竹刀は男根のメタファーか? ③
ふざけた叫び声は一切聞こえず、気合の入った統一感のある声が道場内を満たす。
そうそう、俺がイメージしてた剣道ってのはこんな感じだ。決してあんな風に奇声を発しながら竹刀を振り回すものじゃない。ましてや音楽に合わせて踊りだすなどありえない。
「それで、今日は何しに来たんだ」
「当然、剣道部が竹刀を男根に見立てているかどうか確かめに来たのよ。もっとも、男子は股に挟んでちゃんばらをやっていたのだからほぼ決定だけど。だから、今日のメインはやっぱり女子ね……といっても、今回はもう目星をつけてあるから、あなたたち二人の出番はほとんどないわ。いうなれば目撃者としていてもらうようなものね」
目撃者とな。まあ、なにもしなくていいというのならそれに越したことはないが。
と、やる気のない俺に反して、馬渡はそうでもないようで、
「えー、出番なしですか」
とつまらなさそうに唇を尖らせている。
その後、俺たちは部活が終わるまで練習風景を眺めていた。
目星がついていると言った朱里は、終始黙って腕を組んだまま練習風景を注意深く見守っており、俺と馬渡も見学に来ておきながら立ち話に興じるのも失礼なので黙っていた。正直に言うと剣道部の練習にさして興味があるわけではないので退屈だったが、それでも俺は最後まで剣道部の練習を見届けた。
結局、朱里の言う目星とやらの意味も分からないまま練習は終わり、部員たちが剣道場を出ていく中、竹田津がひとりこちらへ歩いてきた。
「前半のサプライズに比べればなんの面白みもない練習風景だったと思うが、どうだっただろうか?」
「いえ、十分よ。でも、強いて言うなら、試合形式の練習も見たかったわね」
「ああ、いつもは練習の最後にやるのだが……今日は何故か時間が押していた」
おい、理由は明白だろうが。
『試合形式の練習が見たかった』というのは、朱里なりの社交辞令みたいなものかと思ったが、しかし思えば朱里に社交辞令なんて概念があるのかは怪しく、そしてそれを証明するかのように、朱里はとんでもないことを言いだした。
「竹田津さん、せっかくだし、私とお手合わせしていただけないかしら?」
その台詞に、今度は竹田津の開いた口がふさがらなくなる。
おいおい、なに言いだしてんだこいつは。テニス部の朱獄院さんのように全国レベルの選手とまではいかずとも、剣道において竹田津は県内で有数の選手だ。初心者の朱里が相手になるはずもない。
これだけでも頭のおかしな提案だというのに、しかし我らが部長はあろうことかさらに頭のおかしな条件を付け加えた。
「防具はなしでいいわよ」
俺は素人だから防具なしの剣道というのがどれほど危険なのかわからないが、しかし、普通は防具をつけてやるものなのだから、相当に危険に決まっている。竹刀だって木刀ほど固いわけではないだろうが、言ってしまえば竹の棒である。そんなもので思い切り叩かれたら無事じゃ済まないだろう。
実際に剣道をしている竹田津はそこら辺を俺以上に理解しているからだろう、表情は険しかった。元々が真面目そうな顔つきなのだ、今の表情はともすれば怒っているのではないかというほどだった。
「危険だ。それはできない」
当然だ。しかし、朱里が一度言ったことを取り下げるはずもなく、
「大丈夫よ。素人の攻撃くらい簡単に防げるでしょう」
「そういう問題じゃなくてだな……」
「あら、私なら大丈夫よ。一本もとらせないわ」
不敵に笑う朱里に、竹田津は幾分かプライドが傷ついたのか、ややむっとした。しかし、それでも防具なしの打ち合いという危険な行為を認めるわけにはいかないのだろう。断固として拒否する。
「お互いの腕前の問題じゃない。とにかくダメなものはダメだ。やるなら、ちゃんと防具をつけて――」
「なんで駄目なのかしら?」
「危険だからだと言っているだろう……」
「本当に?」
朱里の鋭い視線が竹田津を射抜く。心の奥底を覗こうとするかのような視線に、竹田津は、恐らく無意識にだろう、半歩後ろへ下がっていた。
「……ど、どういう意味だ?」
