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「さて、そんなわけで町に出てきたわけだが」
「あ、おばあちゃん、お荷物お持ちしますよ」
「ニュースサイトで見ても近所で事件が起きてるような事はないわね」
「ボクぅ、迷子かなぁ? お母さんは一緒じゃなかったの?」
「悪魔とやらの行動範囲も把握できていないが……近所だけで良いんだろうな? リコの勘違いで実はこの街の外にもいます! なんて事になったら洒落にならんぞ」
「こらー、歩きながらスマホは危ないわよぉ! きっちり前見て歩く!」
「……おい、リコ」
「はい?」
俺と愛菜の会話にチョイチョイ挟まってくる声。
リコがあちこち歩き回って大荷物を背負った老人に声をかけたり、迷子らしき少年を気遣ったり、歩きながらスマホを構えているサラリーマン風を注意したりと、コイツは何をやっているんだ。
「俺たちは悪魔を探すんだろ。さっきから余計な事を抱え込みやがって」
「余計な事とは! 鉄太さんはそれでも英雄候補生ですか!」
「違うし、そんなもんがあるんだとしたら好き好んで入りたくはない」
「英雄たるもの、そしてそれに振るわれる聖剣たるもの、困ってる人を前にして放っておけるわけがないじゃないですか! 善行に大小貴賎はありません!」
「だからと言って、今の今やる必要はないだろ。俺たちは火急の案件を抱えているはずだ。悪魔を見つけなければ、この町の住民どころか、世界中が危険なんだろ?」
「それはそうですけど……」
「いいから、そのおばあちゃんと荷物と迷子少年は警察に預けてきなさい」
「はぁい……」
しゅんと頭を垂れ、背負っていたおばあちゃんと荷物、手を繋いでいた迷子少年を連れて、リコは近くの交番へと向かっていった。
あんな状態で悪魔探しとか出来るわけがないだろ……。
「まるで捨て猫を拾ってきた子供と、戻してきなさいと命じる親みたいね」
「俺より年上の子供とか厄介すぎるだろ。ってかあのおばあちゃんや迷子少年を捨て猫に喩えるのもどうかと思うぞ」
確かに俺もちょこっとそう思ってしまったけれども。
「それよりもよ、鉄太。なんか、変な感じがしない?」
「お前……俺がやめとけって言ったのに、あんなにデザート頼むからだぞ」
「ちっがうわよアホたれ! そうじゃなくて、なんつーか……空気の流れが微妙にいつもと違うと言うか」
「そんな事言われても、俺は風使いとか言う痛い設定を背負ってるわけでもないしなぁ」
「ガス臭い……? いや、臭いの違和感じゃないわ。これはもっと別の……」
ヤバいよ、ついに愛菜も高校二年生にして中二病全盛期に入ってきちゃったよ。遅咲き過ぎるにもほどがあるだろ。
「おい待て、愛菜。意識をしっかり保て。お前はそういうキャラじゃないはずだ。同じ中二病でももっと別の……」
「痛いキャラ設定とかじゃなくて! あー、もう、とにかくちょっとついてきて!」
強引に手を引かれ、俺と愛菜は昼間の街中を歩き出した。
とは言っても、すぐに止まった。
先ほどの場所から数百メートルの場所、すこし大通りから外れた路地裏である。
「ここがどうしたんだよ? 何もないだろ」
「いや……確かにここよ」
気だるげにあくびを噛み殺す俺に対し、愛菜は警戒するげっ歯類よろしく、首を伸ばしてキョロキョロと辺りを窺っている。
その様は本当に、近くに天敵が潜んでいないかとビクビクしているようにも見えた。
人通りの少ない路地裏は、狭いビルの間を強い風が通り抜け、昼間だと言うのにかなり寒い。
