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Path to idea  作者: シトール
17/19

5-3

 民家の屋根を飛び越え飛び越え、やって来たのは近所でも有数の金持ちの家。

 渡会家の近くまで寄って来ると、吐きそうなほどに嫌な予感が増している。

「これは……あの時の……ッ!」

 この感覚には覚えがある。石の扉を目の前にした時の、あの感じだ。

「鉄太さん、これはまずいです……ッ!」

 既に人間の体に戻っていたリコが、自分を抱きかかえるようにして震える。

 青い顔をしているところを見ると、マジでヤバい状況らしい。

「わかるのか?」

「はい……ポータルが現界しようとしています」

「げんかい……? どういうことだ?」

「現実に質量を持って出現しようとしてるんです!」

「それって、ヤバいのか?」

「今まではポータルが開いても質量を持っていなかったので、長い間現界していられず、すぐに霧散していました。でも、完全に質量を持ってしまったら現実世界に固定されます。ポータルも開き放題、悪魔も出現し放題です! その上、物理法則を軽々と捻じ曲げる幾つもの要素が入り込んできて、現実世界が崩壊してしまいます!」

「……なんか良くわからんが、ヤバいのはわかった」

 現実世界が崩壊するとか、なんなんだよ一体……。急に話が大きくなりすぎだろ!

 今まで僕らの街の危機、ぐらいの話じゃなかったのか? 悪魔がこの町に潜伏していて、それを倒せるのは俺たちだけってレベルの規模だった。それが急に世界全土ってお前……すぐに想像が出来んわ。

 だがリコの言葉から感じられる空寒い感覚。そればかりは否定できない。

 なにせ、俺自身が恐ろしいほどの嫌な予感を覚えているのだ。これが錯覚か何かなのだとしたら俺は精神に何かしらの異常を抱えていると言わざるを得ない。

「どうするんだ!?」

「妨害しないと大変な事になります。敵の罠である可能性はありますが、こうなったら突入以外にはありえません!」

「突入って……大丈夫なのか? この事件の犯人……恐らくは有島だってこれだけの大事を起こすだけの覚悟と準備をしているだろ?」

「ですから、罠を覚悟して、それを突破するんです!」

「何の策もなしに、ンなことが出来るか!」

「しかし! このまま手をこまねいているわけにはいきません!」

 リコの言う事も確かにそうなのだ。俺を襲っている未曾有の具合の悪さをこのまま継続されれば、頭がどうにかなりそうですらあった。

 だが人間の心情的に罠があるとわかっている所に飛び込むには相当の度胸が必要だ。

 俺にはそれが備わっていない。

 何せ俺は今まで普通の人間だったのだ。荒事もそれほど経験してはいない。そんな一般ピープルが急に戦場に放り投げられれば、動揺して二の足を踏んでも仕方あるまい。

 俺が屋根の上でモタモタしていると、リコが隣で立ち上がる。

「わかりました。確かに、鉄太さんに無理強いをするのはよくありませんでした。ここは私がどうにかします」

「え、あ、いや! それはいかんだろ!」

「しかし時間がありません!」

「……だぁ! わかったよ! 俺も行く!」

 いくらリコが強かったとしても、その力は十全ではない。

 それは持ち主が振るう事で最大の力を発揮するのだ。ただでさえ劣勢からのスタートなのに更にリスクを背負う必要はあるまい。

 そのためなら、俺も腹をくくろう。

「鉄太さん、でも……」

「いや、何も言うな。窮地の前で二の足を踏んでた俺のほうがどうかしてた」

「……わかりました。ですが、危険になったらすぐに逃げてください」

「出来るわけねーだろ。愛菜だって見当たらないんだ。有島を放っておくわけにはいかん」

 妙なのは愛菜だ。

 ここは渡会の家であるはずなのに、愛菜の姿がどこにも見当たらない。

 アイツにも高い英雄力が宿ったはず。ならば俺と同じように嫌な感じを察知してもおかしくない。それどころか愛菜の場合、コウモリ男を感知できるほどの索敵能力である。俺よりも酷い気持ち悪さに襲われていることまで考えられる。

