サイドB第1話『魔窟の洋上楼閣都市』Part17『オペレーション・後編』
第2章サイドB第1話『魔窟の洋上楼閣都市⑰』
――オペレーション・後編――
スタートです
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古の時、外科医術は卑しき外法とされていた時代があった。
技術や薬学が未発達な時代においては不気味な器具が並んだ恐怖心を伴うものであり、フローレンス・ナイチンゲールが近代看護を確立する以前は、医術は死亡率の高い命がけのものであったのである。
その後、近代医学と近代看護が確立されるに至って、医術・医学は安全なものとなり人々は安心して医療を受けられるようになる。
しかし、医療技術が向上するに至って次に現れた問題は深刻な〝人手不足〟である。優れた医療技術スキルが求められるに至って、必要な専門技術者の絶対数が足らなくなってしまったのだ。高騰する医療コストの問題も深刻なものとなった。
その解決手段として求められたもの――
それが【医療のロボット化】である。
看護ロボット、遠隔受診システム、手術ロボットシステム――、少ない人材を有効活用し物理的な数の不足と地理的な問題を解決するために機械化とネット化が推し進められたのである。
そして今、その医療のハイテク化サイバー化の最前線に立つ男がいる。
男の名はシェン・レイ――、神の雷と呼ばれた最強の電脳犯罪者。その彼のもう一つの顔が最新鋭の医療技術を駆使する脳外科医であると言うことだ。
彼にとっては人もサイボーグもアンドロイドも、〝意識〟という行動決定システムを宿した組織体である事に変わりは無い。ただ、その構成素材が金属か半導体か有機物かと言う違いであるだけだ。
そして最新鋭のハイテクハッカーである彼は、人間の体を一つのシステムに見立てて、現世界において最も精密な手術を行うことができるのである。彼の医師としての技術を見たことのある者はこう呼び称するのだ――
すなわち〝神の御業〟と。
彼こそはもっとも死を超越する立場に近い者の一人なのだ。
@ @ @
今、カチュアがメディカル用の特殊機能ベッドに寝かせられていた。高機能なチェアータイプ。そして。腕部と脚部をそれぞれにホールドするようにアームレストとフットレストが設けられている。そしてチェアーからは患者の身体をより正確にホールドするためにサブアームが備わっている。
カチュアはそのチェアータイプのメディカルベッドの上に横たわっていた。
四肢を広げ、頭部の受傷部位の前処置を終え、その全身には各種センサーや呼吸用のマスク、点滴の薬液チューブ。その他様々な器具が装着されていた。
そのベッドの周囲を囲むのは、無数のマニピュレーターだ。手術のメイン作業を行い、施術処置に必要な器具が準備されている。この手術室において患者の肉体に刃を入れるのは人間ではない。精密作業が可能なほどに高機能なメカニクスなのだ。そのメカニクスを支配し、手術の全行程を掌握するのは〝神の雷〟ことシェン・レイである。
メディカルベッドを見下ろす位置に設けられた専用シートに座する彼は、コンソールからの操作ですべてのシステムを操作することが可能だった。
専用シートの前方に設けられたコンソールは単なるハードウェアキーボードでは無く立体映像による仮想入力システムであり彼独自の操作システムである。シートの周囲に大規模に空間展開されたアイコンメニューやヴァーチャルキーボードによるコマンドエントリーを用いてシステムを操作していくのだ。それにデータグローブを用いた細密感触フィードバックシステムを併用することで、実際に自らの手でメスを握って執刀しているような状況が得られるのである。
そして今、コンソールを操作しつつこれから行う術式についてシェンが宣言する。
「これより全術式を開始する。まず腹腔内の出血箇所の特定から行う」
しかる後にコンソール上の空間のアイコン群を操作し展開していく。
【 核磁気センサーアレイ作動 】
【 連続ヘリカルスキャニングスタート 】
【 モード>血流連続探知 】
端末操作を行えば、左右に分割された状態のリング状の器具が集まってくる。そしてカチュアの胴体の周囲を包むようにリング形状をなすとそのセンサーの作動を示す青いパイロットランプが光を放ち始めている。
――キュィィィン――
甲高い磁気音がかすかに鳴り響き、リング状のセンサーはカチュアの胴体を下から上へ、上から下へと上下を繰り返している。環状に構成された線形センサーが螺旋状に連続作動しクランケの肉体から得られるデータを3次元計測データとして空間上に3次元ホログラフィとして投映する。
【 クランケ身体データ:3Dグラフィクス 】
【 表示セクション胴体部全域 】
【 表示対象>全血流、及び、体内臓器形状 】
指定されたとおりのデータが表示される。そこにはカチュアの胴体内の血液の流れがマイクロ単位レベルで再現されている。動脈から毛細血管、そして静脈、さらには心臓へと絶え間ない流れが、生命が持ちうるある種の神秘さを伴って脈打っていた。
身体構造と体内臓器のシルエットがシースルーの白、血流が酸素含有量に伴い、赤から紫へと変化しながら再現されている。その極彩色の輝きを目の当たりにして、朝は思わずため息を付いていた。
「すげぇ」
「こんなのは序の口だよ。これから先、最もえげつない物をたくさん目のあたりにすることになるから覚悟しておけ」
「はい――」
