……するから、耐えてみてくれ」
なに言ってんだ俺。でも朱里に渡されたメモに書いてあるし、それに実際俺の女装姿に竹田津は興奮している。忍耐力を付ける特訓としては間違っていない気がしないでもない。
しかし、自分で言っておいてなんだが、誘惑ってどうすればいいんだ?
え、えーっと……体を近づける、とか?
「じゃ、じゃあ……いくぞ」
ベッドをぎしぎしと軋ませながら、俺は四つん這いになって、ベッドの端で枕を抱きしめて体育座りしている竹田津へ忍び寄る。
それを見た竹田津が、ゴクリとつばを飲み込んで、目をギュッとつぶった。
竹田津は俺を視界にいれないことによって理性を保とうとしてるんだろうけど、そんな態度をとられると、俺はもう完全に怖がる同級生の女子を襲っているようにしか思えない。
「目、開けろよ……それじゃ、我慢してることにならないだろ」
「そ、そう、だな……っ!?」
竹田津は目を開けた途端、俺が予想以上に近くにいたことにびっくりしたのか、肩を跳ねさせ、枕をぎゅっと抱きしめた。
「怖くないか?」
「怖くはない……が、その……心臓が」
徐々に、徐々に近づいてゆく。
「安心しろ、俺もだ」
さっきから朱里の壁ドンのように心臓がうるさい。竹田津に近づくにつれ、それはさらに大きくなっていく。
「こ、これ以上は……我慢、できなくなる」
頬を紅潮させ、近づいてくる俺の顔をまじまじと見つめながら、竹田津が震える声でそう言った。
「頑張れ、俺も――」
俺も……? 俺も、なんだ? 俺も我慢するから――そう言おうとしたのか? ああ、俺、もしかして、もっと近づきたいって思ってる?
竹田津の黒い瞳に、女装した俺の姿が映しだされていた。
ほのかに紅潮した頬。妖しい笑み。誰だこれ? こんな、まるで本当に誘惑してるみたいじゃないか。何かを期待しているような……違う、俺は竹田津に、友達として協力したくて……。
「す、ストップだ桜世、これ以上は本当に……」
俺の体が止まったのは、竹田津のそんな言葉を聞いたからか。それとも、自分の中に明確な欲を感じたからか。
「あの時のように、竹刀を打ち付けているわけでもないのに……なぜだろうな、こんなにも、ドキドキしている……普段は、こんなことないのに、なぜか……我慢できなくなりそうだ」
そりゃそうだ、普段からそうだったら体育の着替えなんかの時に事案が発生しているだろう。ではなぜ、今竹田津は自分を抑えきれないほどに興奮しているのか。
俺が誘惑したからというのもあるだろう、部屋で二人きりだからという理由もあるだろう。さっきのDVDの影響も大きいかもしれない。
だがもし、そこに、他にも理由があったら? もしそうだとしたら、俺は今保っている距離を守ることができるだろうか?
「相手が、桜世だから……だったり、してな……ははっ」
冗談めかしていたとしても、そんなことを言われたら、ほら……体が、
「ちょ、さ、桜世……? だから、これ以上近づかれたら……その……」
距離の縮まる速度が、上がった。俺が上げたんじゃない。竹田津が、自分から俺に近づいてきたのだ。
心音が、どんどん激しくなる。
ドクン、ドクン、ドンッ、ドクン、ドンッ!
時折聞こえるのは俺の心音ではなく、別の発生源だ。竹田津のものだろうか?
もっと、近くで確かめたい。
俺達の距離はもうと息がかかるほどで、聞こえる音もどんどん大きくなる。
ドクン、ドンッ、ドクン、ドンドンッ、ドンッ!
あまりの心拍数に、頭がぐらぐらしているのか、音に合わせて壁が揺れているようにすら感じる。まるで隣の部屋から壁ドンされているかのような音も聞こえる。
ドクン、ドクン、ドンッ! ドクン、ドンッ‼ ドンドンッ!
ああ、壁も俺の心臓もはじけてしまいそうだ。
そして、俺たちの肌と肌が触れ合いそうになった時――。
ドカンッ!!!!!
という轟音と共に、部屋の壁が本当にはじけ飛んだ。
正確には、壁に穴をあけ、朱里の腕が向こう側から伸びてきたのだ。
そして伸びてきた手はまっすぐ俺の頭を掴み、万力のように締め付けた。
「いててててててて!!!!」
俺の叫び声の合間を縫うように、重低音の恐ろしい声が聞こえてきた。
「なにをやっているのかしら?」
「それは私の台詞だよ朱里お姉ちゃん!? ついに壁に穴開けちゃったよ!?」
冷子の声が聞こえたが、頭が潰れそうなのでそれどころではない。
「いてぇぇぇぇーーー!!!」
「いてぇ? 何語かしら? 私は何をやっているのかと聞いているのよ? 誘惑する側のはずの暖人が、誘惑される側の竹田津さんに、我慢できず迫っているように私には見えたんだけど?」
「あばばばばばば!!!!」
やばいこれ、完全に指食い込んでるって、脳機能に異常をきたしてるよこれ! 正常にしゃべれないやばいこれ。
「は、や、く、答えなさいよおおおおお」
「あああああああああああああああ!!!!!!!!」
朱里による全力のアイアンクローによって、俺のこの日の記憶はぐしゃぐしゃにつぶされてどこかへ消えてしまったのだった。