竹刀は男根のメタファーか? ⑤
土曜日、つまり休日。ジャイアントスイングばりに俺を振り回す幼馴染みから解き放たれ、静かな時を過ごすはずの日だ。だがしかし、先週同様どういうわけか俺の部屋には文芸部のメンバーと一人のゲストがそろっているわけで。
では紹介しましょう、今週のゲストはこちら。
竹刀を男根に見立て、女子に打ち付けることにより興奮していた女子剣道部の部長、竹田津司奈さんです。
「リビングにいたのは君の妹か? その……とても可愛らしいな」
今度から妹には相手が女でも警戒するように言っておこう。馬鹿だから意味ないと思うが。
竹田津に大見得を切ったあと、俺はあらゆる方面で才能を発揮する天才幼馴染みに泣きつき……もとい力を借りて、竹田津ジェントルマン化計画の構想を練った。
そして今日、いざ本番である。
ローテーブルの周りにはジーパンとタンクトップというボーイッシュな服装に身を包んだ竹田津と、ロングスカートにややだぼっとした薄手のセーターを着た馬渡、そしてジーパンとTシャツを着た俺が正三角形を作るように座っている。
朱里は俺のベッドの上に座り、俺の肩に黒いタイツで覆われた足を乗っけていた。いつもなら俺も払いのけるなりなんなりするのだが、竹田津ジェントルマン化計画の協力を依頼したことにより、俺は今朱里に逆らえないのだ。完全に奴隷である。
ちなみに今日の朱里の服装はこの前の攻撃的なファッションとは違い、いつもの清廉な少女然とした服装だ。もっとも、俺の肩の上に足を乗せている時点でそのイメージは叩き壊されているが。
しかしそれにしても……。
「馬渡、なんで今日もお前がいるんだ?」
「何気にひどくないですかその質問……いえ、今日は冷子ちゃんにお礼をと思いまして」
「お礼? 何の?」
「あっ、いや……そのですね……お、女の子の秘密です」
この上なく怪しい。今度冷子にカマをかけてみるか。馬鹿だからすぐに口を滑らせるに違いない。
俺と馬渡の会話が終わったのを見計らって、すっ、と俺の肩をなでるように、朱里の細い足が引き抜かれた。竹田津がそれを食い入るように見つめていたのが気になったが、それはおいておこう。
足をおろした朱里はそのままベッドから立ち上がり、
「それじゃあ、私と馬渡さんは隣の冷子ちゃんの部屋にいるから。終わったら呼んでちょうだい」
「ああ、わかった」
そう、竹田津ジェントルマン化計画は、俺がこの部屋で、しかも竹田津と二人きりで行うことになっている。またもや美少女と自室で二人きりである。でもなぜだろう、朱獄院さんの時と比べると全くと言っていい程ドキドキしない。
馬渡をつれ、朱里が俺の部屋から出ていく。
「それで、私は何をすればいい?」
さてと、ここからが本番だ。数々の屈辱的行為を我慢し、朱里から授かった知恵を駆使しなければならない。えっと、まずは話を聞くんだっけ。
「まずは状況を整理するためにも、竹田津のことが知りたい……えっと、その、竹田津は、女の子が好きなんだよな?」
これまでの様子を見ていれば簡単に予想はつくが、そこの確認からまずはスタートだ。
「そうだ。私は見た目も体も女だが……心には男が住んでいる。いわゆる、性同一性障害や同性愛者といったものだ」
なんというか、聞けば案外深刻な悩みだ。俺の手には余りそうな問題だが、だが今回の目的はあくまでも竹田津がちゃんと理性を保てるようにすることだ。別に竹田津の性的趣向をどうこうすることじゃない。ていうか、そういうのは人それぞれだろうし、矯正するようなことじゃない。
「そこのところ、もうちょっと詳しく話してもらえるか?」
女子にこんなことを訊くのは抵抗があったが、しかしよく考えれば竹田津の心は男子らしいし、案外朱里や馬渡よりも俺のほうが話しやすいのかもしれない。
「そうだな……初めて気付いたのは小学生の頃だったか。私はいつも男子とばかり遊んでいて、初めて好きになった子も女子だった。それが周りと違うことだと気づいてから、私はそれをひた隠しにしてきたが、中学に上がってからどうにも我慢が聞かなくなってな。プールの着替えの時はドキドキするし、女子からの軽いスキンシップにさえ心臓が跳ねそうになる……そんな感じだったよ」
その感覚は、なんとなく俺にも理解できた。俺は男子が好きなわけじゃないが、プールの着替えの時は、男子の裸が嫌にでも目に入ってきて嫌悪感を抱いたし、男同士の軽いスキンシップも避けていたからだ。
「それではいけないと思い、己を律するために剣道を始めたんだ」
なんかちょっとずれている気はするが、その精神は凄いと思う。
「しかし、ある日気付いたのだ。私は自分を律するために剣道を始めたのではなく、竹刀を自分にない男性器に見立てて、対戦相手の女子に打ち付け興奮しているだけなのだと」
なんでだろう、竹田津は今にも泣きそうなほど真剣なのに、笑い話にしか聞こえない。
「お願いだ桜世、私に己を律する心の強さをくれ。私は、穢れのない心で竹刀を振るいたいんだ……ッ!」
くそっ、なんて真剣な……知ったこっちゃないなんて口が裂けても言えない!
