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学校からバス停に向かうまで、しばらく歩く事になるのだが、その間に数件の店がある。
店の並びには甘味処もあり、普段は和風スイーツしか置いていないのだが、春から夏にかけてはアイスクリームを販売しているのである。
学校内の甘党には割りと好評なこの店。俺はあまり甘いものは得意ではないが、何故かここにいる。
「何よ! 何よ! 異世界の勇者の何が悪いのよ!」
「何が悪いかわっかんねーかなぁ」
「何が悪いってのよ!」
アイスを頬張る愛菜を前に、俺はお茶を啜る。
まだまだ肌寒い季節に、夜が近付こうという時間帯となれば、温かいお茶がとてもありがたい。
結局、愛菜は教師から長時間のお説教を受け、さらには反省の態度も見せなかったため、今度反省文を書くハメになったらしい。そりゃそうだ。コイツの態度は昔から見てきているが、ふざけたスタンスを崩す事はなく、教師の激昂ぶりが目に浮かぶようである。
「今日日、異世界の勇者に憧れない若者の方が少ないわよ!」
「それはどこの情報だよ……。それ多分嘘だから、訴えたら勝てるぞ」
「私の信じる事こそが真実!」
「うっわ、その不遜な態度がウゼェ」
「何よ! 鉄太はどっちの味方なの!?」
「常識の味方かな」
愛菜の暴論を受け流すのにも、最早なれたものだ。
コイツは学力は優秀だし、運動もそこそこ出来る。容姿も悪くなくて、頭の回転だって悪くはない。唯一の欠点とも言えるのが、この『ファンタジー思考』である。
漫画、小説、アニメ、ゲーム……何でも良い。コイツはそういった世界の常識を現実世界に持ち込み、さもそれが当然であるかのように語る。
それが幼少の頃から今に至るまで続いているのだから、このファンタジー世界への倒錯も極まったものだ。
それに、それだけ長いこと続けていれば、愛菜の方にも慣れが出てくるらしい。
ヤツは最後の一口分のアイスを口に放り込み、一つため息をついてドッカリと背もたれに身体を預けた。
「まー良いわ。教師になんか私の考えの一端を知ることすら叶わないでしょうね。いっそ哀れに思えてきたわ」
「哀れなのはお前だよ……」
愛菜の慣れとは、自分の考えを理解しない人間を見下し、自分の尊厳を何とか保つ事である。
自分のような高尚な人間の考えは下賎な人間にはわからない。そんな中二病めいた自己防御の理論武装が愛菜を守っていたのである。
それは本当に、いっそ哀れと言って良いだろう。
「お前さ、教師じゃねぇけど、ホントに現実見た方が良いぞ。俺ら高校二年だぜ? もう来年は受験なワケ。もしくは就職に向けて準備だ。今から色々と考えておかなきゃ、将来苦労するぞ、確実に」
「良いの。私は特別な存在になるんだから」
「あのさ……いや、良い。これまでの経験でわかってるんだ」
コイツに何を言っても無駄だ。
言葉を重ねても何も意味がないのなら、せめてコイツの思想を理解して、何があっても養ってくれる素敵な男性でも現れる事を願っておこう。
「そんなことよりよ」
「お前、自分の進路を『そんなこと』呼ばわりかよ」
「良いのよ、今は更に重要な事があるの」
そう言って、愛菜はカバンから一冊の本を取り出す。
見るからに古臭い。角が汚れて傷がつき、ページにも湿気にやられたようなヨレがあり、かなり年季が深いのが窺える。
それを飲食店のイートインスペースの机にドッカリと置くのだから、こいつの肝はやはり据わっている。店員が見たら怒られるレベルだぞ、これ。
「これ見てよ、表紙! プロフェシーって書いてある!」
「ぷ、ぷろ? なんだそれ、英語?」
「預言よ、預言! これ、預言書なのよ!」
愛菜の言う通り、ハードカバーの表紙には英語でプロフェシーと綴られているようであった。
刺繍によって付けられた題名はところどころほつれていても、その物々しい文字だけは威厳を失っていない。預言書、といわれればそれだけの貫禄が窺える。
「預言書って……ノストラなんちゃかってアレか?」
「それも一種の預言だけど、そうじゃないっぽいのよ、この中身はノストラダムスとは全く別なの!」
二十世紀に世間をにぎわせたノストラダムスの大預言。
一九九九年に恐怖の大魔王が降臨して世界を破壊するとか何とかと言う預言が実しやかに囁かれ、誰もが半信半疑になっていた事がある。あれもまた預言。愛菜の影響か、何故かこんなことを知っている俺も、徐々に毒されてきているのか。