不思議な光景だった。たとえ正式な医療技術を持っているとはいえシェンは犯罪者である。そして朝は正規の警察官でありシェンを捕らえる立場にある。だが、今この場においては、朝はシェンに対してある種の畏敬の念のようなものを抱きつつ合ったのだ。
【 核磁気センサーアレイモードシフト 】
【 細密センシングモードから 】
【 連続センシングモードへ 】
センサーアレイの形状が変化する。それまでは丸いリングが8つのブロックに分けられていた物が連結してリング形状を成していた。だが、それが再び8つに分割されて、カチュアの胴体の左右へと2列に並んでいく。
「これまでは体内構造を細密に把握するためのモードだったが、此処から先は血流の変化を絶え間なくスキャンする。これにより体内における出血状態をチェックする」
【 血液流路状態 】
【 連続センシングスキャニング開始 】
【 標準血液流路データと比較チェック 】
【 異常箇所チェックスタート 】
カチュアの体内データに並べられたのは、カチュアと同じ3歳児の標準的な体内データだ。その2つのデータを比較チェックしていくことで明らかに異常な血液流路や出血などの障害情報を調べだすのだ。そしてシェン・レイが操るシステムは異常と判断されるデータを速やかに調べだしたのだ。
【 血流異常箇所〈探知〉 】
【 ・流路形状異常 】
【 >特になし 】
【 ・不正出血箇所[1] 】
【 >腹部内臓器《脾臓》 】
【 [出血レベル・軽度] 】
【 [臓器破損レベル・中度] 】
システムのセンサーが探知し明示したのは、体内臓器の〝脾臓〟からの出血である。それを視認してシェンがつぶやく。
「脾臓か」
そのつぶやきに朝が問うた。
「やはりベルトコーネに殴打された時でしょうか?」
「おそらくそうだろう。頭部を殴打されて吹き飛ばされたと聞く。その際に胴体を激しく何どこかにぶつけたのだろうな」
「脾臓の損傷は原則摘出処置をするって聞きましたが?」
朝の疑問をシェンは明確に否定した。
「いや摘出はしない。摘出が適応となるのは成人のみだ。乳幼児は脾臓の代行をする体内機能が未発達だから、摘出してしまうと老化した血液成分が体内に増加して深刻な敗血症を引き起こす可能性がある。理想は移植だが現状ではそれは望み薄だ」
「ではどうすれば?」
「修復する。私独自のマイクロサージャリーを駆使して破損箇所を修復する」
「しゅ? 修復?」
「そうだ、私のオペでは内蔵臓器の修復など別段珍しいものでは無いからな。それでは始めるぞ」
シェンはあっさりと事も無げに言い切る。その自信に満ちた物言いに朝は驚くばかりである。まずはオペ前のバイタル情報をチェックする。
コンソールを操作して空間上に3D映像として複数のパラメータを表示させる。
――心拍――
――血圧――
――呼吸――
――血液酸素濃度――
――各脳波状態――
それらを空間投影して明示し、常に把握できるようにするのである。
「バイタルデータディスプレイ完了、出血特定箇所を低侵襲術式により非開腹で処置を開始する」
術式について宣言し終えるとシェンが新たなコマンドを実行する。
【 細密マニピュレーター作動 】
【 体内進入路8箇所作成 】
【 マニピュレーター進入路:#1~#4 】
【 出血血液ドレーンチューブ:#1 】
【 手術用素材体内搬入カテーテル:#1 】
【 体内用マイクロカメラ進入路:#1~#2 】
直径1ミリ程度の微細なサイズのマニピュレーターが動き出しカチュアの胴体の左脇腹に集まっていく。そして、体表に手術作業時のガイドとなるマーキングを施していく。しかるのちに体表を皮膚・内皮・真皮・脂肪層・筋肉層と順次切開して非開腹での作業の足がかりを作っていくのだ。
そして、開けられた8つの〝穴〟から器具を侵入させていく。いずれも直径一ミリ足らずの非常に細密なものだ。
まずは体内出血を体外へと吸い出していく。その様をマイクロカメラの付いたマニピュレータにて視認しながら出血度合いを確認する。
「出血度合いは――それほど深刻ではなさそうだな。だが出血は続いているな」
出血血液を吸い出しつつバイタルデータにも目を配る。今のところ血圧が低めである以外は特に問題は無い。
「バイタル異常無し、次の処置へと移る」
次なる操作がされる。
【 体内搬入カテーテルより 】
【 低活性炭酸ガス注入 】
【 体内空間拡張開始――同完了 】
体内の腹腔内に炭酸ガスを注入して内部空間を広げる。非開腹の内視鏡手術では必須となる処置である。そして空間内に余裕が確保できたところでマイクロカメラによる出血箇所の直接視認である。3Dホログラフィデータによる出血箇所を参考に実際の出血場所を確認する。するとそこにはわずかながら亀裂が走っている場所が合った。
「あれだ!」
思わず声を出す朝を尻目にシェンは続ける。
「そのようだな。やはり体外側に面した部分が裂けている。大きな石かコンクリートブロックの欠片でも有ったか、いずれにしろ鋭い突起物が体内臓器を傷つけたんだ。大きな外傷が無かったのは不幸中の幸いと言うべきかな」
「その時は出血多量でしょうね」
「否定はせんよ」
死を想起させる朝の言葉にシェンは慎重に答えた。そして腹腔空間をマイクロカメラが精査してその他の未発見の出血箇所を調べ、他に傷の付いている受傷部位が無いかを確認する。
「他に傷の臓器はないな、腹膜や大動脈に損傷が無かったのは幸いだったな」
「心タンポナーデや心臓震盪のトラブルの例もあります。心臓系統は異常は?」
「そちらは問題無いな。心拍、心電、血圧、拍動量、ともに異常無い。心拍信号の心神経インパルスも正常範囲内だ。胸部を強打しなかったのは不幸中の幸いだよ」
