サイドB第1話『魔窟の洋上楼閣都市』Part16『オペレーション・中編』
カチュアの手術は刻々と進む。その一方でローラは………
第2章サイドB第1話Part16 スタートです。
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二人の背後でエアロックが閉じる。それ以後は完全防菌防塵仕様の換気システムが手術室内部を無菌状態に保つのだ。そしてシェンが自らの周囲に再び仮想ディスプレイとヴァーチャルキーボードを展開する。
【 メディカルオペレーションルーム 】
【 ⇒ 全システム起動 】
【 オペレーター:シェン・レイ 】
【 メディカルオペレーション内 】
【 主要装備群高速チェックスタート 】
【 チェック#1~#99 】
【 >全チェックプロセス完了 】
【 】
【 ――オペレーションシステム起動―― 】
シェンがコマンドを打ち込めば、それまで最低限の薄明かりだった手術室内が一気に内部照明で照らし出された。そしてその中に浮かび上がった光景に驚きの声を上げたのは朝である。
「これは!?」
そこに展開されたのは一般的な手術室のソレではない。
歯科医のメディカルチェアを更に複雑化したようなイス型稼働ベッドを中心に、数え切れぬほどのマニピュレーター群が様々な機能を提供すべくずらりと並んでいる。そのマニピュレーターの群れで囲まれるように手術対象のクランケが横たわるのだ。だが、今はまだそこにカチュアの姿はない。
見渡せばメイン手術ベッドの脇にストレッチャーが置かれ、その上にカチュアが寝かされている。口元には酸素吸入が取り付けられ、手首から点滴が行われている。細菌感染を防止するための抗生物質投与だろう。さらには着衣の襟元があけられて、すでに呼吸や脈拍や血圧などを得るためのセンサーの類がいくつも取り付けられていた。
シェンはその様子を視認しつつ足早に歩み寄る。
「下準備をしておいてもらって助かった。できれば着ている者を全て取ってくれればよかったんだが――まあいい、簡易担架を外す準備を始めよう。そこの壁際に番号が振られたコンテナ棚がある。それのC列の11番のコンテナを空けて中から患者用の滅菌ガウンを出してベッドに敷いてくれ。俺はその間に患者の準備を行う」
「はい」
シェンの指示に返答すると朝は指示通りに準備をアシストする。
手術室の壁面。そこにはA列からG列、1番から50番まで、様々なサイズのコンテナが専用のラックに収められて整然と並んでいた。シェンに指定されたのはC列の11番、コンテナ表面には内容物は表示されていないが、シェンの頭では中に何が有るかは完璧に記憶されているのだろう
指定されたコンテナを開ければ、中には様々なサイズの患者用ガウンがあった。〝滅菌済み〟と付記されたそれは手術時用であり、その中から1m程度の身長のカチュアに見合ったサイズを選んで取り出す。それを手術用のイス型ベッドの上に広げる。その上にカチュアを寝かせて横たえるのだ。
その間にもシェンは医療用ハサミでカチュが着ていた血まみれのパジャマを切って脱がし、身体だけを移動できるようにする。下着も取り外してしまい一糸まとわぬ姿にしたのは雑菌が繁殖して居そうな衣類を取り去り感染を防止するためである。
「次だ。頭部の簡易固定を外すが、すぐに術式用の可動フレームを取り付ける。その際にクランケの頭部を押さえて首の患部が動かないようにしてくれ」
「分かりました」
朝はカチュアの頭の側へと回るとその頭部にそっと手を当てる。ベルトコーネの豪拳で強打された位置の頭蓋が砕けて血まみれになっている。内部の脳は露出しては居ないが決して予断は許されない状況だ。
シェンが別なコンテナを空けてカゴ状の円筒形の金属製フレームを取り出している。それを手にして戻ってくると、近くのマニピュレーターにソレを持たせて簡易拘束の解除を始める。