 すぐにでも探し出したいところだが、猫を退くより魚を退けろ、だ。原因から取り除く方が合理的である。

「リコ、そのポータルはどこにある?」

「あそこ、庭にある蔵の中です」

「くそっ、あてつけのつもりか」

 有島がそこを選んだのだとしたら、趣味が悪い。いや、翔馬の記憶をある程度引き継いでいるらしいし、間違いなく意図的だろう。

「虎穴に入らずんば、ってか。肝が冷えるね、全く」

「鉄太さん、手を」

 リコが俺に手を差し出してくる。どうやらその手を握れと言うことらしい。

 俺はその言葉に従い、リコの手の上に俺の手を載せた。

 すると、手の触れ合った部分からまばゆい光が零れてくる。

 それは手の隙間、指の隙間からはみ出し、俺の目をくらませる。

 少し目を眇めたあと、再びリコの方を見ると、そこには一振りの剣があるのみであった。

 その刀身は白く美しく、真っ直ぐに伸びた諸刃の剣であった。

 鍔には大きな赤い宝石が埋め込まれ、柄頭には竜の頭を象ったような彫刻が彫られている。

 刃渡り八十センチほどの、ブロードソードであった。

「これが、リコの本当の姿……!」

 初めて手にする本当の武器。

 それはズシッと鉄の重さを感じさせるが、見た目よりは軽い。これも俺の英雄力が影響しているのかもしれない。

 それにリコは『重たい』などと言えば怒るだろう。これぐらいの重量が丁度良い。

『鉄太さん、準備は良いですか?』

「……あぁ。突っ込むぞ!」

 俺はリコを手にとって構え、庭にある蔵へと一足で跳んだ。

蔵に近付くたびに、嫌な予感が膨れ上がり、さらにはあの時の臭いが強くなる。

 体調を害するほどの強い臭い。子供の時は良くわからず単に気持ち悪いとしか形容できなかったが、今なら家庭用のガスの臭いを強くしたものだと喩えられる。

『瘴気の臭いが強いですね……鉄太さん、大丈夫ですか?』

「なんとかな。瘴気ってヤツの臭いなのか、これは」

 剣の状態のリコでも念話が通じるらしい。

 まぁ、ペーパーナイフの時にも念話が出来たんだから、この状態でも可能なのも不思議ではないのだが……。

『鉄太さん!』

「うぉ!?」

 急に俺の目の前を光る何かが通り過ぎる。

 俺は空中で上体を逸らし、それを何とか回避するが、続けざまにもう一撃。

「くっ!」

 俺の身体がミシリと小さな悲鳴を上げる。

 無理な運動を強制し、ぶっきらぼうにリコを振り回す。

 俺を目掛けて飛んできた光る何かを、リコで打ち落としたのだ。

 その反動で、俺は予想よりも早く着地してしまった。それも無理な体勢だったため見事な着地とはお世辞にも言えず、強く背中を打ってしまった。

『鉄太さん、大丈夫ですか!?』

「くそっ、やっぱり罠か……!」

 身体のあちこちが痛むが、それでも悠長にしていられない。

 あの光る何かは、確かな殺傷力を感じさせた。アレが当たれば大怪我は免れまい。

「なんなんだ、あの光るヤツ……!?」

『恐らく、設置型の魔法でしょう。相手は魔法使いだと言っていましたし、それぐらいの芸当はこなせるかと』

「設置型って……ヤベェな、どこにも見えないぞ」

 ボウガントラップのようなものなら、ボウガンそのものやそれを誘発するケーブルがそこらにあるはずだが、英雄力によって強化された身体能力を持ってしても、それを目視する事は出来ない。

「スイッチ自体が魔法で隠蔽されているのか、そもそも見えない魔法がスイッチになっているのか……どっちにしろ、魔法を使えない俺としては厄介この上ないな」

『発射後でも鉄太さんが反応できるのは幸いでしたね。弾速はそれほど速くないようです』

「リコは大丈夫なのか? 咄嗟にお前で打ち落としちまったけど」

『ええ、私はこれでも兵器ですから! 平気です!』

「……あ?」

『す、すみません。場を和ませようと……』

 リコの無駄な気遣いをゴミのように丸めて捨てつつ、俺は周囲に気を配る。

 蔵までの距離は思ったよりも遠い。今の身体能力で跳べば超大股一歩の圏内ではあるが、その間に罠のトリガーがある可能性は高い。

 くそぅ、やっぱ怖ぇ……。

『鉄太さん……?』

「いや、大丈夫だ。突破するぞ。時間がないんだろ」

『はい!』

 覚悟を決め、もう一度踏み出そうとした時。

「何事だ!」

 母屋から声がする。

 そう言えば、ここは普通に民家だ。愛菜の家族がいてもおかしくはない。

 聞こえてきたのは、愛菜の祖父の声か。齢七十を越えても足腰カクシャクした元気な爺さんだ。俺とも面識がある。

「爺さん、来るな!」

「その声、鉄太坊か!」

 母屋の奥から見慣れた爺さんの顔が現れる。

 そして、またどこかで光が見えた気がした。

「くそっ! 爺さん、奥に戻れ!」

 言うが早いか、俺は地面を蹴り飛ばす。

 放たれた光は既に爺さんをロックオンしている。

 まずは射線に立ち、爺さんの安全を確保だ。

『鉄太さん、もう二発、来ます!』

「なにぃ!?」

 俺が動いた事で、更に二発分の光が誘発されたらしい。

 三方向からの同時攻撃。しかし、内二発は俺を目標としている。

 最悪、爺さんを狙った一発だけでも打ち落とせれば良い!

