表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
メガロポリス未来警察戦機◆特攻装警グラウザー [GROUZER The Future Android Police SAGA]  作者: 美風慶伍
第2章サイドB『魔窟の洋上楼閣都市』第3部『グラウザー編』
95/147

サイドB第1話『魔窟の洋上楼閣都市』Part15『オペレーション・前編』

シェン・レイが向かった先とは……


第2章サイドB第1話『魔窟の洋上楼閣都市⑮』


スタートです

本作品『特攻装警グラウザー』の著作権は美風慶伍にあります。著作者本人以外による転載の全てを禁じます

這部作品“特攻装警グラウザー”的版權在『美風慶伍』。我們禁止除作者本人之外的所有重印

The copyright of this work "Tokkou Soukei Growser" is in Misaze Keigo. We prohibit all reprints other than the author himself / herself

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 初春の寒空を一迅の風が吹き抜ける。

 それは一つの仕事を成し終えた男の居た気配を消し去り、世界を恐怖に陥れた悪漢からその力を根源が失われたことを呼び覚ますかのように冷たかった。

 そして今、周囲の構造物の間を縫うように、巨大な蜘蛛の巣の如くに漆黒の単分子ワイヤーが張り巡らされている。その蜘蛛の巣にとらわれているのはもはや抜け殻と化したかつてのテロアンドロイド――〝狂える拳魔〟と呼ばれた男、ベルトコーネである。

 

 ベルトコーネはもはや糸の切れたマリオネットである。

 あるいは操者に見捨てられた懸糸傀儡のようにただぶら下がっているだけにも見える。

 週にそびえるビルや倉庫の建物、あるいは電柱などを足がかりとして張り巡らされた糸に絡め取られて、放心しきった状態で呆然とした表情で垂れ下がるのみだ。その無様な姿を見ているのは二人の特攻装警である。

 

「あっけねぇなぁ――」


 そうつまらなそうにつぶやくのは特攻装警3号機のセンチュリーだ。ベルトコーネに歩み寄りながら静かに見上げる。空中にて絡め取られているかつての仇敵を半ば同情するかのような目で見つめている。

 その背中に語りかけるのは彼の弟機にして特攻装警第7号機となるグラウザーだ。

 アーマーギアと言う名の2次武装装甲に身を包み〝変身〟している彼は兄たるセンチュリーに背後から歩み寄り語りかけようとする。

 

「兄さん」


 静かに一言――そっと語りかける言葉のニュアンス。そこから兄たるセンチュリーはグラウザーが何を意図しているかすぐに察した。

 

「納得できねぇか。グラウザー」

「――――」


 グラウザーは黙したまま答えなかった。その沈黙が答えそのものだ。センチュリーはグラウザーを叱りつけるように強い口調で言葉を浴びせた。

 

「納得しろ! たとえ納得できなくても、自分の魂と心を殴りつけてでも納得しろ! 警察って場所で仕事をしていくならこんな事ぐらい何度だって起こる! 公的組織に身を置くならこんな理不尽なんか日常茶飯事だ! 屈辱と理不尽を毎日のように食わせられるのが俺たち警察の仕事だなんだよ!」

「はい――」


 静かに返答するグラウザー、だがセンチュリーは兄として、労る心を忘れたわけではなかった。彼は解っていたグラウザーが何に憤っていたかを。何に納得がいっていないかを。

 

「――なぁ、グラウザーよぉ」


 センチュリーは左手に手にしていたデルタエリートを腰裏のホルスターに戻しながら言う。

 

「俺が今までの仕事で一番恐怖を感じたって言ったらお前信じるか?」


 それはあまりに唐突な言葉だった。驚きのあまりグラウザーが口にできたのはたった一言である。

 

「えっ?」


 だがその一言から伝わるニュアンスがそれまでとは変わったことに気づいてセンチュリーは背中を向けたまま語り続けた。

 

「あいつ言ってたよな。俺達をたどると一人の技術者に行き着く――って。あれは間違いなくイギリスのガドニック教授のことだ」

「僕もそうだと思います」

「でもなぁ、ガドニック教授が日本の警察と共同作業をしていることは日英間のトップシークレットなんだ。教授の身に危険が及ぶ恐れがあるからだ。この事は英国のスコットランドヤードやMI6/MI5からも厳命されていることなんだ。でもそれがヤツには筒抜けだった。これがどう言う意味を持つか分かるか?」


 言い切るセンチュリーが振り向く。その顔には普段のように気軽にジョークをかます余裕は感じられない。ひたすら真剣である。だがグラウザーもセンチュリーの語る言葉の意味をすぐに理解する。それは考えることすら恐怖を感じる。

 なぜなら――、


 その可能性は本来在ってはならないことだからだ。

 