「そうですか。運の良い子ですね」
「そうだな。ギリギリの寸でのところですべてがこの子の命を救うために動いてくれている。君が居合わせて適切な処置が得られたのもその一つだ。なんとしてもこの子を救おう」
「はい」
二人そう言葉を交わしさらなる処置が続く。
【 体内吸収性タンパク質縫合糸による 】
【 体内臓器整復処置 】
【 プロセス1: 】
【 体内吸収性高分子フィルムによる臓器被覆 】
体内搬入カテーテルを用いて体外から破損亀裂を覆うための高分子特殊フィルムが送り込まれる。体内臓器に触れることでいずれは体内組織と同化し、修復をより速やかに処置するための物だ。それを2本のマイクロアクチュエーターが捕らえると脾臓の亀裂が生じた箇所に充てがわれていく。出血が生じているために密着しにくい状況にあるがまだ処置には続きがある。
【 プロセス2: 】
【 体内吸収性タンパク質縫合糸による 】
【 高分子フィルム縫い付け処置 】
2本のアクチュエーターがフィルムを保持している間に、残る2本のアクチュエーターはあたかもミシンで縫い付けるかのように速やかかつ着実にフィルムを脾臓表面へと〝取り付けていく〟それは恐ろしく速度が早く、2センチほどの亀裂を瞬く間に被覆してしまった。
【 プロセス3: 】
【 同縫合糸による亀裂箇所の閉鎖修復 】
脾臓に生じた〝亀裂〟が覆われ、出血が止められた後には、今度はその亀裂そのものを閉鎖する必要がある。
「ここからは私が行おう」
そうつぶやき空間上にデータグローブを伸ばせば、実際にその臓器をダイレクトに処置しているかのように3Dホログラフィによる拡大された患部が表示されていく。それを自らの手で糸で縫うようにすれば、体内に残置していたマニピュレーターのうちの2本がシェンの手の動きにリンクするかのように動き出した。そして、脾臓の亀裂箇所を、連続して縫い始めるのだ。
「信じられねえ、こんな方法があるなんて」
脾臓の亀裂箇所、その両サイドを橋渡しするように糸を引っ掛け牽引しながら断続的に縫い続ける。片側を縫い、糸を渡し、縫い付け、牽引する。その際に残る2つのマニピュレーターが広がっている亀裂を正確に噛み合わせるかのように押し付け補助していく。それらの協調動作が連続して行われて2センチほどの患部は瞬く間に縫い付けられて処置は完了したのである。
【 体内臓器血流状況・再チェック 】
【 ・不正出血箇所[0] 】
【 >不正出血修復完了 】
【 >修復臓器、形状変化軽度 】
【 >臓器内血流状況、異常なし 】
【 】
【 バイタル各データ異常なし 】
【 >血圧微弱ながら回復傾向 】
【 】
【 腹腔内への浸潤液を確認 】
【 >出血血液ドレーンチューブ 】
【 浸潤液を体外排出のために体内残置 】
出血箇所の修復には成功したが、どうしても組織液の浸潤が避けられない。これに対処するためにドレーンチューブを体内に残し、体外へと自然排出させる。体外に露出したチューブの先端は専用の滅菌バッグに繋がれることになる。
「よし、体内臓器の出血が他にもないか確認する」
【 血液流路状態 】
【 連続センシングスキャニング再実行 】
【 標準血液流路データと比較チェック 】
【 異常箇所チェック 】
【 >同、異常なし 】
「よし、これで不正出血はクリア」
3つの治療対象のうち、最初の段階がクリアとなったことになる。シェンはコンソールを操作してシートポジションを変更する。シート全体の傾斜角を立てていき、頸部の患部部分を垂直に近い状態にしていく。そして腹部の手術部位への影響を考慮しながら背もたれを立ててゆき、最後には頸部と頭部を直立した状況へと移行させるのだ。
「次は頸部の整復処置に移る」
そして更にヴァーチャルコンソールを操作する。
頭部をホールドしていたヘッドレスト部分が展開して、頭部を保持しつつ頸部周辺が開放される。そして手術用オペレーションマニピュレーターや各種計測センサーが展開できる余地が作られる。
「まずは骨折箇所と頚部脊髄の損傷状況の確認だな。チャオ――」
シェンが朝に問いかける。
「CTスキャナーを展開する。多少放射線が飛び交うからオペレーションベッドから離れてくれ」
「はい」
「その間に整復用素材を用意してくれ、コンテナナンバーはE07、C12、A03だ。部屋の端に運搬用ラックがある。それを使え」
「はい」
朝は指示されたとおりにコンテナを準備し始める。そのコンテナ内に必要な手術用素材が収められているのだろう。その間にシェンは手術処置を進める。
【 ラスタスキャンCT起動 】
【 対象患部部位 】
【 >頸部全域 】
カチュアの頸部を前後左右から囲むように4基の長方形のセンサーがアームに支えられて接近してくる。そして頸部から4センチほどの距離を保つとパイロットランプが点灯して作動を開始する。
【 センシング対象 】
【 >頚骨構造 】
【 >頚骨内脊髄 】
【 [スキャニング開始] 】
コマンドを指定すればカチュアの頸部状態が速やかに読み取られていく。そして得られたデータをその場で速やかに処理して空間上に3Dホログラフィとして投影していく。
皮膚外観が薄い青、血管と思しき部位が赤、脊椎などの骨が白、そしてその内部の脊髄が黄色で表示されている。さらに映像を処理してゆけば、緑色で脛骨の破損箇所が明示されていく。
カチュアは頭部を左側面から殴打されている。その為、脛骨にも左から右へと強い力が加わったのであろう影響が出ている。緑色で明示されているのは上から2番めの頚椎、第2頚椎で、さらに第2頚椎には首関節の〝軸〟の役割を果たす〝歯突起〟と呼ばれる突起があり、それが最上部の第1頚椎内に貫入している。そこがポッキリと折れているのである。