「よし良いぞ、そのまま動かすな。頚部脊髄が狭窄したら一環のおわりだからな」
「はい」
朝は最新の注意を払いながらカチュアの頭部をそっとホールドしていた。手術室を取り囲むモニター群の一つがカチュアのバイタルデータを表示している。その中でも心拍と呼吸のデータにも神経を払った。
「準備OKです」
「よし、そのままだ」
指示を出しつつカチュアの首周りを押さえていたベルトを解いてとりはずす。そして自動車のシートから切り出したスポンジで作られた素材を一つ一つ取り外していく。後に完全に頭部がフリーとなれば次の頸部固定が必要となる。そのためにシェンは先程準備したカゴ状の金属製メッシュタイプフレームをそっと巻いていく。首の前方から包み込むようにして取り付ければ、すぐに形状が変化して首の形状にフィット、続いて、首周りと顎と頬骨を後頭部周囲、それらを固定して頭部のグラつきを完全に押さえ込む。それは朝も見た事の無いハイテクアイテムである。
「この医療用カラーの様な物は?」
「俺がサイボーグ用の医療素材を加工して作ったオリジナルの変形機構付きのハードカラーだ。フレームの内面が体表に密着すると同時に、フレーム自体が稼働してクランケの体格に合わせて最適な位置関係を維持してくれるんだ。骨格機能も代行してくれる。頸部への重篤な損傷には一番使えるんだ。よし、装着はOKだな」
そして、動力機構付き医療用カラーを操作するコマンドを入力する。
【 可動式ハードカラー 】
【 >クランケ頸部形状デジタイズ 】
【 >最適骨格解確認 】
【 >頸部、頭部、肩部骨格、 】
【 現状位置固定継続へ 】
――ジー、チキチキチキ……――
かすかな電子音を立てながらフレームが微調整を行う。損傷した頸部への負担を回避しつつ頭部の不意の動きによる被害を防ぐことができる。まずは術式のための準備が終わったことになる。
「よしこれでいい。カチュアの身体をそのままベッド上へと移動させる。カチュアに取り付けられたチューブや配線が引っかからないように注意してくれ」
さらにバーチャルキーボードで何本かのマニピュレーターを選択すると、両手にはめたグローブのデータグローブ機能を作動させて、空間中で両手の指を動かして、マニピュレーターを遠隔操作する。そして、マニピュレーター十数本を使いカチュアの全身をそっとリフトアップさせていく。動かす速度は遅く、余分な振動を与えない様に最新の注意を払いつつ、確実に着実に移動させていく。途中、点滴のチューブが引っかかりそうになるが、朝が補助して事なきを得た。そして、受け入れるメディカルベッドも操作していく
【 メディカルチェアベッド 】
【 >頭部拘束用サブアーム展開 】
【 >頭側部、及び、肩部をホールド完了 】
「続いて全身各部の位置をホールドする」
さらにチェアベッドを操作すると、両腕の乗っていた部位が左右へと広がるように展開していく。そのさいにアーム部からもサブアームが伸びて両腕をホールドしている。その次が両足でチェアベッドの脚部が軽く膝を曲げた位置に変化したのちに左右へと広がっていく。手術中の排泄部位へのケアが可能なようにするためである。
「身体位置確保はこれでいいとして、次が身体の除菌処置だ。これはオートでプログラムしよう」
手術中の身体の位置の固定を終えると次はクランケ本人の身体の除菌処置にうつる。
【 メディカルオペレーションプロセス 】
【 >頭部頭髪処理工程 】
【 ≫頭部部分剃毛術式前処理 】
【 ・頭部打撃受傷部位選択 】
【 ・左頭側部受傷、出血外傷あり 】
【 ・受傷部位周辺を選択的に剃毛処理 】
【 ・医療用消毒液により 】
【 受傷部位周辺を洗浄・除菌処置 】
【 ・残存頭髪を滅菌クリップにより固定 】
【 ・受傷剃髪部位を特殊無菌フィルム被覆 】
