case2.The road to heaven
昨日まで規則的に鳴り続けていた電子音は、深夜を回って誰もが寝静まったその時に、呆気なく消えてしまった。
何年、あなたと共にいたでしょう。
何年、あなたを見つめ、
何年、あなたを愛したでしょう。
この愛に終わりはない。
この世界はまだまだ続いて、愛し合う二人はいつまでも幸せに暮らしていきましたとさ。
――だなんて、御伽噺は信じてはいなかったけれど。
あまりにも呆気ないお別れに、涙も驚いて出てきやしない。
「あなたが倒れて、二年も経ったのかしら。本当に、よく頑張ったわね」
眠るように横たわるあなたの体に、労わるように優しく毛布を掛ける。
互いに連絡をとるような家族はいない。
それもそうだ。女同士で愛し合っているだなんて誰も許してはくれなかったから、縁まで切られて、今まで二人きりで手に手を取って生きてきたのだ。
辛い時も、嫌な事も沢山あった。
喧嘩した事も、破局を一度迎えたこともあったっけ。
でも離れなかった。この関係は終わらなかった。
だからこそ、この先もずっとそうなんだと、そう心のどこかでは思っていたのかもしれない。
「御伽噺じゃあるまいし。そんな訳ないのにね」
自嘲気味に笑みを零しながら、私はあなたの髪を撫でた。
大好きだったフワフワの柔らかな茶色の髪は、今は見る影もなく薄灰色の白髪に変わり、ちりちりと手触りのあまり良くない感触しか残らない。
痩せ細った体と同じ、痩せて少なくなった髪の一房、一房を丁寧に指で梳く。
愛おしげに何度も何度も梳いてやる。
青白く、生気を失った顔を覗き込みながら、指は髪からその痩けた頬へと滑り落ちた。
頬をなぞる私の指も、あなたとそう変わらない枯れた木の枝のようだ。だから、そのうち私もあなたと同じ所へ行けるかもしれない。
そんな事を考えていたら、自然と頬が緩んでしまう。
「ああ」
世界は今日も朝を迎えてしまうというのに。
「あなたはもう、起きてはこないのね」
朝の弱いあなたは、私がどんなに大声で起こそうとしても起きなかったわね。
眠い目を可愛く擦って、悪びれもなく大きな欠伸をしながら、「おはようー」って挨拶をするあなたは、
今日も、明日も、明後日も。
もう起きてはこないのね。
「ねぇ」
起きて。そう耳元で囁いて、額と額をくっつけても、あなたはピクリとも反応しない。
擽ったいと笑って文句を言う声も、眠そうに私を映すその大きな瞳も、子供のようにあったかい体温も、あなたはここに居るのに、私はあなたに触れているのに、もう無くなってしまった。
「色んなことがあったわね」
楽しい事も、嬉しい事も、悲しい事も、腹の立つ事も、
どうにもならないほどピンチの時も、
どうしようもないほど幸せな時も、沢山あった。
それ全て。そう、その全てを。
「……あ」
ぽとり。ぽとり。
私の零した涙が、あなたの額に、瞼に、鼻に、唇に、降り注ぐ。
震えて掠れた小さな声は、ちゃんと弱々しくもあなたの耳に届いたかしら?
「私、は、」
これまで感じた人生の苦楽を、
これまで過ごした限りある時間を、
これまで得た大切な瞬間、その全てを、
「あなたと、っ……一緒に生きれた……っ」
それだけで、すごく、とても、本当に、
「幸せだったわ」
何十年も一緒にいたの。
最初のキスはいつだったかしら?
忘れてしまうほど昔の話よね。
あれから幾度となく交わしたキスも、これで終わり。
これでおしまい。
「大好きよ……」
生気を失って色あせた唇に唇を重ねる。
カサついた感触。温度も何も無い、味気ないキスだった。
けれど、どうしてだろう。
こんなにも悲しいのに、
「私も何年かしたらそっちに行くわ。だから、浮気なんてしちゃダメよ?」
あなたとの最後のキスは、とても悲しくて、これまでの想い出を全て混ぜ込んだ幸せの味がした。