1.3
施設での暮らしはとても暖かく幸せなものだった。
現在ここには12人の子供達と、ヨシノとノエル、ユウを含めここで働いている大人が6人いるが、みんな毎日お腹いっぱい食事が食べられるし、広い敷地で思う存分遊べるし、何にも怯えず眠ることが出来る。
そんな幸せな居場所をくれた施設に、親に散々酷い目にあわされた挙句捨てられ、ここにやって来たヨシノは感謝してもしきれなかった。勿論今もそうだ。だからこそ成人した後もここに残り施設の運営を支えてきた。そのはずだった。
「リディの里親が決まった?」
「ええ、子供がいないお金持ちのご夫婦ですって。さっき出ていったみたいです」
「急すぎない?どうして声もかけさせてくれなかったのかしら」
ヨシノとユウとユサの3人は食器の後片付けも終わり自室でのんびりしていると、子供達を部屋へ誘導していたノエルが複雑な表情で帰ってきてリディが施設を出たと告げた。
リディはまだ6歳の女の子で、2年前に孤児になりイギリスの街をさ迷っていた所を先生が拾ってきたと言って施設にやって来た。なんでもそこは度々内戦がある場所らしく、家族は全員死んでしまっていたらしい。
「今ならまだ間に合うかもしれないし、先生に聞いてくる!」
「え、ちょっとユサ!待ちなさい!」
納得がいかないとユサはノエルの声を振り切り部屋を飛び出した。手すりを掴みながら二段飛ばしに階段をかけ降り玄関に向かう。白くてさっぱりとした玄関には子供達の靴が所狭しと置かれている。
そこにリディの姿は無かったが、白衣を着た男が立っており、その白衣にユサが飛び付くと白衣の男は振り返り、黒縁のメガネの奥で驚きに目を開かせた。
「うおっびっくりした。ユサか」
「カノウ先生!リディが出てったって本当か!?何で言ってくれなかったんだよ!」
カノウと呼ばれた男はガリガリと短い黒髪を掻きながらまとわりついてくるユサの頭を抑える。
リディをイギリスで見つけ拾ってきたのは他でもない彼だった。引っ込み思案なリディもかなり懐いていたし、彼が一段と可愛がっていたのは傍から見ても一目瞭然で、仲のいい兄妹の様な微笑ましい物があった。
そんな彼が突然来た人間にそう簡単にリディを渡すとは思えない。
今まで里親が決まり孤児院を出た子は何人もいたが、ちゃんとお別れ会をして悔いなくこの施設を去っていた。
なのに今回はお別れの言葉さえも無かったのだ。
「悪いなユサ、本当に急だったんだらしくてな。俺も会えなかったんだわ」
「そんなのリディが可哀想じゃないか!」
「先方も遠いところからいらしてて、今晩じゃないと都合が合わなかったんだ」
「っ…先生はそれでいいのかよ!」
肩を撫でつつ宥めようとするカノウに食いつくユサ。その言葉にカノウは言葉を詰まらせ肩を持つ手に力を込める。その思い詰めたような表情にユサも言葉を失い呆然とした。
「もう寝ろ」と無理矢理作ったであろう笑顔で固まるユサの頭を撫で、彼の自室の方へ踵を返し去っていく。
彼は仕事は出来るがいつも気だるげな態度をしており、考えている事が分かりにくい節があった。一番長くこの施設に居るヨシノでさえ泣いたり悩んだりして辛そうにしている彼を見た事ないと言う。
そんなカノウの苦しそうな表情が頭から離れず、ユサはその背中を静かに見送りしばらく立ちぼうけていると、掠れた幼女の声がユサを呼んだ。
「ユサ兄…?」
「っ…びっくりした。アリス、トイレか?」
眠そうに目を擦るアリスを抱き上げてやりトイレへと連れていく。つい先程までリディもこの子の様にここで自分達と暮らしていたのにもう居ないのだと思うと寂しく、こんな形で別れてしまうのが悔しかった。
アリスを部屋まで連れていき釈然としない気持ちのまま部屋に戻る。思いつきの行動をやめろと言うノエルの小言を聞きつつヨシノのベットに潜り込むと、3人はその様子に落ち込んでいるのだと感じて自分達も静かにベットへ身を潜らせた。