「わかります。ヤツには僕達に関するトップシークレットも筒抜けだったと言うことです」

「そうだ。そしてそれは俺達の身体に関する秘密がヤツには丸見えな可能性も考えられるんだ。〝コイツ〟の様にな――」


 そう語る声で指し示す先には、力なくして放心するベルトコーネの姿がある。その姿と兄の語る言葉を重ね合わせると、自分がいつこうなるとも限らないと言う事実に、底知れぬ恐れすら感じられるのだ。


「―――!」


 グラウザーは再び沈黙した。その沈黙の意図をセンチュリーもすぐに察する。

 

「わかったか。あの〝神の雷〟と言うやつの厄介さ・恐ろしさを。俺たちが今、こうして無事でいられるのも紙一重の事なんだよ」


 紙一重――その言葉が再びグラウザーの口を開かせた。

 

「ただ無為に苛立っている場合ではありませんね。兄さん」

「漸くわかったか、ひよっ子。俺達の置かれている状況ってやつが。あのシェン・レイのことだ。敵対しない限りはなにもしないと思うが、ヤツを怒らせたら何が起こるか検討もつかねえ。いいか? 確実な情報と対策が得られるまでは迂闊なことは絶対するな。ヤツは――神の雷はそれができるって事をしっかり覚えておけ。いいな?」

「はい!」


 兄たるセンチュリーからの問いに、グラウザーははっきりと縦に頷いていた。

 

「このことに対する対策は本庁に戻り次第、上層部と内密に話し合おう。実家のオヤジたちの力も借りないとならんからな。それより――」


 そこまで言った所でセンチュリーは踵を返して背後のベルトコーネの方へと振り向いたのだ。

 

「コイツをどうするか――だな」

「はい」


 グラウザーはセンチュリーの隣に並び立つと、それまで死闘を繰り広げてきたこの仇敵をじっと見つめていたが、僅かに思案してすぐに決断する。

 

「応援を呼びましょう。いくらここの街が接近困難な厄介な場所だとは言え、空中から盤古の支援を求めることくらいは可能なはずです。念のため、回収と周辺警護で盤古2小隊を要請しましょう」

「そうだな。俺もそれが良いと思う。でも――、この辺りには違法セキュリティが仕掛けられているらしくて本庁と連絡が取りにくくてなぁ」


 センチュリーはそう愚痴りながら周囲を見回す。それにグラウザーは提案した。

 

「それならディアリオ兄さんを呼びましょう。兄さんなら連絡可能でしょう」

「そうだな。それじゃそっちは頼む。俺は――」


 そこで不意に言葉を区切るとため息混じりに吐き出した。


「やられた右腕の破片を集めねぇとな」

「あぁ、それもありましたね。残骸を残したままにする訳にはいきませんしね」


 場所柄考慮しなければならない事だ。警察の介入が容易に可能なエリアなら現場封鎖しておいて、後から回収することもできる。だがこの土地ではそう言う手法は取れないだろう。


「そう言うこった。手間だがそっちの方は頼むわ」

「はい、了解です」


 そう答えながら早速グラウザーはネット越しにディアリオの存在に呼びかける。その傍らではベルトコーネに粉砕された右腕のかけらを集めているセンチュリーの姿があった。完膚なきまでに圧壊させられているので、あたり一面に飛び散っている。集めるだけでも一苦労になりそうだ。

 

「まったく――実家のオヤジたちになんて言われるか」

「言い訳考えときますか?」

「言い訳より始末書だよ! 腕一本まるごとの言い訳なんて思いつかねーよ!」


 冗談交じりに問いかけてくるグラウザーに、センチュリーも笑いながら答え返す。

 そんな二人の傍らでベルトコーネは何も聞こえず何も見えていないかのように、なおも茫然自失となって居るばかりだ。彼に逃れる術はもう残されていない――、はずであった。

 

 グラウザーたち二人は気づいていなかった。

 彼らを取り囲む視線があることに。剣呑にして冷静、冷酷にして俊敏。グラウザーたちはまだ彼らの恐ろしさを知り得なかった。

 視線の中のひとりが小声でつぶやく。


「От майора, к охотнику, чтобы начать обратный отсчет. Для того, чтобы начать ситуации через 30секунд.」


 майор――メイオールと呼び、意味は少佐、

 охотник――アクトーニクと呼び、意味は狩人、


 会話の文脈から察するに、30秒後に何かが起こるらしい。

 その呼びかけは小規模な秘匿化回線を通じて、集まった男たちへと伝えられていた。そしてそれを耳にした者たちから確認の声が帰ってくる。

 

「да!」


 一糸乱れぬタイミングでその声は返ってくる。すでに準備は終わっていて、行動する時を待つのみである。とてつもなく深い悪意が闇にひそんでいる。彼等の存在にグラウザーたちはまだ気づいては居ない――

 

 

 @     @     @

 

 

