ティルフィムの聖域2
ふと前世を思い返してみると、ろくな人生でなかったなと改めて思う。
誰からも期待をされず、弟と比較される事に嫌気がさし。苛立っては落ち込み、それを幾度も繰り返し。
そして自分の存在意義を見出せずにいた高校二年の初旬……つまり現在の俺は冷めた性格に落ち着いた。
格好良く言えば落ち着きのある青年か? 悪く言えば地味でノリの悪い野郎、陰キャラなどなど。
昨年の秋に行われた学祭ライブでは、会場の客席で唯一首を縦に振らなかった男でもある。
「ねぇねぇ、この部屋寒くない?」
和気あいあいと談笑する前置きに寒気を感じ、曲が始まる前から悪寒というビートを刻んでいた。
勿論、彼らの曲の出来が微妙だったのは説明するまでもない。
熱くなる時は極稀で、母さんの天然が発動し、運悪く摂氏50度の1番湯に浸かった時くらいだ。
あ、あれって実はわざとだった? 虐待じゃないですよね、おかん?
―――だが、この胸の高鳴りは何なんだ?
ただ隣に座っているだけなのに「心音が聞こえたりしないか?」と不安になるくらい、胸が高鳴りやがる。
……まぁ無理もないか。隣にいるのは校内でも有名な茅撫奏。美少女と2人きりになり、これから一緒に異世界へ旅立つってんだ。過度な期待をするなと、逸る気持ちを抑えるのは容易でない。
「あー、茅撫は意外と前向きだよな? 異世界に対する不安とかないの?」
向こうから誘ってきたわりに、茅撫から話を切り出す感じがしなかった。ここは男らしくと、口調に気をつけて話題を振ってみた。
共通の話題なんて、異世界に向かう同士に限る。
てか、それしか思いつかない。俺は茅撫が美少女だって事しか知らないもん。死んだ者同士なんて話題がダメなのはタコでもわかる。
「ない、全然ない。だって仕方のない事だもの」
茅撫は髪をかき上げ、シャンプーの香りを漂わさせながら返事をくれた。
「そうですよね」とは口にしなかったが、俺はうんうんと首を縦に振り相づちを打つ。
「それに、実際楽しみではあるのよね。もうボッチ飯を味わなくて済むと思うと清々する」
……だが、さらっと言われたこの発言には頷けなかった。流石にね。
「……はい?」
標準に満たない細目を拡大させ、戸惑いの表情を精一杯作ってみせる。
対して、一向に表情を崩さない茅撫さん。つい俺の聞き間違いだったのかと思わせてくれる。
「え、この距離で聞きとれなかったの? それに、実際楽しみではあるのよね。
も う ボ ッ チ 飯 を 味 わ な く て 済 む と 思 う と 清 々 す る 」
残念、思わせただけでした。
淡い期待など即座に打ち砕かれた。単調な口調で同じ台詞を言われたから、より寂しい現実を叩き付けられた気がした。
「2度も言わせないでよね、面倒くさい」
機嫌も損なわせたようで睨まれもした。変な気を使わせたのはそっちなのに、何ともやってられない感が漂う。
「か、茅撫って友達いないんだー。なんか意外。顔とか良くて人気あるのにな」
「意外でもないわよ。あなた、私が学校で誰かと一緒にいるところを見た事がある?」
試しに褒め言葉を用いても効果はなかった。
「それは……ないかな。でも俺、基本学校では自分の席から動かないし、行動範囲狭いから!」
適格な質問に焦り、思わず口数が増えてしまう。
「それに茅撫が友達って思えていないだけかもだぞ! 話をした事のある奴ぐらい、1人や2人いるだろう?」
「焼け石に水」とは、まさにこの事だと思う。
「話をしただけの連中を友達と思えと? なら、私をイジメてきた子らも友達になるわね。そんな事ができる人間がいるなら是非会ってみたいわ。そいつはきっと、この上ないほど能天気な奴ね」
逆に、擁護のしようがない黒歴史を知る結果を招いてしまった。
おいおい、イジメなんてボッチである以前の大問題じゃないか? そんなナイーブな話は生前、聖職者か両親にでも相談しておけ。
只のクラスメイトが処理できるわけがない。俺の限界K点、とっくに超えちゃってるよ?
