表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

暴力資本=金毛獣と向き合う。

百年後のVtuberを考えてみた(SF?)

作者: 牝牡蠣

S(すげぇ〜え)F(不毛)で、SF。

こんな書くなら、自分でやればいいのにね。自分の理想を、彼らにおっ被せてるだけですし。でも、僕には人をまとめるだけの力も真摯さもないみたいです。こんなの書くことが、せいぜいみたいです。

SFマガジン8月号に届木ウカさんのVtuberとVRに関する文章が載っていた。それを読んだ感想としては「届木ウカさんの専門家としてのVR界隈の現状リポートだ」ということ。僕はこの「ワールドクリエイター」や「VRAA」の波に乗り遅れているのか、その、違和感。そして、個人的に「百年後のVtuberって、いったいどうなっているのか」ということだ。僕はVtuber及びVRを「公的・貴族的でない、私的・大衆的なものであって、初音ミクの神聖さには及ばない(拙作、『Vtuber、あんまりすきくないので考えてみた』に記載)」と、思っている。しかし、Vtuberの二次元キャラクターの図像に宗教的な想像力を見てしまうため、できればVtuberに百年後も二百年後も輝き続けて欲しいと思ってしまう。Vtuberはいつか、日本特有のアニメ文化や二次創作文化が絡んで生まれた、ハンドメイド感のあるSNSの一種として、歴史の中に分類されるのかな、と、考えている。「では、百年後のVtuberって、いったいどうなっているのか?」僕はVtuberには公的・貴族的想像力の核がその鍵になるのではと思っているが、改めて僕自身に問いかけ、百年後の未来を想像してみたいと思う。一つ目はVtuberを屋号のように代々継いでいくというもの、二つ目はVtuber同士が連結しネットワークのように世界観を構築し、VR内に新しい国家のようにものをつくること、である。

まず、一つ目。Vtuberを屋号のように代々継いでいく、である。届木ウカさんを例に挙げるなら、今の初代届木ウカを「届木・千慈(仮)・ウカ」とし、何らかの形で意識が変わった時(中身が変わる……?)、それは「二代目、届木・千慈(仮)・ウカ」となる。百年続けば十八代ぐらいまではいくだろうか。そのほかにも、ゲーム実況に特化した「届木・電慈(仮)・ウカ」や美容に特化した「届木・美ノ慈(仮)・ウカ」がいるかもしれない。そして、その各キャラクターすべてに共通するのが、「届木ウカ」という巨大で幽霊的な屋号なのである。この「巨大で幽霊的な」という部分に、僕はVtuberにないと考える「公的・貴族的想像力」を見る。そしてこの「届木ウカ」という屋号は新たなドラマを生む。「初代、届木・千慈(仮)・ウカ」は含蓄のある慎み深かったが、「二代目、届木・千慈(仮)・ウカ」はハツラツとしているが学者肌のようなところがある。初代の「届木ウカ」の芸を二代目の「届木ウカ」はどう継承していくのか。そして、周りの「届木・電慈(仮)・ウカ」や「届木・美ノ慈(仮)・ウカ」とどうコミュニケーションをとっていくのか、という、ドラマである。これは、代を経るごとに物語消費のデータベースとしてのおもしろさもでてくる。

二つ目。Vtuber同士が連結しネットワークのようなものを構築し、一つの新しい国家とする、というもの。僕はVtuberの特性を「私的・大衆的なもの」と見た。それに、国家のような、ネットワークのような連結=公的・貴族的想像力を持たせるというものだ。昨今では、芸能人や著名人といった一定の経歴=物語=スター性を持った人々がYoutubeに参入している。アニメキャラの図像と個々人の技能だけでは、元々物語をつくってきた芸能人や著名人に追いやられ、「アニメ図像Youtuberとそれを見る人々」とだけされてしまうのではないか、そんな気がする。もし、Vtuberの百年後を考えるなら、Vtuber同士で連結し、村や町や州のようなコミュニティをつくり、その中で独自の価値観=貨幣のようなものをつくり新しい経済ともいえるものを動かしているのである。そこには、芸能人や著名人とは異なる独自の価値観、新しい経済、物語=公的・貴族的想像力があるのではないか。貨幣の価値についてもまったく新しい通念があるやもしれぬ。貨幣価値の混雑化があるやもしれぬ。流通している日本銀行券千円がVtuberの新しい国家でもまったく同じ価値であるのか。その価値基準こそが、VtuberがVtuberたる公的・貴族的想像力となっていくのだ。現今で一番近しいモデルの形をとっているのは、同人ゲーム「東方project」の二次創作界隈かもしれない。その世界は、現実の我々とは異なる価値基準の下に、「神話的呪術的思考」であるかのような独自の世界観を構築している。

ここまでもし読んだ方がいるなら、「百年後のことなんてわからないだろ勉強しろ、偉そうなことをいうな」と思うかもしれない。今の世界を構成しているのは意識を持っている我々であり、決して未来という歴史に屈服させられているんじゃない、と、思う。世界に対して想像力を働かせ、未来と向き合うこともでき、その積み重ねは未来をきっとニコニコ楽しい方向に導いてくれる、僕はそう思います。

いつかこの、Vtuberへのまなざしで感動的な何かを書きたい。公的・貴族的想像力とやらの。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