朱里がさながら剣道のすり足のような足さばきで一歩距離を詰める。
「他に理由があるんじゃないの?」
何を言っているんだこいつは。危険だからという理由以外に、竹田津が防具なしでの打ち合いを拒否する理由があるとでもいうのだろうか。俺にはせいぜい失礼だからとかそういう理由しか思いつかない。
朱里がさらに竹田津へと顔を近づけ、竹田津の揺れる瞳を覗き込む。
「たとえば、打ち合っているときの顔を面で隠さなければいけない、とか」
その瞬間、竹田津の顔にあからさまな動揺の色がみえた。
「な、なにを言っている……」
「見られたくないんでしょう? 打ち合うとき――いいえ、打ち込むときの表情を」
口元に笑みを浮かべる朱里に対し、竹田津は白い肌の上に玉のような汗を浮かべつつ、たじろぐ。
「言っている意味が……分からないな」
「だったら、実際にやってみましょう」
そう言うと、朱里は詰めていた距離をあっさりと離し、剣道場の隅にある竹刀置き場から一本の竹刀を、流れるような動きで引き抜いた。そしてそのまま、さながら西洋の騎士が相手を挑発するように、竹刀の切っ先を竹田津に向ける。
「何を心配しているのかしら。大丈夫よ、あなたが私から一本取ればすぐに終わるんだから」
県内有数の選手に対し、あまりにも傲岸不遜。ここまでやられては、竹田津も黙ってはいられなかったのだろう。眉間にしわを寄せ、防具を付けずに竹刀を構える。
「一本取れば、終わるのだな」
「ええ、取れればの話だけど」
不敵に笑う朱里に対し、竹田津は挑発が癇に障ったのか、さらに表情を険しくした。
俺と馬渡はあまりの出来事に何も言えず、火花を散らす二人の様子を、かたずをのんで見守る。
一歩、竹田津が動いた。
その瞬間、到底一歩で埋まるはずのない二人の距離が、一瞬で縮まる。驚きの表情を見せたのは竹田津だった。竹田津が一歩動いたのを見て、朱里が一瞬でその間合いを詰めたのだ。
突如目の前に現れた朱里に、竹田津が思わず後ろに下がる。
「な、なんだ今の……朱里のやつ、瞬間移動しなかったか?」
「あれは……縮地ですね」
「しゅくち……なんだそれ?」
「縮地というのは、格闘技なんかで使われる技でして、特殊な足さばきを用いて、あたかも一瞬で相手との距離を詰めたかのように見せる技です。聞くところによれば、これが使えるかどうかで空手や剣道の技が決まる確率が全然違うとか」
そんなアニメみたいな技が実際にあるのか。ていうかなんで朱里に奴はそんな達人みたいなことできるんだよ。
「詳しいんだな……」
「はい、野球部のマネージャーになるか剣道部のマネージャーになるか悩んでいた時期がありましたから」
「そうか」
「どうして野球部を選んだか聞かないんですか」
「いやだ聞きたくない」
ろくでもない理由だって知ってるんだもん。
と、俺たちがわき役の解説みたいな会話をしていると、竹刀のぶつかり合う音が剣道場内に響いた。
朱里がただの初心者ではないと判断した竹田津が、容赦ない一撃を放ったのだ。朱里がそれを受け止めている。そして竹田津が、必死な形相で、続けざまにあらゆる角度から竹刀を振るう。
朱里はそれを華麗な足さばきでかわし、受け流す。
「朱里先輩って剣道の経験があるんですか?」
「ない……あいつが習い事とかをやってたのは、合気道をちょっとやってたくらいだ」
「……それにしては、上手すぎませんか」
馬渡が驚くのも無理はない。目の前で行われている剣道の野良試合は、素人目に見てもレベルが高かった。今のところ攻めているのは竹田津だが、それを完璧に防いでいる朱里には余裕が見られる。むしろ、余裕が見られないのは竹田津のほうだった。
竹刀を朱里に打ち込むたび、その表情が必死なものになっていく。
そんな竹田津を、朱里は時に間合いを詰め、詰めたかと思えばまた離れ、決して無理な攻めに転じることなく翻弄してゆく。
「くっ……はぁ、はっ……はぁ……」
段々と、竹田津の呼吸が荒くなってきた。心なしか顔も赤くなってきている。しかし、竹田津は攻めを緩めることはなく、むしろ先ほどまでよりも激しく、どんどん攻撃的になっていく。
