サイドB第1話『魔窟の洋上楼閣都市』Part18 『インターミッション ―ファミリー―』
■大変お待たせ致しました!
いよいよ本編再開です!
物語の裏側のキーパーソンが登場します!
第二章サイドB第1話『魔窟の洋上楼閣都市』
Part18『インターミッション ―ファミリー―』
スタートです。
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――――――――――――――――――――――――――――――――――――
彼女は生まれ落ちてから――
人として、子供として、家族として、まともな扱いを受けたことは、ただの一度も無い。
3歳で体を作り変えられ、
4歳で殺しを教えられ、
6歳で体のすべてを作り物にされた。
10歳で大人と同サイズの体にされ、
11歳で〝ある人物〟の代用品にされた。
12歳になる頃には正常な価値観とまもとな感覚をすべて壊されてしまった。
彼女は現実逃避の中に居た。狂気の中に居た。自己否定の中に居た。憎悪の中に居た。
悪しきをなすことに狂喜し、殺意を発露させることだけに喜びを感じた。
愛は知らない。温かい団欒も知らない。家族って何? それって美味しい?
クリスマスのプレゼントは言葉でしか知らない。抱きしめられたこともない。
母親は生きているうちに会ったことはない。生まれて初めて会ったのは死体になってからだ。殺害を命じたのは父親だったと言うのはあとから聞いた。
戸籍は無い。出生届もない。社会的には居ない存在だ。当然、学校なんか行ったことはない。ネットアクセス能力を移植されて強制的な知識の書き込みで済まされた。当たり前だが友達なんか居たこともない。
過去の記憶だって本物かどうか怪しい。自分の実際の年令を知ったのですら、つい最近なのだ。
仲間と呼べる人間が居たかどうかも怪しい。
なぜなら、彼女の周囲の人間たちにとって、彼女の父親は恐怖その物だったからだ。
彼女の父の名は『黒竜』――ハイロンと呼ばれた危険な男だ。その血を引き、彼の庇護下にある者に対して好意を持つ者は居ようはずが無かった。
彼女は何一つとしてまともな暮らしの中に居たことはない。
ただ――〝殺し〟――を行うときだけが彼女が認められる一瞬だったのだ。
そう、ただその時だけ、彼女の父たる男・ハイロンは彼女の存在を認め褒めそやしたのだ。
こうして彼女は最高級のサイボーグボディと、最悪の殺人人格を植え付けられ、凄腕のキラードールとして仕立て上げられた。
得意とする獲物は単分子ワイヤー、性癖はサディストにしてニンフォマニア。
彼女の名は『ジズ』
血まみれのキラースパイダーと揶揄された女だ。
所属していた組織はスネイルドラゴン。
そこで事実を知らぬままに父であるはずのハイロンの下で、彼の右腕として辣腕を振るっていた。
何人殺したかなど覚えていない。自分の過去について思いを巡らすのはとうの昔に辞めていたからだ。
そうでなければ自分自身を維持できなかった。
自分が何者であるか? 自分の居場所はどこなのか? 自分の行いが正しいのか? その人として根源的な疑問について意識すると、自分自身が崩壊しそうになるのだ。
他人は噂する。ジズは狂っている。彼女は狂人だと。
否、それは違う。狂わなければ、狂気と歓喜で己を一杯にしなければ、瞬く間に己が崩壊してしまうのだ。それは彼女の生い立ちを知れば誰もが納得すると言う。
だが、今はもう、その彼女に唯一許された狂気すら奪われてしまった。
ある存在たちが法と正義の名のもとに立ちはだかり、彼女と彼女の居場所を完膚なきまでに破壊した。なぜなら彼女たちが行っていたことは〝犯罪〟であり、決して許されるものではなかったからだ。
戦いに敗れ、拘束され、身の自由を奪われた。
ハイロンから植え付けられた殺戮スキルも無効化される。
危険だという理由で、単分子ワイヤーが仕込まれた手足は外された。
医療用の義肢が装着されるはずだったが、彼女の過去の犯罪歴から一方的に危険と判断された。そのため自由に歩くこともできずに、警察管理下の病院にて二十四時間の監視下に置かれていた。
生命維持装置につながれ身を捩ることもできずに、だた呆然として病院の壁を眺めるだけだ。
彼女の心を現実につなぎとめる唯一の手段であったはずの〝狂気〟はもう彼女の手元には残されては居ない。
あるのはただひたすら退屈なだけの冷え切った安寧である。
たしかに命の危険はない。だが、自由もない。
そしてなにより、自分自身の異常な過去の記憶と嫌でも向き合わねばならない。
病院の白い壁と天井が、ココロの中でスクリーンと化して映写機のごとくいつまでもリフレインしているのだ。
普通の子供としての価値観を徹底して踏みにじられたこと。
一度として、父からも母からも抱きしめられた事がないこと。
良いことだ。正しいことだ、と言い聞かされて来た〝殺人〟と言う行為が間違っていたことだという現実。
そして己が行ってきた殺し屋としての経歴と記憶が、巨大な罪悪感と嫌悪となって彼女を襲った。逃れたいが逃れられない。忘れたいが忘れられない。別な行為に没頭して頭と心を真っ白にする事もできない。彼女は逃避すら許されなかったのだ。
そして新たに彼女を襲ったもの。
それは、自分自身の作り物の肉体への何よりも強い嫌悪感。何一つ、母親から与えられたものが残っていないガラクタのような人工の体――、それはもう他人の温もりを感じることも無い。
恐怖が、孤独が、寂しさが、寒さが、虚しさが、苦しさが、痛みが、吐き気が、あらゆるものが彼女を襲った。
狂気に狂いそうになれば、親切丁寧な白衣の看護師が、高級な安定剤を投与してくる。壊れることで終わらせられた筈の彼女の心と精神は、高度な医療スタッフと、厳重勤勉な警察とによって壊れる前の状態へと戻されてしまうのだ。もはや狂うという選択肢すら彼女には残されていないのだ。
そして、純白のベッドの上にて、彼女は最後の最後に己に許された事を見つけた。それは――
「うぅ……」
はじめは呻くような声。
「ぅっ、うっ、うっ――」
続いて嗚咽へと変わる。
「あっ――、あああ――」
嗚咽は泣き声へと変わり、組めども尽きない嘆きへと変わった。
扉が閉められ白一色に湿られた個室の中、ジズが体のうちから発露させた悲しみを、滝のように溢れさせていた。そして、ジズが表した嘆きと悲しみの涙を聞きつけた看護婦がジズを抱きしめながら優しくささやきかけるのだ。