「リコ、どうにかしろ!」

『え、えぇ!?』

 俺を狙った二発分は聖剣に宿る不思議パゥワーに頼ろう。

 目の前の一発は、

「おらぁ!」

 リコを上から振り下ろして叩き落す。光は地面を穿ち、小さく深い穴を作った。

『鉄太さん、少し我慢してください!』

「えっ!?」

 急に剣の形が変わる。

 刀身が明らかに伸び、切っ先が地面に突っ張った。

 それでもなお伸び続ける刀身は俺の身体を浮かせる。

 その勢いたるや、逆バンジーもビックリである。ジェットコースターなんか目じゃないぞ。

 瞬く間に俺は母屋の中に吹き飛ばされ、そのついでに爺さんも巻き込む。

「ぐぉ!」

「げはっ!」

 下敷きにしてしまった爺さんはカエルの鳴き声のような声をひねり出して、そのまま動かなくなってしまった。

「じ、爺さん! 大丈夫か!?」

『生命反応はあります! 大丈夫大丈夫』

「お前が軽くフォローすんな!」

 確認してみると、確かに呼吸はしている。

『このままここで気絶してもらえれば、逆にラッキーじゃないですか?』

「その通りかもしれないが、今、お前が言うと何か反感を覚えるな」

 どうにかしろ、と言ったのは俺だが、あんな風に回避するとは思わないじゃないか。

 いつの間にか剣の長さは元に戻っており、さっきの如意棒のごとき長さは幻だったかのようにすら思えてしまう。

「お前、伸び縮み自在なのか?」

『と言うか、人間に変身できるわけですから、大抵のモノに変身できますし、伸び縮みもある程度は自由です。あんまり長すぎるのはアレですし、長さに伴って重量も増しますけどね』

 なるほど、外部から蔵を一突きしたり、薙ぎ払ったり出来ないものかと思ったが、それだけの長さだと重量もかなりのモノか。英雄力で強化していても扱えるかどうかわからんな。