そこかしこには雪も残っており、まだ冬の名残を感じさせた。
だからこそ、俺はその寒気を気温の所為だと勘違いしていたのかもしれない。
気付きたくなったのかもしれない。
ポタリと落ちてきたその雫に気付けたのは、ある意味で僥倖であった。
「ん?」
俺と愛菜の間に、何かが落ちてきた。
雨か何かかと思って落ちた地点を見る。
そこに出来ていたのは赤黒い斑点。
幾つかの赤い液体が空から落ちてきて、地面に幾つかの模様を作っていた。
赤い雫について、俺はすぐに何かを察する事が出来なかった。
空から降ってくる赤い雫について、日常を暮らしていてすぐに予想がつく方がおかしい。
雨は普通、水だ。赤くはない。
誰かが絵の具でも落としているのかと思った。
イタズラなら悪質だな、と思って俺は空を見上げたのだ。
その時に、俺は確かに見た。
ビル壁にそれがいたのだ。
体長は昨日見た狼男と同じぐらい。見かけもそれほど変わらない。
身体中に毛が生え、ごわごわとした毛皮を想像させる。それは動物と人間のハイブリッドの姿というのが一番しっくり来た。
だが、狼男と違うのはその腕である。
その腕には大きな翼膜のようなものがあり、今まさにそれを広げている。
また、その大きな顎でマネキンか何かを咥えている様でもあった。
パッと見の異常さ。それが俺の思考を全て奪い去るかのようであった。
俺が思考を手放さなかったのは昨日の出来事があったからだろう。
狼男は鋭い爪を俺に向けていた。間違いなく殺すつもりだった。
同質に見えるビル壁にくっついているアレも、恐らくはそのつもりだ。
だが、俺とは目が合わない。
俺はヤツを見ているのに、ヤツは俺じゃないものを見ている。
すぐさま、俺はヤツの狙いを見抜いていた。
「危ねぇ!!」
前方にいた愛菜の腰辺りに目掛けてタックルをかます。
「ぐへっ!」
愛菜はかえるのような声を漏らしてそのまま突き飛ばされ、地面をコロコロと転がる。
次の瞬間には、俺と愛菜がいた場所にて破裂音が響く。
「な、何事……!?」
状況を飲み込めていない愛菜が様子を窺うかのようにこちらを見る。
「愛菜、逃げろ!」
俺は全てわかっている。
今のこの状況が、手に取るようにわかる。
死に瀕した人間の、火事場の馬鹿力のようなものだろうか。
神経が研ぎ澄まされている。
あの羽の生えた……そうだな、コウモリ男とでも呼ぼうか。
ヤツはビルの壁を蹴り飛ばし、矢弓のようにこちらに降りかかってきたのである。
その足に生えた爪は、ビルの壁を穿ってコウモリ男とマネキン……いや、見ず知らずの女性の死体の重量を支えられるほどの強度を持っていた。
その爪を向けて、アスファルトを貫いたのである。
破裂音は、ヤツの爪とアスファルトがぶつかった時に響いたものだ。
『クルルルルル……』
大きな眼がこちらを向く。
コウモリ男は咥えていた死体を放り投げる。その時、傷口から赤い雫が散った。
「くっ……」
そうだ、あの時、空から落ちてきた赤い雫はアレだったのだ。
血液。そんなもん、すぐにそれだと気付けと言う方が間違いだ。普通、血は空から降ってきやしない。
「て、鉄太……!?」
「愛菜、リコを呼んで来てくれ! 俺じゃあんなヤツの相手は出来ない!」
「鉄太はどうするのよ!?」
「ここで俺まで背中を見せれば、二人して仲良く昇天だぞ」
見す見す俺たちを見逃してくれるほど、悪魔と言う名前は伊達ではあるまい。
それに奴さん、俺が愛菜を助けた事で、随分トサカに来ているように見える。もし仮に普段は温厚な性格だったとしても、今は虫の居所が悪かろう。
