1.6
暗い廊下をユサはヨシノに手を引かれながら歩いく。窓から差し込む月の光が足元を照らしていた。
閑散とした廊下を横切り、手すりを頼りに階段を降りる。
暗闇に怯え背中を丸めながら歩く姉の背中を見ながら、ボンヤリと小さい頃に肝試しをした事を思い出していた。
辺りを気にしつつ1階から地下へ続く階段を降り踊り場まで辿り着くと、ノエルはポケットからライターを取り出し火を灯し、足元だけが見える程の僅かな光を頼りに、夕方に訪れた扉の前までたどり着いた。
「何ですか…これ……」
唖然とした様子のノエルが呟く。ユウとヨシノも同じ様な表情だった。
光を当てて見ると、鎖が大量にぶら下がったその扉は一層不気味に見える。ノエルがそっと触れると、錆だらけの鎖が揺れ僅かにキシキシと音を立て、あまりの不気味さにユウは眉間にシワを寄せた。
「どうするの?この扉、鍵締まってるんじゃ…」
「でもこの扉以外何もねーぞ?」
「1度戻ってリビングの鍵置き場に行ってみますか?」
「そんな大事な鍵をリビングに置いておくかな?」
ボソボソと小声で話す3人を横目にユサは扉に耳を当てた。
微かにだが鳥の鳴き声や何か鉄を引っ掻く様な、夕方には聞こえなかった音が増えていたが、あの時に聞いた“声”は聞こえてこなかった。
やはり思い過ごしだったかと、ドアノブに手を掛けると、鉄が軋む音と共にゆっくりと扉が開いた。
その様子に1度戻ろうとしていた3人が驚く。
「何だよ、鍵空いてんじゃねーか」
「ユサ、ナイスです」
そう言い頭を撫でたノエルの冷たい手に自身の手を引かれ、ゆっくりと扉の奥へ入る。
中に何があるのだろうと考えると、ドクンドクンと激しく心臓が脈打った。夕方の時より遥かに大きな音だ。
その部屋はカーテンの様な物で仕切られており、その向こうは棚か何かの家具が置かれているようだ。部屋を回り込むように歩くと、カーテンの向こう側に光が漏れている場所が見えた。
カーテンの隙間から中を覗く。視界が狭くよく見えないが他に人が居ないのを確認し、カーテンの奥へ身体を滑り込ませた。
「…なんだこれ……?」
ヨシノは目を疑った。
今にも消えそうなライトで照らされる部屋の中心に、大きな机とベッドがあり、それを囲む様に様々な大きさの“檻”が、隙間無く置かれていた。
檻の中には犬や猫を始め、 豚や鳥、蛇等の大量の動物が入れられていて、どれも全てぐったりとしている。力なく鳴き声を発する動物も居たが、ほとんど生きているかどうか分からない程ピクリとも動かない。
「どうして動物達がこんなに…」
中央の机に駆け寄り、ノエルは散乱している資料らしき紙を手に取る。そこには難しい言葉の羅列だったが、確かに「実験」と言う文字があり、目を見開いた。その隣で他の資料を見たユウが小さく悲鳴をあげる。
「ジョルジュ…ルイ…モモ…!!先月出ていった子達の名前…!」
彼女は叫びそうになる口を抑えた。
名前の隣には全て“失敗”と書かれていて、その単語に嫌な予感が頭をよぎったのだ。
隣にいたユサも同じく、それを振り払うように首を振る。
その時ふと、視界の隅で何かがキラリと光ったのが見え、部屋の奥に長机が置いてあるのに気がついた。
何かと近寄ると蛍光灯に照らされ、キラキラと淡く光る白い石が上等な布の上に飾られていた。その隣には赤や青の石も並べられている。
「宝石……?」
宝石にしては雑にカットされている。ユサの手と同じくらいの大きさのその石を手に取ると、先程まで蛍光灯に照らされ光っていたと思っていたが、その石自身が光を発している事に気がついた。
その光を見ていると頭がぼんやりとする。暖かい陽射しの中で日向ぼっこをしている様な、又は母の腕に抱かれている様な(母のぬくもりなど知らないが)、そんな心地良い気分だ。
今はそんな場合ではないと気を取りなおそうとした時、すぐ近くで1つの檻がガシャンと鳴った。一瞬檻の1つが空いたのかと肝を冷やしたがそういう訳ではなく、その檻の中の動物が柵に手をかけた衝撃だった様だ。
「…手?」
おかしい。何かがおかしい。
そこで眉を潜めた。先程から直視は出来ていなかったが、檻の中でぐったりとしていたのは全て犬や猫といった動物だった。たが、今目線の先にある檻の中から出ているのはどう見ても“人間の手”だ。
そこで先程の「実験」「失敗」の文字が脳裏によぎる。そして、夕方に聞いた声を思い出した。
石の光で随分落ち着いていた心臓が再び鳴り始めた。うるさいと振り払っても自身から鳴る音は耳から離れてくれない。
どくん、どくん
檻の中は影が落ちていてよく見えない。やはり夕方のあれは聞き間違いではなかったのか。そろりと近づく。
どくん、どくん、どくん、どくん
檻は他の物と比べてふた周り程大きい。少なくとも子供1人は入るだろう。檻の前でかがみ込み、恐る恐る中を覗いた。
檻の中には黒い翼と、鋭い爪を持つ足があった。しかしそれは鳥ではなく
