【裏話】或る可哀想な男と悪魔の話、の前の話
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男は悪魔を喚び出す方法が書かれた不思議な本を読んでいました。
「ふむ……悪魔を喚ぶのに成功したら、どっちみち魂は取られるのか」
そこには以下の説明があります。
一、悪魔は誰にでも喚べるわけではない。
二、喚び出した悪魔は三つの願いを叶えると、召還者の魂を奪う=召還者は死ぬ。
三、願いを三つ叶える前に寿命を迎えると、やはり魂を奪われる。
四、悪魔は魂を奪うまで―――つまり召還者の願いを三つ叶えるか、召還者が寿命で死ぬまで、魔界に戻らない。
五、悪魔は魔界に戻るまで、他の人間の願いを叶えることはできない。
「つまり、身代わりに願いを叶えたい人間を立てて、そいつの魂を渡して魔界に帰って貰うってのは無理なんだな。何か抜け道はあるのかな」
男はほんの暫くの間、想像をします。
そして、悪魔を喚び出す手順に取りかかりました。
◆◇◆◇◆◇
『……ほう。私を喚び出したのはお前か。さぁ、願いを言え。お前なら世界中の全てを恐怖に陥れることも夢ではない』
煙と共に現れたのは、とても美しい悪魔。
白い肌に大きな黒い瞳。桜色の唇からは甘い声。
長く黒い絹糸のような髪を持つ頭から大きな角が生えてはいますが、それを除けば世界でも類を見ない美男子です。
「…………。」
『恐ろしくて声も出ないか?何せ魔界の王たる私を喚び出してしまったのだからな』
「ううん、ちょっと想定外だっただけ。悪魔ってもっと恐ろしい見た目だと思ってたから」
『ははは。この方が人間を惑わすのにも都合が良い。本来の姿を晒すのは小物の下級悪魔のやることだ』
「あ、やっぱり変身してるのか。ちょっと本来の姿を見せてくれない?」
『良いのか? 以前興味本位で同じことを言った人間は恐怖のあまり死んでしまったぞ』
魔王は嬉しそうにそう言うと、男の返答を待たずに本来の姿を現しました。
その身体は天井に届きそうなまで高く、壁に付きそうなほど膨れ上がり、肌は黒い鉄のようにピカピカした鱗に覆われています。
魔王の周りには黒い靄が立ち込め始めました。
「……わーお。これは恐すぎだ。ちょっと厳しいな」
『厳しい……? ふふふ。強がっているのだろうが、腰を抜かさなかっただけでも人間としては大したものだぞ』
「あぁ、違うよ。あんまり恐すぎるのも商売にならないなぁ、と」
魔王は一瞬で美男子の姿に戻り、その柳のような眉をひそめました。
『商売? なんの話をしている? 金ならお前が願えば世界一の金持ちになれるぞ』
「あ! ねえ、ちょっとこの本の、四番目の項目なんだけどさ」
『……お前、さては他人の話を聞かないタイプだな』
「話をする他人が誰も居ないけどね。僕はずっとひとりぼっちだったから。それよりこの本……」
『おお、寂しいのか! これは実に人間らしくて良いな。お前が願えば世界中の美女を集めたハーレムを作ってやろう!!』
魔王は一気に機嫌が良くなりましたが、反対に眉をしかめる男。
「……そっちこそ他人の話を聞かないじゃないか。だいたい魔王を喚ぶつもりなんてなかったのに」
『なっ! この私に、たかが人間の分際で無礼な!』
魔王の全身からぶわりと、闇の力の靄が溢れだします。
魔王と男はしばらく睨みあいますが、やがて男の方から口を開きます。
「じゃあ、なんで魔王が来たのか教えてくれれば無礼は謝る。ごめん。偶然かい?」
『……まあそれもあるが、お前のような心の闇が大きく膨れ上がっている人間は珍しいからな。とても美味そうな魂だ!』
「ところでこの本の四番目の項目なんだけどさ」
『…………なんだ』
魔王はなんだか調子が狂いました。どうもこの男は様子がおかしいのです。
魔王が無礼だと少し怒ったフリをして見せた時、男は謝ったとは言え、大して動じていませんでした。