「何が悲しかったの? 言ってごらんなさい?」
言えるはずなど無い。何が理由で悲しいのかなどと言うことは、今まで考えたことすら無いのだから。この閉ざされた場所の毎日の中では、親切な優しさすら拷問になるのだ。
彼女の名はジズ――
大人の女としての外見を持つ、わずか十二歳の殺し屋である。
@ @ @
そこは海沿いに有った。
倉庫に偽装したアジト、とある犯罪ソサエティの活動拠点の一つにして、アンダーグラウンドの非合法な医療施設であり違法サイボーグの提供拠点であった。
――バックヤード・クリニック――
その存在を知る者たちからはひどく知られた暗語だった。
大都市の闇に多数存在するそれらの施設の中の一つ、まだ日も沈みきらない午後半ばの頃からそこを訪れる二人の男がいる。いずれも恰幅のいい巨漢の黒人男性で、いずれも背丈は190を超える。二人共筋肉質だったが、一人は生身、もうひとりは着衣から露出している部分から義肢が装着されているのが解る。
一人はサイケ柄のVネックのカットソー、ロングのフード付きコート。ロング丈のダボダボのサルエルパンツを纏い、足元にはスエード地のショートブーツを履いている。襟元には金と銀のチェーンネックレスを幾重にも重ねてつけており、両の十指にはめているのは18金製のごついブロックリングでそれが装飾を狙っているとは到底思えない。ルビー、エメラルド、タイガーアイ、アメジスト――多彩な大粒の玉石が嵌められたソレは顔面への打撃を想定した威嚇用の物である。
もう一人は赤と青とイエローの派手な配色のフード付きウィンドブレーカーを身に着けドレッドヘアの頭をフードですっぽりと覆っている。両手は指先まで黒いレザーのグローブで包んで隠しており腰から下にはダブダブのオーバーサイズ気味のジーンズを履いている。両足は編み上げブーツで目元はガーゴイルズのサングラスで覆っている。
2人は横に並んで連れ立って、いかにも気の合った仲間といった風に歩いている。襟元に金銀のチェーンネックレスを幾重にもつけた男は一歩一歩踏みしめながら、もう一人のドレッドヘアは軽やかにリズムを刻みながら歩いている。2人は施設の中の地下廊下を歩いている。煤けたフードのLED照明の下、その施設の中の特別な部屋へと向かっていた。
ドレッドヘアの男が傍らの男を気遣うように呟く。
「ありがとよ兄貴、かなり手こずったんだろう?」
巨躯のサイケ柄シャツの男はこともなげにサラリと言い返した。
「なぁに、おめえのためならこの程度なんでもねえよ。それに身柄の回収だけなら思ったより簡単だったしな」
「簡単? 警察にパクられた連続殺人犯の身柄がか?」
「あぁ、普通の犯罪者なら監獄の奥底に閉じ込められてて俺でも相当に骨が折れるだろう。だが、調べてわかったんだが――」
サイケ柄シャツの男がそこまで語ったところで、通路の脇廊下から別な外国人が数人姿を表した。いかにも戦闘慣れしてそうなロシア系の筋肉質の体の男たちだった。その中の一人の男は右腕は総金属製の義肢である。一目して戦闘用だということがすぐに分かる。その剣呑な空気から普通は誰もが道をゆずるはずである。だが――
「Give way!」
――そのロシア男は流暢な英語で荒っぽく告げた。道を譲れ、すなわち『どけ』と言う意味だ。だがサイケ柄シャツの男は頭に目深に被ったフードを下ろすとカリカリに縮れたパーマ頭をさらけ出すと、異様に鋭い眼光をサングラスの下で光らせながら見上げるように睨みつけている。位置的には見下される位置にある。人数もロシア男たちのほうが上だ。だが――
「Say Something?」
――サイケ柄シャツの男は静かに淡々と告げる。言葉はシンプルで紳士的な語り口だったが、そのあまりに鋭く無慈悲な視線と組み合わさることで、神すらも身震いするような威圧感と恐怖が伝わってくる。
一番前のロシア男は一瞬たじろいだが、それでも体のサイズから言って自分が有利だと踏んだのだろう。拳を固めると再度威圧しようと進み出そうとする。だが、仲間のロシア男の一人が不意につぶやいた言葉にその場の空気は凍りつく事になる。
「Monster」
それは相手の風体を揶揄しての言葉ではない。この大都市の闇街で、その名を異名として背負っている男は一人しか無い。〝モンスター〟――その異名はただ一人の傑物にのみ許された称号である。
恐れを帯びて呼ばれたその名に、サイケ柄シャツの男は答える。
「Yes」
恐れから口を出た呼び名を、その男は簡単に肯定した。そしてその肯定はさらなる恐怖をもたらした。誰ともなく道が譲られ、ロシア男たちは足早に去っていく。モンスターの異名を持つその男に関わりを持つことを心から避けるかのようだ。その情けない姿の背中にモンスターは吐き捨てる。
「You winp」
すなわち腰抜けを意味する言葉だ。その侮辱に反応は無かった。
そして再び誰も居なくなった薄暗い通路で二人きりになるとその黒人の2人は会話を再開する。首に幾重にも金銀のチェーンネックレスを重ねたサイケ柄シャツの男はモンスター、ドレッドヘアのガーゴイルズサングラスの男がジニーロック、今やその名をこの界隈で知らないものは居なかった。2人は互いを〝兄弟〟と呼びあうほどの仲だったのである。
モンスターが告げる。
「話を戻すぞ」
「オーケィ」
「お前が連れてきてほしいと言ったジズとか言うジャパニーズの女だが、ジャパンのポリ公が扱いに困るほどの面倒な女だと言うことがわかった。事の仔細を聞いた時は俺でも驚いたぜ」
「どういう事だよ? 兄貴」
ジニーロックが訝しげにと言えば、モンスターは韻を含めて問い返す。
「お前、その〝ジズ〟って女の年齢分かってたか?」
「年齢? あぁ、その事か。知ってたぜ?」
「なぜ言わなかった」
「なぜって――、そんなに大事なことだとは思わなかったしよ」
モンスターの苛立ちとは裏腹に、ジニーロックは気にも留めてない風だ。溜息を漏らしながらモンスターは言う。
「全くお前らしいぜ、そのせいで女の居場所を突き止めるのに手こずったんだ。調査を命じたヤツから文句言われたぜ。まったく」
「わりぃ。そいつはすまなかったな」