「……はは、それはそうだ」
苦笑いで同意するしかできなかったぜ、ったくよー。
俺も責められる立場の人間であったが、多分茅撫ほど辛い人生は歩んでいない。
俺には僅かながらも友人が……信頼できる人間がいた。家族3人含めて片手で足りてしまうのが残念だけど、残念なレベルは茅撫に劣ると思う。
こいつはきっと、女子から嫉妬されていたんだ。イジメはその行き過ぎた感情により起きた事象。
茅撫は活発に他人と関わらず、かつ、他人に媚びる性格でもない。
「気に食わない」「貶めたい」……その発想に至った経緯は理解できなくもない。まぁ褒められる内容ではないがな。
対して男子からは高値の花と懸念され、近寄りがたい存在だった。
この感覚は非常に理解できる。実際俺も学校で茅撫に話しかけようとした事はない。こうした特殊な条件下でなければ、お近づきになれていない。
茅撫奏は恵まれた容姿が原因で友達がおらず、イジメを受ける対象だった。
何でも持つ者は、持つ者なりの悩みがある。
……もしかすると、大和もそうだったのだろうか?
目の前にいる茅撫に弟の姿を重ね、つい勝手な妄想に浸ってしまった。
すると、やたらと茅撫の事が愛らしく思えてきた。
「……本当にそう思っているの? 信じられない」
残念ながら、そう思えたのは一瞬であった。
冷え切った表情を目の当たりにして我に返る。
「あなたって、他人に興味がないものね。私がイジメられていたのなんて、知らなくて当然か」
的確過ぎる指摘に胸がえぐられそうだ。
「お、おふ……け、けど、茅撫だって俺の事を知らなかっただろ?」
わけもわからず、自分の知名度の低さを持ち出すほど気が狂っていた。
「知っているわよ。風戸大智君」
だから、茅撫の口から俺のフルネームが出る事を想定していなかった。
「……え? 何で知ってんの?」
どうして俺を認識していた? もしかして俺の事が好きだったの? ……つい痛い勘違いをしてしまう。
「有名だったものね。 隣 の ク ラ ス の 弟 さ ん が 」
当然、勘違いに終わるわけだ。
「だ、だよねー。弟が有名人でよかった」
精一杯強がり、茅撫に笑顔を見せる俺。この時ばかりは自分の健気さが可愛く思えた。
……ってか思い返せば、目覚めた時もフルネームを呼ばれていたな。その事実を忘れるなんて、さっきまでの俺はどうかしていたな。
冷静さを取り戻した今なら「人は見た目だけで好きになるな」と断言できる。
「これって運命かも」と誤解させた罪は重いぞ。頼むから俺の胸のときめきを返してくれ。500円くらいなら支払うから。
「……て、財布入ってないじゃん。スマホも家の鍵もない」
ふとズボンに手を入れると、どのポケットにも私物は入っていなかった。
「突然なに? 当前じゃない、私達は死んだのだから」
茅撫は俺の言動に引き気味の様子だった。
そりゃそーさ。ごもっともな意見に頭が上がらない。
「制服姿でいられるだけ、ありがたいと思いなさい」
「……そうですね」
他人に癖を指摘されるのって、こんなにも恥ずかしい事なんだな。俺は手で口を覆い、頬を赤く染めた。
――俺には妙な癖がある。
基本群れから離れて生活していたので、周囲を無視して独り言を呟いてしまう。
この癖で得をした事は1度もない。側で聞かれれば変な奴だって思われるし、他人に対する愚痴や不満を聞かれてしまえば反感を買われる。
過去には暴力で代価を支払われた日もあったな。この数は片手で足りてくれない。
まじ割に合わないっての。愚痴られる側にも問題はあるのにさ。非難される対象が簡単に変わんなぼけ。
そんな不毛な過去とオサラバできた俺は、ある意味人生勝ち組になれたと思う。散々人生棒に振り、若くして死んじまったわけではあるがな。
「……ばかな人、本当に」
「待ってろよ異世界生活! 築いてみせるぜハーレム王国!」……などと口にしかけると、茅撫が憐れんだ瞳でこちらを見ていた事に気付く。
いけね、また自分の世界に入っていた。たしか「ばか」と言われた後だったな。
「おい、ばかを強調してくれるな。俺がガチでヤバい人みたいじゃないか。大体合ってるけど」
俺は先ほどの反省を活かし、上手く話を合わせようとする。
「ふん」
すると長々しい返答に嫌気がさしたのか、キモがられたのか。茅撫は視線を逸らして、会話を強制終了させた。
マイペースな奴だ。可愛いからって、何でも自分都合で事が運ぶと思うなよ。妄想の延長で口を滑らす奴が言える立場じゃないが、他人への配慮は怠たってはいけない。
世に「イジメられる方にも原因がある」なんて無責任な見解があるが、失礼ながら茅撫のケースには当てはまると思った。
断言しよう、茅撫奏は「残念な美少女」である。
俺が心震わせた対象はあくまでも「お淑やかな学園のマドンナ」を想定したものなので、茅撫の本性を垣間見てからのテンションの落差は激しい。
あーあ、何で俺は茅撫に甘い幻想を抱いたのかな? 茅撫が教室で大人しくしていたからか?
