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お題54『東京』 『32歳から始める東京生活』

「もういいです、木原きはらさん。できることをやって下さい」


 一回り年の離れた女性社員に捨て台詞を吐かれ、会場の荷物を撤収する。


 ……今日も駄目か。


 俺はため息をつく暇もなく一トントラックに荷物を積み込んでいく。もちろん積み方もわからず再び古岡ふるおかさんの指示待ちになってしまう。


 いきなりできる自信はなかったが、自分の想定以上に体が反応せず、しどろもどろになる。


 地元の九州ではなんなくこなせていた業種だったが、東京でのやり方はまるで違い戸惑うばかりだった。


 この会社の社員は皆、神経を尖らせておりストイックだ。それはライバル会社が多く、競争に負ければ、生きる権利自体を失ってしまうことに繋がるからだ。20歳になるこの子も、高卒として入社して早、2年目。俺より業界は短いが滞りなく仕事を終わらせていく。


「これで以上ですね。いつもより時間が掛かりましたので、早く帰りましょう」

 彼女は抑揚のない声で俺を見ずにいった。


 その目にはすでに俺は使えない新入社員としてレッテルが貼られていた。


 

 新しい職場に来て一週間が経っていた。


 今の会社に入ったのは人のツテで、期待されていたのだが、俺の動きが悪すぎて、他の新入社員にまで馬鹿にされていた。


 俺の職種は技術を要するもので、それを買われて入ったのだが、前の会社とのやり方とは全く違い、規定以上のものでさえ作れなかった。


 もちろん慣れれば、人以上に早くできる自負はある。だが最初の一発目の施工で動けなかった俺に慰めの言葉を掛ける人はおらず、現場の人間からはいないもののように扱われるようになった。


 これが東京の人間の扱いなのか、それとも俺自身の不甲斐なさなのかはまだわからない。


「どう? 木原君。ここでの生活は慣れた?」


 副社長の柿本かきもとさんに笑顔でいわれるが、俺は目を背けて答えた。


「すいません、まだ全然慣れていません。お役に立てずに申し訳ないです」


「大丈夫、すぐに慣れるよ」


 柿本さんはそういって明るくまた笑った。


 彼は俺の人柄を評価してくれて、採用してくれた人だ。今までやってきたものを見せると、これならすぐに活躍できると見込み、新店舗に配属してくれた。


 もちろん期待をしてもらえることは嬉しい。


 だが実際は裏腹に俺の評価はだだ下がりで、新店舗の支社長は俺に話しかけようともしてこない。


 きっと俺の態度を見て不安でいっぱいなのだろう。


 九州では花を挿す技術がメインで、施工・配達は若い者が回ることになっていた。


 だが東京では、全てを完璧にこなすバランスが要求される。技術もろくにできていない今の俺に取り柄はなく、頑張れば頑張るほど、空回りするだけだった。


「大丈夫、君ならやれるようになるよ」


「ありがとうございます。頑張ります」


 柿本さんに頭を下げると、2年目のの古岡さんがいた。


「木原さん、ちょっといいですか」


 彼女を見ると、不機嫌そうな表情になっていた。咄嗟に体が硬直していく。


「今日は私と一緒に配達に行きます。よろしくお願いします」


「了解です。よろしくお願いします」


 背の低い彼女は俺を見上げることなく、業務連絡は終えたといった顔をして踵を返した。


 その目は笑っていなかった。



「木原さんは、九州で技術職として働いていたんですよね?」


「一応、そうです」


 俺は頷いた。「ですが、前の会社とやり方が違って戸惑うばかりです」


「そうなんですか」

 

 古岡さんは、小さくため息をついた。


「木原さんは足立に配属が決まったといってましたが、正直にいえば、私が行くはずだったんです」


 彼女は1トントラックを難なく運転しながらいった。


「……正直にいえば、悔しいです。上の判断ですから、仕方のないことですが。私よりも仕事のできない人が行くとなると、納得いきませんね」


「すいません」


 俺は丁寧に謝った。「今はまだ何もできていませんが、この二か月の研修で、必ず役に立てるようにします」


「技術だけでは駄目ですよ。足立は本社とは違って、人数が少ないですから、なんでもできるようにならないといけないですから」


「……重々承知しているつもりです」


 彼女にいわれなくても、わかっている。そしてそのプレッシャーに負けそうになっている自分の状況も理解できている。」


 地元では花屋は花を搬入するだけだった。だが東京では葬儀社のように会場の設営から始めなければならない。


 それはほとんどの業者が斎場を借りているからだ。全ての設計図を搬入する者が頭で一から組み立てて、道具を揃えなければならない。


 もちろん俺は幕の張り方も知らず、中途で入りながらも葬儀屋に転職した気分だ。


「木原さん。一つ、質問してもいいですか?」


 彼女は品定めをするような厳しく目を光らせていった。


「木原さんはなぜ東京に来たのですか?」


「……それをお答えするには一言で言い表せるものではないのですが、話してもいいでしょうか?」


「ええ、運転している間は暇なんです」


 彼女は渋滞に嵌まっている道路を眺めながらいった。

「今日は10日ですし、締日でトラックが多いです。なので帰るまでに50分以上は掛かりますので、ご自由にどうぞ」



 俺の仕事は葬儀の花屋だ。地元では名のある花屋に務めており、そこで日々施工にあたっていた。


 仕事は慣れると退屈だった。緩い職場でもあり、提携先との連携が取れており順調で同じことの繰り返しだった。技術に執着していた俺は同じものを作ることよりも別会社の花屋のパンフレットを見たりして、その乾いた心を潤していた。