「いいか、覚えとけ。この国では13歳に満たないやつはいかなる理由が有っても、保護対象の子供として法的責任は一切問われない事になっている。たとえ殺人を犯しても逮捕も刑罰もない。しかるべき適切な保護者の元で再教育される。今も昔もな。だがそのジズって女の場合、その年令がネックになったらしい。日本の警察でもどう言う扱いをしたら良いか皆目検討がつかなかったらしいぜ」
「そんなに面倒だったのか?」
「あぁ、12歳の大量殺人サイボーグなんて、そうそう居るわけ無いからな。殺人を職業的にこなしているプロなら逮捕勾留ののちに、どう考えても死刑だ。だが、実際の年齢は12のガキ。しかもだ、出生届がされて無かった。無戸籍、無国籍だったんだ」
モンスターのその言葉にジニーロックも流石に驚かずには居られなかった。
「無戸籍? まじかよ?」
「あぁ本当だ。警察でもジズと言う人間の素性は調査対象だったらしいが解るはずがねえ。戸籍がなくて、しかも成人してると思われたのが12のガキだ。あらゆる事の想定の外だ。分かってみてびっくりってやつさ」
モンスターは言葉を止めること無くそのまま続けた。
「戸籍がない。つまり法的には居ない人間だ。無戸籍、無国籍なら刑を執行せずに国外追放される。しかし殺人のプロを簡単に国外に出すわけにも行かない。刑を執行して収監するしか無いが、実年齢が12歳の未成年で法による処罰の対象外だ。だが、外見はまるっきりの大人、あらゆる状況が警察にとっちゃ常識外だ。国外追放も刑の執行も収監もできない。かと言って無罪放免して児童相談所に預けるわけにもいかねぇ。それで困り果てた警察は、法的処置を決定するまで警察病院に監視つきで閉じ込めることにしやがった。物理的に絶対に逃げられないようにしてな!」
モンスターが語る言葉の語尾には苛立ちとも侮蔑ともとれるニュアンスが有った。ジニーロックがモンスターに尋ねた。
「何にも手繰れねぇのか?」
「あぁ、誕生日すらわからないそうだ。当然、母親が誰なのかすらも不明。ジズが居た組織の人間にも分からないとよ。と言うより父親は組織の幹部で殺人狂と来れば関わるのすらゴメンだと思うだろうさ。まぁ庇うような声はゼロだそうだ」
モンスターが冷淡に告げた言葉だったが、ジニーロックはうなずかなかった。少しばかり沈黙すると、囚われの身だったジズの事を思いやるような優しい口調で語り始めた。
「知ってたさ。アイツがひとりぼっちだって事はな。12歳のガキだって事もしってる。親父がくそったれなクズ野郎で、周りの大の大人がすっかりビビっちまって近寄ることすら腰が引けてたこともな」
「そうか、お前と一緒のチームだったな」
「あぁ、この国に潜り込んですぐに誘われた。密入国のブローカーから当面の居場所にと紹介されたんだが、回された先がジズの父親のハイロンとか言うクズのチームだったんだ」
「スネイルドラゴンのハイロンか――、聞いたことはある。自分より弱いヤツを取り込んで、サイボーグ化で手駒にして徹底的に使い潰す。気に食わないとあっさり殺す。血も涙もないイカレ野郎だってな。アイツを良く言うやつはほとんど居ねえよ」
「だろうな。すぐ真下で働いてて正直、殺してやろうと思ったことも有った。だが兄貴のところにたどり着くまでは面倒は起こさないつもりで居たからなんとか堪えてた。それで少しでも黙らそうと、弱みを握りたくてハイロンの身辺を探ってたら、たどり着いたのがあの女のプライベートだったんだ」
「それで?」
「流血のスパイダーとか、殺人鬼の血まみれ蜘蛛とか、散々な言われようだったが、プライベートじゃそんなのは虚構だと云うのはすぐにわかった。前にもあとにもあんな悲惨なベッドルームなんて見たことはねえ」
強い口調で吐き捨てる声に、モンスターが弟分のジニーロックの顔を伺えば、その顔は堪えきれない怒りを浮かべていた。
「兄貴、人間の頭蓋骨抱いて泣きながら寝てる女って見たことあるか?」
「頭蓋骨? まさか――」
「あぁ、そのまさかさ。ジズは生まれてから一度も母親とは会ったことがねえ。と、言うより、ハイロンが個人的に所有していた女奴隷の一人に気まぐれに産ませたのがジズなんだ。当然、生まれてすぐに引き離されて、ハイロンの手元でペット代わりに育てられた。そして3つの頃からサイボーグ化が施されて、物心つく頃には凄腕のキラードールが一人出来上がったってわけさ。ぬいぐるみで遊ぶより、組織の離反者の処刑をやらされてる方が多かったそうだ。一人殺すたびに父親のハイロンから褒められて、殺人の英才教育が次々にほどこされて育ったのがアイツだ。そして、あいつが10歳のときだ。ある女奴隷が要らなくなったからと言う理由でジズに処刑が命じられた」
「女奴隷? まてまて、ちょっと待て! おいおいまさか!?」
「あぁ、そのまさかさ」
流石にモンスターも話の先を想像して驚きを隠せなかった。だが、ジニーロックは言葉を止めずに語り続けた。
「そのジズ自身の手で殺された女奴隷がジズの母親だよ」
「―――」
あまりといえばあまりに残酷な事実に、さすがのモンスターも言葉を失った。だが悲惨な事実は終わりではなかった。
「あいつがその事実を知ったのは、母親を手にかけてから半年たった時だった。組織の下っ端が噂話で喋ってたのをうっかり聞いちまったんだ。そして当然、半狂乱でハイロンに食って掛かったらしいが、娘の反抗を許すような奴じゃねえ。サイボーグボディをコントロールされて拷問というお仕置きをされた。そして、ハイロンに服従すると誓ったあとにご褒美として渡されたのが母親の頭蓋骨だ。墓にも入れられずゴミ置き場に捨てられてたそうだ」
ジニーロックが語る言葉に、さしものモンスターも顔を左右に振るしかない。
「アイツは何もないベッドと寝具しか無いプライベートルームで、毎晩泣きながら母親の頭蓋骨をぬいぐるみみたいに抱きながら寝てた。ママ――、ママ――、って3つ4つの赤ん坊が泣きじゃくるみたいにしてな。でもアイツのサイボーグボディは父親であるハイロンの完全支配下にある。抵抗することも逃げることも死を選ぶ事もできねえ。そんなアイツに最後に許された事――」
ジニーロックが一気に語った言葉に、モンスターが続ける。
「殺しに歓喜して一人でも派手に殺すこと。ハイロンのお気に入るように立ち回ること。そして何も考えなくて済むように〝狂っちまう事〟」