【 ≫頭髪頭髪処理完了後 】
【 頭部全体を徹底洗浄処置 】
【 ≫洗浄後、術式用ドレープにて 】
【 頭部全体を被覆 】
【 施術対象部位を開窓して 】
【 施術時まで患部保護 】
【 ≫同部位、出血状況等連続監視 】
【 >上記処置完了後、クランケ全身体に対し 】
【 除菌プロセス用ナノマシン散布開始 】
【 ≫クランケ身体周囲10センチ迄展開 】
【 ≫脚部腕部末端から身体各部 】
【 及び、頸部周辺、頭部各部 】
【 ≫除菌処置完了時アラーム通知 】
仮想ディスプレイとヴァーチャルキーボードとで操作をしていたが、除菌処置のオート設定を終えるとヴァーチャルシステムを終了させる。そして歩き出すが、その先に有ったのはこの手術室における執刀医専用のシートとそのシートの周囲に設置されたモニター群とキーボードシステムだ。
シートに座して身体に着込んだチョッキ型のインタフェース装置を周囲の機材や端末装置に繋いでいく。その姿は医師というよりは精密アンドロイドを製造しようとする技術者のそれに近い趣がある。
そのシートに座するシェンの姿を見て朝はようやくこの手術室の意味に気づいたのだ。
「そう言う事か」
朝の声にシェンが振り向く。
「何がだ?」
「あんたがカチュアをこの国の大病院に運ばないと言った意味だ」
朝のその言葉にシェンの口元に笑みが浮かんだ。
「これだけハイテク仕掛けでオートメーション化が進んでいれば、一人だけでも十分に手術が可能だ。むしろ余分な人手を借りる必要が無いから、無駄を省くこともできる。神の雷くらいのスキルが有るなら、これだけ複雑なシステムも使いこなせるだろうしな」
「わかってくれたみたいで安心したよ」
「あぁ、いくら頭の悪い俺でもこれを見させられたら納得するしか無いさ」
自虐的につぶやく朝に砕けた口調でシェンが語りかけた。
「チャオ、お前は頭は悪くない。むしろ、俺が見た日本警察の人間の中では〝頭の良い〟方だ。単に知識を詰め込んだだけじゃなく、修羅場を乗り越えて生きた知恵を身に着けたタイプだ」
「随分と俺のことを買ってくれるんだな」
「当然だ。知識と規則が優先して情の通わないやつは犬にも劣る。情が通じるが生きた知恵を身に着けてないやつは猫も劣る。人として大切な五常の五徳、これを身に着けられずに図体だけでかくなっているやつが今の時勢いかに多いことか。だがお前にはそれがしっかりと身についているのが見える」
朝はシェンがシステムを立ち上げる作業を見つめながら、彼の言葉を聞き入っていた。
「仁・義・礼・智・信――これを5つの徳と言う。あの特攻装警とか言うアンドロイドを導く役目を担うのなら、それなりの人徳があってしかるべきだ。そうでなければ特攻装警とやらは、社会の安寧と平穏の護り手ではなく、単に規則を形通りに維持しようとするだけのマシーンになってしまう。だが、あのグラウザーの振る舞いには単なる人間の模倣ではなくて、人として大切な〝心〟が宿っているのがよく分かる。一振りの刀があったとして、それを握る者を正義の守り手にするか、権力を護衛するだけの悪漢にするかは、すべて人としての心の有り様にかかっている。あのグラウザーにはそれがある。だからこそその導き役である君の意見を受け入れることにしたんだ」
「そう言ってくれると――」
朝は肩の力が抜けたように笑みを浮かべながら答えた。
「今までの苦労が報われるよ」
「相当に苦労したようだな」
「あぁ、そこいらの子供の世話をするよりも大変だったよ。何しろ飲み込みが悪くてなぁ。勘が悪いというか――、知識でなく感情で納得出来ないと全然先へと進まない。それを一つ一つ噛み砕いて教えてやってきたんだ。無理強いして詰め込んでも〝正義の味方〟は生まれないからな」
そして朝は何かを思い出すようにして言葉を吐いた。