「悪魔とやらがこれだけ暴れてるんだ。リコならすぐに気配を察知するだろ。だが、お前までいたら俺が逃げ回るのに邪魔なんだよ」
「じゃ、邪魔って何よ! 私だって……」
「うるせぇ、早く行け!」
グダグダと問答をしている暇はない。
あの悪魔、表情から何を考えているかなんてわかりやしない。相手の攻撃の機すら窺えないのだ。幾らケンカ慣れした人間でも、あれから行動を予測するのは無理だろう。
そして俺は別にケンカ慣れしているわけでもない。
『クルェ!』
「っ!」
だが、優しいかな、それとも余裕かなにかか。
コウモリ男は一声、声高に叫ぶ。
その鳥の鳴き声のような声が引き金となったように、コウモリ男は俺に向けて一直線に飛んできたのだ。
向けられたのはまたも鋭利な爪。足から生えたその鉤型の爪は、もし当たってしまえばアスファルトよりも硬度の低い俺の身体などは一撃で大穴を開けられてしまうだろう。
だが、俺は避けられない。
何故なら、俺の背後には愛菜がいる。俺が避ければコウモリ男は愛菜を狙うだろう。
それは絶対にさせてはいけない。
強い使命感が、俺の足を地面に縫いつけた。
逃げ出すべきではない。
「くそがぁ!」
俺は腕をクロスして前に出し、破城鎚の前に差し出されたコピー用紙のような防御を固める。
まず間違いなく、あの爪を防ぐのは無理だった。
『クルルルルェ!!』
けたたましいコウモリ男の声が近付き、その時が訪れる。
瞬く間であった。
コウモリ男の爪は俺の腕を両腕とも貫き、そして胴体に迫る。
その勢いたるや、もし仮に銃で撃たれたならこんな痛みなのではないかと思うほど。
貫通した爪はその殺人的な勢いのまま、俺の心臓すらも穿とうと狙っていたのであろう。
だが、何故かそれ以上爪が肉に到達する事はなかった。
侵攻を止めたコウモリ男の爪であったが、その勢いまでは殺しきれなかった。
ダンプにでも突っ込まれたかのような衝撃が俺を吹き飛ばし、そのまま地面を転がした。
『クルルルェ!』
「ぐああああっ、ぐ!!」
「鉄太ぁ!」
コウモリ男の声、俺の呻き、愛菜の悲鳴が路地に木霊する。
その時、俺は何が起こったのか理解しきれていなかった。正直、死んだと思った。
腕を貫かれた激痛が身体中を走り、危険信号が鳴り響く。
このままここにいては死ぬ。本能がそれを理解していた。
同時に、退く事は出来ないと言うことも。
ヌポッとコウモリ男の爪が引き抜かれ、俺の傷口からは血が勢い良く噴き出る。
「ぐおおお……」
激痛と共にとんでもない喪失感に襲われる。失ってはならない大切な何かが抜け落ちていく。
モノのわずかな時間で、コイツには敵わないと、文字通り痛いほど理解させられた。
『クルルルルェ!』
コウモリ男は一度強く羽ばたいて、俺たちから距離を取る。
勢いが足りなかった、と思ったのか、さっきよりも遠い間合いから既に身構えていた。
今度こそ、俺を殺しきるつもりだろう。
「くそが……ぁ!」
「鉄太、逃げてぇ!」
「お前が先に逃げろっつってんだろ! もう持たねぇぞ!」
涙声が聞こえてくるが、振り返っている余裕もない。
愛菜が泣いているのだとしたら、それは見者だ。
ヤツはあまり人前で泣いたりしない。気丈な女だ。
それがもし涙を零しているのだとしたら、レアな状況である。一目見ておきたい欲求は強い。
だが、それ以上に、コウモリ男から目をそらせない。
少しでも気を抜けば死ぬ。いや、抜かなくても死ぬ。
そんな万事休すの状況が、目の前の敵に意識を釘付けにする。
何があっても後ろに逸らしてはいけない。その使命感だけが、心根の砕けそうな俺の足を立たせたのだ。
