「ルカ・フェアバンクス」
「お父さん!」
少年の声。
恐らく、遥か昔の。
「この本みたいに、冒険をしてみたい!」
「おお、冒険者か。いい夢だ」
優しい、老いたのが分かる低い声。
「しかしな、ルカ。もう、冒険者は」
これは、少年が意志を、固く鋭い意志を持つきっかけとなった出来事。
そして、ここから先は、その少年の意志が崩れた出来事。
「我々は、肉を、パンをたっぷりと腹に溜め込んだこの豚共を殺し、自由と秩序を!」
「「「自由と秩序を!」」」
「市民の秩序を!」
「「「市民の秩序を!」」」
崩される家々。
それは、自然現象などでは決してない。
怒りに頭を侵され、これまでの復讐と言わんばかりの攻撃によって、崩される。
蟻のように長い集団が、国を代表するかのような青の軍服を踏み躙る。
列を成し、銃を持ち、城を見上げる市民。
「国連軍の皆様、どうか……どうか、カティだけでも助けてあげてください」
そこには、怯える小さな女の子と、日頃の優しげな表情から一転し、もはや血が残っていないのではと考えられるほどに青ざめた、小太りの男がいた。
およそ、この暴動の主犯格であるが、これを言われた目の前の青年は、そんな目で見ていなかった。
「アルマン様は……アルマンご夫妻はどうするおつもりですか!」
青年は叫ぶ。
「カティを……カトゥリン様を一人にするおつもりですか! そんなのって……」
その、悲しげだが、覚悟をしている表情の裏にある、慈愛に語りかける。
しかし、返答は表面を重視する。
「……彼女は強く生きていける。強く、強く」
「お父さん、お母さん! 私、まだ、お父さんとお母さんに」
その言葉に、思わず慈愛が出たが、それはすぐに消えた。
片方の、綺麗な衣装に身を包んだ、とても美しい女性は、涙をすぐに拭うと、愛娘を抱き締めた。
「カティ……幸せになってね」
「お母さん……! そんなの、嫌だ、嫌だ」
目を見開き、それから涙をより多く流しながら首を振る少女。
抱き締めた母も、きっと首を振りたかっただろう。
しかし、母は手を離し、青年に託した。
「お願いします、ルカ様」
「私からも、どうかお願いします」
少女を受け止めたルカは、その覚悟の目に、ついには口を閉じ、少女を連れた。
「ご無事で、アルマン夫妻」
「……」
「お父さん! お母さん! 嫌だよ、私!」
それから、青年は少女を抱いたまま、火や弾を撃ち込まれる城を飛び出した。
「ルカ、どうにかしてよ! 国連なんだから、なんでもできるんじゃないの? ねえ、ルカ!」
「……」
ルカは、なにも答えないまま、地に着地する。
相当な高さであったが、魔法の力はそれすらも凌駕し、いつの間にか城は小さくなっていた。
「ルカ! ねえ、ルカ!」
「カトゥリン様、逃げましょう。大丈夫です、この軍服とマークさえあれば、市民も攻撃できないでしょう」
気休めだった。
なんの証拠もなかった。
「じゃあ、お父さんとお母さんも!」
「カティ! もう、夫妻は」
この光景を呑み込めていないのは、ルカも一緒だった。
だが、カティを、幼き女の子を守らなければいけなかった。
ルカは、カティを抱いたまま、魔法による驚異的な加速で城を後にする。
ずっと泣いているカティを、ルカは見ることができなかった。
駆け抜けていくその中で、ルカは集団にぶつかった。
様々な感情のせいで、上手く前が見れなかったルカは、やっと目の前を見た。
そこには、国旗――青と紫と緑が斜めに区切られて塗られている――に、「市民の自由と秩序を!」と書かれた旗を持つ集団であった。
「おい、その娘は、まさか」
集団に目を付けられたルカは
――
大きな鐘の音が響いている。
目覚めの時だ。
「また、か」
青年は、ある程度の質を保っているベッドから半身を起こす。
木製の部屋をぐるりと見回すと、頭の中は食のことでいっぱいになっていた。
「腹減ったな、なんか買ってくるか」
そう言って、乱れた明るい茶髪を整えると、紺のズボンに白のシャツ、そして赤の上着と、細長い紐付きの袋を肩から提げて外に出た。