「その通りだ兄貴。一般に知られているジズのイメージはそこから来ている。イカれたアイツの姿は演技であり虚構でしかねぇんだ。最後にはハイロンが父親だって事実すら自分の記憶から消しちまってた。それにだ。兄貴も知ってるだろ? 俺は泣いてるガキを見捨てる事がどうしてもできねぇ。図体はでかくてエロい女でも、中身はよちよち歩きのガキのまんまなんだよ。子供なんだよ! だからいつかアイツをあのクソッタレな殺人狂のハイロンの所から連れ出したかった。そのチャンスをずっと狙ってたんだ」
モンスターはジニーロックが語る言葉に静かに頷いていた。
「そうか、それが俺の所にすぐに来れなかった理由だったのか」
「すまねぇ兄貴」
ジニーロックの本意に気づいたモンスターは弟分の語る詫びの言葉をそっとたしなめる。
「気にすんな。むしろ、お前が昔と変わってなくて安心したぜ」
ジニーロックも兄貴分の言葉にそっと感謝するように頷いていた。そして改めてモンスターに問うた。
「でも、兄貴、どうやってアイツを助け出したんだ?」
「そいつはな――」
その言葉を漏らした時、モンスターは歩みを止めた。2人の向かう先に両開きの扉があり、そこにはフード付きロングコートを着込んだ2人の黒人男性が護衛の如く立っている。そして姿を表したモンスターに気づくと、頷いて挨拶しつつドアノブに手をかける。そしてモンスターは2人に目線で合図しつつこう告げたのだ。
「この中で教えてやるよ」
そこは、その地下医療施設の最奥部の特別室だった。そこに一つの事実が隠されていたのである。
@ @ @
純白のアルミ製の左右開き二枚扉。それを2人の従者が左右に開ける。足音も静かに中へと足を踏み入れるが、中をすぐには見られないように衝立が置かれそこを脇から回り込む形となっている。
モンスターとジニーロックが衝立を超えて、その中へと足を踏み入れれば、そこに囚われの牢獄から救い出された哀れな少女が寝かせられていたのである。
そこにはスタンダードな真っ白な医療用ベッドが据えられている。その左右には心電図などの各種計測機器、各種薬剤を自動投入する点滴装置などが配置されていて、そのベッドに寝ている者が今なお適切な治療を必要としている事を示していた。
心電図装置や脳波モニター装置、サイボーグならではの体内装置のモニタリング機材、それらが医療用ベッドに横たわっているその〝少女〟につながれていた。
白い寝具をかけられ軽い寝息を立てて横たわっている彼女の隣には、スカートスーツ姿のロングヘアの黒人女性が簡素な椅子に腰掛けていた。介護役の女性らしかった。その彼女に先に声をかけたのはモンスターの方である。
「よぉ」
低く野太い声に気づいて、手にしていた小さな本を閉じて顔を上げるとモンスターへと声をかける。
「ボス」
「様子はどうだ? メテオラ」
「はい、今日は朝から今のところは落ち着いています。昨日の午後辺りからは暴れるのもなくなりましたし、ぬいぐるみでおとなしく遊んでいます」
ぬいぐるみと言う言葉に反応してベッドの周りをつぶさに眺めれば、寝具の中で寝息を立てている〝彼女〟周りにはテディベアやミッフィの様な可愛らしい動物のぬいぐるみが所狭しと並んでいた。そのあまりの数の多さにさしものモンスターも苦笑せざるを得ない。
「ずいぶんとまぁ、プレゼントしたもんだ」
「しかたありません。とにかく不思議とぬいぐるみを欲しがるんです。その――、私たちに救い出された直後から言動や行動が3歳か4歳の幼児のような状態になっているんです」
「幼児退行か」
「はい、一時的な物ですが記憶と精神が過去に戻ってしまっています。昔の記憶のフラッシュバックで恐慌を起こして暴れたときも、新しいぬいぐるみを与えて優しく声をかけてあげると下手な鎮静剤よりもおとなしくなります。今のところ発作は起きてませんからこのまま回復していくかと」
「そうか――、しかしぬいぐるみ一つが一回の恐慌か。て事はこんなに暴れたのか」
ぬいぐるみの数は単純に考えても五や十ではきかない。その大変さが伝わってくるかのようだ。
「はい、ここの施設のナースが一人大怪我をしました。命に別状はありませんが、急所を指先で一撃です。キラースパイダーの異名は伊達はありませんね」
「そうか、ならそのナースには保証はしっかりしておけ」
「はい、承知しました」
モンスターの言葉にメテオラが頷き返す。そしてモンスターとジニーロックにことの仔細を説明するために言い含める様に告げた。
「申し訳ございませんが、そのため安全を考慮してこう言う処置をほどこしてます」
メテオラと呼ばれたその女性は、ベッドの掛ふとんの捲ってやる。だが、そこには本来脚があるはずの場所には何もなかったのだ。その光景に驚いたのはジニーロックである。
「脚が? おいおい義足を外してるのか?」
「安全のためです。そうでないと治療ができませんので。その代わり両腕はちゃんとした物を装着しております。救い出した時よりはまともな扱いをしているつもりです」
どこか納得できていない風のジニーロックに、声をかけたのはモンスターだ。
「さっき俺が言ったよな。助け出すだけなら簡単だったって」
「あぁ」
「それはな――、この女を交換用寝具のコンテナに紛れ込ませて荷物として運び出せたからなんだ。なにしろ、小さくてコンパクトだったからな」
「小さくてコンパクト?」
「手足が無かったら、痩せた女なんてトランクサイズだ。こいつ警察関連の病院に閉じ込められてから、両手両足を根本から外されてたらしい」
さしものジニーロックも酷すぎる扱いに驚き素直に怒りを顔に出している。
「ベッドの上に配線と管だらけにされてマネキンみたいな姿で寝かせられてたそうだ」
モンスターも義憤を隠さずに吐き捨てるように言った。
「安定剤と鎮静剤の射ち過ぎで、おっちんじまう直前だった。戸籍も国籍も無いためかポリ公はこいつを人として扱うことを端っから放棄してる。あいつらにとっちゃぁ人としての登録データが無いから、この世には居ないはずの人間なんだよ」
「くそっ、人権はどうなってるんだ」
「はっ、そんな事を考えるような奴らかよ。犯罪者から自分の身を守るので手一杯の連中だぜ? 暴れないように逃げないように、ひたすらあらゆる自由を奪う方向で取扱が進んでいた。もしかすると保護者も類系も居ないから医療事故で死んだって話にするつもりだったのかもな」
「死人に口なしか、違法サイボーグの逮捕の際に使われる簡易義肢は?」
