竹刀は男根のメタファーか? ④
剣道部で竹田津の暴走を見た日の翌日、俺たちはいつも通り放課後の文芸部の部室で読書にいそしんでいた。
女子二人はティーカップを片手に優雅なひと時を、俺は湯呑を片手に縁側のおじいちゃんみたいなひと時を過ごしている。なぜ俺だけ緑茶かといえば、朱里が馬渡に、俺は紅茶より緑茶の方が好きだと口添えしたからだ。別々に淹れるのは面倒だろうから俺も紅茶でいいと言ったのだが、マネージャーをやるくらいには世話好きなのだろう、馬渡は頑として緑茶も淹れると言い張った。
そんなわけで、後輩のありがたい一杯を口に含みつつ、ほっと一息ついていると、朱里がまだ読み終わっていない本を静かに閉じた。
「馬渡さん、もう一杯いただけるかしら」
「はいはい、しばしお待ちを」
読書は性に合わないのか、なにやらずっとスマホをいじっていた馬渡が席を立つ。その背中に向かって、朱里が言葉を付け加えた。
「ああそれと、来客用に紅茶……いえ、彼女には湯呑の方が似合いそうね……紅茶じゃなくて緑茶をもう一杯、来客用に」
「誰か来るんですか?」
馬渡がポニーテールを揺らしながら小首を傾げる。
「ええ、もうすぐ来るわ」
はあ……誰かって、この流れだともう決まってるようなものだ。
俺が心の中でため息をついていると、こんこん、と礼儀正しく部室のドアがノックされた。相変わらず誰が来たのかも確かめず、この部屋の女王様は偉そうに手足を組んで言う。
「入っていいわよ」
「失礼する」
凛とした声でドアの向こうから現れたのは、昨日の変態こと女子剣道部の部長――竹達司奈だった。
「ようこそ文芸部へ。紅茶と緑茶、どっちがいいかしら?」
一応聞くのか。もうすでに奥の方で馬渡が来客用の湯呑に緑茶を淹れているはずだが。まあ、朱里のことだ、緑茶という答えを聞いて、ドヤ顔ですでに馬渡が用意してある緑茶を差し出すのだろう。
「紅茶で頼む」
俺は思わず緑茶を噴き出しそうになった。
朱里の予想が外れただと? いや、でもよくよく考えれば、剣道部だし緑茶の方が似合いそうという勝手なイメージで決めていた節もあったし、当然と言えば当然なのか。今どきの女子が緑茶か紅茶かどちらを好むかといえば断然紅茶だろうしな。
しかしそうなると……予想を外した朱里の反応が気になるところである。
俺はちらっと朱里の様子をうかがう。すると、朱里は全く慌てた様子もなく、ティーカップと湯呑を持って奥の方から現れた馬渡に、
「紅茶を竹田津さんに、緑茶は私にいただけるかしら」
機転が利く奴だな。てか竹田津が来てから用意すればよかったのに。見栄っ張りめ。
しかしここで空気の読めない馬渡が、
「あれ? でも来客用に緑茶って」
「緑茶、もらえるかしら?」
「ひぃっ!」
後輩をいじめないでもらえますかね。竹田津が文芸部に変なイメージをもったらどうするんだ。あと笑顔が怖い。
「それで、なんの用かしら?」
竹田津の行動を予測することを諦めたのか、朱獄院さんの時とは違い、朱里がそう尋ねた。
竹田津はティーカップを置くと、爽やかな笑顔で馬渡にお礼を言い、そして居住まいを正してから改めて朱里と向き合った。
「先日の非礼をお詫びしたい」
真剣な表情でそう言って、深々と頭を下げる。下げすぎて、ゴン、と机に頭をぶつけていた。
先日の非礼と言えば、理性を失った竹田津が朱里に襲い掛かったことだろう。もっとも、朱里の合気道によって床に組み伏せられていたが。だから被害はなかったと言ってもいい。いや、むしろ数々の非礼を詫びるのはこちらのほうな気さえする。
ていうか向こうも謝ってんだからお前も謝れ朱里。
そんな気持ちを込めて朱里を見てみたが、当然こいつに謝るつもりなどなく、
「しょうがないわよ、私が可愛すぎたんだもの」
などとのたまいおった。
顔を上げた竹田津はすがすがしく、
「全くだ、あんなもの、我慢できないに決まっている」
「ふふっ、どこぞのヘタレにも見習ってほしいわね」
うるさいよー。
「ヘタレ……か」
と、なにやら竹田津が朱里の『ヘタレ』という言葉に反応した。
「謝罪して早々こういうのも、あれなんだが……実は今日、文芸部の皆さんに頼みごとがあってだな」
相談の次は頼み事か。なんでも屋みたいになっているな。
「何かしら?」
尋ねたのは朱里だったが、竹田津はどうしてか体ごと俺の方を向き、真剣な表情で頭を下げた。
「桜世、聞くところによれば、君はどんな美女に誘惑されても決して自分からは手を出さない紳士の心を持っているらしいな。どうか私に、その秘訣を教えて欲しい」
朱里のやつ、俺がヘタレだのなんだの竹田津に吹き込みやがったな。そして竹田津の不思議な脳みそはそれを勘違いしたらしい。
いや、勘違いじゃないけどね。そうそう、俺はヘタレじゃなくて紳士なだけなんだよ。だがこのままだとめんどくさいことに巻き込まれそうなので、ここは勘違いということにしておこう。
「いや、俺は別に紳士とかじゃな――」
俺がそんな風に面倒ごとを避けようとしたとき、隣で朱里がつぶやいた――あの時と同じく、いつもの台詞にいくらかの失望を込めて。
「……ヘタレ」
「そういうことならまかせとけ竹田津。俺がお前をイギリス紳士にも負けない本物のジェントルマンにしてやる」
馬渡が驚きの表情で俺を見る。
朱里は満足げに笑った。
「本当か! 恩に着る!」
がばっと顔を上げ、瞳を期待に輝かせる竹田津。
ああ、どうすんだよこれ。