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カープ女子

 * * *


 いつものぼやけた景色が目の前に広がっている。よし、今日も夢の中に入ってこれた。


 そしてその景色の中にいつもの少女が……あれ? いない。少し離れた場所に少女は一人いるのだけれど、真っ赤なキャップをかぶっている。いつもの紗綾はワンピースなのだ。しかし背格好は彼女とよく似ている。


 すると少女が振り向いた。


「やっほー!」


 満面の笑顔が僕の目に飛び込んでくる。


「わっ! 紗綾! いつもの格好と全然違うから気づかなかったよ」


「どう? 似合う?」


 デニムのショートパンツにおへそが見える程丈の短いTシャツ。髪の毛を後ろで束ね、見た事のあるロゴの入った真っ赤なキャップをかぶっている。 


「う……うん。可愛いよ。凄く可愛い。広島カープのファンだったの?」


 僕は目のやり場に困り必死に紗綾の目を見ながらそう訊ねた。


「うん。カープ女子だよ」


 紗綾はウインクをしながらキャップを斜めにかぶり直す。


 なんでこんなに君は可愛いんだ。夢の中でなければ間違いなく告っていただろう。


 カープファンの女の子の事を「カープ女子」オリックスファンの女の子の事を「オリ姫」そしてベイスターズファンの女の子の事を「ハマっ()」と呼ぶ。運動音痴な僕でもそれくらいの事は知っている。


 じゃあ父の影響でジャイアンツファンになった妹の結菜は?


 ――ジャイ子?


「広島、今年も調子いいみたいだね。誰が好きなの?」


 今年――二〇一九年――も開幕から広島が二位の巨人に大きく差を広げているらしい。好んで野球を観る事はしないけれど、昨日妹に電話した時、坂本選手の調子が悪いと嘆いていた。


「そうなの。今年は調子いいのよ。好きな選手はねえ、黒田さんと鈴木誠也。黒田さん、引退なんて寂しいよ」


 少し紗綾の言葉が気になった。黒田投手の事は「黒田さん」と言い、鈴木選手の事は「鈴木誠也」と敬称を省略した。そう言えば妹も阿部選手の事は「阿部さん」と呼んでいたけれど若い選手の事は「坂本」とか「田口」と呼んでいた。


 その中で一番若い田口投手でさえ、妹より三つも年上である。野球ファンはみんなそういうものなのだろうか。


 そして、もう一つ気になった事がある。


 ――今年は調子いいのよ。


 二〇一六年に優勝し、二〇一七年も優勝している。去年の二〇一八年は二位に甘んじた。毎年優勝を願うファンにとっては昨年に比べれば「今年も」ではなく「今年は調子いい」という表現になるのだろうか。


