1.5
里親が決まり施設を出ていく子の為に、施設の女子全員でその子の好みの味のケーキを焼き、夕食後にお別れ会を開くのが恒例の行事になっていた。
今回はキャシーの好きなチョコレートのケーキだった。口いっぱいに頬張りながら食べる彼女も、明日の誰も起きてこない早朝にはここを出ていってしまう。
寂しい気持ちを抑えながら、全員が笑顔で彼女を見送る為に楽しく最後の時間を共にしていた。
そして夜。
ユサ達はノエルに言われたとおり、全員が寝静まった頃に自室に集まった。
眠気で閉じそうになる目を擦りながら、ユサはベッドに寝転ぶヨシノを押しのけるように座る。向かいのベッドにユウが足を抱える様に座り、ノエルは椅子を近くまで引きずり3人の顔がよく見える場所に腰をおろした。
「もう全員寝たかな?」
壁と背中の間に枕を押し込みながらユウが言う。
「日が昇る前にキャシーがここを出るらしいから、先生は起きてるんじゃないか?」
ユサの言葉にノエルは頷き、「出来るだけ小声で話しましょう」と背を丸めた。そんな彼をベッドに肘を付きながら、何の話なのかとヨシノが急かす。
真剣な表情で一息つくと、彼は重い口を開いた。
「二日程前に、アルに頼まれてひまわり畑を補強するのを手伝ってたんです」
「ひまわり畑って外庭の?」
「そう。随分大きくなってて彼1人では大変だったので」
裏口を出た先の少し奥まった場所に、アルが作った小さなひまわり畑がある。畑と言っても10本程度しか咲いてない本当に小さな畑だ。
ひまわりが好きなユウがその畑を見るのを日課にしていて、ユサもよくそれに付き合っていた。
その日、ノエルはアルと共に畑を補強し、一息つこうと1人で飲み物を取りに行こうとした時、ちょうど買い出しから戻った先生達を見たという。
「ちょうどその時、僕は先生達の死角にいたんです。声をかけようとしたら門の外にドルアバが居るのに気づいて、つい隠れてしまったんですけど」
ドルアバの名前にユサが反応し、顔を歪める。その横でヨシノが驚きに口を開いた。
「ドルアバが居たのか?先月来たばかりだろ?」
「間違いなくあれはドルアバでしたよ。あのでかい図体を見間違えたりなんてしませんよ」
ユサだけではなく、この施設に長く住むノエル達も、あの品定めする様な目をする彼を毛嫌いしていた。
その本人は裏口の先にある門で大人達を話をしていたという。
物陰に隠れてしまったノエルはその会話を耳に入れてしまったと、また深刻な顔をして肘をつき手を組む。
「あの人達の口ぶりから、ドルアバはしょっちゅうここに訪れている様でした。少なくとも週に2回以上は」
ノエルの言葉に「そんなまさか」とヨシノが困惑する。
やつがこの施設に訪れるのは月に1度、視察に来る時だけだ。その時は子供達の1人1人にねちっこく話しかけて帰っていくので、施設の全員が知っている。
仮にノエルの言うように頻繁に訪れているとしても、それなりに人がいるこの施設で誰も目撃していないというのは流石におかしい。
そのひまわり畑を補強していたのも、昼食後で子供達も室内や外で遊んでいる時間帯のはず。
「1つだけ可能性があります」とノエルは続ける。子供達が絶対に入らない場所がある。先生達に日々入るなと耳にタコが出来そうなほど言われている地下室だ。
そこなら裏口の目と鼻の先だし、子供達も近寄らない。見つからずにこの施設を訪れることが出来る。
ユサはその話を聞き、夕方の事を思い出す。確かにやつは地下室にいた。偶然視察に来ていたのだと思っていたが、考えてみると、今日ここにやつが来たと誰からも聞いていなかった。
「仮にあのオッサンがしょっちゅう来てたとして、それがなんなんだよ?」
やつの名前を聞いたからか、ヨシノは少し機嫌が悪そうに身を起こしユサの隣に座る。
「あの地下室、怪しいと思いませんか」
「は?あそこは先生達の仕事場だろ?」
「先生達の仕事って何ですか?」
「そりゃあ、子供達を引き取って里親に…」
2人の会話にユサはドクドクと胸が鳴るのを感じた。不穏な空気に包まれ、何だか会話の方向がおかしくなっていく。
「子供達の世話も、里親とのやり取りの書類も全てリビングの隣の部屋に保管してあります」
眉にシワを寄せ黙り込むヨシノに、ノエルは言葉を続けた。
「じゃあ、あの地下室には何があるんでしょうか。それに、僕は急に姿を消したリディの件もおかしいと思っています」
「…何が言いたいの」
嫌な汗が背中に伝うのを感じながらユサは口を開く。その目をジッと見つめるノエルの目は深海の様に青く今にも引き込まれそうだ。
「今まで引き取られて行った子達の里親に、会ったことありますか?」
少しの間の後、ないとユサは答えるしかなかった。今まで気にしなかったのが不思議なくらい、里親の顔どころか影さえも見たことがなかったのだ。
毎回先生達の口頭のみで伝えられ、山を降りると言う理由で寝静まっている時間帯にはもう施設から出発している。
