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動き出始めた日記

 僕はこの異常な経験を伝える為、大学へ急いだ。証拠の日記を鞄に入れ寮を出たのだ。けれど三分ほど歩いて僕ははっとした。


 この日記、諒太にも京香にも見せる訳にはいかない。


 ――僕と京香がキスをした事。


 諒太は知らないし京香は覚えていない。


「あちゃ」


 僕は一限目の講義を欠席する事にした。一旦寮に戻り日記を開く。


 見れば見るほど不思議な日記である。僕はペンケースから鉛筆を取り出した。




 ▽ ▽ ▽


 紗綾。今、何してる?


 △ △ △




 新しいページにそう書いてみた。けれど三十分待っても右のページは空白のままだった。


 僕は日記を本棚にしまい、再び寮を出た。


 僕は午前の講義が終わるといつものように学食へと向かって行った。


 諒太は窓際の席に座り既に何かを食べている。


「よっ、諒太」


 問いかけても返事がない。明らかに元気のない様子が伺えた。


 しかも諒太が食べているのは「すそば」であった。月見もおあげもかき揚げも入っていない、学食内で一番安いメニュー。


 およそアスリートと呼ばれた人間が好んで選ぶメニューではない。


「諒太、どうした?」


 諒太は口に運びかけた箸を止め、ゆっくり僕の方を向いた。


「俺……病気なんだ」


「は? どこが悪いの? 昨日まであんなに元気だったじゃん」


 すると右手で拳を作り筋肉質な胸を弱々しくトントンと叩いた。


「ここ」


「え? お前、心臓悪いのか? そば食ってる場合じゃねえだろ! 病院には行ったのか?」


「心臓? あ、心臓は大丈夫。多分日本人の中で三番目くらいに丈夫にできてると思う」


 と、ピンぼけな返事が返ってきた。


「じゃあなんだよ」


「恋の……(やまい)


「はあ? てめえ! 俺の心配返せ! ったく」


 諒太は降り始めた雨を学食の窓越しに眺め遠い目をしている。全然哀愁を感じない。


「あ、諒太。京香は?」


「京香ちゅあん? 京香ちゅあんは今日はお休みみたいだよ。病院だって」


 どうでもいいけどゴリゴリのマッチョが「ちゅあん」はやめようぜ。


「あ、いつもの病院ね」


 ――武藤京香。


 高校の時は皆から「むときょん」と呼ばれ男子からも女子からも好かれていた。


 入学して間もないある日、いつもつるんでいた諒太と僕が学校の屋上でお弁当を食べていると突然「私も入れて」と入ってきたのだ。


 同じ高校の吹奏楽部ではあるけれど、楽器の種類ごとに行う「パート練習」に多くの時間を費やしていた為、ユーフォニアムの彼女とサックスの僕たちは同じ空間で時間を過ごす事は少なかった。


 背も高く誰が見ても健康そのものだった彼女。けれど高一の頃から入退院を繰り返していた。それでも留年する事なく僕たちと一緒に卒業する事はできたのだ。毎年出席日数ギリギリだったらしいけれど。


 運動部の同級生は夏の大会が終わると完全に「引退」する。けれど吹奏楽部は八月のコンクールが終わると「仮引退」となる。


 卒業式後に「定期演奏会」があるのだ。三年生も参加するその定期演奏会が最後の舞台となる。


 そんな最後の「勇姿」を楽しみにしていた彼女は演奏会の前日に急遽入院する事となった。


 それでも大学の入学式に合わせるように退院できたのだ。僕たち三人は正門の前でスリーショットの写真を撮った。


「そ、いつもの病院ちゅあん」


 千歩譲って京香に付ける「ちゅあん」は許すとしよう。けれど病院にちゅあんは無しだろ。


「しかしお前、そんなに京香の事好きなのか。頑張るんだぞ。応援すっから」


「童貞のヒロに応援されても元気出ない」


「あ、それな」


 親友を勇気づけたはずが、逆に僕が落ち込んでしまう結果となった。





 全ての講義を終え、寮へと帰っていった。京香の事が気になりLINEを送ってみる。


 ――病院行ってたんだって? 明日は大学に来られるのか?


 京香はスマホに依存しない「今時の若者」らしからぬ人間である。LINEを送ってもすぐには既読が付かない。


 京香からの返事を待つ間に充分お風呂に入る事ができるのだ。僕は「追い焚き」と書かれたボタンをおした。僅か十分後、


 ――お風呂が湧きました。


 感情を持たない音声が聞こえてくる。僕は掛け湯さえせずザブンと湯船に身を沈めた。


 湯船の中のお湯を両手ですくいバシャリと顔に掛ける。


「ふー! 気持ちいいー!」





 風呂から上がった僕は洗面所で左右反対になった自分の顔を見る。本当は顔など見ていない。見ていたのは毛の生え際だった。


「よし! 薄くはなってないな」


 お爺ちゃん、お願いします。僕の毛を守って下さい。


 岡家の祖先に懇願しながらベッドに座りスマホを開いた。


 ――うん。全然大丈夫。明日は大学に行くよ。


 京香からそんな返信がきていた。


 ――ならよかった。でも無理すんなよ。


 五分後、僕のスマホが音をたてた。珍しく早い返信がきたのだ。


 ――うん。ありがとう。


 京香の病気……。まだそんなに仲の良くなかった頃から入退院を繰り返していた。「なんの病気なの?」女の子に対しそんな質問などできない。


『痔のひどいやつ』『便秘の悪化したやつ』だったとして、年頃の女の子がそんな恥ずかしい病名を言える訳もない。


 なので病名を訊く事はしなかった。


 僕は甘口の赤ワインをグラスに注ぎ口の中で転がした。「うん、やっぱり甘口(これ)だね」と独り言。


 録り貯めた映画を観る為、僕は遮光(しゃこう)カーテンを閉めた。この寮に越してすぐに購入した、ちょっと高価なカーテンなのだ。


 大学三年生の僕がわざわざ高価な遮光カーテンを買ったのは三つの理由からである。


 一つ目の理由は真っ暗にしないと眠れない事。外灯の少ない住宅街である為、遮光カーテンじゃなくても部屋の電気を消せば真っ暗になる。しかし僕が住んでいる学生寮の近くには踏切があるのだ。電車が近づく度に赤いランプが踊り出す。


 二つ目の理由は自分で目覚まし時計をセットした時間までは寝ていたい。射し込む明かりによって僕の安眠を妨害されてしまうのはごめんである。


 そして三つ目の理由は趣味である映画鑑賞を堪能したいという事。「映画が趣味」といっても足しげく映画館に通う訳ではない。大画面のテレビにサラウンドスピーカー。そんな設備の中で映画を楽しむ。


 その大型テレビとサラウンドスピーカーも元々付いていたものである。


 ――家具付き、日記付きの寮。


 そんな言葉をふと思い出してしまった。そうだ、日記。


 僕はグラスをテーブルに置き、本棚から日記を取り出した。ページをめくるとそこには紗綾からの返事が書かれていた。



 ▽ ▽ ▽



 何してるって、私高校生なんだよ。


 その時間は授業受けてるに決まってるでしょ?


 

 △ △ △



 確かに日記に書き込んだのは午前中であり、普通の高校生なら一限目が始まった頃だろう。


 時間もリンクしているという事なのだろうか。


 僕は三杯目のワインを注ぐ。そのワインがなくなる頃、映画を観る事なく眠りに就いた。

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