激しくなっていく攻めに対し、防御に徹する朱里の額にも汗が見られた。
竹田津の猛攻に、朱里は攻めに転じる余裕がないのか、勝負は一貫して竹田津が攻めのまま時間だけが経過する。
「桜世先輩……おかしくないですか?」
隣で馬渡がそう呟く。
「なにがだ?」
「いえ、その……竹田津先輩の様子といいますか、表情といいますか……とにかく……こう言ったらあれですけど、なんか竹田津先輩、興奮してません?」
「興奮……?」
馬渡の言うことを確かめるべく、その表情を観察する。すると、馬渡の言う通り、頬が朱に染まり、口角はわずかに吊り上がっていた。
打ち合う朱里もまたそれに気付いたのか、荒い息を吐く竹田津と一度距離をとり言う。
「あら、どうしたのかしら、そんなに興奮して」
その言葉を聞き、もはや隠す気もないのか、竹田津はあからさまな笑みで以て答えた。
「君がいけないんだ。もう、手加減はできないぞ」
「ええ、もとよりそのつもりよ」
妖しく笑う朱里を見て、竹田津は目を見開き、これまでよりもさらに早いスピードで距離を詰める。そして、もはや狂気すら感じさせるほどの笑みで竹刀を振りかざした。
大きな音が剣道場に響き渡る。
振り下ろされた竹刀は朱里の竹刀で受け止められ、両方ともが折れそうなほどに軋む。危険だから防具をすべきだと言っていた竹田津の姿はもうそこにはなく、ただひたすらに相手に竹刀を叩きつける狂戦士の姿がそこにはあった。
「おいおい、なんだよあれ、危なくないか……一発でもくらったら大けがするぞ」
あまりの激しさに、思わず俺と馬渡はつばを飲み込んだが、打ち込まれている当の本人は汗をかきつつも余裕の笑みを崩さない。
「ふふっ、そんなに興奮しちゃって、よほど、嬉しいのかしら」
まるで誘うような表情に、竹田津がさらにヒートアップする。
「ああ! 嬉しいね。ここまで打ち込んでもまだそんな顔ができるなんて!」
きっと竹田津は、強い相手に出会って竹刀を打ち込むのが好きなのだろう。まるで漫画に出てくる戦闘狂のような表情だ。なるほど、竹田津は今の表情を見られたくなかったのか。
俺のそんな予想は、しかし半分はずれていた。
「ああっ! はぁ、こんな、君みたいな可愛い子にこんなに激しくできるなんて、初めてだよ!」
ん……? なにか、なにかおかしくないか。朱里が可愛いことは今関係ないはずだが。
竹田津の振り下ろす竹刀を受け止め、そのままつばぜりあいに持っていきながら、朱里は興奮した様子の竹田津に顔を近づける。
「可愛いだなんて、嬉しいわね……もっと、好きにしていいのよ」
誘うようなその言葉に、竹田津は鼻息荒く、血走った目で竹刀を激しく打ち付ける。
「はぁ! はぁ! いいっ! いいぞ! 最高だ!」
右に、左に、理性を失ったかのように乱雑に振り回される竹刀を軽くかわしながら、朱里がついに核心に迫る。
「やっぱりあなた、竹刀を男根に見立てているわね」
そんな……そんなことがあっていいのか。認めない。俺は認めないぞ。
そんな俺の心の叫びもむなしく、理性を失い獣と化した竹田津が声高らかに叫ぶ。
「ああ、そうともさ! これは私の竹刀であり、男根だ! だからもっと……もっと君にこれを打ち付けさせろおおおおおおお!!!!!!!!!」
現実とは、かくもはかなきものかな。
女子剣道部部長、竹田津司奈はとんでもない台詞と共に、朱里の色っぽい微笑みに誘われるがまま突撃した。
そして次の瞬間、竹田津の握りしめていた竹刀が宙を舞う。
あとから聞いた話では、この時朱里が使った技は『巻き上げ』という相手の竹刀を弾き飛ばす高度な技らしく、俺たちはこの時、我らが部長の才能が剣道でも発揮されることを見せつけられたわけだ。
だが俺はそんなことよりも――美しく回転しながら宙を舞う竹刀よりも――朱里を押し倒そうとして合気道の技でねじ伏せられる変態の姿が目に焼き付いて離れなかった。
要するに、女子剣道部部長の竹達司奈は、竹刀を男根に見立てて女子に叩きつけることで興奮する変態だったのだった。
本当に、この学校にはろくな奴がいない。