「たとえ泥臭いと言われても〝警察は正義の味方であるべき〟だと俺は信じている」
その言葉にシェンが問う。
「それは君の亡き父上君との約束か? 警察官として非常に有能で人徳のある人だったみたいだな」
唐突なシェンからの指摘、それを耳にして朝はハッとしたような表情を浮かべた。
「知っているのか? 俺のオヤジを?」
「知っていると言うか――調べさせてもらったんだ」
朝の問いにシェンは詫びを入れるような控えめな口調で語り始めた。
「経歴、能力、評価、そして人柄――、情報の把握は俺の一番のスキルだ。一応、この街の侵入者だから必要な事だと思っている。まぁ、勝手に色々と覗いたのは悪いと思っている」
「別にいいさ。それで信用してもらえるなら。まぁ、オヤジとの約束と言うよりオヤジの生き様が〝格好良かった〟からさ。俺にとっておやじの背中は今でも正義の味方なんだ。オヤジが昔捕まえた窃盗犯や不良少年たちが、真面目に生きなおしてオヤジにありがとうと言っているその姿が誇らしかったんだ。おれはそれに追いつきたい。過ちを犯した人をまっとうな道に〝生きなおし〟させる手助けがしたいんだ。だから俺は警察をやってるんだ」
朝からの思わぬ独白にシェンは一つ一つ頷いていた。
かたや洋上スラムにて神の雷とされるハイテク犯罪者、
かたや新設の警察署にてアンドロイド警官の指導役である新米刑事、
接点が無いどころか、対立する立場にしか見えない者同士が奇妙な縁でお互いを認めつつあった。これもまた一つの奇跡といえるかもしれなかった。シェンは朝に声をかける。
「チャオ」
その声に朝の視線が向けられる。そしてシェンはあらためて朝に告げた。
「君は正しい」
シェンの言葉に朝が満足げに笑みを浮かべる。とその時だ。
【 アラート:身体除菌処置指定プロセス終了 】
アラーム音とともにカチュアの身体への処置が終わったことが告げられた。次なるプロセスに移る時だ。
「よし、除菌処置が終わりだ。それとこれを設置しておかんとな」
端末を操作しマニピュレーターの一つのとある装置をカチュアの身体に装着させる。導尿用のカテーテルと股間の排泄部位全体を覆うカップ状の装置だ。それをカチュアの股間へとセットする。
「これでいい。早速だが、これより術式を開始する」
そしてシェンがあらためて端末のキーボードを操作する。
「患者への術式のプロセスだが――
まずは、腹腔内の内出血の止血処置を非開腹のまま腹腔内手術として行う。次に、頸部の骨折部分を整復処置し、頸部脊髄が傷つかないように保護する。
この後に頭部頭蓋骨骨折部位から破損骨片を除去、しかるのち、脳髄の挫傷部位を治療処置、さらに脳膜・硬膜の損傷を処置し、最後に頭蓋骨骨折部位を修復して全術式を終了とする。
クランケは現在昏睡中だが麻酔薬による深度麻酔をメインにし、必要に応じて痛覚遮断を併用する。
なお術式施術中にクランケのバイタルが急変する恐れがある。その場合は適時対応するものとする。それからチャオ、君にはオペに関連する補助作業を行ってもらう。他に質問はあるか?」
シェンが問うが、朝は顔を左右に振って答えた。
「いいえ、ありません」
「無ければこれより術式を開始する」
シェンが専用シートのコンソールを操作し始める。そして今、シェンと朝の長い夜が始まったのである。
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「それじゃあとはお願いね」
そうジーナに問いかけながらローラは歩き出す。その背中に返事を返すのはジーナとアンジェリカである。
「はい。まかせてください」
「カチュアのこと、よろしくお願いしますね」
ローラが声をかければジーナたちからも声がかけられてくる。互いが互いに信頼しあっている証拠だった。