「軸椎骨折か、他には――」
さらに画像を精査すれば上から5番目の第5頚椎、そこにかすかながら緑色のマーキングがされている。上下方向からの圧迫力が加わったために頚骨の主要部である椎体が破裂しているのがわかる。骨は前後に分散する形で離断しており、そのうち一部が脊髄を圧迫しているのがわかった。
「第5頚椎の椎体圧迫骨折か――、軸椎の歯突起は単純骨折だからハードカラーによる仮固定で自然回復に任せるとして――」
【 可動式ハードカラー形状変更 】
【 頸部左右部位開放、手術アプローチ形成 】
「――破裂骨折部位の整復と脊髄への圧迫の除圧だな。まずは仮固定処置からだ」
そして診断を終えると朝に声をかける。
「チャオ、コンテナを所定位置にセットしてくれ」
「はい」
床に映像が浮かび、コンテナをセットする位置が明示される。そして指定されたとおりに並べれば、まずはE07のコンテナがマニピュレーターアームで開けられる。そしてしかる後に取り出されたのは2本のアンプルである。
【 体内深部領域薬液注入用 】
【 ロングタイプ動力シリンジ 】
【 >所定位置セット 】
【 動力シリンジコネクターへ 】
【 指定薬液アンプルをセット 】
【 指定薬液1: 】
【 骨形成カルシウム体誘導ナノマシン 】
【 指定薬液2:再生骨形状誘導体ナノマシン 】
【 [同セット完了] 】
【 動力シリンジを所定位置に誘導 】
そして極細であり長さ20センチはあろう長大サイズの注射針を備えたその器具はカチュアの頸部上端部分を狙うように、カチュアの首のやや斜め前方下方からアプローチして針をあてがっていく。
「ニードル挿入開始」
シェンの宣言とともに動力シリンジの先端の特殊針は、確実にカチュアの頸部の内部へと侵入していく。そしてその針の動きは空間上に投影されている頸部の内部構造の再現図の中で着実にある部位へと進んでいるのだ。その際に重要器官を傷つけないように、角度と進行方向には最新の注意が払われている。幸いにして重篤な故障となる病変は起こらなかった。
「シェンさん、これは何を?」
朝が問えばシェンは冷静に淡々と答えた。
「軸椎骨折をしている第2頚椎先端へと直接針を打ち込む。そしてしかる後に骨折部位にダイレクトに骨細胞の再活性化を促し骨折部位の再生を促すカルシウム誘導体を注入しているんだ。それと骨折部位の再形成が理想的な状態になるように誘導と制御を行うための高機能ナノマシンも投入する。こちらの方はそんなに骨折状態はひどくはないから切開しての整復処置は不要だろう。問題はもう一つの方だ」
さらにマニピュレーターがコンテナを開け素材の準備を始める。
「第5頚椎の椎体が破裂骨折している。骨折状況としては比較的軽い方だが、脊髄への圧迫も発生している。こちらは破裂している部位の骨片を整理して正規の状態へと戻して頚椎としての機能を取り戻す」
「頚椎機能回復の可能性度合いは?」
「普通の医師なら元通りになるかどうかは五分五分だが、俺は確実に100%回復させる。破損した椎体も完全に修復して頚椎機能も取り戻す。神経機能の麻痺も発生させない」
そう言い切った時、ニードルの先端が対象患部へと到達したことが告げられた。
【 シリンジニードル先端 】
【 [指定患部領域へと到達] 】
【 >薬液アンプル電磁バルブ開放 】
【 >薬液1 薬液2 同注入開始 】
【 [指定薬液全量注入完了] 】
【 >動力シリンジ先端ニードル抜き取り開始 】
2種類のナノマシンが各種薬液と一緒に軸椎骨折の患部へと注入された後に、鋭利な注射針は速やかに抜き取られた。今、この段階ですでに投与された二種類のナノマシン薬液は効果を発揮し始め、徐々にであるが軸椎骨折の患部の歯突起のグリーンの表示が縮小しているのがわかる。
「これで軸椎骨折の方は早ければ3日くらいで生着するだろう。問題はこっちだな」
シェンが指し示した先は破裂骨折した第5頚椎の方である。空間上に明示された3Dホログラフィの模式図を拡大すると破裂した椎体部はおおよそ3つに分かれている。その内の一部が後方へとズレて脊髄を圧迫しているのである。
「普通の医師なら破裂した頚椎の骨片を除去して首の骨をボルト固定するところだが――」
【 頚椎、前方除圧法による 】
【 破裂部位の再形成処置 】
【 プロセス1>頸部左右切開処置よる開窓 】
マイクロマニピュレーターが動き、カチュアの首の左右部位を3センチほど切開していく。皮膚、内皮、真皮、脂肪層、筋肉層と進み、途中頸部血管を傷つけないようにサブマニピュレーターで保護して養生しつつ重要箇所である第5頚椎へと到達する。
「――私はそんな無粋な処置はしない」
【 プロセス2 】
【 >自立可動型マイクロマシンワイヤー挿入 】
【 >同、ワイヤーによる脊髄圧迫部位の 】
【 除圧処置開始 】
マニピュレーターがC12のコンテナを開ける。そして、内部から直径1ミリにも満たない微細なワイヤーを取り出していく。その数10本ほど、それらが左右からのアプローチで頸部内へと並列して同時に挿入されていく。見慣れぬアイテムに朝は思わずつぶやいた。
「これは?」
「俺が開発したマイクロマシンによる特殊ワイヤーだ。こちらからの指定信号に従って形状が自在に折れ曲がり変形させられる。先端が鋭利な切刃形状になっているから体内患部へと侵入させられるんだ。これを使って鉄筋コンクリートの鉄筋鋼材のように破損骨折部位を再形成するんだ。まずは脊椎を圧迫している骨片を前方へとずらすためにナノマシンワイヤーでメッシュ形状を形成する」