「来いよ、コウモリ野郎。俺がいる限り、愛菜には指一本触れさせねぇからな」
「鉄太……!」
決意を改めて口に出し、コウモリ男を見据える。
『クルェ……』
俺の挑発をまともに受け取ったのか、コウモリ男はちょっとイラだった様にも見えた。
逃げるなら今の内しかない。
「愛菜ぁ!」
「うっ……!」
俺が声をかけたが、愛菜が逃げるような様子もない。
ちっ、馬鹿が……。
こうなるとリコが勝手にこっちに来てくれるのを期待するしかないか。
「チクショウ、望み薄だなぁ、おい!!」
もう半ばヤケだ。
抗えない死を前にして、気持ちばかりが昂ぶる。
俺は今ここで死ぬかもしれない。だが、愛菜だけは守り抜いてみせる。
『クルルルルルェ!!』
コウモリ男が一層声高に鳴き声を上げ、翼を大きく広げた。
攻撃が来る、と思うと身が固まる。
無意識の内に視野が狭まり、コウモリ男以外の情報が全く入ってこなくなる。
全神経がそこに集中していた。
どんなに集中した所で、俺がヤツの一撃を回避する事は叶わないだろう。
だからと言って退くわけにもいかない。
恐怖で胃の中がこみ上げそうになっても、それでも躊躇わない。
腕の痛みを既に感じなくなってきていても、視線を逸らさない。
確固たる覚悟が足をその場に縫いつけ、鉛のように重たい腕を持ち上げる。
俺の前肢であった肉とホネの塊は青黒く変色しており、最早ほとんど俺の言うことを聞こうとはしていない。だが、だとしたならば盾に使うには持って来いだ。
さっきだって一発受け止めきれた。ならば次も。
――そう上手くいかないことはわかっている。
さっきの一撃を踏まえ、コウモリ男は勢いをつけるために距離を取り、また大きく翼を広げるような大げさな構えまで取っている。
向こうだって学習しているのだ。次こそ、俺を確実にしとめるだろう。
だが、だったらなんだというのだ。
それで俺の決意が揺らぐわけではない。
この一世一代の正念場に、逃げ道など存在しない。
ならば、と。
ほとんど無意識の内に、俺は前に踏み出していた。
アスファルトの地面を蹴りつけ、コウモリ男に向かってダッシュを始めたのである。
これが俺の意志だったのだとしたら、指を差して笑ってくれ。
絶対に勝てないと悟りきっている相手に対して、無謀な突撃をかまそうとしているのである。
自暴自棄ここに極まれり、と言うことだろうか。最早俺の身体であるというのに、その思考まで支配しきれていない。
「うおおおおおおおおおおお!!」
膝が笑いそうになるのを、何とか大声を上げることで耐える。
ここで大転倒などしてしまえば笑いものどころの話では済まない。
もうどうとでもなれ、と思った俺はどうにか真っ直ぐに走れるよう、血を全身にめぐらせるように、その気力をコウモリ男に向けた突進に集中させた。
体当たりでもかまして少しでも隙が出来れば、どうにかなるかもしれない。そんな溺れた人間の傍に落ちてきた藁にも申し訳ない程度の希望を持ったのかもしれない。
その儚いというには儚すぎる希望に縋り、俺は必死に地面を蹴る。
『その英雄力、評価しよう』
声が聞こえた気がした。
老若男女のどれともつかない声。頭の中に急に響いてくる音。
それは日本語ですらなかった。英語でもなさそうだ。他に聞き覚えのある言語でもなかった。
そう、音。それが一番しっくり来る。
意味のある音が俺の頭の中に響いたのである。
そしてその音があの預言書が発した音であると、何故か本能的に理解できていた。
同時にあの言葉を思い出す。
俺が読み上げた誓いの言葉。
「来たれ、英雄の証ッ!!」