因みに、実際は現在になっても世界は破壊されておらず、あの預言も世紀の大法螺になったわけだが。
「お前、そんなもん信じてんの?」
「アンタ、まさかノストラダムスの世界崩壊も外れたから信じられないとかいうワケ?」
「外れたら預言にならんだろうが」
「どうして預言を外すために裏で何かの力が動いた、って考えないのよ? ノストラダムスの預言だって何百年も前から存在してたのよ? 世界崩壊の預言を回避するために、ありとあらゆる機関が総動員して世界の崩壊を防いだに違いないわ」
「お、おぉ……」
なるほど、そう考えればちょっと夢が広が……い、いや、こいつの真剣な言動に騙されてはいかん。
この世界のありとあらゆる自然法則はとてもよく出来ているのだ。恐怖の大魔王とか言う不可思議な現象によってそう簡単に覆されてはたまらない。そうでなければニュートンも草葉の陰で泣いてしまうだろう。
「いや、今はノストラダムスの大預言もどうでも良いわ! 重要なのはこの本にも世界の崩壊が記されていると言うことよ!」
そう言って愛菜は勝手にページをめくる。
パリパリと音を立てる紙が、その経てきた時間を感じさせた。
「ここ! ほら見て!」
「読めねーっつの」
英語で書かれた表紙に内容も英語。……いや、アルファベットが並んでるだけで英語と断じるのも早計か。まぁともかく、ぱっと見では何語かすらもわからない言語で書かれているのに、俺が解読できるわけもなかろう。
しかし、愛菜はこれを解読したらしく、自慢げにその内容を読み上げる。
「この世界は千年前に一度、その半分が滅んでいる。世界の東半分は終末の悪魔の小指によって千切り取られたのだ。その時の悪魔は何とか退ける事に成功し、世界の再構築も滞りなく進んだが、悪魔の侵攻はまだ終わっていない」
「うっわ、胡散臭い……」
過去に一度世界が半分滅んでるって書き出しからヤバいってのに、そこから胡散臭いのオンパレードだよ。どこにも信用する要素が見当たらない。
なんだよ終末の悪魔って。今時、自作RPGでも恥ずかしくて別の名前にしちゃうぞ。
「お前その中二病ノートを信用しちゃったわけ? ヤベェよ、それ、大分昔にいた西洋の中二病の物証だよ。書いた人も恥ずかしがってるだろうから、大人しくお焚き上げしてやろう」
「馬鹿ね! これは本物の預言書よ! 私の勘がそう告げている!」
「お前の勘がどの程度信用に足るんだよ。今までお前の山勘が当たった事あんのかよ」
「山なんて張った事ないわよ。大抵、賭けは理屈で考えるもの」
そう言えばそういうヤツだった。
だがしかし、そんな理路整然と物事を考えるヤツがどうしてこの手の話題になると勘や雰囲気などの不確定な事を信用してしまうのか。これがわからない。
「大事な預言はこれからよ」
テンションダダ下がりの俺を見ない振りして、愛菜は鼻息荒く続きを読み上げる。
「連なる悪魔は次元の起点より這い出て、最初に三匹、後に三匹現れる。現れた六匹の内、最後の一匹が世界を滅ぼすほどの力を持ち、現世に大いなる災いをもたらすだろう。それを防ぐためには神の遺した道具を使うしかない」
「あー、じゃあもうどうしようもないわ。悪魔に滅ぼされるわ」
「棒読み! やる気が感じられない!」
「元々やる気はない」
そもそもここに連れて来られたのも嫌々である。愛菜が良くわからない脅迫で俺の行動を制限し、ここまで連れて来たのだ。だとしたならこの話を聞くのも当然乗り気であるわけがない。
「もしその預言を信じるとしてだ。その『神の道具』とやらがどこにあるかもわからんし、そもそも実在するかもわからん。あったとしても、最低でもその本が書かれた時代にあったもんだろ? そんなもんが現存してる可能性がいかほどのモンだよ?」
「神の力が宿ってるのよ!? 経年劣化なんかするわけないでしょ!」
「その無根拠な自信に付き合うのもだんだん疲れてきたわ……」
神の力と言うモノを信じているのもおかしいし、それが宿った道具があるってのを疑わないのもおかしい。
コイツ、全部おかしい。
「どーしても信じないって言うのね、鉄太」
「当たり前だろ。信じさせたきゃ、その神の道具とやらを見せてみな」
「……わかった。どうしてもって言うなら見せてやるわ」
そう言って愛菜はすっくと立ち上がる。
これから何が起きるのか、と身構えてみたが、ヤツはカバンを担いでそのまま店を出て行ってしまった。
「……な、なんなんだよ」
それから十五分ほどその場で待ち続けてみたが、愛菜が帰ってくるようなことはなかった。