……いや違うか。生前の俺は茅撫に関心がなかった。他人にも自分自身にも興味ない野郎だもんな。どうもすいやせん。
―――ああそうだ、俺に向けて涙を流してくれたからだ。
今と同じく罵倒も含まれていたが、あの時はそれを掻き消す何かを感じ取れたんだ。今はミジンコほどにも感じやしないがな。
あの茅撫と今隣にいるのが別人に思える。もしかして茅撫も双子だったりするのかな? 妹、もしくはお姉さんを紹介してくれないかな? そんな事を考えていると……
「そーいや最初、何で茅撫は泣いていたんだ?」
ふと思った事が口から出た。
そっぽ向く茅撫は一瞬肩をビクつかせたが、しばらく待ってもそれ以上の反応はない。
「え、この距離で聞こえなかったのか? そーいや最初、何で茅撫は泣いていたんだ? 答えてください、お願いします」
「2度も言わせるな」とオウム返し、俺は単調な口調で生意気に質問した。
怒りを買われても問題なかった。むしろ、それ有りきで言ってやった。やられっぱなしでは癪だからな。ドヤ顔を決め、俺は茅撫を追い詰める。
これは「茅撫との立場関係を最低でも対等に持ち込みたい」という思惑があっての行動だ。
舐められていては使い走りにされ、つけあがったボッチに行動を制限される恐れがあるからな。自由度の高さが売りなのに、そうなれば折角の異世界生活がクソゲーへと変貌する。
上手く好感度を高めデレさせるのも悪くないが、こいつは見た感じガードが固くて超面倒くさそう。
ファーストヒロインだからって気遣う必要はない。俺をゴミに扱うのなら尚更だ。自然な感じにフェードアウトして頂ければいい。
きっと向こうには美少女が五万といるのだろう? ふふ、知っていますよ。アニメにゃ疎い方だけど、異世界召喚のお約束は心得ている。
茅撫奏に過度なラブコメ展開は期待しない。俺はもうお前を高値の花だとは思わない。
1.面倒な干渉は無し。
2.気遣いが不要。
3.程よいHなハプニング。
相方になるにあたり、これらのオプションを満たしてくれるか見定めるまでだ。
篩にかけるのは簡単だ。お構いなしに自分らしさを貫けばいいだけ。俺の性根の悪さ、存分に見せつけてやるぜ。
「寝ぼけていたんじゃない? 私があなたに向けて涙を流すわけないじゃない。バカじゃないの?」
———ずいぶん俺は長い間、思考を巡らせて待機していた。
その結果、茅撫からは期待していた回答は来ず、おまけに侮辱されてしまった。表情は見れないが、きっと冷えきった目でいるに違いない。
こいつはまた「じゃない、じゃない」と。え、それってわざとか? わざとなのか!?
「……この腐れ美少女が」
茅撫には届かない声量だったが、また不満が声に出た。
結局、茅撫が涙を流していた理由はわからず終い。
わかったのは【茅撫の性格に難がありあり】で【俺にM耐性があんまり無い】って事だけ。
……はぁ、しつこく追求する気も失せてしまったよ。
茅撫奏が俺にデレる気配は皆無のようだ。こうなれば、オサラバして頂く未来はそう遠くないだろう。
こいつの闇の根は本当に深い。浴室にこびり付くカビにも劣らず、小一時間くらい漬け置きした程度では除去できなそう。近年劇的な進化を遂げる薬品でも退治しきれず、お手上げだぜきっと。
……まぁ、俺も人の事を言えた義理じゃないけどな。
俺がパートナーで、さぞ茅撫も不憫であろう。どうせなら弟の方が良かったって思っているに違いない。その意見には賛同してやる。
だが、それは兄としてできない相談だ。未来ある弟が死んでは元も子もないからな。
あー、死んだのが不出来な兄の方で良かった。
……良かった、よな?
数分ほど茅撫と話し込んでいると、死んだとは思えない感覚に陥っていた。主には茅撫に対する苛立ちだけど、不安や焦りを丸ごと覆い隠してくれていた。
「……大和や母さんに父さん、どうしてるんだろう」
残された家族への心配をしたのは目覚めてからずいぶん後で、静寂な間の今であった。
家族のワードを取り出すのはマズい。茅撫は腐っても女子だ。ナイーブな話題は避けるべきなのに、俺って奴はまた口に出していた。
「あ、あのう、茅撫さん?」
「……」
小声でそっと茅撫の反応を伺うも、彼女は依然背を向けたままであった。
無反応かよ。聞こえなかったのか?
これについても深く追求しない俺は非常な人間だ。
俺は他人事だとあぐらをかき、茅撫から背を向けた。