美味そうな魂だ、と喰うことを示した時ですら平然としています。普通の人間なら恐怖に震え、逃げ惑う者もいるのにです。
(感情が抜け落ちて産まれたのか?……珍しい人間だ)
「"悪魔は願いを三つ叶えるか、召還者が寿命で死ぬまで、魔界に戻らない"ってあるけど」
『それがどうした』
「寿命じゃなくて事故なら魂は奪われないのか?さっき魔王の姿を興味本位で見た人間が死んだって言ってたけど、それは事故扱いだろ」
魔王は笑いだしました。今まで散々かわいくない口をきいていたこの男は、結局魂を奪われたくなくて足掻いていたのか! と思ったのです。
『それは魂を奪うに決まっている。死因など些末なことだ。そもそも、悪魔を喚び出した人間が誰かの死に関わるようなことがあれば、それらの魂は全て悪魔の手に落ちるのだ』
「ふーん、やっぱり抜け道はないんだね。でも悪魔もでしょ?」
『……ちょっと待て、何をしている』
男は靴の泥で汚した小枝を使って、本に書き込みをしています。
「何って、四番目の項目に追記してあげてるんだよ。寿命で死ぬまで、の所に事故で死んでも、って」
『それは魔界から産み出された、わりと貴重な本なのだが……せめてペンで……』
「僕は貧乏だからペンなんて買えないさ。嫌なら魔王が魔法でペンを出すか文章を直してくれ」
『……まさかとは思うが、それが一つ目の願いではないだろうな』
「そんなわけないだろう。僕を馬鹿にしてるのか?」
じろりと睨む男に魔王は内心で首をかしげます。
(はて。感情が抜け落ちた人間なら馬鹿にされたと言うものか……?)
「できないんならいいや。ね、悪魔って寿命長いの?」
『悪魔に寄るがな。私ぐらいならば二十万年近く……ん?』
なおも本に書き込みをする男。
見ると、四番目の項目の"ら"を"れ"に書き換えたり、六番目の項目を追加して悪魔の寿命について~と書き始めるなど好き勝手をしています。
これには流石の魔王も焦りました。
このままでは本が悪魔の生態を記したレポートになりかねません。
『もしや人智を越えた知識でも手に入れたいのか?お前が願えば世界一の智恵と知識をもたらしてやろう』
「……うーん。面白そうだけど僕が世界一になっちゃったら、誰も僕との話し合いに勝つ人はいなくなるし。……あ!そうだ」
『なんだ』
「一つ目の願いは寿命を延ばしてよ。あと二十万年」
『は?……いや、それは無理だろうな』
「無理かぁ。じゃあ今の魔王の残り寿命からー1した年数を、僕の残り寿命として延ばすならどう? つまり魔王の1年前に死ぬってことだよ」
(この男、なんという屁理屈を!……まあいい。どうせ寿命がいくらあってもそれを全うする前に残り二つの願いを叶えさせれば良いだけだ)
『あいわかった。契約成………』
「あ! ごめんちょっと待って!」
『なんだまだあるのか』
魔王は流石にちょっとイライラしてきました。これ以上この面倒な男と付き合いたくないと思い始めています。
「先に、二つ目の願いを言っておきたい。僕が生きている間の世界平和だ」
『……はああああ!?』
「最初に、世界中の全てを恐怖に陥れることも可能って言ってたじゃん。じゃあ逆もできるよね? 皆が安全で、質素でも食べるものに困らないくらいで良いからさ」
『いや、それは……難しいな』
「良かった!難しいだけで無理じゃないんだ。じゃあ一つ目と二つ目、まとめてお願いするよ」
男はニコニコとそう言いますが、魔王にはその真意がわかりました。
(この男は聖人ではない。本当は世界平和など、どうでもいいに違いない。望んでいるのは私への嫌がらせだ。)
男は、もう気づいているのでしょう。
"悪魔は召還者の願いを三つ叶えるか、召還者が寿命で死ぬまで、魔界に戻らない"
その一文は、既に男の手によって"戻れない"に書き換えられています。
そして、先ほどの男の言葉。
"ふーん、やっぱり抜け道はないんだね。でも悪魔もでしょ?"