実はドクター・ピーターソンにラフマニを救ってもらった後に他の子供達の具合もドクターに見てもらっていた。今回は引き起こされた事件が事件だけに、怪我はなくても心に傷を負う者が出てこないとも限らなかった。
ジーナたちに連絡を取り、避難場所に一時的に身を隠していた子どもたちを宿舎として作っている廃倉庫ビルへと戻らせると、手分けしながら子どもたちの具合を確かめていく。その一方で最も症状の重いラフマニは安静にするようにベッドへと寝かせる。そして〝家〟の中がいつもの落ち着きを取り戻しつつあることを実感していた。
「これでカチュアが無事だったら」
そう不安を口にしつつ宿舎から離れていく。その時、たまたま建物の中から姿を表したドクターと視線が合ったのだ。
「ドクター! あとはお願いします!」
ローラがそう声をかけるとドクターが頷いている。
「こちらは引き受けた。早く残りの一人のところへと行ってあげなさい!」
老年男性の落ち着いた声。ドクター・ピーターソンの声が夜の帳に心地よく響いていた。ローラもまた頷き返すと踵を返して走り出した。向かう先はカチュアが運ばれたと言う李大夫の店だ。詳しい場所を尋ねるために天満菜館にも顔出しすることになるだろう。ローラはまずは楊夫人のところへと一路向かったのである。
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中華風のドレスをなびかせて駆けてくる女性は天満菜館の女将である楊夫人だ。
本名、楊雪嬌と言い今年で40になる。10になる前に祖父に連れられて日本に渡り、苦労に苦労を重ねてこの地に自分の店を作り上げた人物である。既婚者であり夫はいつも天満菜館の厨房で料理を作っている。
楊は自分の店『天満菜館』に駆け込むなり店員であるミンメイに声をかけた。
「ミンメイ! 居るかい?」
彼女が息せき切って駆けつければ、店内では来店客を相手にミンメイが注文をさばいていたところだった。店に戻ってきた女将に気づいてミンメイは振り返り際に問いかけた。
「女将さん? もう終わったんですか?」
「まさか! まだだよ! 今しがたカチュアの手術が始まったばっかりさ。カチュアの面倒見ていたローラちゃんがこっちに来ていないかと思ってね」
「え? ローラさんでしたらまだ来ていませんけど?」
その会話に割り込んできたのはカチュアを李大夫のところへと運ぶ手伝いをしていた若者の一人である。
「ローラだったら。ハイヘイズの他の子どもたちの様子を見に行きました。ラフマニも倒れたって聞いてます。そっちを片付けてからこっちに来るんじゃないかと思いますが」
「そうかい――」
楊は聞かされた内容に半ば安堵しつつ溜息を付きながら店外へと視線を向ける。店の入口のドアから顔を出しその通りを眺めれば、その向こうにはあの見慣れた白い木綿地のドレスをたなびかせながら小柄なシルエットが駆けてくるのが見えてきた。
「噂をすればだね」
そうつぶやきながら楊が手を振る。その仕草に気づいたのだろうローラも手を振りながら楊のところへと駆け寄ってきた。
「女将さん!」
肩で息をするように駆けつけるその姿には一人の女性として保護者として、幼子の安否を気遣う女性の姿があった。そんなローラに楊は告げた。
「ローラちゃん! 大変だったねぇ。他の子は無事だったのかい?」
ローラは楊の言葉を聞きながら彼女に歩み寄る。
「はい、怪我は無くカチュア以外は全員無事です。ですが――」
「何かあったのかい?」
不安げに言葉をつまらせるローラに楊がさらに尋ねてきた。
「実は今回の襲撃で小さな子たちがすっかり怯えてしまって。なかにはひきつけを起こす子まで出てきてしまって――。今、ジーナとアンジェリカが世話をしてくれてますが」
「あの子らだけではちぃっと心細いねぇ」
「はい、そうなんです」
ローラが不安を隠さずに深刻そうな表情でつぶやいていた。