10本が5本ずつに分けられ並列に並べられる。そしてそれが隊列を組んだかのように整然と並べられながら頸部内へと入っていく。模式図での表示を併用すればそれは着実に患部へと到達し、そして破裂骨折部位と頚部脊髄との間に割り込んでいく。
椎体と椎体の間の椎間板、その周辺の僅かな隙間を利用して、10本のワイヤーは互いにクロスしながら侵入していく。無論、脊髄に食い込んでいるサイズの大きい骨片の表面で念入りにクロスしながらメッシュ形状を形成しつつ、左右から侵入してくるワイヤーが互いに連結し合うことでより強度を増して行く。
「よし、これでバリケードは作れたな。これを――」
【 左右各列からの 】
【 マイクロマシンワイヤーの連結を確認 】
【 その後に骨折椎体を前方へと除圧 】
左右から頸部へ挿入されメッシュ形状を形成したワイヤーを左右でマニピュレーターがホールドしつつ慎重に骨片を前方へとずらしていく。3D模式図を様々な角度から視認しつつ、慎重に作業が行われる。そして脊髄へと食い込んでいた骨片は見事に脊髄部位から離れたのだ。
「やった!」
朝が思わず叫んでいる。そしてシェンは冷静にさらなる作業を加えた。
「そして除圧したまま、更にワイヤーを加えて破裂部位にワイヤーを貫入させる。そしてそのまま亀裂部位を引き寄せて密着させていく」
「貫入?」
「あぁ、先端が鋭利なドリル形状になったもう一つのワイヤーを用いる」
コンテナから更にワイヤーが取り出される。その先端はさらに鋭利な錐の様であり、それは骨組織にすらもすんなりと入っていくかのような鋭さを感じさせるものであった。
「これをつかって骨質内にワイヤーを貫通させる」
「貫通させる? そんなことができるんですか?」
「通常は無理だが、ワイヤー先端の切刃形状に改良を加えることで高速に処理をすることができるようにしたんだ。骨質細胞を速やかに分解してワイヤーが貫通する〝穴〟を形成する。俺にしか使え無い特殊アイテムだよ」
シェンは説明をしつつ作業を続けた。
【 プロセス3 】
【 >骨質貫通機能付加型 】
【 マイクロマシンワイヤー追加挿入 】
【 >破裂骨折部位を貫通しつつ 】
【 頚椎骨構造内部を周回させ 】
【 さらに骨構造を再生できるように 】
【 自立稼働ワイヤーにて頚椎を再構成 】
追加された貫通機能付加型のマイクロマシンワイヤーが破裂骨折した部位へと突入していく。片側5本で左右で合計10本のワイヤーは音もなく椎体骨に侵入していくが、それらのワイヤーの侵入貫通経路は、CTスキャナーによる骨構造解析により、最適なワイヤー経路が予め指定されていた。そして数分ほどの時間を経て自動制御で作業は行われ、破裂骨折により3つに別れてしまった椎体骨は引き寄せられて密着するばかりになったのである。
「ワイヤー敷設完了、牽引経路確認、問題無し。次の段階へ移る」
【 プロセス4 】
【 >マイクロマシンワイヤーによる 】
【 破裂部位収束形成開始 】
【 >同、破裂離断部位、収束密着確認 】
【 >破裂部位、再形成形状異常なし 】
【 >ワイヤー端部、突出形状等無し 】
【 自立稼働により頚椎椎体表面に密着 】
ワイヤーが自立駆動で縮む事で、離断散開している各骨片を引き寄せて、元の頚椎骨にふさわしい形状へと復帰させる。分かれていた骨片は元の形状へと戻り、しかる後に密着する事になるのだ。
【 >CTスキャナー作動 】
【 >再形成骨構造確認 】
CTスキャナーを作動させて、再生された骨構造を確認する。突起状の突出や接合された離断断面のズレ、脊髄や血管などの他の臓器への影響、さらには血流などへの影響なども考慮される。
「ズレ無し、密着形状異常なし、他の組織への影響も問題なしだな。髄内動脈の血流も問題なし、脊髄への圧迫も――クリアだ。よしこれで行こう」
ワイヤーの処置が完了した後に先程の2種類のナノマシン薬液がこちら側にも投与された。
【 プロセス5 】
【 骨折破裂部位、接着促進処置 】
【 動力シリンジニードル先端 】
【 [指定患部領域へと到達] 】
【 >薬液アンプル電磁バルブ開放 】
【 >薬液1 薬液2 同注入開始 】
【 [指定薬液全量注入完了] 】
そして一定処置が完了して、肉眼と模式図との併用で、再形成された頚椎部位に異常が無いことも確認された。椎体だけでなく椎間板も確認されたがこちら側は変形や突出は見られなかった。だが念には念である。
「頸部脊椎に傷がついている可能性もある。神経組織の回復促進処置をやっておこう」
そしてここでA03のコンテナの出番である。内部から取り出されたのは赤い色をしたさらなる薬液アンプルである。それを動力シリンジに取り付けて極めて微細な注射針ニードルにて頸部へと開窓部位からアプローチしていく。その先には頸部脊髄がある。その頚部脊髄を被覆する頑丈な硬膜へと針を慎重にゆっくりと打ち込んでいく。だがその針の動きは極めて繊細であり、非常に真剣かつ緊張した表情でシェンがニードルを操作しているのがよくわかった。
【 プロセス6 】
【 >神経損傷部位、自己回復誘発薬剤投与 】
【 >同薬液内ナノマシンによる神経再生 】
【 誘導処置開始 】
神経組織は損傷したら原則として自己再生は起こらない。特に脊髄や中枢頭脳部位はなおさらである。だが末梢神経部位は状況に応じて再生することが知られている。これと同じ機能を脊髄部位でも発生させるための特殊薬剤なのである。
