ⅵ話「追いかけっこⅱ」
広い。
敷き詰められた木の床に、滑るくらいのつるつるとしたコーティング。
魔力の類か、或いは手間のかかった科学の力。
木の角材が、何個もの十字を――食堂のように――作っている。
高い天井に、ただ広い床。
ここは、最初の座標――つまり、体育館であった――。
「まさか、ここにいるとはね」
「待ってたんですよ、先生?」
廊下には、縄に縛られた五と四の二つの束、計九人の生徒。
「まさか、その子達を人質に?」
「いや、そんなことはしない。最後の追いかけっこをしに来ただけさ」
ルカが見つめた先、そこにいたのは深い海から色を付けたかのような藍色の髪を左の、低い位置で纏めているが、余った髪が項より先を覆っている少女。
「二年生でありながら、特待生兼全学年総合での演習結果で二位の、通称『凍土の女王』様、か」
「あなたも、それが好きですか?」
「いいや、生憎と名誉には興味がなくてね」
「そうですか」
お淑やかな、まるで自らの持つ「お嬢様」を発揮してくる少女は、その綺麗な砂浜色の目でじっとルカを見つめる。
「じゃあ、その子達は解放しても」
「君が俺に従って、両手を上げて身体検査に協力してくれるなら、それが終わったあとで解放したいと思っているよ」
「……やはり、そこら辺の庶民と変わらないんですね」
「生まれは中流階級だからね」
二人による、挨拶代わり――片方は罵り、もう片方はマイペースだが――の会話は、その水面下で魔力が恐ろしいほどまでに舞っている。
それは、捕まっている生徒達にすれば見なくても分かることであった。
「さて、挨拶も済みましたし、そろそろ決着をつけましょうよ。私は、あなたをこれから嘲るためにも、あとついでに、その子達を解放するためにも、ここで負けるわけにはいきません」
つま先で立ち、両手を組んで伸びているその姿は、その見た目に騙されれば猫の伸びのそれだが、その実状は猛獣の、狩猟前のルーティンといったところであろうか。
「俺だって、君達に授業を円滑に受けてもらえるようにするためにも、負けるわけにはいかない」
そういって両肩を回すルカも、同じく猛獣である。
ここには、既に決まり、凝り固まった強弱による上下関係はない。
どっちがこれから食い下がるのか、それを決めるための争いなのだ。
お互い、一歩も退かない覚悟を見せつけたところで、やっと動きが見えた。
先に動いたのは、藍色の少女。
「『氷塊』!」
体育館の真ん中に現れた、光の反射で館内を装飾してしまう程に綺麗な菱形の氷。
だが、それはか弱いものではなく、威圧感を与えるほどの大きさを持っている。
(氷魔法にはそこまで詳しくないけど、こんだけのものを短略詠唱で出せるとは……もしかしたら)
「この子に見蕩れてる暇は与えません! 『雪解け』!」
「なっ」
ルカの目の前にあり、それは「熱程度では溶かせない」と言わんばかりの威圧感を出していた氷が、一瞬で水と化し、体育館全体を霧となって舞う。
「馬鹿なっ、これだけの氷を、一瞬で……?」
「さあ、こんなので驚かないでくださいね。『凍土』っ!」
少女の発した言葉によって、この体育館内に、激しく寒風が吹く。
ルカの、霧に当たった部位、つまり全身が一気に冷え始める。
「……おい、これって」
「軍学校で習った程度の防御魔法じゃ、私の魔法をすり抜けることはできませんよ、先生?」
チっ、と舌打ちをすると、勢いよく上へと跳ねる。
天井へとぶつかる直前で、十字の木を使って横へと跳び、寒さから逃れる場を見つけようとする。
だが、
「無駄ですよ。もうこの体育館は、私の庭です」
「なんだっ……て?」
少女の言葉に、先程までとは比にならないほどの驚きを見せる。
それは、氷魔法という情報なしの敵が、想像以上の実力を持っていたからであるが、なによりも、その歳に見合わないその実力が、加減のない狂い方をしているからでもある。
「これほどの魔法――三段階目までいっててもおかしくないもの――を、短略詠唱で、しかもその歳で」
「ほら、ぼーっとしてると、内臓までも凍りますよ、『氷牙』っ!」
「くっ……!」
瞬く間もなく形成された、象牙のような氷が、下から突き上げるように飛んでくる。
すぐに回避をし、やっと地に着いたところを、少女は見逃さない。
しっかりと目で追い、常にルカを視界に捉える。
「『氷華、展開』っ!」
一息つこうとしたルカの足元には、まるでタンポポのように広く円形に花開く、一輪の氷が現れる。
「くそっ!」