「一応、黒人街からお医者さんが来てくれてますから怪我とかは大丈夫なんですが」
二人がそんな風に会話をしていたところだった。
別方向の通りの向こうから賑やかに声がしてくるのがわかる。その声の方に視線を向ければ、そこには中華系はもとより、アラブ系や、黒人系などいろいろな人種の妙齢の女性たちが入り交じった一団が駆け寄ってきている。その先頭の一人が楊夫人へと向けて手を降ってきた。
「雪嬌!」
そう声をかけてきたのは楊とほぼ同い年の女性であり楊と比べて少しばかり恰幅が良かった。黄淑美と言いこの街で暮らす女性たちの一人だ。
「淑美?」
「話は聞いたよ。町外れの子たちが大変なんだって? 手伝いに来たよ」
「そりゃありがたいけど――でももう噂になってるのかい?」
「あぁ、あちこちで話が飛び交ってるよ。ここいら台湾系だけじゃなくて、色んな所から集まってるよ。それで見知った同士で声を掛け合ってこの店なら何かわかると思って来てみたのさ」
「それならちょうどいい。怪我は一人を除いてひどくはないんだけどさ」
楊がそこまで告げて横目でローラを見る。その視線にローラが現状を説明する。
「殆どの子が避難が間に合ったので怪我はしていないんですが、目の前で一人が殺されかけた姿を見てしまって恐怖心からすっかり怯えてしまっているんです。ひきつけやてんかん発作を起こしている子もいるので本当だったら居てやりたいんですが」
憔悴しきった顔でローラが説明する。その木綿の白ドレスにはカチュアの怪我から浴びた出血が返り血のように染み付いていた。あつまった女性たちは皆一様にローラのその血まみれの姿を訝しげに見ている。その疑念を代弁するかのようにシューメイが問いかけてくる。
「その〝血〟は?」
その言葉にハッとなりつつ悲壮な気持ちを押し殺しながら淡々と言葉を口にする。
「カチュアと言う子の返り血です。襲撃者に殴打されて、開放している――時に――」
そこまで口にしたところで、ローラは思わず言葉をつまらせた。愛するカチュアが襲われたあの瞬間を思い出してしまったのだろう。気丈に振る舞っていたローラだったが、やはりその心には深い後悔と罪悪感がある。自らの顔を覆うように両手を口元に当てる。
だが、その手に手を差し伸べたのは誰であろうシューメイである。
「解ったよ。わかったから。もう何も言わなくていいよ」
ローラの両手をしっかりと握りしめるとローラの目を見つめるようにして言い聞かせ始めた。
「他の子はあたしらが面倒を見るから安心をし。あんたはその怪我している子の所へ行っておやり!」
シューメイが強い口調で励ましてくる。ローラが顔を上げ周りに視線を向ければ、集まっている女性たちがローラを励ますように頷いていた。
「みんなこの街で子供を育てる事がどれだけ大変か分かってるんだ。普段は何もできないけど、こう言う時くらいは助け合わなきゃ。だから他の子はあたしらにまかせておくれ」
「皆さん――」
シューメイの言葉にローラの目には涙が浮かんでいた。
「ありがとうございます」
感謝の言葉を述べるとローラは深々と頭を下げた。そして集まっていた女性たちの中からアラブ系の一人が進み出てローラの肩にショールを掛けてくれる。そしてそっと耳打ちするように語りかけてくる。
「早く、お行き。手術が始まってるんだろう?」
その彼女の問いかけにローラは頷くと静かに歩き出す。そして、振り返って頭を下げた。
「よろしくお願いいたします」
シンプルだが心の底から感謝の思いが詰まった言葉がローラの口から告げられる。皆がその言葉に相槌を打っているのに気づく。そんな彼女に楊夫人が手招きする。
「おいで、カチュアは李大夫のところだ。あたしが案内するよ」
「はい!」
楊夫人のあとをローラは追っていく。二人が向かう先は李大夫の占いの店だ。そこでカチュの命が必死に戦っているのだから――

