幼い頃に捨てられたユサ達にとって施設の人達は家族そのものだった。世話をし勉学を教えてくれるカノウ先生達と、様々な理由でここに来た幼い子達と、みんなで交代で世話をしている犬のアレキサンダーと。
大切な気持ちに大小はない。だが、ユサ達4人は里親が決まり施設を出ていく子供達を見送りながら、心のどこかで自分の異常さと他の子達を比べてしまっていたのかもしれない。
結果、長い間ここで生活する4人は自然と共に行動する様になった。とうとう里親がつかず成人したヨシノとノエルとユウもここに残り働いている。きっと自分もそうするのだろうとユサは思った。
隣のベットで眠るノエルとユウの寝息が聞こえてくる。ここはヨシノとノエルの2人部屋でユウとユサの部屋は別に用意されていたのだが、しばらくこうやって4人で寝ていた為いつの日か元の部屋は新しく来た子の部屋にあてがわれた。
寝れねーのか?と同じベットで横になっているヨシノの声が語りかけてくる。低くハスキーな声が耳から心まで突き抜けるように響き気持ちが落ち着いた。
「最近いっぱいお別れ会したもんなぁ。寂しいな」
「…うん」
ついこの間までは今の倍くらいの子がいたが、ここ3ヶ月で半分もの数の子供達が里親に引き取られて行った。
山は危険だから子供だけでは出歩かない様にと外出を禁止されているのも合わさり、子供達がこの施設を出ていく度にユサはここから一生出られないのだと感じてしまう。
ヨシノに擦り寄ると、珍しく甘えただなと笑いつつ大きな手がトントンと背中を叩く。
「おやすみ、ユサ」
心地よいリズムとぬくもりにユサはいつの間にか意識を手放した。
翌日、突然出ていったリディの穴は大きく、ユサ達は彼女と仲の良かった子達を慰めるのに苦労した。そして何よりも、カノウがたまに気が抜けた表情をする様になり前よりも何を考えているか分からなくなっていた。
だが人間は嬉しいことも悲しいこともいずれ慣れるように出来ている。突然の事にぽっかりと空いた穴も一週間も経てば慣れ、いつもと変わらない生活に戻ってきていた。
「こっち見てんじゃねーよ女顔」
「誰が汚物なんか見るかよチビ」
あの大喧嘩の次の日から2週間、当事者であるユサとアルは毎食の料理当番の手伝いを罰として科せられていた。
大量のじゃがいもの皮を剥きながら時々睨み合い、その度に料理当番である女の先生に叱られ喧嘩のお仕置きでの罰の為、「これじゃ意味ないでしょう」と小言を貰った。
仏頂面で剥けたじゃがいもを鍋に入れ火にかける2人をため息混じりに見る女に「先生ー」と声が掛かった。
「あらマヤ、どうしたの?」
「キャシー見てない?さっきから見当たらないの」
「キャシー?おかしいわね。朝ご飯の時には確かに居たのに」
髪の毛セットしてあげる約束したのにーと口を尖らせるマヤ。もし間違えて山に入ってしまっていたら大変な事になると、女は食堂にいるカノウや子供達に聞いてみるが誰も朝食から見ていないと言う。
キャリーは5歳の少女で大人しく1人になる事を嫌い、そして極端な方向音痴な為この施設の中でも迷い1人で大泣きしている事が頻繁にあった。
昼食の準備があり動けない女は作業が一段落ついたユサを呼んだ。
「ごめんなさいユサ。マヤとキャシーを探しに行ってもらえるかしら」
「うん、いいよ」
「ありがとう。もうこっちはいいから。お願いね」
じゃあ俺もと出ていこうとするアルが捕まる姿を横目にユサはキッチンを後にした。煽るような笑顔で馬鹿にしておくのも忘れずにやっておいたのは言うまでもない。
施設は3階まであり、一番上が先生と呼ばれる施設で働く大人達とユサ達の部屋、2階が子供達の部屋、1階が食堂やリビング等の共有スペースになっている。
日中は誰もいない3階にはまず彼女は居ないだろうと思い、2階からしらみ潰しにキャシーと名前を呼びながら探す。