ジニーロックの問いに半ばあきれての問いかけにモンスターは答える。
「それなんだが――、助け出しに入ったヤツの話じゃ準備された形跡すら無かったってよ。ベッドにくくりつけられて監禁状態だったそうだ。生かさず殺さずって言葉が有ったが、今度のケースはまさにそれだ。今一歩遅れてたら、命は何とかなっても、心や魂は殺されてただろうぜ」
「そうか」
モンスターの説明にジニーロックは頷きながらベッドサイドへと歩み寄る。真っ白な寝具に埋もれるようにして眠れる少女――、それはかつて凄腕として知られたスネイルドラゴンの幹部の一人『ジズ』の成れの果てだったのだ。
寝息を立てるジズの頭にそっと手を触れる。するとかつては紫色の逆さモヒカンだったあの奇抜な頭は、女の子らしいショートの黒髪に変わっていた。頭部の皮膚に彫り込んであった蜘蛛の入れ墨もきれいに除去されているのは〝皮膚そのもの〟が新しいものになっているためである。
その眠り続けている姿をだけを見るのなら、心を病んで病院のベッドにて眠り続けている哀れな少女にしか見えなかった。
「この髪は?」
ジニーロックがそう問えば、答えたのはモンスターのアシスタントのメテオラだ。
「私が手配してさしあげました」
静かに語る口調にはある種の同情が現れている。
「髪は乱暴に丸坊主に剃り上げられてました。看護管理を簡単にするためでしょう。それに以前から人工毛髪だったらしくて、そのままでは再生しないので人造皮膚の張替えを兼ねて新しくしました」
「そうか」
メテオラの言葉に相槌を打ちながらジズの新しい髪を眺めている。
「可愛くしてくれてありがとうよ」
ジニーロックの口から感謝の言葉が出る。
「こういう奇抜な髪型や外見もハイロンの指示だったんだ。こいつは本音じゃ嫌がってたが逆らえなくってな」
「幹部とは名ばかりのオモチャってことか。悪趣味にも程があるぜ」
「まったくだ」
ジニーロックは眠りこけているジオをベッドサイドで見下ろしながら呟く。
「やっと助け出してやれたな」
そしてすぐそばへと歩み寄り、膝をかがめると顔を寄せると右手を伸ばしてジズの頬にそっと手を触れてささやきかける。その時の語り口は自分の愛娘を労るかのように優しかった。
ジニーロックがささやいた時だ。かすかに動いたのはジズのまぶただった。
「ん――」
人の気配に気づいたのだろう。それは明らかにジニーロックが触れた手に反応して目を覚ました。やがてその目はうっすらと開かれ、その視線はベッドサイドで彼女を見守る一人の男へと向けられる。
「………」
薄っすらと開いた目はまだまどろみの中にある。だが眼前に現れた男の姿にジズは静かに微笑んでいた。
「よぉ」
ジニーロックがそっと声をかければジズは微笑みながら声を返す。
「あ、チリチリのおじちゃん」
チリチリ……、ジニーロックのドレッドヘアの事だろう。思わずモンスターの顔にも苦笑が漏れている。
造られた体のジズの声は強制的に大人の声質の物になっている。でもその時の彼女の語り口はどこか拙く幼くて舌足らずだった。
「やっと約束守ってやれたな。覚えてるか?」
それは過酷な悪意に切り刻まれ続けた一人の少女と交わした大切な約束だった。一人の少女としての正体を隠す必要も無くなったジズは本来の相応の喋り方となっていた。甘ったるくとつとつと、それでいて言葉を舌先で転がすような喋り方。そして彼女の顔には精一杯の笑顔が浮かんでいたのだ。
「うん、覚えてるよ。おじちゃん」
「待たせたな」
ジニーロックの言葉にジズは顔を左右に振った。
「へいきだよ、おじちゃんが必ずきてくれるから」
そうつぶやきながらジズは弱々しく右手を必死に伸ばしていた。その指先がジニーロックの手を求めているのは誰の目にも明らかだ。それに応えるようにジニーロックも両手でジズの手をそっと握りしめてやる。
「あたりまえだ。俺はお前との約束は必ず守る」
「うん」
久しぶりに握ってもらえたその手の感触にジズの顔に弾けるような笑顔が溢れた。やっと彼女が待ち望んだ〝約束の時〟が訪れたのだ。でもジズが口にしたのは感謝と喜びだけではなかった。
「でもね、おじちゃん」
「何だ?」
「あのね? みんながジズをいじめるの。みんなで酷いことをするの」
「どんな事をしたんだ?」
「言うことを聞かないとすごくぶつの。ビリビリする棒で叩くの。それにアタシの手と足ももってっちゃったの。うるさくすると痛い注射されるの。お腹空いても何も食べさせてくれないの。みんな、アタシのことをいじめるの。じゃまだめんどうだって文句ばかり言うの――」
笑顔だったジズの顔は涙で曇り始めていた。そればかりか最後の頃は嗚咽で言葉になっていなかった。そしてジズはジニーロックに訊ねていた。
「ねぇ、おじちゃん」
「なんだ?」
「ジズ、いらない子なの? ジズのママみたいに捨てられちゃうの? だれもジズを褒めてくれないの、居ていいって言ってくれないの――」
言葉として形を成していたのはそこまでだった。あとは泣きじゃくるばかりでメッセージにすらなっていなかった。だがジニーロックがジズに何が起こっていたかを理解するためにはそれで十分だった。
暴力が振るわれていた事、スタンガンロッドで拷問が行われていたこと、病院の看護婦により言葉の暴力があった事、介護の放棄があった事、鎮静剤の投与が無理やりだった事――それらはすべて警察組織の外とはいえ公権力の監視下で行われていた事実である。警察に関わる者のすべてが近衛や朝の様にモラリストばかりだとは限らないのだ。
ジズの語る言葉の意味を理解した時、ジニーロックのみならず、モンスターの顔にも怒りと義憤が浮かんでいるのが良くわかった。
「そんなことねえよ」
ジニーロックは身を乗り出してジズの体をそっと抱いてやる。作り物の体。子供のはずなのに無理矢理に大人にされてしまった体。大人の欲望のために弄ばれ続けた体。12歳のジズが望む物はなにも残っていなかった体。戦闘能力だけを追求されたその体はあまりに軽く、そして冷たかった。
だがそれでジニーロックはジズを抱いた。女性としてではなく、一人の子供として、守ってやるべき対象として、両手で抱きしめてやったのだ。
「もう誰もお前をいじめたりしねえよ。お前はもう自由だ。そして――」
ジニーロックがさらに強く愛おしくジズを抱きしめる。そしてその耳元で囁いてやる。