【 >注入完了 】
【 >同じ、除圧処置ナノマシンワイヤーを 】
【 抜き取り開始 】
【 >更に、切開開窓部位を閉鎖開始 】
患部が確実に修復されたことを確認して除圧処置用のワイヤーを取り外していく。メッシュ形状に互いに折り重なっていたが、今度は逆のプロセスでワイヤーが自ら互いの絡み合いを解いていく。そしてその次に、患部処置のために開けられた切開開窓が元通りに閉じられていく。その際に自己吸収性の高分子糸にて正確に縫い付けていった。
【 >閉鎖処置完了 】
【 >切開患部受傷部位表面に 】
【 滅菌フィルムを貼り付け。同部位被覆 】
これで頸部骨折部位への処置は完了である。
「早え、あっと言う間だ――」
朝が驚きの声を上げている。それを尻目にシェンが淡々と作業を続けている。
「これで頚部骨折は処置が完了だ。あとは完全にくっつくまでハードカラーで固定だな。そしていよいよ――」
「頭部の脳挫傷部位ですね」
「あぁ、敵の本丸に殴り込みだ。チャオ、コンテナ追加だ。E列のコンテナ。1、5、24を準備してくれ」
「わかりました」
シェンに指示されたとおりに朝がコンテナを準備する。朝ももとより警察官として与えられた指示を正確にこなすという当然の技能については嫌と言うほど鍛えられている。ましてやこの手術を失敗させるわけには行かないのだ。協力の意思にも力が入ろうと言うものだ。
朝がコンテナを準備する間にシェンはさらにオペの次の段階へと入ろうとする。
まずはここまでのオペの結果を確認するとともに、呼吸心拍などのバイタル各データを再確認する。
「呼吸、心拍、異常無し、頸部脊髄部位を操作したことでの基本身体機能への影響も無しだな。いよいよ頭部の処置へと移行する」
【 頭部、手術対象エリア確認 】
【 CTスキャナー、及び 】
【 弱出力核磁気共鳴センサー同時起動 】
【 頭部組織構造スキャニング開始 】
【 3D細密ホログラフィにて頭部内状況を 】
【 空間投影表示 】
頭部の頭蓋内状況を探知すれば、頭部左側サイドに大型の血腫の影を見ることとなった。頭部を殴打されての内部出血。広範囲ではないが血腫の存在が大脳皮質を内部側面から圧迫しているのがわかる。
「急性硬膜下血腫だな。頭部を殴打された際の症例としてはオーソドックスな物だ。適用手技は患部開頭の後の血腫除去だ」
【 直接照明器具設定 】
【 >照度最大 】
【 >各アングル別モニターカメラスタンバイ 】
【 >出血血液回収ドレーンチューブ 】
【 及び、血液回収ポンプスタンバイ 】
【 >皮膚切開プロセス開始 】
マニピュレーターアームが動き出しカチュアの頭部皮膚へと近づく。そしてマニピュレーター先端から姿を表したのは超音波振動をするセラミック製の切開刃である。そして頭部の受傷部位を覆っていた滅菌フィルムを2本のマニピュレーターアームが摘んで慎重に剥離させていくのだ。
【 プロセス1: 】
【 施術部位洗浄処置 】
【 >患部保護用滅菌フィルム剥離 】
【 >出血血液ドレーンチューブにて吸引 】
【 >同部位を滅菌済み生理食塩水にて洗浄 】
フィルムを剥がせばその中からは溜まっていた出血液が溢れ出そうとしている。それを速やかにドレーンチューブにて吸引し、残った凝固血を洗浄していく。そして患部がクリアになったところで次のプロセスへと移るのだ。
【 プロセス2: 】
【 皮膚切開、皮膚層、筋層剥離 】
【 >外傷受傷部位をさらに広げる形で 】
【 セラミック製滅菌切開刃により切開 】
【 >皮膚層、筋層を切開した後に 】
【 サブマニピュレーターアーム6本にて 】
【 皮膚層筋層を同時に頭蓋骨より剥離開始 】
マニピュレーターに備えられた鉗子アームにて皮膚の切開端をつまみ、慎重に筋膜を剥離させていく。そして打撃により破損している頭蓋骨部位を完全に露出させた。
そこに見えてきたのはかつてのベルトコーネの殴打により粉砕させられた直径8センチ程度の領域であった。そこからはなおも血液がにじみ出ている。内部において血管が傷ついていることの証であった。
「粉砕している骨片を除去。しかる後に頭蓋骨を患部領域で切断剥離させて硬膜を露出させる」
【 プロセス3: 】
【 破損頭蓋骨除去、頭蓋骨切開 】
【 >破損骨片を慎重に除去 】
【 >指定領域の頭蓋骨を切断した後に剥離 】
次にシェンは自らデーターグローブを用いてマニピュレーターアームを操作し始めた。先端がラジオペンチ形状であり骨片のような硬いものを摘むのに適していた。それを用いて粉砕されている骨片を慎重に採取していく。その骨片の下には硬膜がある。硬膜に不用意な傷がつかない様に慎重を喫する必要があるのだ。
シェンの手技が正確かつ速やかに骨片を採取していく。途中、斜めに硬膜へと食い込んでいる骨片を発見するがこれもまた慎重に採取を終えていた。採取した骨片は8つほど。それらを除外した後に残存する頭蓋骨の患部領域のエリアを覆っている頭蓋骨を切断する。用いるマニピュレーターの先端ツールは回転ノコ形式の物で、内部の硬膜を傷つけずに頭蓋骨のみを切断することが可能な優れものである。
そのツールに対して朝が問う。
「中の硬膜まで切ってしまわないんですか?」
「それについては心配ない。回転ノコ刃自体に触覚センサーと対物距離センサーが付いていてね予め指定された設定により、骨のみ切断して硬膜を残したり、皮膚のみ切断して脂肪層は切らないといった微細な設定が可能なんだ。手術の省力化と高速化のために作り上げたものだ」