 結局、内部に侵入して有島自身を倒さないと解決はしないだろう。

「じゃあ、すぐに戻るぞ。……つっても、やっぱりあの光は邪魔だな」

『そうですね。幸いここはまだ罠の範囲外っぽいので、対策を打ちましょう』

「なにかあるのか?」

『数分だけ時間をいただければ、鉄太さんの周りに防御フィールドを張る事が出来ます』

「ンな便利なもんがあるのか」

『ただし、持続時間は短く、強力な攻撃には対処できません。あの光が掠める程度なら、軌道をそらす事が出来るでしょう』

「ないよりマシか……じゃあ、頼む」

『了解です!』

 元気の良い返事を聞き、待つこと数十秒。

 リコの刀身に謎の模様が浮かび上がり、それがパッと光ると俺の周りに球体の薄幕が現れた。

 半透明であるその幕は俺の視界を遮る事はないものの、やはり頼りがいはない。

「だ、大丈夫なんだろうな」

『罠地帯を突破するだけなら充分でしょう。私を信じてください』

「……良いだろう。お前に賭けるからな」

 自信満々のリコの言葉を信用し、俺はまた立ち上がる。

 リコを構え、見据えるのは蔵の入り口。

 重たい扉は閉まっており、中を窺う事は出来ない。

「多少は破壊しても大丈夫だろう。世界の危機と蔵の扉は比べられないしな」

『壊すんですか!?』

「リスクもなしに解決できる問題じゃない。渡会家には悪いが、蔵の全壊くらいは覚悟してもらわないとな!」

 俺は重心を落とし、足に力を込める。

 ここから扉までに遮蔽物はなし。罠を突破しつつ内部に侵入するには一直線で駆け抜けるのが早道だ。

 そして、今の脚力ならそれが出来る。

「行くぞ、リコ!」

『はい!』

 俺は貯めた力を思い切り解放する。

 畳の床をぶち抜くほどに力強く蹴り飛ばし、まるで矢弓のように蔵の扉へと一直線に飛ぶ。

 途中、罠のトリガーに引っかかったようだが、光がこちらに飛んでくるよりも先にもう一歩先へと歩みを進める。

 目の前に迫る蔵の扉。子供の時には重たくて動かすのも一苦労であったが、今は何の障害にも感じられない。

 リコを構え、勢いのままその扉へと体当たりをかます。

 剣の切っ先が当たった瞬間、扉は軋み、曲がり、各所にヒビが入る。

 瞬く間に耐久度の限界を超えた分厚い扉はバキバキに破壊され、幾つかの破片となって蔵の中へと散らばっていった。

「よしっ! これで……」

『魔力反応!? 鉄太さん、危ない!』

「えっ……!?」

 リコの言葉が聞こえた瞬間、俺の目の前が真っ白に染まる。

 同時に爆音。



――なにが、起きた。

 気がつくと、俺は蔵の外で仰向けになって転がっていた。

「ほう、即死しなかったとは驚きだね」

 耳鳴りのする聴覚に、聞き覚えのある声が届いてくる。

 これは……有島の声か。

 アイツが何かしたのか……それにまんまと引っかかったわけだ。我ながら無様である。

「罠を警戒していたのは良いが、ゴール目前で気を抜くのは良くなかったね。そら、悠長に寝ている暇はないよ」

 ……殺気!

 俺が目を開けると真上に何か影がある。

 それが何かを確認する前に、俺の身体が動く。

 地面を転がって立ち上がると、今まで俺がいた場所に柱のようなものが突き立っていた。

 いや、アレは柱ではなく、どでかい槍だ。

「くっ……! 殺す気満々じゃねぇか……!」

「おや、存外元気だ。その剣のお陰ってところかな?」

「剣……そうだ、リコ!」

 呼びかけてみても応えがない。

 何が起きてるんだ……?

「その剣に感謝するんだね。本当ならボクの仕掛けた罠で、君は今頃バラバラだ」

「罠……そうか、蔵の扉に仕掛けてあったヤツ……」

 状況を正確に把握するほどの余裕はなかったので想像するしかないが、あの扉に仕掛けてあった罠は、周りにあるボウガントラップとは違い、本気で殺しにかかってきていた、有島の本命だったのだろう。

 リコはそれを察知していた。故に、俺を生かすために身代わりに……ッ!

 ……いや、それは早とちりか。

 この剣がまだ俺の手の内にあるなら、何かの障害があって念話が通じないだけかもしれない。

 確証がもてない内は、決め付けるのはまずかろう。

 ここは、リコを信じる。

「……だが、リコのサポートなしか。やれるのか……?」

 一抹の不安が俺の胸をよぎる。

 だが、ここまで来て退くなんてありえない。

「さて、どうするね、東間くん。ボクはこのまま逃げてもらっても構わないよ?」

「くそっ……余裕ぶっこきやがって」

 だが、それも当然だ。俺の方は四方をトラップに囲まれており、有島は安全地帯。アレで余裕がないなんて言おうものなら、余程の臆病者だろう。

 俺としてはまず始めに、有島を蔵の中から引っ張り出さなければならない。

 正直、あの爆発の後に蔵の中で戦闘をするほどの度胸はない。

 しかし、どうやって引っ張り出す? こちらが外で待っていても、アイツは外に出てくる事はない。アイツに俺を追いかける理由がないからだ。

 かと言って、俺からアクションを仕掛けてアイツを蔵から追い出す手段も思い浮かばない。

 何せ何の準備もない。俺の手札と言えば身体一つとリコだけだ。

どうする……どうすればいい……!?

 なにかこの状況を打開する裏ワザでもないのか……!?

 裏ワザ……秘策……秘技……!?

「そうだ……!」

 思い出した。こんな状況にピッタリの秘技があったではないか。

 俺の手の内に隠れていた最後の手札。だが、これは賭けだ。

「俺にリコと同じ芸当が出来るのかどうか、定かではない……だが」

 見様見真似でポーズを取る。

 剣を寝かせて後ろに溜める。切っ先は真っ直ぐ蔵を狙った。

 不思議と、有島の居場所がわかる気がした。これが英雄力の察知と言うモノか。

 敵の察知ぐらい、リコや愛菜に出来たのだから、俺にでも出来るのだろう。

 問題はここからだ。

「おや、まだやる気かい? 無駄だと思うけどね」

 蔵の中から有島の声が聞こえる。しかし、今はそれを無視しよう。

 集中しろ。今、俺は俺の常識を破る行動に出ようとしている。

 一瞬でも疑えば、実現しない気がする。

「リコ、力を貸してくれよ……!」

 不意に全身に力がみなぎる。

 腕に込められた力が、いつにも増して強く感じた。このまま剣の柄を握りつぶしてしまいそうなぐらいだった。

 同じような力で足で地面を踏みしめ、その反動に負けないようにする。

 恐らく、チャンスは一度。これから繰り出す技を一度でも見せれば、次からは有島だって対応してくるはずだ。

 ここを失敗するわけにはいかない。

 しっかり狙いをつけ、そして、一気に力を解放する。

「リコちゃん流、秘技!」

 刀身が淡く輝きを放つ。

 同時に思い切り剣を突き出した。

 それはまさしく閃光。レーザーのように発射された刀身が、蔵の壁を貫く。

「なっ!?」

 有島の驚いた声が、剣を通して震えてきた。

 かかった!