「お前は俺のファミリーだ」
「ふぁみりー?」
ジズが不思議そうに問い返してくる。
「あぁ、そうだ」
「ちりちりのおじちゃんがジズのパパ?」
「そうだ。今日から俺がお前のパパだ。ずっと前からその約束だったろ?」
約束――その言葉を耳にしてジズは何度も頷いていた。
「だから、もう何も怖がることはねえ。安心してゆっくり休め。そしてこの病院で体をゆっくりと治すんだ。また来てやる。おみやげは何がほしい?」
――おみやげ、その言葉に涙で曇っていたジズの顔が微かに笑みを浮かべる。だがジズが求めてきたおみやげの名は意外なものだ。
「おじちゃん」
「なんだ?」
「ジズ、あんよが欲しい。お外で歩きたい」
あんよ――ジズが求めた物、すなわちそれは〝足〟だった。そして本当の己の足と心とで歩くための〝自由〟だったのだ。意外と言えば意外、当然と言えば当然、だが無理といえばあまりに無理な注文である。だがジニーロックは――
「あぁ、わかった。つけてやる。お前の体にピッタリのやつだ。おじちゃんが最高の足をジズにつけてやる」
――ジズの求めを一切拒むこと無く受け入れたのだ。
「本当?」
「あぁ、本当だ。俺は約束を必ず守る。それは解るだろう?」
ジニーロックの言葉にジズは何度も頷いていた。
「でもその為にはちょっとだけやらないといけない事がある。準備する物が必要なんだ。それは解るか?」
「うん。わかる」
すぐには要求が通らないと知って少し不満げなジズだったが一人の子供としては素直と呼べる範疇の反応だった。そしてジニーロックがジズに告げる。
「だから3日だけ待つんだ。この病院でみんなの言うことを素直に聞いておとなしくしていろ。そうすればお前のお願いを叶えてやるからな」
そしてジニーロックは体を少し離すと、ジズの頭をそっと撫でながら告げる。
「約束できるな?」
優しく、教え諭すように問いかければ返ってきたのは、子供らしい純粋な言葉だった。
「うん、約束する。ジズ、ここで待ってる」
「いい返事だ。それじゃおじちゃんはジズとの約束のための準備をしてくるからな」
「わかった。気をつけてね」
「あぁ、それじゃおやすみ」
そして再びジズにベッドで寝るように教え諭せば、彼女も抵抗すること無く素直に聞き入れて、その身をベッドへと横たえたのだ。ベッドに身を預けて一呼吸するがその吐息は荒い。やはりまだダメージから回復していないらしい。ジニーロックとは入れ替わりにメテオラがジズの様子をたしかめている。体と心に加えられたダメージはあまりに大きかったのだ。
ジズの頭を再びそっと撫でてジニーロックは歩き出した。相棒であるモンスターに目配せし、メテオラに声をかけつつ。
「それじゃ、あとは頼むぜ。アイツの新しい体を準備してくる」
「かしこまりました。それではオペの準備も手配しておきます」
ジニーロックの言葉にメテオラは冷静な判断で返した。今この場で何が必要なのか、そしてどういう采配を行わねばならないのか、聡明で優秀な彼女は即座に判断したのだ。歩き出したモンスターとジニーロックの背中に声をかける。
「こちらはおまかせください。それではお気をつけて」
丁寧な口上に、モンスターが答える。
「あぁ、頼むぜ。お嬢ちゃんが退屈しないようにな」
モンスターもジニーロックも、二人とも分かっていた。メテオラが幼児退行を起こしてしまっていたジズを相手に、確実な信頼と親愛を得ていると言うことに。二人は、メテオラとジズのやり取りの様子を眺めながら病室をあとにする。そして先に口を開いたのはジニーロックだった。
「いい部下だな。兄貴」
「あぁ、メテオラは長い付き合いだ。俺の表の仕事も裏の仕事も完璧にフォローできる。ジズの嬢ちゃんの世話もアイツなら大丈夫だ」
「だろうな。そのうちジズのやつ、メテオラをママなんて言い出すかもな」
ジニーロックの言葉にモンスターは笑いながら答えた。
「かもしれねえ。でもアイツ、まだ21だぜ? 子持ちをイメージするにゃちょーっとばかり早すぎるな」
2人で笑い声を上げながら歩いて行く。だが少し声をトーンを低くして、モンスターはジニーロックに問いかけた。
「でも、本気か? ジニーロック」
「何がだ? 兄貴」
「アイツをファミリーにするって話だ。アイツはジャパニーズだ。俺が同意しても周りが納得しねぇだろう。どうする気だ?」
それは深刻でセンシティブな問題だった。どんなにサイボーグ技術が進歩して人間の外見が自由自在になったとは言え、人種問題はそう容易には解決できない問題だ。人種や民族ソサエティの壁を超えて行動を共にすることは何時の時代でも困難を伴うのだ。その事を案じてのモンスターの言葉だったが、そんな懸念に怯むジニーロックでは無かった。
「それだが――、俺に考えがある」
「ほう? どんなだ」
モンスターが問えば、ジニーロックが自信アリげに笑いながら答えた。
「アイツの体をすべてつくりなおす。12歳の年相応の体にして、その上でアイツを俺のファミリーにふさわしい体にしてやる。俺達と同じブラックにな」
「そうか、やっぱり黒くするのか」
「俺は端っからそのつもりだった。アイツは脳みそ以外は全部作り物なんだ。体の一部の生身の部分ですら他人から移植されたものだ。頭だって生身に見えるが、それは外見だけで一皮めくれば人工物が詰まってる。くそったれハイロンのご意向ってやつでな」
「実の娘を自分の居のままになるキラーセックスドールにしたって事か。悪趣味の限度を超えてるぜ」
「でも、そのハイロンももう居ねぇ。あいつは自由になれたはずだが、今となっちゃあの体のままで居続けること自体が、アイツにとっちゃ拷問であり足かせなんだ」
「わかるぜ。自分の望まない体を押し付けられるほど辛いことはないからな」
「そう言うことだ兄貴。そこからあいつを開放してやるのが、俺とアイツの約束だったんだよ」
「約束か――」
モンスターはしみじみとつぶやいた。
「そいつは重いな。約束を違えたら男じゃねえ」
「あぁ」
2人で病院の地下通路を歩きながら言葉をかわし合う。そしてモンスターが過去を思い出してしみじみと呟いた。
「そういや、12だったな」
兄貴分のモンスターの言葉にジニーロックが答える。
「覚えてたのか」
「当たり前だろう? お前の娘が死んだ時の歳だ」
「あぁ、くそったれポリスに撃たれてそのまま天国に行っちまった。おれはあの時、その場に居なかった。アイツを抱きしめてやれなかった」