「……リディ…?」
あまりにも見知った少女の顔だった。
「お前ら何やってるんだ!!!?」
「!!!!」
バンッと奥の扉が開き、中から白衣を着た男が飛び出してきて怒鳴った。その男の顔を見てユウは涙が溢れそうになるのを必死に止めた。
「先生…なんで……ここで何してるの…?」
「っ……」
その絶望に見開かれた目を見て男は、言葉を詰まらせた。
「答えてくれ先生!!何かの間違いだと言ってくれ…!!」
戸惑う男の胸ぐらを掴み、ヨシノは男に詰まった。ここは何なのか、こんな所で何をしているのか、この動物達は何だ、実験とは、失敗とは、ほぼ叫ぶ様にして言う彼の剣幕には涙も浮かんでいる。
男が言い淀んでいると、奥の扉から大きな体をしたスーツの男が顔を出し、胸ぐらを揺すっていたヨシノの手を掴んだ。
「やぁ、ヨシノくん。君は今日も美しいね」
「っ!ドルアバ!?」
勢いよく手を振り払い跳ねるように後ずさる。夕方にユサが地下で遭遇した男だ。やはりここに居たのかとノエルはユウを守るように抱き寄せ、ユサも傍に呼んだ。
しかし、ユサは現在の騒動に目もくれず、ただ目の前の檻を呆然と見つめていた。中では少女がブルブルと身を震わせ「ユサにぃ、ユサにぃ」とユサの名前を呼んでいる。ノエル達からは彼女の姿は見えていないようだ。
その様子をニヤニヤと眺めるドルアバに、ヨシノは気色悪いと大きな舌打ちをする。
いざとなればヨシノの怪力とユウの電撃で攻撃して逃げる事だって出来る。ノエルが水を出せば目くらましすることも出来るだろう。本人達がその気になれればだが。
しばらく睨み合いを続ける。すると、奥の部屋が突然騒がしくなった。
ドタバタと何かが暴れる音と、多くの大人達の慌てる声と追いかける音。中で何かが逃げている様だ。
「元気な子もたまにはいいね」と目を細め笑うドルアバは、何かに背後から突き飛ばされ、白衣の男を巻き込み前のめりに倒れた。
ドルアバを突き飛ばした主は扉から飛び出すと、躓きそうになりながら近くの椅子を掴み、彼の頭に目掛けて思い切り投げつけた。
「アル!何でここに!」
「逃げて!早く!ヤバイから!ヤバイのが来るから!!!」
それは赤毛の少年のアルだった。彼の左腕にはぐったりとして動かない妹のマヤが抱きかかえられている。
奥から多くの声が近づいてきてアルは慌てて扉を閉める。すかさずヨシノが駆け寄り、両開きの扉のドアノブを円を書く様に捻り、開けられないように固定した。ドアノブはいとも簡単にグルグルと巻きつけられ、中から扉を開けようとする者達を足止めした。
「ヨシノ!とにかくここから出ましょう!!」
ノエルの言葉に頷き、ヨシノはアルからマヤを受け取りしっかりと抱きかかえる。そこで、呆然と座り込むユサに気がついた。
急いで駆け寄りユサの腕を掴み早く逃げるぞと呼びかけるも、彼の目は一点を見ていて離れない。「嫌だ、リディが、リディを置いていけない」と首を振る彼の目を追うと、そこにはカノウ、カノウと男の名を呼び続けているリディの姿があった。
腰まであった美しい金色の髪が乱雑に切られ、毟られ床に散乱している。大きなスカイブルーの瞳は涙で濡れていた。
大きな翼が生え、顔も黒い羽で少し侵食されているその姿に驚愕しつつ、柵に手をかけ無理矢理押し開こうとしてみるが、木の根っこごと引き抜ける彼の怪力を持ってしても、ヒビの1つも入らない。
鍵を探したいが、そんなことをしていると捕まってしまう。気絶したドルアバの下でもがく男も、今は大きなドルアバの体に押しつぶされ動けずにいるが、いつ抜け出して来るか分からない。とにかく今は逃げなければ。
しかし、逃げようにもユサは嫌だ嫌だと首を振る。無理に抱き上げて逃げようとした時、アルが彼の腕を掴み怒鳴った。
「このままだったらお前殺されるぞ!!死んだら元も子もねぇだろ!!ユサ!!!」
その怒声にハッとユサは目を見開き、もう一度リディを見つめた。
「大丈夫だ、俺が後から絶対に助けに来る、今は逃げようユサ」
ヨシノの言葉に頷き、また後でなとリディの頭を撫でるとユサは立ち上がり、アルに手を引かれ走り出した。
机を押しのけるように外へ向かう。先にヨシノがカーテンを潜り、その後に続こうとしたその時、無理矢理閉じられた扉の向こうから声が聞こえた。
「アル!アル!!待ってくれ!!」
「っカノウ先生の声…!」
ドンドンと扉を叩く音がする。カノウもまた、この実験とやらに関わっていたのか。そしてリディをこんな姿にしたのか。そう思うと吐きそうになるほど怒りが沸き上がった。
ギリッと唇を噛み締め扉に手を向けると、その指先から無数の電撃が扉に向かって走った。
鉄の扉は一部が凹み、黒く焦げシュウッと音をたてる。
「あばよ、カノウ先生。さよならだ」
「ユサか…!?ユサ!頼む!行かないでくれ!!ユサ!!!」
泣きそうになるのを堪え、カノウの叫ぶような呼び声を背に、アルに手を引かれカーテンを潜った。