 ここに来るきっかけは別の花屋の先輩だった。その方が東京の花屋に行くことになり、日々の生活に退屈していた俺は自分も行かせてくれないかと頼み込むと、承諾が下りて俺は東京の花屋に来ることができた。


 ここまでは順調だったのだが、いざ職場に入ると、まるでやり方が違い俺は戸惑うばかりだった。


 花の挿し方はもちろん、東京の花屋は自分たちで土台を作り現場ではなく作業場で花を挿して持っていく。東京の葬儀社は自分の斎場を持っていることが少なく、ほぼ貸し斎場だからだ。


 地元の九州では白木祭壇が常備あり、その上に花を挿すだけでよかった。また場面が広く、思うように描けていた菊のラインも花を挿す面積が少なく、今までの挿し方では通与しなかった。


 また、前にいた花屋は10名足らずのものだったが、ここは60名以上もいる会社形態を取っている。一人ですべてをこなすのではなく、連携を取らなければならないが、もちろん知っている人物はおらず、名前を覚えることもままならない。


 俺のアドバンテージは一つもない。付け加えると、年も若くなくこのまま仕事ができなければ解雇される可能性だってある。



「なるほど、そうだったんですね」


 古岡さんは素っ気なく頷いた。

「私も花を挿すことはまだできませんが、施工に関しては一人で任されています。現状では私の方が上ですね」


「……そ、そうですね」


「二か月後、使えるようになっていると認識していいですか?」


「も、もちろんです」


 俺は促されるまま、頷いた。

「それまでには必ず古岡さんに安心して貰えるようになってみせます」


 

 本社に帰り着くと、皆が連携を取って荷物を下ろしていく。俺たちが二人掛かりで30分以上掛けて積み込んだ荷物が5分もせずに消えていき、所定の位置に戻っていく。

 前の会社では考えられない光景だ。


「では木原さん。また新しい仕事を覚えて貰います」

 古岡さんは目線だけで俺を見て、二階の事務所を指差した。


「今日は二階にある事務所で写真を加工して頂きます。もちろん作ったことはないんですよね?」


「……仰る通りです」


 俺は彼女の機嫌を損ねないように頷いた。


「では、早く行きましょう。もちろん写真加工だけではなく、まだまだ回収の準備、贈呈の花束の作成もありますからね。一度で覚えて下さい」


 俺の返事を待たずに彼女は階段を一段ずつ登っていく。


 ……ここは、一体どこなんだろう?


 先に見える事務所がなぜか遠く見え、自分がどこにいるのかわからなくなる。退屈を持て余していたあの、地元はもうない。


 ……なぜ自分はこの世界を望んだのだろう。


 親族の結婚式以来に履いた革靴を眺めながら思う。地元では黒のポロシャツとスニーカーでよかったが、ここではスーツに革靴で現場に向かわなければならない。花を挿すだけではなく髭や寝癖などはもちろん、身だしなみにも気を使う必要がある。


 ふとスマートフォンを覗くと、友人からメールが届いていた。そこには地元の友人が結婚した時の写真が添えられていた。


 皆、幸せそうな笑顔を浮かべている。一番結婚とは無縁の男友達だったが、俺を残して旅立ってしまった。友人間で結婚していないのは俺だけだ。


 ……彼の式を蹴ってまで、ここに来たのに不甲斐ない。


 自尊心が音を立てて崩れていく。今まで積み重ねてきたものが崩れ、0ではなくマイナスからスタートしている。


 ……当たり前の幸せでは満足できなかったんだ。


 ここに来た理由を再度思い出す。想像できるものでは満足できなくて、上を目指している自分が好きだった。先を知るための努力は惜しまないし、誰よりもやる気だけは負けなかった。それが今は2年目の駆け出しの新人に駄目だしをされている。


 ……プライドなどいらない。一つずつ変えていこう。


 階段に掛かる鉄でできた手すりを掴みながら思う。32歳にもなった自分を一気に変えられるわけがない。後は自分の気持ちをコントロールして、この大海に飲まれていくだけだ。波に乗るのはその後でいい。


 ……自分が望んだ世界だ。これくらいで負けるわけにはいかない。


 東京の津波に飲まれてやろう。すべてを溶かして、マイナスの世界からでも這い上がってみせる。

新しい世界を見るために――。


 ……潰されてもいい。何もできずに言い訳することだけはしたくない。


 一歩一歩、鉄の階段を登る。新しいレールに載っていることを感じ取り、自分のいる場所を再認識する。


 ……始めの一歩は彼女に認めて貰うことだ。


「古岡さん」


 俺は彼女にきちんと頭を下げた後、まっすぐに見上げた。


「改めてよろしくお願いします」

  

 



 

   

お読み頂いてありがとうございます。


また会えることを願って。

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