「だったら――」
モンスターが足を止める。そしてジニーロックの肩を強く叩いた。
「今度はしっかりと抱いてやれ。そして約束を果たしてやれ。必要なものは俺が用意してやる。思う存分やってみろ! 俺たちの新しいファミリーのためにもな」
その言葉にジニーロックが頷いていた。兄貴分として全幅の信頼を置く男からの善意を受けてジニーロックはこう答えたのだ。
「ありがとうよ。兄貴――、この俺のスキル。フルに使わせてもらうぜ」
「期待してるぜ――〝ダイダロス〟」
ダイダロス、それがジニーロックのもう一つの名だった。
ギリシャ神話に登場する優れた技術をもった職人であり発明家の名だった。
モンスターとジニーロックは互いに言葉をかわし合い、頷き合いながら再び歩き出す。
そしてそれは彼らの新たな仲間の誕生へとつながっていくのである。
@ @ @
そして、一ヶ月近い歳月が流れ去った。
〝ジズ〟と呼ばれていた女は何処かへと姿を消した。その消息は誰も知らない。警察に身柄を拘束されている間に痛めつけられたサイボーグボディの修復に失敗して命を落としたのだと言う噂もいずこからともなく流れ聞こえていた。
実際、警察の身辺警護のスキを突いての奪還劇は警察自身がマスコミに対して箝口令を敷いた事もあり、ジズ自身の出自の面倒さもあってか比較的短い期間に風化していった。遺体が悲惨な状態で発見されたとも言われた。
いずれにせよ、血まみれのキラースパイダーと呼び称された一人のイカれた女は、大都市の闇の中へと消え去っていったのである。
だがその代わりに聞こえてきた新たな噂があった。
ブラックブラッドのボス、モンスターことジョン・ガントに新たな幹部ファミリーが現れた。モンスターの全幅の信頼を得て辣腕を奮っていると言う。
一人は凄腕の闇エンジニアで〝ダイダロス〟と呼ばれる男。サイボーグボディから最新ハイテク兵器まで、あらゆる技術知識を持ち、ブラックブラッドの戦闘力の底上げに絶大な影響を行使している。モンスターとは義兄弟分でありモンスターを〝兄貴〟と呼べる唯一の人物だと言う。
もう一人が、ダイダロスをダディと呼び、モンスターを叔父様と呼ぶ小柄な少女で歳の頃は12歳程度、身長140くらいの黒い肌の美少女。名前は不確かだが親しいものからは〝アニー〟とも〝アラクネ〟と呼ばれていた。
二人はいつも連れ立って行動しており、ダイダロスが現れる場所にはアラクネの姿があった。巨漢のダイダロスと小柄な美少女のアラクネ。その特徴的なシルエットが街の噂になるまでさしたる時間はかからなかった。
そして、アラクネの持つ最大のスキル。それは神がかり的なまでの単分子ワイヤーテクニックで闇社会においては他の追随を許さないと言う。そのワイヤーテクニックを目の当たりにした者は声を潜めて言う。
『姿を消したジズもワイヤーテクニックの使い手だった』――と、
だがジズは成人女性、アラクネは12歳程度の子供、あまりにも違いすぎた。その真偽は確かめられる事もなくすぐに風化することになった。今やモンスターのそばにダイダロスとアラクネ有りとまで言われるほどになっていたのである。
@ @ @
そこは東京湾の羽田空港に望む倉庫街の一角で外国人の在留者は多い区画だった。
倉庫を改装したデザインマンション。その一つに彼女は居た。
時刻は夕暮れ、まだ日が沈まりきらない頃だ。10階建ての最上階、その一つに彼女の住む部屋はあった。
広さ12畳ほどの絨毯張りの部屋、クリーム色の床にはところ狭しとぬいぐるみが並べられている。洋の東西から様々なキャラクター物から動物までありとあらゆる物が集められている。そしてそれは一つ一つが丁寧に並べられていて、普段から大切にされているのが痛いほどに伝わってくる。
その部屋の窓辺、床に座り込みながら、一つのぬいぐるみを修復している少女が居る。
背丈は140くらい、痩せた細いシルエットで髪は長い黒髪を丁寧に編みこんだ〝コーンロウ〟と呼ばれるドレッドヘアの一種で、うねる様な模様が彼女の頭に美しく描かれていた。
黒人系の黒い肌は若々しく艷やかで、独特の野性的な美しさと色香を兼ね備えていた。その黒い素肌の上にオーバーサイズの男性物のTシャツを両肩を露出させてはおっている。その下には何も着ておらず、それが彼女の部屋着であることを物語っていた。
手にしているのは古ぼけたクマのぬいぐるみでテディベアと呼ばれる物だ。造られた年代は1900年のヨーロッパでブランド名をシュタイフと呼ぶ高級アンティーク品である。よく見ると耳の端が少しばかりほつれている。少女はそのほつれ場所を自らの両手で丁寧に修復している。
だがよく見ると奇妙である。その手には針もハサミも握られていない。まるで糸その物を指先で扱うかのようにして縫っている。仔細を知らない物が見れば不思議に思うだろう。少女はまるで魔法のようにぬいぐるみを修復する。なおした後には追加の縫い跡など一切感じられない。オリジナルの姿そのままに仕上げていた。
その巧みな指先の動きによりテディベアのぬいぐるみを修復すると両手でそっと持ち上げて確かめる。出来上がりに不満は無いようだ。
その部屋には彼女一人だったが、その部屋の入口がノックされる。
ドアを叩く音に気づくと振り向き返事を返した。
「どうぞ」
静かで落ち着いた語り口だった。安息と生きがいの中に身を置いているのがよく分かる。そしてその声に導かれる様にドアが開いた。
「ここに居たのか」
ドアを開けて中へと入ってきたのは一人の黒人男性だった。ドレッドヘアにフード付きのウィンドブレーカー、目元にはガーゴイルズのサングラス。特徴的なファッションを身にまとった男はジニーロックである。
落ち着いて平静を守っていた少女だったが、ドアを開けて現れた人物に、少女の顔はにわかに明るくなる。彼女が胸のうちに秘めた親愛の情のほどが判ろうと言うものだ。
「ダディ!」
「帰ったぜ。アリー、元気にしてたか?」
「うん。いい子にしてたよ」
「そうか」
ダディという言葉はその少女がジニーロックと父娘の関係であることを物語っていた。実子なのか養子なのかはわからない。だが、2人が深い愛情をもって互いを信頼しているのだけはハッキリとわかった。
「しかし、また増えたな。誰からもらったんだ?」
