葡萄の房
その人に再会した時、喉が詰まり涙が出てきた。
何だろう。
何でこんなに嬉しいんだろう。
九州の西の端に、そこから先には海と無数の島影しか見えない公園がある。大きな公園だ。近くに水族館もある。
半年ほど前、公園のそばに新しいスーパーができた。二階建てで、一階はスーパー、二階はイートインスペースになっているらしい。
スーパーの外側に、小さなハンバーガーショップがあって、そこで買った商品を二階で食べることができるように、階段の入口は外にあった。
スーパーができてからよく買い物には行っていたが、二階には上がったことがなかった。
一月の、今にも冷たい雨が降りそうな、寒い日。
財布を持たずに散歩に出て、そのスーパーの前を通りがかった。用はないけど、せっかく来たので、二階に上がってみようと思った。
たぶんテーブルと椅子が並んでいるだけだろうから、それを見て帰るつもりだった。
二階に上がってみると、ほぼ予想していたレイアウトだったが、思いのほか人が多くて、賑わっている。
階段室の踊り場に、可愛らしいイラストが展示されてるのに気づき、立ち止まった。
絵本のイラスト?
子どもの顔や、リュックを背負った犬。
ぼんやり眺めていたら、「見ていただいて、ありがとうございます」と声を掛けられた。
スラリとした、少し線の細い感じの女性だった。
店員さんかなと思った。
「かわいいイラストですね」というと、恥ずかしそうに微笑んでいた。
「もしかして、作家さんですか?」
ええ、という答えが返ってきたので、私は恐縮して
「通りすがりなんです」と慌てて付け加えた。
こんな田舎町に、メジャーに活躍している作家さんがいたのか。
地元の方ですか?
以前は住んだこともありますが、今は別のところに住んでいます。
ああ、そうですか。
というような会話をしていたら、その人は奥から名前を呼ばれて、そちらに行かないといけないようだった。
また、来ますね。
とっさにそう言ったが、社交辞令だったかもしれない。
私はチラリと、展示されている小さな絵本たちを見て、階段を降りた。
翌日、今度はちゃんと財布を持って、スーパーに向かった。
絵本を買ってサインして貰おう。その日、歩きながら、寒さは感じなかった。
二階に上がりながら、昨日のあの人は居るのかな、と不安になった。
今日は居ないかもしれない。居なかったらどうする?
その時は絵本を買って帰るだけだ。大したことではない。
二階のフロアは、昨日と同じように人が集まっていて、空気が暖かかった。
一瞬だけ、その人を探した。
でも、分からなかった。
顔も覚えていないし。
あまりジロジロ見ても。
人々から目をそらして、商品が並べてあるテーブルに向きなおった。
ポストカードがある。これなら壁に飾れる。
犬のイラストは、幼なじみが好きそうだからプレゼントにしよう。
猫のイラストも少しある。これは自分用。
雑に手を動かして、五、六枚を選んだ。
「昨日来てくださった?」と声がしたので、顔を上げた。
その人だった。
喉が詰まって声が震えた。
目頭が熱くなって視界が揺れ、よく見えなくなった。
「すみません、嬉しくなってしまって」
もうどうせ隠せない。素直にそう言うしかなかった。
どういう思いで描かれているのですか?と聞いたのだと思う。
その人は、
自分の思いを伝えることは難しい。
親しい友人でさえ、言ったことを誤解されて、悲しい思いをすることかある。
言葉では上手く伝えることができないので、絵で伝えようとしているんです、といわれた。
短い時間だったが、たくさん話をした。
私はたぶん、その人が絵に託したメッセージを、一割程度も理解できていない。情けないなぁ。スキル不足ですみません。
でもそれは、これまで生きてきた世界や経験の違いもあるのだろうから仕方ない。それでいいと思う。
「絵はがきにサインしていただけますか?」とお願いしてみた。
「私もサインを差し上げたいと思っていました」といってくれたので、全体がオレンジ色で、笑っている太陽のイラストの絵はがきを選んだ。太陽の下にサインしてくれるのかな、と思っていたら違った。
裏の宛名面に、きれいな読みやすい字で、メッセージとサインを書いてくれた。
私のことを大事に感じてくれていることが伝わってくるメッセージだった。
「また、どこかで会いましょう」
私は笑顔の端に涙が滲んでいることを感じながら、手を振った。
「先日、不思議な体験をしたんですよ」
隔週で通っている沖縄三線の教室で、先生に話すと
「ああ、それは、兄弟、兄弟」とサバサバとした答えが返ってきた。
「兄弟? 前世とかの話ですか?」
「そうそう。
一つの葡萄の房の、ふた粒の実、みたいなもの」
なるほど。
「会ったタイミングも、何か意味があるんじゃない?」
そういえば、次の日、スーパーの前を通ったら、その作家さんのイベントは終わっていた。
あの日でないと、ダメだったんだ。
買った絵はがきのうち、二匹の猫が向かいあって手を取り合っているイラストを改めて眺めてみた。お互いの長い尻尾の先に赤い糸が巻き付いていて、糸は真ん中でリボン結びでつながっている。たぶん二匹はカップルなのだろう。
こな絵はがきを、あの友人に送ろう。
遠く離れてなかなか会えないけれど、大事な友人。彼女もまた、私の隣の葡萄の実。
この二匹の猫は、彼女と私だ。
彼女はきっと、そう気付いてくれる。