「もぐら抜きッ!」

 それは、リコがコウモリ男を捕らえた時に見せた秘技。

 壁を貫き、対象を手近な所まで引っ張ってくる、クソダサい名前を持つ技であった。残念ながらこれによって相手に物理的なダメージは与えられないが、この状況を打開するとても良い手段である。

 手ごたえを確かに感じ取った俺は、すぐさま剣を引く。

 それによって引っ張られてきた有島が、蔵の外に現れた。

「よぉ、無駄かどうか、試そうぜ」

「くそっ――」

「遅いッ!」

 有島が身じろいでいる間に、もう一度剣閃を走らせる。

 それは有島の肩口を狙った一撃だったのだが、その間に腕が挟まれた。

 往生際の悪い有島は、俺の斬撃を左腕で受け、そして軌道をそらしたのだった。

 致命傷を免れた有島だったが、よろめきながら距離を取った。

「ちっ、躱したか!」

「ふふ、予想外だよ、東間くん。君がここまでやるとは……」

 有島が左腕をなぞると、傷が瞬く間に消える。このあたりは魔法使いを自称するだけはあるか。確実に仕留めきらないと、いつまでも勝負がつかなさそうだ。

「しかし……君も考えなしだな。それとも、既に覚悟をしていると言うことかな?」

「何のことだよ」

「ボクを殺せば、その剣が世界に災厄をもたらす剣になるって事、忘れたわけではあるまい」

 預言書に書かれていた言葉。

 確かに、あの預言が本当ならば、有島とリコのどちらかが世界に災厄をもたらす悪魔となってしまうはずだ。

 しかし。

「それについては、俺のほうでも解決策を見つけている」

「ブラフにしては堂々としているね。ポーカーフェイスも上手いのかな」

「ハッタリかどうかは試してみればわかるさ。俺も、成功するかどうかはわからん」

 俺の言葉は嘘ではない。

 リコに時間を貰って預言書を読んでいて見つけたのだ。

 ヒントは『聖剣の特性』の章に書かれてあった。

「君はまさか、その剣がまだ悪魔ではないと言い張るつもりかい? その剣が聖剣でいられれば、世界に災厄をもたらす悪魔にはならないと?」

「リコは悪魔なんかじゃない。少なくとも、他に召喚されたヤツらとは違う」

「くくっ、それは君がその剣に騙されているだけだろう。本質はどうだかわからないぞ?」

「お前こそ、何を根拠にリコが悪魔だと言い張るんだよ」

「言い張る、と言うか確証を持っているのさ。ボクは、その剣を打った刀匠と知り合いでね」

 ピリっと、剣が震えた気がした。

 ……リコのヤツ、念話は通じてないけど、聞こえてはいるのか?