"できないんならいいや"
悪魔が魔界に戻る抜け道は無い。
そして願いの力を使わず、悪魔が人間界に介入するのは極めて難しい。せいぜい怒ったフリで恐がらせたり、美しい姿に化けて人間を誘惑する程度。
今まではそれで問題ありませんでした。
普通の人間は恐がらせたり、口先で誘惑すれば、あっという間に破滅します。
ごく稀に願いを二つだけ言って寿命を迎える人間もいましたが、魔王にとって人間の一生はとても短いのです。魔王の時間感覚なら40年は3日程度でした。
しかし男はこれから先、魔王の残り一生という悠久の時を人間界で平和で退屈に過ごしてもらうぞ、と言っているのです。
長い平和で退屈とは、悪魔にとって拷問そのもの。
そしてその間傍らには、この面倒臭い男がずっと付き添うのです。
魔王は遠い昔、幼少期に父王へ抱いた感情を思い出しました。それは、人間で例えるなら恐怖です。
『~っ!……できない!!』
「できないじゃなくて、したくないだろ。やれやれ。魔王ってのは意外と正直なんだね。お陰で助かったけど」
『~~~!!!』
もはや魔王の男を見る目は人間に対するそれではありません。
「……あ、このアイデアには1つ穴があるなぁ。僕はそこまで長生きしたい訳じゃなかった」
『よし! ほかの願いにしよう! 面白おかしく充実した短めの人生の為に全力で協力するぞ! やっぱりハーレムはどうだ?!』
「だからそういうのは要らないってば。しかもそれで一生僕に縛り付けた人間の魂も魔王に渡るんでしょ?面倒臭いわ」
『面倒臭い……お前にだけは言われたくない言葉だ』
「……あ! 悪魔が相手なら良いんじゃない? 僕と楽しい話をしてくれそうで、見た目が魔王ほど恐くなくて、悪魔の力は大したことなくて、寿命が長いやつ! 喚んでよ」
『たとえ願いを使っても悪魔を簡単には喚べんぞ。お前の魂の所有権が2体の悪魔どちらの物か? ということになる』
「んー、僕の担当を新しい悪魔に交代すれば?」
『それだ!!』
「一つ目の願いはそれにするけど、喚ばれた悪魔に僕が満足しなけりゃ願いは叶わないからね」
『わかったわかった。えー、見た目がそれなり、力は弱めの下級悪魔。そしてお前のような屁理屈を言うタイプで、寿命長めだけが取り柄と……。ちょうど良いのがいる』
「寿命長いってどれくらい?」
『ざっと十万年と少しくらいか。人間界の1年は奴にとっては2時間26分くらいの感覚だ。あと最近妙なキャラ作りをしているせいか、話し方がちょっとアレだが』
「いいよ。でも一応喚んだ後、軽く話してテストするね。正直、魔王はちょっとピュアだったし」
『……………ぐっ……………承知した。契約成立だ』
魔王は男の言葉を侮辱と思い歯噛みしましたが、一刻も早くこの面倒な男から離れたいので、さっさと下級悪魔を召還する魔法を使いました。
◆◇◆◇◆◇
男が新しい悪魔に"満足した"と言った瞬間、魔王は引継ぎもせずに魔界に帰りました。
『……とてもヒドイ人間だった。"抜け道"を見つけてくれたことは良かったが、なかなかこの方法は使えるものではないしな』
魔王は自分の椅子に背を預けました。
『まあしかし、無事に本も回収したし、あの男も願いを一つ使ってしまったし。あの下級悪魔もそうヒドイ目には遭わないだろう』
そう。この魔王様は男の言うとおり、ちょっとピュアだったのです。
新しい担当になった下級悪魔が、今頃たった一つの願いで、とっても"可哀想な"目に遭っていることなど想像もできなかったのですから。