 黒田投手くらい僕でも知っている。大リーグで活躍し、広島に帰ってきたあの有名な投手である。確かに三年ほど前に引退している。


「へー。そうなんだ。黒田ファンなんてしぶいね。背番号の15だっけ? 永久欠番なんて凄いよね」


「永久欠番? そうなの?」


 少女は首を傾げた。


「え? 知らないの? 広島ファンなのに?」


「知らなかったー。SNSとかで知ったの?」


「ていうか、テレビのニュースとかで普通に報道されてたけど」


「やだ、私ったら。大好きな黒田さんのそんな情報も知らないなんて。まあ、テレビのニュースとか見ないからなあ」


「あ、それに鈴木誠也ってあの神ってる人?」


「そう。顔もタイプだし、ほんとに神ってるんだよね」


 ――顔もタイプ。


 彼女はそう言った。ほんの僅かなジェラシーが僕のポケットからひょこりと顔をだす。


 それにしても野球の話になると紗綾の目が輝く。本当に好きなんだろう。


 すると紗綾の後ろにまた現れた。それは――ブラックホール。


「あっ!」


 僕は思わず声をあげる。


「ヒロ君、どうしたの?」


「最近あれを見るんだよ」


 僕は紗綾の後ろを指差した。紗綾は振り向くと、


「ヒロ君、あれ見えるようになったの? やったあ! 待ってたのよ。行こ」


 紗綾は僕の手を引っ張り駆け出した。


「ちょ、ちょっと。紗綾」


 紗綾はブラックホールに飛び込んだ。


「え? まじか」


 紗綾は強く握った手を離そうとはしない。引きずられるように僕もブラックホールへ飛び込んでいった。


 ――まあ、どうせ夢なんだからどうにでもなれ。


 グルグルと体ごと回っている。僕はどこへ行くのだろう。


「はい。着いたよ」


「え? ここって……」


 僕の見間違いなのかもしれない。何度も目を擦りながら再び目を開ける。そこには、


 ――空音荘。


 そう書かれていた。僕が住んでいる寮の南棟であり、二階にある僕の部屋の真下である。見上げると遮光カーテンが閉めてある。あれ? 僕のカーテンってあんな柄だっけ?


 何より不思議なのは辺りの風景や紗綾の顔がはっきり見える事だった。およそ夢とは思えない程の鮮明さである。


 それは起きている時の――現実世界の――鮮明さなのだ。


 僕は頬をつねった。頬を叩いた。けれど、全くもって現実世界そのものである。


「紗綾……どういう事? ここは……」


「ふふっ。夢じゃないみたいでしょ? 私の顔もはっきり見えるかな? どう? 『思ってたより可愛い』なんて思ってくれた?」


「え? あ、うん。めちゃくちゃ可愛い」


 めちゃくちゃ可愛い。なんなんだこの透き通った笑顔は。腰のくびれも胸の膨らみも、うっかりすると気づかない程のそばかすも、全てがはっきりと見える。


 更には少しラメの入った透明感のあるリップクリームにも気がついた程に鮮明な世界だった。


 夢なのになんでこんなにもはっきりと。次第に東の山が明るくなってきた。しかし僕の頭上は黒い雲で覆われている。そして突如強い雨が降りだしてきた。


「紗綾。雨降ってきたね。こっち、こっち」


 僕は紗綾の頭を抱え中央棟の玄関まで連れていく。屋根があるのでここなら濡れなくてすむからである。けれど、紗綾のキャップと僕の頭は濡れてしまった。


「ヒロ君、優しいんだね。また明日ね」


 紗綾はそう言って僕の頬にキスをした。


「待って! 紗綾! 待って!」


 * * *


 僕は目を覚ます。そして枕元のスマホを探り、時間を確認した。『4:46』


 ふと頬を触る。今……キスされたよな。


 カーテンを開けると夢で見た世界と同じくらいの明るさだった。


 目覚まし時計の鳴る時間までまだ四時間以上ある。けれど、普段のように「くそっ! まだこんな時間か」と苛立つ事はなかった。


 再び寝る気にもなれず、洗面所へと向かった。鏡に映った僕の頬はキラキラと輝いている。


「え?」


 手のひらを見るとそこにも同じラメがついていた。


「は?」


 夢の中の少女に恋をして、きっと僕はおかしくなってしまったんだろう。


 そして冷蔵庫に向かう。牛乳をグラスに注ぎ一気に飲み干した。


 すると床にぽとりと水が落ちた。牛乳をこぼしたのかと思いティッシュで床を拭く。


「ん? 透明じゃん」


 すると再び水滴が床に落ちた。


「え?」


 雨漏りか? そう思った瞬間自分の異変に気づいたのだ。僕の頭が……濡れている。


 ベッドに駆け寄り枕を触る。濡れていた。まさかと思いパンツの中に手を滑らせる。


 ――おねしょ?


 しかし僕の大きな一物は濡れていない。今少し嘘をつきました。僕の小さな一物は濡れていない。確か、夢の中で雨が降ってきた。


 ――まさか。


 夢ではなく現実だったのか?

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