「その刀匠もボクと同じく異世界の住人でね。何度も何度も鉄を打ちながら、呪詛のように呟いていたよ。『聖剣になれ、聖剣になれ』ってね! 滑稽だとは思わないか?」

「何を笑う必要がある。そう願う事におかしい所なんかない!」

「おかしいだろ? 君は願いと言うモノがどう言うモノかわかっているのか?」

 謎かけのような言葉。それはこちらを惑わす妄言でも、時間稼ぎのための問答でもなく、何か核心にふれているような気がした。

 だからこそ、俺はその時動けなかった。

 それを見て、有島が口元を歪める。

「君はどういう時に神様に、あるいは星に願う? あるいはもっと手近な存在でも良い。例えば自分よりも地位が上の存在に何かを願う時はどんな場合だ?」

「何が言いたい?」

「願いの本質なんてのは、この世界も異世界もそう変わりはしない。願うと言うことは、自分の力ではそうならないと認めているようなものだろ?」

「……っ!」

 剣の震えと、俺の息を呑むタイミングがピッタリとあう。

 心のどこかで『なるほど』と思ってしまった。

 そんな心境を見透かすように、有島はクツクツと笑う。

「所詮、あの男に聖剣の模倣は出来ても、真なる聖剣を打つことは出来なかったんだよ」

「なるほど、テメェの言い分はわかった」

 心の動揺を振り払うように、深くため息をつく。

 落ち着け、有島の話に、俺の確信を揺らがせる要素なんてありはしなかった。

「つまりテメェはリコが聖剣でないとだけ、言いたいわけだな」

「……何か間違っているか?」

「いいや、間違っていないかもな。俺がお前の言葉を信じる余地なんざこれっぽちもないが、仮にそれが本当だとしよう」

 いや、本当は半分信じてしまっている。

 リコも同じような事を言っていたのだ。リコを作った刀匠が『聖剣になれ、聖剣になれ』と願いをこめながら打ったのは本当だろう。

 もしかしたら、本当に聖剣を打てず、その模倣品にしかならなかったかもしれない。

 だが、だったら何だと言うのか。

「出来上がった時に模倣品でしかなかったとして、どうしてずっとそのままだと断ずる?」

「君は何を言って……?」

「リコは単なる剣じゃない。アイツは人にだってなれる」

 単なる剣なら、あんな風に喋らない。

 単なる剣なら、あんな風に歩かない。

 単なる剣なら、あんな風に笑わない。

「アイツが望めば、本当の聖剣にだってなれる!」

「くくっ、美しいね、その絆……だが、時間の無駄だったね!」

 言葉で笑って、顔を怒りに歪ませた有島が、庭に刺さっていた巨大な槍を手に取った。

「お話は終わりだ。決着をつけよう、東間くん」

「上等だ。はじめっからそうしてりゃ早かったんだよ」

 槍を構える有島に対して、俺も剣を構える。

 こっちの土俵に引っ張り出せたのは良かったが、しかし心配事が幾つかある。

 まず、相手の得物の方がリーチが長いこと。

 俺はこう言う戦闘に慣れているわけではない。そんな素人の戦闘でリーチとは大きすぎるアドバンテージだ。

 見る限り、有島の持っている槍は二メートル近い。リコが八十センチ程度の刃渡りだとすると、二倍以上のリーチがあるのだ。

 どうにか相手の間合いの内側に入れればワンチャンあるかもしれないが、そこに入り込むのは一苦労だろう。有島の戦闘経験値がどの程度あるのかもわからんし、少し慎重に攻めなければなるまい。

 もう一つは俺の技術のなさ。

 先ほど、有島に斬りかかった時、腕を切り落とす事が出来なかった。

 刃は骨に阻まれ、肉を切れても骨は断てなかったのである。

 リコが易々とコウモリ男を切り払っていた事を考えると、剣が悪いのではなく、これは使い手が悪いのだろう。仕方ないだろ。真剣なんか扱った事ないんだ。

 リコは英雄の証のマスターになることで色々な機能がマスターにインストールされるとか何とか言っていた気がするが、それも念話同様に不具合を起こしているのだろう。今の俺には剣術のけの字もない。

 だが解決策はある。刃自体は鋭いのだ。これを活かし、急所を狙う。

 人体の柔らかい場所を狙えばそこそこのダメージになるはず。更に勢いをつければ倍率ドン。

 まとめると、有島の間合いの外から急激に詰め寄り、その勢いのままに貫く。これ。

 いや、最悪勢いはつけなくても良い。至近距離からどてっ腹を切り裂けば、ワンチャン死ぬだろう。

 この策が実現できるか否かは、有島の力量次第だ。

「さぁて、まずは篭手試しと行きますか」

 地面の感覚を確かめるように、何度か足で叩く。

 緊張はある。恐怖も不安もある。だが、それ以上に使命感に燃えている。

 ここでやらなければ、と何度も自分を奮い立たせる事で、何とか脚の震えを止めている。

 必死に虚勢を張りつつ、グッと重心を落として構える。

「行くぞ」

「どこからでも」

 余裕の態度を見せる有島に対して、俺は一気に地面を蹴る。


 真っ直ぐに距離を詰める。

 有島の正面から迫り、その反応を確かめるためだ。

 リーチに有利のある有島は、恐らく俺の間合いの外から迎撃をしてくるはずだ。

 そんな俺の予想通り、かなり遠い間合いの所から、有島が迎撃のために槍を突き出してきた。

 予測どおりの行動に対して、俺は当然のように回避をする。

 槍の穂先をスルリと避け、更にもう一歩踏み込む。

 奴が槍を引くよりも速く、鋭く、俺の間合いの中に有島を収めようという算段だ。

(もう一歩……ッ!)

 ようやく一足一刀、と言う距離まで迫ったのだが、唐突に殺気を感じ、足を止める。

 顎を上げた俺の鼻先を、光の矢が掠めた。

 忘れていた。この庭には有島の張り巡らせた罠が今も生きているのだ。

「よく気がついたね」

「くそっ」

 既に槍を引いていた有島が、その槍を横薙ぎに払ってくる。

 魔法の罠に虚を突かれたが、その薙ぎ払いに対応できないほどではない。

 剣で槍を受け止め、来たる衝撃に備えて踏ん張る。

 ガツン、と音がして、剣と槍が火花を散らした……のだが。

(軽い……!?)