朝はその説明に思わず感嘆せざるを得ない。
「すごいですね。どうしてそこまでハイテクを自己開発してまでコストと手間をつぎ込むんですか?」
朝の問にシェンはかすかに微笑みながら事も無げに答えた。
「それは当然〝必要〟だからさ。以前にも言ったとおりこの界隈にはこの島の外の医療機関にはかかれない立場にある弱者がたくさん存在する。かと言って一つの命である以上、医療機関の手にかからずに生きていくわけにはいかない。そして、高度な医療を提供できる状況と立場にあるのが私一人である以上〝助けを求める声〟があるならば、私はそれに全力で答える。この特殊ツールや特殊素材の存在も、電脳犯罪者としての活動も、全てはこの島の〝弱者〟を守りたいがためだ。私にはそれ以上の動機も、それ以下の願望も存在しない。私はね詰まるところは『エゴイスト』なんだよ」
エゴイスト、普通ならネガティブな意味で使われる言葉だが、今のシェンから語られると、それは不思議と魅力的な響きを伴って朝の耳に届いていた。そしてそれを正当化してしまう説得力とカリスマ性が彼からは感じられるのだ。
取り外した切断骨を一本のマニピュレーターアームが運んでいく。運ばれた先にあるのはなにやら3Dプリンターのような大きな箱型の装置である。
【 骨質素材人工骨、3次元造形システム 】
【 >摘出骨、3Dスキャナーにて形状計測 】
【 >再生骨予定構造計算終了 】
【 >3Dプリンターにて再生開始 】
箱型構造であり2つある箱部の内の右側に摘出した破損頭蓋骨を収め、その内部で構造を解析、3Dプリンター方式で人工頭蓋骨を再生できる装置だ。その装置にまかせて装置からの報告メッセージを待つことになる。
頭蓋骨の除去が済んだところで才覚んすれば、その先には堅牢な硬膜に覆われた大脳がある。
「よし、患部露出成功、硬膜下のゼリー状血腫の摘出に入る。ここからはデータグローブを用いたマニュアル操作を加える」
【 プロセス4 】
【 硬膜切除、硬膜下出血領域露出 】
【 >マニピュレーターアーム4基により 】
【 硬膜牽引持ち上げ 】
【 >精密操作用マニピュレーターアーム 】
【 2基展開 】
【 >データグローブリンクによる直接手開始 】
【 >剪刀アタッチメントに切り替え 】
【 >硬膜をU字形状に切開 】
【 >鉗子アタッチメント切り替え 】
【 >硬膜を慎重に血腫から剥離 】
【 >サブマニピュレーターアーム展開 】
【 >剥離した硬膜をサブアームにより保持 】
複数本展開されたマニピュレーターアームにより硬膜を脳表面から持ち上げると、データグローブとリンクされた2本のマニピュレーターアームを用いて脳硬膜を切り開いていく。そしてU字形状に切られた硬膜をめくれば、そこには硬膜下で起こった出血がゼリー状となって大きく広がっているのが見えた。そこに見えるのは脳ではなくまさに血の海である。
映し出された血腫は頭部の左側面を大きく覆っている。その出血がこぼれだしてこないようにチェアタイプの手術ベッドを大きく傾斜させた。
「想像以上に血腫が大きいな――、しかしこれを取らねば先には進まないからな」
【 プロセス5 】
【 ゼリー状血腫を除去、焼結止血処置 】
【 >精密操作用マニピュレーターアーム 】
【 脳ベラアタッチメント接続 】
【 >サブアーム展開 】
【 によりバキュームチューブを保持 】
【 >脳ベラアタッチメントにより 】
【 脳皮質よりゼリー化血腫を慎重に剥離 】
【 >低圧バキュームチューブにより 】
【 血腫を自動制御にて吸引除去 】
特殊なヘラ状の器具で硬膜下に溜まっていたゼリー状血腫を慎重に脳皮質から剥離させていく。そして高度人工知能に制御されたサブマニピュレーターアームが吸引用バキュームチューブを操作して血腫を慎重かつ確実に除去していくのだ。
人間が遠隔操作でマニピュレーターアームを制御し、人工知能との協調制御にて、人体への手術手技を行う。それまでであれば高度な技術を有した専門医師が複数存在して、膨大なスタッフの協力を得て初めて成り立つはずの大手術のはずだ。
だがそれを今、朝の目の前で行っているのはたった一人の男だ。
そして、死線をさまよい瀕死の状況にある少女を救おうと、手術作業を実際に行っているのは人間の生身の腕ではなく、精密作業とリアルな触感フィードバック機能を持ったたくさんのマニピュレーターアームであると言う事実だ。
朝は今、眼前で行われている光景に驚きよりも感嘆の念を抱かずには居られなかった。
そして朝はこう思うのだ。
――俺は今、人間の医療の未来の姿を目の当たりにしているのかもしれない――
今、朝の心のなかには目の前の男が一人の犯罪者であると言う事実はすっかり脳裏から消え去っていたのである。
脳皮質からの巨大血腫の除去、それは脳皮質という非常にデリケートで、かつ一切の〝傷〟を許されない極めて高度かつ困難な作業であるのは言うまでもない。ほんの僅かに操作をミスして脳皮質に傷をつければ取り返しのつかない後遺症を生むことになるのだ。
それらの慎重を喫する操作をシェンが無言で続ける中、朝もその結果をじっと待ち続けた。その所要時間、40分程度。恐るべき集中力である。
【 >出血箇所視認 】
【 >バイポーラ電気鉗子適用 】
【 出血箇所を通電焼結にて止血 】
【 出血箇所[2箇所] 】
【 >焼結処理完了、止血成功 】
【 [以後、出血箇所確認できず] 】
【 >血腫摘出処置完了 】
そして、各種センサーをフル活用して脳内出血箇所が他に残っていないかを最終確認する。