男子の4人部屋を開くとよくイタズラを仕掛けて大人達を困らせている少年2人が机に向かい合い何かを話していた。
「よぉタイチ、ダニー。キャシー知らないか」
「知らないー!」
「そうか…。つかお前らそろそろ昼飯だから下降りろよ」
「そんなことよりもユサ兄!」
そんなことよりもじゃねーよ。と軽く叩こうと手を振り下ろすと「しんけんしらはどり!!」とタイチの両手で手を掴まれる。
あぁ、またヨシノ兄にいらんこと教わったなと思いつつ、その両手ごと頭に手刀をかました。
いつもこの調子の二人からするとじゃれ合いと同じようで、楽しそうに笑いつつ部屋を出ていこうとするユサにまとわりついた。
「あーもーじゃれんなお前ら」
「なーなーユサ兄!肝試ししようぜ!」
「はぁ?肝試し?」
肝試しと言えば真夜中に墓地等の幽霊が集まりやすいと言われる場所に行って勇気の度量を測る遊びの1つ。成功した人は肝が据わっていると称えられるものだ。
だが山の中にあるこの施設にもその周りにも心霊場所と呼ばれる様な場所は無かったはずだ。
怪訝な表情に気がついたマヤが好き勝手に言葉を投げつけてくる2人の代わりに噂話になっているらしいと言う話をし始めた。
「地下の開かずの扉にタッチして5秒我慢出来たら成功っていう肝試しだよ」
「地下の開かずの扉…?」
この施設には1部の大人以外近づく事も禁止されている地下がある。ユサが知っている限り地下に立ち入るのは、たまにここに来るこの施設の経営しているという怖い大人達と、施設長と怪我の手当をしてくれる保健医の女性だけだ。
地下に扉があると言うのはユサも知らないが、もしこの話が本当ならば何人かの子供が肝試しに地下に行ったことになる。
「お前ら地下に行ったのか!!」と怒鳴りつけると、2人は叫び声をあげながら部屋の中を逃げ出した。
地下に行くのは固く禁じられている。そこに何があるのかは分からないが、相当に大事な物があるのだろう。踏み入れた事がバレれば酷く叱られ他の子達が夕食を食べている間とその後3時間の正座を命令された上、料理当番の手伝い2週間以上のお仕置きが待っている。
その怖さは去年、喧嘩の延長戦で向かった地下で見つかったアルと共に痛いほど思い知らされたのだ。
素早く逃げる2人をやっとの事で捕まえ床に正座させる。あのお仕置きは流石に辛すぎる為先生達に報告するのを戸惑ったユサは今ここで説教する事を選んだ。
怒鳴るように説教するユサに流石の2人も少し反省したのか、多少の憎まれ口を叩きながらも大人しく聞いていた。
その光景を苦く笑いながら見ていたマヤが突然何かに気づき、2人の前に座った。
「ねぇタイチ、ダニー。その話キャシーにもした?」
「うん…」
「いつ?」
「朝ごはんの時…。あいつが強くなりたいって言うから」
その会話にマヤの考えていることに気づきユサは面倒なことになったと髪を掻きむしった。
やはり2人には先生からのお仕置きを貰ってもらうことにし、その場を立つ。2人の不満の大合唱を背に急いで部屋を出ようとするユサに慌てたマヤは「ユサ兄!?まさか行くの!?」と彼の腕を掴み引き止めた。
「もし本当に行ってたらヤバイし、先生に見つかる前に連れて戻るよ」
「で、でも!!本当に幽霊とかお化けが出たらどうするの!?」
思わず困惑の声を上げるが、マヤの目は本気で心配していた。元々幽霊等の非科学的な物を全く信じないユサはそんなまさか、と彼女の頭を撫でる。
まだ10になる女の子だ。そういった怪談等に恐怖心を抱いても仕方が無いだろうと1人で地下に向かおうとするが、震えながら彼女は後をついてきた。
お世話焼きで正義感の強い彼女は何かと甘えてくるキャシーを妹の様に可愛がっていた。今も暗闇で泣いているでだろうキャシーが心配なのだろう。
仕方が無いと震える手を取り、周りの目を気にしつつ階段をかけ降りた。