 思ったよりも軽い槍の一撃。

 あれほどの巨大な槍だ。それを振るえば相当な重さになると思ったのだが……。

 予想外だったが、これは好機。

 体勢も崩れていない状態の俺は、剣を槍に滑らせるようにして流す。

 踏み込みながら、有島の頭部に向けて剣を払ったのだが、槍の軽さに動揺しすぎたか。有島はすぐに退いていた。

 剣は空を切り裂き、また俺と有島の間に距離が空く。


「ふぅっ……!」

「はは、やるね、東間くん」

 息を抜く俺。同時に汗が噴き出る感覚がある。

 死ぬ所だった。身体が勝手に動いたような感じがしたが、有島の一撃一撃に殺意が乗っており、その敵意に満ちたプレッシャーが俺の精神を大きく削っていたのだ。

 これが、殺し合いというものか。

 だが、リスクを背負ったなりの情報は得られた。

 有島の槍、アレは大した脅威ではない。

 俺の英雄力の高まりゆえか、それとも見掛け倒しなのか、あの槍は軽い。その槍による一撃も当然破壊力に欠ける。

 あの一撃がフェイントだった可能性も考慮したが、追撃がなかったのはその可能性を否定するに足る材料ではなかろうか。

 アレがフェイントだったとしたら、俺が踏み込んだ所で反撃があったはず。しかし、有島はそのまま退いた。

 つまり、あの槍の一撃も本命だったのだ。

 ならばアレが有島の全力物理攻撃だと思って良いだろう。

 結論、ヤツの物理攻撃は大した脅威ではない。振りが速いわけでもないし、破壊力もない。注意すべきはヤツの魔法だ。

 その辺に張り巡らされている罠に注意しつつ、アイツ自身が放つ魔法にも警戒しつつ、俺の間合いまで踏み込んで、斬る。

 勝利への道筋が見えてきて、ようやく俺にも攻め気が湧いてきた。


 有島が落ち着く前に、次の戦端を開く。

 仕掛けるのはやはり俺からだ。

 鋭く間合いを詰めるため、有島に向けて走りこむ。

 しかし当然のように、有島の迎撃がこちらに飛んでくる。

 鋭い穂先が俺の顔面に向けて突き出されてくるが、俺はそれを剣で逸らした。

 火花を散らせた武器同士。俺はそのまま剣を滑らせ、更に踏み込む。

 先ほどと同じようなやり取り。しかし、他所から光の矢は飛んでこない。

 これはチャンスと見た!

 有島を一足一刀の間合いに捉え、俺は上段に剣を構える。

 有島の槍は引いていない。相手の準備は充分に整っていない!