「あ、ああ。任せておけ。俺がお前を紳士にしてやる」
大見得を切る俺に、感激した竹達がローテーブルを乗り越えんばかりの勢いで上半身を突き出し、俺の両手を握る。
「ありがとう。正直、こんな悩み、引かれるのではないかと心配していたが……いいやつだな、桜世は」
わずかに濡れた瞳と輝くような笑顔がまぶしい。ていうか、タンクトップで上半身を突き出してるもんだからスポーツブラが見えて……っておい何見てんだ俺は。
そうだ、竹田津は、見た目は女子でも心は男子。つまり俺を同性の友達のように見ている。ならば俺も男友達として相談にのらなければ。
しかしそう考えると……男友達か、懐かしい響きだ。なんかこう、心にグッとくるものがある。
「よし竹田津、さっそく始めていくぞ!」
「ああ、なんでも言ってくれ!」
俺もなんだかやる気が出てきて、さっそく朱里から渡された竹田津ジェントルマン化計画の作戦一覧が書かれた紙を取り出す。当日に開けて一番から順に実行しろと言われたが、さてさて、何が書かれているのやら。
『作戦一、二人で例のDVDを見る。(何よりもまずは免疫を付けるべし)』
あいつを頼った俺が馬鹿だった。
なんでまたあのDVDが登場するんだよ!
「桜世、さっきから一体何を見ているんだ?」
「あ、ああ……これはだな、竹田津のために考えてきた作戦のメモというか……」
考えたのは朱里だけどな。
「わざわざそんなものを……くっ、やはり私は間違っていなかった。桜世、いや、心の友よ!」
そう叫び、感極まった竹田津はあろうことか俺に抱き付いてきた。
「んなっ!? ちょ!」
同性の友達として接すると決めたとはいえ、これはマズいだろ。体は完全に女の子なわけだし、っていうかそもそも同性同士のハグですら俺には耐えられない――っていうか朱里よりも体つきは女の子らしいなおい。
「は、離れろ竹田津、色々当たって……」
「ん? ああ、すまない。つい感極まってな」
「お前、こういうことはあまりみだりにするもんじゃないぞ。体は、その、女子なんだから」
「む? おい桜世、聞き捨てならんな。私は一応、心も女子だ」
「へ? でもお前、女子が好きなんだろ? それに心には男が住んでるって」
そういうことじゃないのか?
「そこが私のような人間の難しいところだな。いいか桜世、この世には女装が趣味だが同性愛者ではない男もいれば、男と女、両方共を好きになれる人間もいる。私の場合、好きになるのは可愛い女の子だが、可愛い格好をしたいと思うこともあるし、男に裸を見られるのは普通に嫌だ」
「な、なるほど、同性愛者にも色々あるってことか……ってあれ、でもお前、さっき俺に抱き付いて?」
「そこだよ、私が言いたいのは。まあ、ほかの女子に比べれば男子との肉体的接触に抵抗が薄いのは認めるが、それでも、みだりに抱き付いたりなんかしない。桜世は、私の本性を知っても引かなったからな。親愛の証というか、そんな感じだ」
照れたようにはにかむその姿が、ボーイッシュな見た目に反して可愛くて、俺は思わず顔を熱くした。しかしすまん竹田津、正直最初はドン引きだった。
「さあ! とにかくその作戦とやらを実行しよう」
「そ、そうだな。まずは……」
そうだ、問題はこの作戦一覧だ。まずは免疫を付けるために例のDVDを見るだと? できるはずないだろ。でも俺自身は作戦を思いつかないのも事実。
「どうした桜世、生きるか死ぬかの瀬戸際のような顔をしているぞ」
くっ、俺のことを心の友とまで言ってくれた竹田津が心配そうにこっちを見ている。ここで期待を裏切るわけにはいかない。
「いいか竹田津、もしかするとこれから先はつらい時間になるかもしれない」
主に俺が。
「耐えられるか?」
「ふっ、なにを今更。私はここに来るとき、すでに処女を捨てくらいの覚悟はしている」
あ、やっぱ変態だわこいつ。
だが覚悟の強さは伝わった。ならば俺も腹をくくるしかない。なに、あの朱獄院さんと一緒に見たんだ。あの時のいたたまれなさに比べたら、これくらい乗り越えられるだろう。
俺はそんな謎の自信と共に、最後に朱里と見たっきりDVDプレイヤーの中に入れっぱなしだったDVDを取り出す。
「いいか竹田津、これから俺たちは一緒に、このDVDを見る」