またすぐに上へと跳ぼうとするが、直線上に、使う魔法のせいか涼し気にしている少女がいる、つまるところ“絶好の機会”を手放そうとは、考えなかった。
少女に向けて足先を変え、跳ぼうとするが、その瞬間、少女の顔に浮かんだのは笑みだった。
不敵な笑み。
「そんなことしてちゃ、先生じゃなくて猿って呼びますよ?」
「これ、まさかっ」
「はい『水面』、そして『氷結』」
ルカが掴もうとしていたのは、少女であった。
そうだと思い込んでいた。
今、ルカが掴んでいるのは水だ。
いや、正確には掴んでいない、“掴まれている”。
少女の手から放たれそうになる小さな氷の塊から逃げるように、勢いよく手を引くと、その氷の塊は大きくなり、形を変えようとしている。
「『氷剣』」
落ち着いた表情で発した言葉に反応するかのように形を変えた氷は、その柄に紋章――ルカの記憶にある、槍を噛む白馬――が刻まれた剣となり、それはルカへと振るわれた。
回避行動を取ると、既に少女は身の回りに水を貼っていなかった。
「その紋章」
「お話は後にしましょう。まあ、できるなら、ですけどねっ」
勢いよく振るってくるその剣筋は、気品溢れた、綺麗なものであった。
それに対応するかのように避けるが、それに限界が来ると、右手のライフルで剣を止める。
「先生、意外とやるんですね。今までの先生なんか、凍土の時点で逃げ出しましたよ?」
「極寒地域での戦闘は、少し経験していて……ねっ」
力を入れて剣を押し返すと、よろける素振りを見せた少女。だが、よろけることなく、低い体勢で左に半回転し、ルカの背中を突こうとする。
もちろん、そんなのは予測の範疇であり、ルカは半回転中の少女の脇腹に、強く銃床を当てた。
「うっ」
「これでやっと一発か」
それから、脇腹を抑えるようにしてルカから距離を取り、氷を放とうとしたが、一度攻撃を当てた時点で、ペースはルカにあった。
「『氷牙』っ」
「無駄だっ」
少女に足を向け、跳んだことで、前へと加速し、少女に突進することとなる。
少女に向けた銃剣が、見事に少女が氷を生成している右手に刺さり、それが壁をも貫く。
「いっっっ、た」
「これがっ」
すぐに銃剣を取り外し、銃身で左肩を殴る。
その後、踵を地に叩き、後ろへ勢いよく跳ぶと、ポーチから紫の光を纏った弾を取り、ブリーチ部に装填し、撃鉄を引く。
「おれのっ」
麻痺しているのか、上手く動いていない左手を、それでも右手へと持っていき、刺さっている短剣を抜こうとしている少女は、撃鉄の小さな鉄音にハッとして、ルカを見つめる。
至近距離で睨み合い、殴り合っていた時は、それなりの大きさだと思っていた少女が、自らが距離を取ったことで小さくなっていた。
だが、その狙いは確実に一つ。
先程の少年、ベネットにやったのと同じように、胸部へと対魔法弾――しかし、ベネットのとは違い、防御魔法で防げない強力な特殊弾――を撃ち込むことであった。
「じつりょくっ、だあっ」
引鉄を引く。
カチっ、と小さく鳴ると、それ以上に大きな火薬の爆発音が響き、その衝撃で弾の先端部が飛び出す。
それは、卵から孵り、殻を置いて大空へと飛ぶ鳥のように。
紫を纏った弾丸は、少女の歳の割に膨らんだ胸に跳ね返されることなく、逆に潰す勢いで当たり、やがて、その紫の衣で少女を包むようにして、当たった部位の周りを光らせた。
「なにっ、こっ、れ」
「ここで、一発を、使ってしまうとは、ね」
少女の驚く声を聞き取ると、安心したようにゆっくりと立ち上がり、息を整え、肘や尻を叩きながら近付いていく。
「対魔法用特殊弾。アヴァリム軍の魔法研究課によって製作された、五段階目までの魔法を封じることのできる弾。一発が高いから、そこらの一般兵や、尉官じゃそうそう持てるものじゃないさ」
「あなたは」
「ネイヴ」
「……前に来たキングですら、持ってなかっ」
「三年あるうちの一年のキングなんて、奇跡に過ぎないよ」
「じゃあ」
「『スリー・クラウン』」
目の前の少女が、痛みに耐え、なんとか余裕を持とうと瞑っていた目を開き、痛みを和らげるための呼吸をも止めた。
だが、今の少女を内部から襲うものは、痛覚よりも驚きに傾倒している。
「まさか、軍学校内で二十年振りに現れたスリー・クラウンって」
「俺だよ」
青年と少女の間を、沈黙が吹き荒らす。
普通に忘れてました。
というより、「まだ三日くらいしか経ってないだろうな〜」って思ってたら、一週間も経っていたことに驚きました。
僕の性癖短編を書いてるのと、学校に行く回数が少なくなったせいで、執筆スピードが落ちてます。ストック切れたら一ヶ月くらい掲載を休みます。許してください。