外は、忙しなく走り回る労働者と車で溢れており、綺麗に並ぶ建物は白や赤といった、一定の色が散りばめられている。
そんな中、労働者のように忙しないわけでもなく、かと言って貴族のように優雅でもない者。
それが、この青年であった。
「やあ、ルカ。今日はどこの仕事だい?」
「ああ、バート。今日は、国連志願の学生の実技訓練だそうだ」
ルカ、と呼ばれたその青年は、定職の労働者とは生き方も、雰囲気も違っている。
ルカの羽織る、道行く人の着るそれとは違う雰囲気を帯びた詰襟の赤い上着は、その最たるものであった。
「その服を持っておいて、なんで毎日のように街の、しかもこんなところのサンドウィッチを買う余裕があるのか、甚だ疑問だね」
青年の目の前にいる、ベージュのシャツに白い腰エプロンをし、短いが見える程度の程よい顎髭を生やした、中年ほどの男は、呆れたような、しかし愛想のある顔で薄切りの肉と葉を挟んだパンを、紙に包んで渡す。
それを笑顔で受け取り、一口齧ると、語り始めた。
「俺は何時間も縛られる労働が嫌いだからな」
「軍隊なんて、その最たる例だと思うけどな」
「俺はもう軍人じゃない」
「元、だったか?」
その、にやりとして顎に手を当てる動作に、ルカは眉間に皺を寄せた。
「そうさ。元軍人だから、こんなにのんびりしてても、勝手に仕事が来るし、貯金もあるわけ。日々の暮らしのために朝早くから仕込みをしなきゃいけないお前と違って、な」
「そうかそうか、それ食ったらさっさとどっか行け」
「寂しがんなよ?」
「俺にはお前と違って、カミさんと娘がいるからな」
けっ、と唾を吐く真似をすると、一口分欠けたサンドウィッチを手に、ルカは街中を歩き出した。
そんな様子を、バートは微笑ましげに見ている。
それを、近くの机で新聞を広げた老い気味の男が見ていた。
「何かあったのかい、オーナー?」
「……いや、ルカも頑張ってるなってね」
老い気味の男は、驚いたような顔をする。
「そんな会話をしていたかい?」
「表面上はあれだが、ああ見えても、前よりは生力が湧いた方なんだ」
はあ、と言いながら、老い気味の男は、どこか満足気なバートを見ると、すぐに目を逸らしてコーヒーを飲んだ。
――
「フェアバンクス様、本日はよろしくお願いします」
「ああ、よろしくお願いします」
青年は、ふらふらと差し出された、皺の集まった手を握り返す。
「それで、国連志願の学生とは言うけど、どういう連中なんですか?」
目の前の、白髪に黒い眼鏡をかけ、緑のモーニングコートを着た、いかにもな格好をした老爺は、紙を見ながら歩く。
「それが、国内の軍を目指していたのですが、協調の適性がなくて落ちていった者共でして……」
「……言っておきますけど、国連軍は出来損ないの受け皿ではないのですが」
「それは、重々承知しておりまして、ちゃんと注意をしているのですが、聞く耳を持たなくて……なので、本日はフェアバンクス様に、と」
「分かりました。一喝入れてやるとします」
「はあ」
溜め息のような、疑問を表現したいような、そんな息を吐く老爺を傍目に、ルカは赤色のチュニックをしっかりと着て、髪を整えるように軽く触る。
「最後に、学生が使ってる銃は?」
「えっと、サリヴァンです」
「俺と同じ、か」
そう放つと、ルカは肩から袋を下ろし、その袋とほぼ同じ長さの銃を取り出す。
そして、腰に付けたポーチから弾を取り出し、ブリーチ部を開けると、奥に詰め込み、閉めてから撃鉄を引く。
「では、喝を入れてきます」
「どうか、よろしくお願いします」
ルカの周りを青白い光が舞う。
二十話まで続いたら褒めてください。
今までは、書いては消してのループを二十回は繰り返しており、その消した理由は「設定の深掘りの失敗」であったり、「時代考証が嫌になった」みたいなものばかりだったんですけど、もう今回はそういうのを抜きで、書きたいものを書いて、続けていきたいと思います。
あと、この世界専用の用語をばら撒きました。
それが、この世界が、現実と完全に繋がっていないことの証明になると思います。