【 [脳皮質挫傷無し] 】
【 [出血箇所確認できず] 】
最終確認もクリア。これで必要な医療措置が一通り完了したことになる。残るは開窓した部位を閉鎖するのみである。
「血腫残置無し、脳内出血無し。成功条件をクリア。よってこれより閉鎖処置に入る」
シェンがさらなる宣言をする。だがそこには深刻さはない。ひとまず生命の危機は一旦去ったことになるのだ。
「チャオ、もう一つコンテナを出してくれ。D43とA45だ」
「はい」
「もう少しで終了だがここからが肝心だ。慎重を喫してくれよ」
「了解です」
シェンの言葉に朝が頷く。だが、それは朝に警告したというよりも己自身が緊張を切らないために発した言葉であるかのようだ。
【 プロセス6 】
【 頭部開窓部閉鎖処置 】
【 >硬膜閉鎖 】
【 >高分子特殊糸により頭蓋内硬膜を縫合 】
【 >縫合後、以下2液を塗布・投与 】
【 >>薬液1:フィビリン糊 】
【 >>薬液2:組織再生促進ナノマシン薬液 】
まずは脳を覆う硬膜を閉じて抜いとってゆく。極力精密に、かつ脳脊髄液が漏出しないように密に処置する必要がある。そして2種類の薬液を用いて切開傷の生着が速やかに行われるようにする。そしてさらに取り外した頭蓋骨の代わりとなる物がすでに用意されていた。
シェンが朝に指示した2つのコンテナを開けて中から手術用素材を取り出す。
まず、硬膜と頭蓋骨の中に貼り付ける特殊なシート素材で、頭蓋内の不正な空間である〝死腔〟が発生することを防ぎ、硬膜を頭蓋骨内面に引き寄せる機能を有した多機能性高分子フィルムシート。
【 >頭蓋内死腔抑止 】
【 組織密着促進高分子シート貼り付け 】
【 >人工頭蓋パーツ、頭蓋骨本体に取り付け 】
そしてさらにあらかじめ3Dプリンターにて頭蓋の欠損箇所と同一構造に作り上げられた人工頭蓋を正確に収めていく。それをチタン製のタッカーのような装具で頭蓋骨に人工頭蓋骨を〝取り付け〟ればOKである。
【 プロセス7 】
【 筋肉層、皮膚層、閉鎖処置 】
【 >筋肉層縫合 】
【 >皮膚層縫合 】
【 】
【 >全バイタル各データ異常無し 】
頭蓋骨が収まれば残るは筋肉層と皮膚層だ。精密動作マニピュレーターアームを用いて速やかかつ正確に縫い付ければすべての術式がこれで完了したことになる。そしてすべてのデータを最終確認すればシェン自身も確信をもってこう宣言したのだ。
「全術式完了、クランケ全バイタル異常無し」
そして、シェンがコンソールから手を離し背もたれにぐったりとして寄りかかる。全身を貫いていた強い緊張から開放されつつも、心地よい疲労の中でシェンは力強くこう宣言したのだ。
「これでひとまず問題クリア! 当面の生命の危機は回避だ!」
「じゃぁ」
「あぁ、手術は成功だ」
「やった!」
朝が歓喜の声を上げる。一度は誰もが絶望視した一つの命が、神がかりな医の御業により救われたのである。朝のその言葉にシェンも思わず笑顔がこぼれた。
「チャオもご苦労だったな。これで君も言い訳が立つことになる」
「いや、シェンさん」
穏やかな口調で否定の言葉が出てくる。朝のその言葉にシェンが振り向く。
「今はその話は無しにしましょう。とりあえずは一つの命が助かったことを運命と神に感謝したいです」
酸素マスクと人工呼吸器に管理されて正確に呼吸をしているカチュアが目の前にいる。この子の前では無粋な法的取引の話など卑しいものに思えてしまう。そう、今は素直にこの成功を喜ぶべきなのだ。
「あぁ、そうだな」
そうつぶやきながらシェンがコンソール席から降りてくる。そして朝に歩み寄るとその右手を差し出してきた。
「ご苦労だったな。ありがとう」
「いえ、苦労をなさったのはアナタです。ぼくは少しだけお手伝いしただけですから」
そして朝はシェンの目をじっと見つめながらこう告げたのだ。
「やはりアナタはこの街には必要な人です」
それはシェンにとって最大の賛辞である。そう言った言葉を警察に身を置く物が言ってくれたという事実が何よりも大切であった。シェンもまた朝の目を見つめながらこう答えたのだ。
「謝々――」
中華系の感謝の言葉を告げて。握手を交わす。
「では、後始末をしよう。明日いっぱいはこのままこの部屋でカチュアの経過を見守る。その後にこのビルの3階にて長期に入院させる。意識が回復するまでは気を抜けないがな」
「えぇ。そうですね」
シェンの言葉に朝が頷く。
そしてシェンが朝のところから離れて空間投影されている様々なバイタルデータのところへと歩み寄る。じっと見上げて眺めれば、とあるデータにシェンの目が止まる。そしてそれまで笑顔にあふれていたその顔が見る見る間に深刻さと緊張感を増して行く。その異変はシェンの後ろ姿からも朝にも伝わっていた。
「シェン? どうした?」
朝が問いかけてもすぐには答えない。ややおいて彼の口からは緊張を伴う言葉が放たれたのである。
「チャオ、まだ終わりにはできないぞ」
「え?」
「むしろやり直しだ。いや、追加処置が必要だろう」
緊張を持ってシェンが見ていた物、それは『脳圧』のバイタルデータであった。
「わかりました。とりあえず何をすれば?」
「いや、少し待ってくれ」
そして、シェンが漏らしたその言葉に朝も驚かずには居られなかった。
「対処法を急いで考える」
用意周到かつ、巧妙極まりないあのシェン・レイが対策手段をこれから考えると言うのだ。朝も内心肝が冷えるような錯覚を覚えずには居られない。そして、その言葉の意味の重さを感じずには居られなかったのである。

