「殺った!」

 まともな対応が出来ないであろう有島に対して、俺は容赦なく剣を向ける。

 上段からの唐竹割り。まず間違いなく、殺れる。

 しかし、その時、有島の表情が綻ぶのを見た。

「甘いね」

 白い歯を見せる有島。ヤツは退くどころか、むしろこちらに踏み込んできた。

 槍はまだ死に体。しかし、ヤツの左腕はフリーだ。

 そして、その左手が不自然に輝いているのを見た。

 その光は見覚えがある。周りに張り巡らされている罠の光の矢。あの光と同じだ。

 思い切り振り上げた俺の両腕。腹は全く無防備になっている。

 殺される――

 正直肝が冷えた。

 だが、奥の手は隠しておくものだ。

 俺は今まで、全速力で戦っていたわけではない。この身のこなしでも、まだ十割とは言えないのだ。

 それを今、解放する。

 しかし、ほぼ攻撃態勢に移っていたのに、それを無理に回避に持っていけば軸はブレる。

 無様ではあったが俺は有島の左手を避けながら、ヤツの脇へと抜ける。

 同時に、剣を寝かせ、ヤツの首筋を薙ぐ斬撃を放つ。

 態勢を崩しながらの一撃。有島はそれを、身をかがめて回避していた。

 これで分が悪くなったのは俺だ。

 俺の方はかなり体勢を崩しつつ、剣を振り切っている。

 対して有島は左腕を突き出してはいるが、槍の引き戻しは終えている。

 だが、今の俺ならば、英雄力全開にしてヤツの一撃を凌ぎきることは可能であろう。

 まだ勝ちの目はある。

「奥の手は最後まで取っておくものだぞ、東間くん」

 もう一度、有島の顔が勝利に歪むのが見えた。

 全身の血の気が引く。

 有島は左手を大きく回し、その魔法を発動していた。

 確認せずともわかる。俺の周りに浮く大量の殺気。これは……光の矢だ。

 ヤツは俺の周りに光の矢を大量に発生させたのだ。それが、一気にこちらへと飛んできている。

 更に、有島は腕を振った反動も活かし、右手に持っていた槍を繰り出そうとしている。

 まさに前門の虎、後門の狼である。

 行くも地獄、戻るも地獄、何もせずとも死地。

 光の矢に砕かれるか、槍に貫かれるか。

 逃げ道は完全に塞がれ、光の矢を打ち落とせば槍に貫かれ、槍を凌げば光の矢に蜂の巣にされる。

 これはどこにも生きる道はない。まず間違いなく、死ぬ――



「――とでも思ったかよッ!」

 まだ諦めるわけにはいかない。まだ負けるわけにはいかない。

 ここで屈せば、世界が大変な事になる。

 こんな、日本ですら中心地とも呼べない場所からカタストロフが始まってしまう。

 この状況をどうにかできるのは俺だけなのだ。そんな容易く諦めるわけにいくか。

 これは有島の取って置きの策、必殺の一手だったのだろう。まさに奥の手だ。

 最後の最後まで取っておいたジョーカー。強力ではあるが、これを切り抜ける事が出来れば俺の勝ちだ。

 そして、その筋は見えている。

「おるぁ!!」

 気合と共に繰り出した突き。

 剣を有島の持っている槍に向けてぶつける。

 だが、今回は火花を散らす事はない。何故なら両者は物体をすり抜ける何かにすり替わっているからだ。

 これはつい今しがた思いついた、もぐら抜きの応用。

 壁をすり抜けるこの剣、そして剣に貫かれた物体。それをこちらへ引っ張ってくるこの技。

 応用すれば、有島から武器を奪い取る事が出来るはずだ。

 そんな俺の目論見は、果たして成功する。

 有島の右手から離れた槍は、俺が剣を引っ張るのにあわせてこちらへ飛んでくる。

 そのまま槍を後方へ放り投げ、剣が離れた時点でそれは実体化し始める。

 そこにあるのは光の矢。

 槍にぶつかった光の矢は弾け、弾け、そして槍をあらぬ方向へと吹き飛ばす。弾き飛ばされた先で光の矢にぶつかり、それもまた爆ぜる。

 それでも幾つかの矢はこちらへと飛んでくるだろう。俺もその程度の痛みは覚悟していた。

 しかし、飛んできた矢は、不自然に軌道を変え、俺の身体を外れた。

(そうか、リコの張っていた膜!)

 事前に張っていた防御魔法がここで役に立った。

 軌道を変える程度の防御力しかなかった魔法であるが、それが功を奏して俺に直撃するルートを上手く外していたのだ。

 その間にも俺の背後では幾つもの爆発が一瞬の内に幾つも起き、爆音を響かせながら閃光を放つ。

「ぐっ!?」

 その閃光が図らずも目くらましとなったらしく、有島は目を眇める。

 絶好の好機。これを見逃す手はない。

 俺は両手脇に構えていた剣を有島の逆袈裟掛けに向けて振りぬく!

「がっ――っ!」

 滑るように抜けた剣閃は、後ろで輝く光の矢の残滓を受けて、まるで三日月のように映った。

 その月は間違いなく有島を捉え、その身体を切り裂いたのだった。

 有島が膝をついた時、残っていた光の矢も煙のように消え、槍も地面に転がったあとに霧散した。

「はぁっ……はぁっ……」

 有島がうつぶせに倒れたのを確認し、俺は荒い息を落ち着けようと胸を押さえる。

「勝った、のか……」

 半分無我夢中であった。

 閃きは確かに俺の中に走ったのだが、それを実行したのは既に思考ではなく、感覚であった。

 全く実感のない中、俺は死線を渡りきり、生を得たのだ。

「これも、英雄力の成せる業って事か……」

『いいえ、これは鉄太さんの力です』

「リコ!」

 俺の独り言に対して、返事が帰ってくる。

 頭の中に直接響くようなこの声は確かにリコのものだった。

「念話が通じたのか!」

『はい、今まですみませんでした。結局有島さんの相手を鉄太さんに任せきりで……』

「最終的に何とかなったんだ。結果オーライだよ。それよりも、だ」

 息を落ち着けた後、俺は蔵を見据える。

 今もなお臭いガスと嫌な予感を垂れ流している蔵。

 有島を倒してもポータル自体は開きつつあるようである。

「アイツをどうにかしないとな」

『……はい』

 ラスボスに立ち向かう心づもりで、俺は蔵へと向かった。

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