思えばひと目も見ていないというのは、おかしい事だ。
「それにヨシノ。3年前に君の親友のセスが行方不明になって、その2年後にエリーが突然消えたことも、おかしいとは思いませんか」
隣に座るヨシノの眉のシワが一層深くなるのがわかった。
ヨシノにとって“彼”の話はタブーなのだ。この4人の中で1番長くこの施設に居るヨシノには、かつて親友と呼ぶ程仲の良い「セス」と言う男がいた。
誰にでも分け隔てなく優しかった「セス」は、ヨシノと共に子供達の兄の様な存在で、ユウとユサもよく懐いていた。
しかし、3年前のある夜。突然「セス」は姿を消した。
大人達は森に入り彼を捜索したが、結局三日三晩たっても見つからず、捜索は打ち切られ、そして施設の塀の外に出ることを、一層に禁じられた。
彼が消えた日からしばらくヨシノは呆然と日々を暮らし、捜索が打ち切られた日から1週間も部屋に引きこもってしまった。
それ以降、ヨシノの前ではこの話題をしない事が暗黙の了解として出来ていたのだが、この1年後にも、施設で保険医として働いていた女の「エリー」が、突然行方不明になってしまった。
また大人達が森に入るが、「セス」の時と同じく三日三晩で探索は打ち切られた。
ヨシノは必死に自分も探しに行きたいと悲願したが、最後まで許される事はなかった。
「何故あの時、既に20歳を過ぎていたヨシノが探索の参加を断固拒否されたのか、そして何故セス達は森に入ったのか、ずっと疑問だったんです」
「確かに…セスもエリーもルールを破るような奴じゃねぇ。俺も当時は先生達にかなり噛み付いたさ。でもこんな山奥で事件に巻き込まれることもねぇ、迷い込んだとしか考えられないなって」
「僕は、彼らは地下に連れていかれ実験に使われたのだと思っています」
今まで黙っていたユウが「は…?」と信じられないという表情で呟く。
ユサとヨシノも突然の“実験”という言葉に困惑した。
彼が言うには裏口でドルアバは「実験は捗っているか」と言葉を口をしたらしい。
今まで引き取られて行った子供達や、行方不明の2人は実験体だったのではないかと。あまりに現実離れした話に今まで黙っていたユウが口を開いた。
「いくら今までの事がおかしいといっても、実験に皆が使われたなんて証拠ないじゃない…。ていうか、実験って何の実験なの」
「この4人の中で、ここに来る前の記憶をハッキリ思い出せる人は居ますか?」
全員が口を噤んだ。
まだ2歳になったばかりだったユサは勿論だが、他の3人にもここに来る前の記憶が“ほぼ”なかった。
虐待や捨てられたショックで記憶が混乱していると大人達は言っていた。
不思議な力を持った4人が偶然にもこの施設に集まり、偶然にも記憶が無い。ノエルはそう都合よく偶然が重なりますか?と目を細めた。
「この不思議な力が、実験によって生まれたと。僕達は実験が成功した形だと考えると辻褄が合います」
沈黙が部屋に落ちる。
静かな部屋の中で、ユサは今までの平和な生活が全て崩れ去る音が聞こえるような気がして、頭を抱えるように蹲った。
それはユウとヨシノも同じ様で、自分の手を眺め唖然としていた。
特にヨシノは大きな背中を少し震わせ、冷や汗が頬を伝っていた。
そんな3人に、ノエルは重い口を開く。
「今夜、僕は君達を連れてここから逃げようと思います」
「今夜!?」
ユウが慌てて立ち上がる。彼女はまだ現状が信じられずにいた。
今まで大切にされ、してきた居場所を否定しきれないのだ。実験の話も、今までの矛盾も全て何かの思い過ごしだと訴える。
しかし、もしこの仮説が本当だとしたら、次に危ないのはキャシーだ。
「でも…!でも!私達だけで逃げてどうするの!?他の子達は!?」
「今から山を降りればひと晩もかからない。山から出れば警察でも何でもあるでしょう」
「まだこの話が本当だなんて決まってないじゃない!!」
「ユウ、落ち着け。皆起きちまう」
つい声を荒らげてしまうユウを落ち着かせようとヨシノが彼女の肩を掴む。
肩を上下させ息を切らす彼女の手を、ユサが掴んだ。
「俺は、ノエルについていく」
「ユサまで…!!」
「でもその前に、地下室の話が本当か確かめたい。何もなかったら、出ていかない。姉ちゃんもそれでいいだろ?」
今日、キャシーを探す為に地下室に行ったことを思い出す。扉の奥から聞こえてきた声が耳にこびりついて離れないのだ。
嘘なら嘘だと確かめたい。本当なら何がなんでも助けたい。しかし、不確かなこの情報を、3人に言うことは出来なかった。
だから、この話はユサにとって絶好のチャンスでもあるのだ。
「…わかった。でももし思い過ごしなら、ルール破ったお仕置きを受ける事になるんだからね!」
「あぁ、その時は4人で受けよう」
思い過ごしであってほしい。
そう願いながら4人は地下に降りることになった。
この話が無ければ今でも平和にこの施設で暮らしていたのだと思う事になるとは、その時のユサには予想もつかなかった。