ジニーロックはアリーと呼ばれた少女の部屋の中に整然と並べられたぬいぐるみたちを眺めて半ば呆れ気味に問いかける。その問いにアリーは嬉しそうに微笑みながら答えた。
「コンステレーションのお兄ちゃんたち。トレーニングしてくれた時に貰ったの」
「そうか、ちゃんとお礼は言ったか?」
「うん、したよ。大切なことだから忘れてないよ」
「そうか、いい子だ。それでこそ俺の子だ」
ジニーロックの口から少女を褒める言葉が出る。それが彼女には嬉しかったのだろう。相好を崩して笑いながら抱きついていく。背丈が190を超えるジニーロックと140有るか無いかの小柄なアリー、その身長差もまた2人が親子であることを示していた。そしてアリーはジニーロックの顔を見上げながらこう告げた。
「ダディ、今度の仕事はちょっと長かったね」
その言葉はジニーロックがこの部屋に訪れたのが久しぶりだったということを示していた。そしてそれだけの手間を掛けなければならない必然性も合ったのだ。
「まぁな、今度ガントのヤツが直々に動いて大きなヤマを張ることになった。そのための準備だったからな。それで――ガントの奴がお前を呼んでるんだ」
「ジョンおじさんが?」
「あぁ」
それまで親しい親子の会話だったのだが、〝父親〟の語る言葉に何かを悟って不意に冷静な表情を浮かべた。アリーは聡明な少女だった。そして素直な子だった。
「〝仕事〟だね?」
「そうだ」
少女は何かを悟ったらしく頷いている。
「待っててすぐ支度する」
「あぁ」
父にそう告げるとアリーは部屋を出る。そして部屋着にしていたオーバーサイズのダボダボのTシャツを脱ぐと、その下の妖精のような可憐な裸身をさらした。ムダ肉のない端正で鍛え上げられた純粋な野生を宿したその体。一糸まとわぬ姿のまま向かう先はシャワールームだ。ジニーロックは〝娘〟の挙動に関心を払いつつ、リビングのソファに腰掛けて娘が戻ってくるのをじっと待つ。そしてシャワールームの中の娘へと声をかける。
「アリー」
「なにー?」
「いつもそんな格好してるのか?」
「部屋の中だけだよ。この格好が楽だから。でも人と会う時はもっとまともな格好してるから安心して」
「そうか、ならいいんだ」
そう言葉をやり取りする間もお湯が流れる音が聞こえてくる。そして生身の人間よりは遥かに短い時間でシャワーを終えると、タオルで体を拭いているのが気配で伝わってきた。姿を見せぬままアリーからの声がする。
「ねぇ、今度の相手はだれ?」
それはひどく冷静で落ちつている。利発な子供と言うよりは少しばかり大人びていた。
「ベルトコーネって聞いたことあるか?」
ベルトコーネ、ここしばらく闇の世界で噂の的となっている存在だった。
「知ってる。とっても面倒なやつでしょ?」
「あぁ、戦闘能力の限界が異常に高く、追い詰められるとすぐに暴走する。この間、有明の1000mビルで大暴れしてとっ捕まったんだが、まんまと逃げおおせたらしい。それがガントの奴のお膝元に現れたそうだ」
「捕まえるんでしょ? それとも壊すの?」
「捕まえる。捕まえて生け捕らないとクライアントが納得しないだろうって言うのがガントのヤツの〝読み〟だ」
「だろうね。アイツに煮え湯飲まされているやつは世界中にいるから」
バスタオルで体を拭き終えてアリーが姿を現す。何も身に纏わずに幅広なブレスレットの様なアイテムを2つ手にしている。そしてそのブレスレットを両手首に嵌めながら言葉を続ける。その語り口には恨みめいたニュアンスが垣間見えている。
「飼い主の居なくなったテロロボットなんてとっとと死ねばいいのに」
そう吐き捨て、裸体のままジニーロックへと歩み寄るとソファの背後から父たる男に抱きついていく。そしてジニーロックの耳元でそっと甘えるようにささやきかける。
「ね、こっち向いて」
「バカ! 見れるわけねえだろ?」
「えー、なんで?」
「今のお前の姿を見たら襲いたくなっちまう」
ジョークなのか本気なのか笑いながらの返答に、アリーは苦笑しつつもジニーロックの背中を愛おしそうに強く抱きしめていた。
「いいよ。襲っても。ダディだったら」
「襲わねえよ」
「なんで?」
「お前は俺の大切な娘だからな」
「うん」
「娘を襲っちまったら父親じゃねえ。俺はお前の父親だ」
「うん、わかってる」
アリーにはジニーロックの言葉が心底嬉しかったのだろう。抱きついたまま身を乗り出し、後ろ側からジニーロックの脇に顔を出すと横合いからそっと唇を寄せていく。その仕草に気づいてジニーロックもアリーに口づけを返した。
それはそっと触れる口づけであり、男女の情愛というよりも、家族愛を確かめるためのソフトなものだ。そして唇を離すとジニーロックはそっと諭した。
「支度を終えろ。終わったらすぐに出る」
「うん。分かった」
アリーは頷くとジニーロックから体を離す。そして両手首の幅広ブレスレットにささやきかけた。
「アラクネから宣言。装備展開スタンバイ」
その言葉に反応してブレスレットがかすかな電子音を奏でたかと思うと、電子音声でインフォメーションを語り始めた。
『作戦行動用スーツシステム。ウェアラブルプロセススタート』
そしてブレスレットが微かに青白い光を放ったかと思うと、アリーの全身を青白い光が幾条もの光の粒となって広がり、アリーの体の上へと瞬く間に装着装備を再現して行く。
両足を覆う半透明なストッキング・タイツ。膝上までの編上げのブーツ。胴体全体を首筋まで覆う厚手のレザー風の黒いハイレグボディスーツ。両手には指を露出させ肘まで覆う保護用のグローブも嵌められている。最後に何処からともなく空間から現出させたかの如く、ロングコートが現れる。それを自ら袖を通して準備は完了だった。
『ウェアラブルプロセス完了、コンディションチェックオールグリーン』
ブレスレットの電子音声が告げる。彼女の仕事の支度は完了である。
「できたよ」
そのシンプルな言葉にジニーロックは立ち上がり背後を振り返るとアリーに告げた。
「オーケィ、それじゃ行こうか、〝アラクネ〟」
アラクネ、それが彼女の本当の名だった。ジニーロックの言葉にうなずき返すと素早く歩み寄り彼の左隣へと並び立った。
「うん行こう」
2人は静かに歩き出す。その彼らが向かう先は首都圏下の闇であった。
そして〝2人〟は〝彼ら〟を待ち受けていたのである。

