大きく右手を伸ばし、それを宙に掲げる。
それが何の意味を持つのか、この時の俺にはわかっていなかった。
だが、それでもその言葉に反応して、それが来る。
ほぼ完全に日陰になっていた路地裏にまばゆい光が溢れる。
しかしそれは俺の掲げた右手の先から溢れた光ではなく、どこか別――後ろのほうから漏れてきたものであった。
だからこそだろうか。目を見開いていたコウモリ男が、その眩さに目をやられたのが、俺には良く見えた。
チャンスではあったが、何が起こったのかすらわかっていない俺に、コウモリ男に向けて体当たりを入れるような余裕はなかった。
そんな怯んでいる俺とコウモリ男の間に、影が落ちる。
「お待たせしました」
そして、その影の主が発した声に、俺は心底安堵する。
後姿しか見えなかったが、それは紛れもなく
「リコ!」
剣を構えたリコであった。
「鉄太さん、下がってください。あとは私がどうにかします」
「た、頼む」
救世主の出現に緊張の糸が切れた俺はその場に尻餅をついた。
正直、もうダメかと思っていた。
「鉄太!」
「あ、愛菜……」
座り込んだ俺に、愛菜が抱きついてくる。
それを見て、リコは肩越しに一つ笑みを零し、すぐに前に向き直る。
『クルェ……クルェ!!』
未だに視力が戻らないらしいコウモリ男。苦肉の策か、大きく広げた翼をはためかせ、後方へと逃げようとしていた。
『クルェ!』
そして、同時に口から煙を吐き出す。
全く光を通さないほど濃い煙は、リコに一瞬の隙を作る事に成功していた。
「リコ!」
「大丈夫です、心配しないで!」
俺が声をかけたが、心強い言葉が帰ってくるではないか。
しかし、そんなことをしている間にコウモリ男は近くのビルの窓を割り、内部へと侵入してしまった。
「逃げられる!」
窓があった場所は二階部分。コウモリ男の羽を持ってすれば難なく飛び込める高さであったが、リコでは辛いかもしれない。
モタモタしていてはビルの内部を通ってコウモリ男に逃げられてしまう。
しかし、それよりも疾く。
「逃しませんッ!」
リコが鋭い踏み込みを見せ、その手に握った剣を閃かせる。
俺の動体視力では全く追えないレベルの速さ。
瞬く間に起きた旋風と、そしてかすかな光。その残像がリコの動きを予測させるところに留まる。
常人では近く出来ないレベルの動き。これが英雄の証としてのリコの姿。
鋭い閃きを見せたリコの剣は、ビルの壁を貫き、そして引き戻される。
『クルルルェ!?』
そして、いつの間にかリコの目の前に連れて来られていた。
何が起こったのか、良くわからなかった。リコは確かに突きを繰り出し、そして瞬時に引いただけだ。それは逃げ出したコウモリ男に届くはずもなかった。間合いだけの問題ではなく、両者の間にはコンクリートの壁があり、それを貫く事すらできないはずである。
だが、コウモリ男は確かに剣に貫かれ、そしてビルの中から引っ張りだされていた。
コウモリ男もその事態に大層驚いた事だろう。
「リコちゃん流、秘技! もぐら抜き!」
「技名叫んだ! しかも超ダセェ!」
「説明しよう! 秘技・もぐら抜きとは遮蔽物の向こう側にいる敵を貫き、そしてこっちに引っ張ってくる技です!」
「見たままじゃねーか!」
「その際、私の剣は遮蔽物をすり抜け、敵を貫くまでどこまでも伸び続けます! 敵や剣を他の障害物との物理接触をさせなくする副作用で、残念ながら、相手に物理的なダメージは与えられません!」
「なんかサラっとすごい事言ってる!」
なんだ、すり抜けるって! そんな不思議な事がありえるはずが……って今の状況でそんなことを言うのは遅すぎるか。