「どんな内容のものだ?」
「これはだな、正しい性のあり方を描いた芸術作品だ」
朱里曰くな。
「な、なるほど……つまり、そういうシーンが出てくるわけか」
「話が早くて助かる。今から俺と一緒にこれを見て、まずは性的な事柄について免疫を付けてもらう」
「なるほど、了解した」
よかった、セクハラだと言われたらどうしようかと思った。
俺は早速視聴の準備をし、二人並んで画面の前に正座する。
そして数秒後、何度見たか分からない幼馴染み二人のラブストーリーが始まった。
『ちょ、ちょっとまってよー』
『早くしなさいよもう』
そうそう、初めはこんなふうに、頼りない主人公とそれを引っ張るヒロインの幼少期から始まるんだよな。そして中学、高校、と学年が上がるにつれて、段々と頼りがいのある男になっていく主人公を、ヒロインが異性として意識し始めるんだ。
『ご、ごめん! つい!』
そして物語の中盤では、朱獄院さんの時に説明した通り、思わずヒロインを押し倒してしまった主人公が、はっと我に返る。そしてヒロインがすべてを受け止めベッドイン。
そこからはもう洋画顔負けの濡れ場である。
すっかり聞きなれてしまったヒロインの喘ぎ声を聞きながら、隣で正座をしている竹田津を見てみると、肩を震わせ、顔を真っ赤にしていた。
朱獄院さんほどではないが、やはりかなり恥ずかしいようだ。
それにしても、俺も成長したものだ。こうして異性とベッドシーンを見ているというのに、そこまで緊張していない。目をつぶることもなくなったし、こうして一緒に見ている奴を気遣う余裕まで出てきた。
これはもうトラウマ克服の日も近いんじゃないだろうか?
なんて、呑気にそんなことを考えていると、隣からか細い声がした。それがあまりにいつもの凛とした声とはかけ離れていて、思わず竹田津以外の誰かなんじゃないかと疑う。
「……っぱり……ん……なの……か」
「どうしたんだ?」
「やっぱり……変、なのだろうか?」
がばっとこちらを見上げた竹田津の瞳からは、大粒の涙がこぼれていた。
「変って……いったい何が……」
「この物語は、男女の恋を描いたものだ。だから……やはり、女同士の恋愛は変なのだろうか?」
心臓に針を刺されたかのようだった。このDVDを見せたのは、あくまで性的な事柄に関して免疫を付けるためだったが、よくよく考えれば、これは遠まわしに男女の恋愛こそが正しい形だと言っているようなものだ。というより、俺はこのDVDを紹介するとき、言ってしまっていた。正しい性の在り方、と。自分の行為がどれだけ軽率だったか思い知らされる。
竹田津の太ももの上に、大粒の涙がぼろぼろとこぼれる。
そうだ、さっき竹田津は自分でも言っていたじゃないか。心の中に男が住んでいるだけで、その実自分はやっぱり女の子なのだと。
俺を心の友だと言ってくれた女の子が、目の前で泣きそうになっている。
こういうときはどうすればいい? こんな経験、したことない。駄目だ分からない。ちくしょう、なにか……なにかしてやらないと。
思考はめぐり、しかし体は動かず、竹田津が溢れ出る涙を自分でぬぐおうとうとしたとき、頭の中で、朱里の声がこだました。
『ヘタレ』
ここで友達の涙をぬぐってやれなければ、俺は正真正銘のヘタレだ。
俺は勇気を出して、竹田津の涙を自分の胸で受け止めるように、その身を抱きしめた。
「変なんかじゃない。大丈夫だぞ竹田津、俺は小さい男の子相手に興奮する男を知ってるし、バットに興奮する女子も知ってる。だから、女子が好きな女子がなんだ。そんなの、全然変じゃない」
最初は正直引いてしまった。でも、今は本心から言える。
「安心しろ、お前は全然変じゃないよ」
じわりと、俺の胸元に涙がしみこむのが伝わった。竹田津がギュッと俺のTシャツを握りしめる。
いつ以来だろう、こうして誰かに自分から触れるのは。全然嫌悪感なんてない。相手が女子でも醜い心なんて何も感じない。
こうして、友達の涙を受け止めることのできた自分が、ただ誇らしかった。
「ありがとう、ありがとう、桜世」
お礼を言うのはこっちだ。おかげで、俺はまた一つ先に進めた。過去のトラウマから、また一歩抜け出したのだ。
自ら竹田津の背中に回しているこの腕が、何よりの証拠だ。