あとがき
最後までお読みいただき、誠にありがとうございます。
あとがきから読むという方は、また後でお会い出来たら嬉しいです。
こんにちは。
作者の和泉龍一郎です。
前作『虹の果てで待ってる』からあまり間を開けずに本作を発表出来たことを、自分で驚いております。
それは前作において、様々な方にお読みいただき、ご意見をいただけたことが大変嬉しく、またあの感動を味わいたいと心から思ったからに他なりません。
感想、評価、ブックマークなど、すべてが作者の励みになります。
どうか今後とも応援のほどよろしくお願いいたします。
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さて話は変わりますが、本作中で主人公が『人は誰でも一作は小説が書ける』という通説に対し、強い批判の言葉を述べております。
主人公=作者では決してありませんが、私自身もそう思っております。
確かに小説は言葉の読み書きが出来れば、性別も年代も身分も経歴も問わず誰でも書くことが出来ます。とある作家が小説家を『最後の仕事』と表現したのは的を射ていると思います。
しかしそれと『誰でも小説が書ける』は両立しないと考えます。
まず普通の人は、小説が書けません。
書けるほうがおかしいのです。
私の知り合いに、小説が書けなくて苦しんでいた男がおりました。
あるとき、彼とリレー小説を書くことになりました。
しかし私がすぐ書いて彼に渡すのに対し、彼はなかなか書いてこず、やがて書けなくなり、そのリレー小説は未完となってしまいました。
そのとき私はプロになったときのための予行演習として(売れっ子作家は複数の連載を持っていることがほとんどですので)、自分の小説を書きつつ同時並行でリレー小説も書くという、二作同時並行に慣れるための言わば『一・五作同時並行』を経験したいと意気込んでいたのですが、彼のパートを待っているあいだに自分の小説のほうが完成してしまいました。なので何の練習にもなりませんでした。
思い返せば同じような経験を、子どもの頃にもしていました。
国語の授業で、班のメンバーでリレー小説を書いて提出するという課題が出た際、私以外の人間はだりいとかうぜえとか何書いていいかわかんねえとか口々に文句を言い、適当に書いて回していましたが、班のなかで私だけが他を圧倒する分量を書き、他の人の展開を知りたがり質問責めにし、早く書きたい、続きはどうしようかなと四六時中そわそわしていました。
しかしその熱意の裏で、子どもながらに何となく気づいていました。
誰も彼も、自分のように小説が書けるわけではないのだ、と。
自慢話のように、マウントを取っているように感じられたでしょうか?
でも今の話に対してそう思うのでしたら、あなたは少なくとも、小説家──生み出す側に回ろうとしたことがあるのではないでしょうか。
そしてどこかで生み出すことを諦めて、受け取る側へ回ったのではないでしょうか。
この小説を書いた動機の一つは、そんな方々に対して「小説書くの面白いよ! つべこべ言わず好きなように書いてみようぜ! 頭おかしくなろうぜ!」と楽しさをアピールしたかったからなのかもしれません。
それはもしかすると残酷な言葉なのかもしれません。
小説を書くのは正直めんどうくさいです。寝転がってスマホをいじって適当に動画でも見ていれば日常は過ぎていきますし、忙しい日々のなかで疲れた心身に、さらに鞭打って小説を書けなんて言うことは、人として道を踏み外している行為なのかもしれません。
でも、私はそれが楽しい。
生きている、と感じます。
小説を書くことに出会っていなかったら、とっくの昔に死んでいたと思います。
そんな頭のおかしい人間が書いた本作を読み、一人でも多くの方が生み出す側へ回って(戻って)くれたなら、作者としてそれ以上の幸せはありません。
書き続けていれば、何とかなりますよ。
では、また次の作品でお会い出来ることを願っております。
──一緒に世界、変えようぜ!
(2021年10月2日 漫画原作者・神先史土先生の訃報に触れながら)
(遅ればせながら、逝去の報に接しました。今の自分があるのは先生のご指導のおかげです。大変お世話になりました。ご冥福をお祈りいたします)