『クルルェ!』
リコから逃げ出そうと羽ばたくコウモリ男だが、それをリコが許すはずもない。
素早くコウモリ男から抜いた剣で、二閃。
残光のみを追うのですら精一杯の斬撃。逃げる途中のコウモリ男の両翼を瞬く間に奪い去る。
いきなり両腕を失い、得られるはずだった浮力すらなくなったコウモリ男は、大きく傾けていた重心の所為で無様に倒れてしまった。
斬られた腕から血液のようなモノを撒き散らし、コウモリ男は立ち上がろうともがく。
「成敗ッ!」
しかし、そんな哀れな様子に微塵の情けもかけず、リコはコウモリ男の体に剣を埋めた。
『クルル……ぇ……』
しばらくジタバタともがいていたコウモリ男だが、すぐに動かなくなり、地面の上で動かなくなった。
「やった……のか?」
「ええ、死んだと思います」
剣を抜いたリコは、そのまま血振りをしてからその剣をどこかへしまいこむ。
元々魔法的な力を使っていたリコだ。あの剣だって出し入れ自由なのだろう。
状況が落ち着いたを確認し、俺の身体にどっと疲労がのしかかってくる。
「はー……死ぬかと思った。痛てて……」
「て、鉄太、大丈夫!?」
俺の腕に空いた穴を見て、愛菜が心配そうに縋ってくる。
「大丈夫だ……とは言い切れないけど、何とか生きてる」
「ご、ごめん。私の所為で……」
「お前の所為じゃないだろ。……だぁー、もう泣くなよ!」
ボロボロと涙を零し始める愛菜に、俺はどうして良いやらわからなかった。
コイツのこんな塩らしいところは、ここしばらく見ていない。
いつだって強気で、無根拠な自信に溢れているやつだった。
だが……考えてみれば、俺と同じ高校二年生の女子なんだもんな。
そりゃ、怖かったろうな。
「鉄太さん、愛菜さん。移動しましょう。ここにいては色々と厄介です」
「お、おう。そうだな」
リコが周りを窺いながらそんな事を言ってくる。
確かにこの騒ぎを聞きつけたヤツらが現れると、説明とかが面倒だ。
「あ、そう言えば、あの人……」
俺たちがここに来た時、コウモリ男は一人の女性をくわえていた。今はヤツに投げ捨てられて地面に転がって動かない。
あの女性、恐らくは死んでいるだろうが……。
「あの人はどうするんだ?」
「心苦しいですが、放置して置くしかないでしょう。私たちでは手に余ります」
「そう、だな……」
死体をどうにかできるわけもない。
あとは警察なりなんなりが処理してくれる事を願おう。
「愛菜さん、私に強くしがみついてください。鉄太さんはそのまま動かないで」
「うお!」
俺は急にリコに抱えあげられ、お姫様抱っこ状態になる。
そんな状態のリコに、愛菜がおぶられる形となって……なんだこの状況。
「ど、どうするんだよ?」
「このままビルの屋上まで跳びます。しっかり掴まっていてください!」
「おい、待て! おわあああああ!!」
俺の制止も聞かず、リコは本当に、一足跳びで六階建てはありそうなビルの屋上まで飛び上がってしまった。
確かに、これなら大通りの往来に『事件現場から怪しい三人組が出てくるのを見ました』なんて証言される事もないかもしれないが……。
「鉄太さん、愛菜さん。この場はこのまま帰りましょう。もう一匹の悪魔を捜索するのは多分難しいでしょう」
「それには賛成だが、このままってもしかして……」
「掴まっててくださいね!」
案の定、俺は抱きかかえられたまま、愛菜は背負われたまま、ビルの屋上を飛び越え飛び越えて家まで送り届けられた。
その強烈な上下運動に、人生の中で未曾有の酔いに襲われたことは言うまでもなかった。