 時同じくして――

 シェン・レイは駆けていた。向かう先は李大夫の占いの店で天満菜館から100mほど離れた場所にある建物だ。表向きは派手な台湾風占い屋の看板で飾られているが、その3階建てのペンシルビルの中がどうなっているかを知ってるのは地元でも限られた者たちしかいない。

 確かに1階は李大夫の占い館だが、2階と3階はその地域の顔役が集まる秘密の集会場となっている。そのような場所が李大夫の店にあるという事自体が、李大夫のこの界隈での立場を如実に示していた。

 その店の奥から辿れる隠し通路から地下に下がれば、極秘の地下室がある。地下室の所有者はシェン・レイ。法的名義こそ異なるが、その建物を作る資金を提供したのは誰であろうシェン・レイその人である。

 

 グラウザーたちとの共闘を終えると朝たちの足跡を追う。東京アバディーンのメインストリート外側。帯状外縁エリアの中国人街、さらにその中の台湾人の多いエリアへとシェン・レイは裏路地を抜けて一気にたどり着く。喧騒がやまぬ不夜城のような繁華街の中をくぐれば周囲の人々から声がかけられた。

 

「シェンさん! 何があったんだい!」

「すまんな先を急いでるんだ。知りたければいつもの所に来てくれ」


 若い男が声をかけてきたが、シェンからの返事にそれ以上は問うことはできないで、肩をすくめるしか無い。いつもの所――、それが天満菜館か李大夫の占い屋なのは誰もが知っているところだ。

 そもそもこの街の事はシェンが一番知り尽くしている。メインストリートの向こう側に巣食う悪漢たちがこの街を牛耳る当初から、この街に根を下ろして住んでいる無垢なる市民たちを守ろうと、孤独な戦いを続けてきたのは彼なのだから。

 

 人混みの中をすり抜ける様にして駆け抜ければ、目の前に天満菜館が見える。店先で足を止め店の中に視線を向ける。すると、天満菜館の従業員である若い女性が顔を出す。細身で長い黒髪が目立つ子で明媚ミンメイと言う。

 ミンメイもシェンの姿が見えたことで少しホッとしたのだろう。緊張が解けた面持ちでシェンに問いかけていた。

  

「シェンさん!」

「ミンメイか、楊さんは?」

「もうすでに李さんのお店に行ったわ。先に準備しておくって」

「謝々、忙しい所すまないが店番頼むぞ」

「請留下。こっちはみんなで何とかするから平気よ。それよりも――」


 ミンメイは不意に背後を振り返ると、店の中に集まっているこの界隈の人々に視線を合わせながらシェンへと改めて声をかけた。

 

「怪我をした子、必ず助けてあげて」


 その言葉には幾ばくかの罪悪感が滲んでいた。今まで見て見ぬふりをしてきたハイヘイズと言う名の孤児たち。悲惨な境遇にある彼等の存在を知りつつも向き合わずに居た。それは紛れもない事実であり、無視してきた事が今回の悲劇の遠因ともなっているのだ。テロアンドロイドの存在はきっかけでしか無い。マフィアや凶悪犯によっていつかは引き起こされたであろう悲劇なのだ。

 そんな思いを誰もが抱いていることは店の中から、シェンに対して向けられている多数の視線からも痛いほど伝わってくる。シェンはその一つ一つに向き合うと、はっきりと頷いてこう告げたのだ。

 

「不要擔心」


 それは『心配無用』と言う意味の中国語だ。シェンは駆け出しながらミンメイにこう告げて立ち去る。

 

「この街の命は私が必ず救う」


 それは決意だ。この街に住む同胞を、そして、力なき無垢なる人々を守ると誓った日からいだいている決意だ。たとえ全世界を敵に回しても彼は真っ向から悪意に立ち向かうだろう。そしてそれが神の雷――シェン・レイと言う男なのである。

 

 

 @     @     @

 

 

 天満菜館から離れ、李大夫の店にたどり着く、店の入口付近にはすでに人垣ができていてちょっとした喧騒となっている。その人混みをかき分けるようにしてシェンが店に入っていく。

 強引な割り込みに罵声が上がるが、その人物がシェンである事を知ると、人垣は自然に左右に割れる。シェンは謝意を口にしながら店の中へと入っていった。そして李大夫の店の店内では、カチュアを運んできたあの若者たちが待機していた。

 

「シェンさん!」

「お待ちしていました」

「お前たちか、カチュアはどこだ?」


 シェンはマントコートを脱ぎながら彼等に話しかける。

 

「すでに下のシェンさんの病院へと運びました。李さんや楊さんが準備を始めているはずです」


 脱いだマントコートを手早く折りたたみ小脇に抱えながらさらに訊ねる。

 

「それと一緒に同行していたチャオは?」


 チャオ――朝と言う漢字を中国語読みするとそう言う発音になる。朝刑事が日本人であり日本の警察官であることを彼等は知っていたが、シェンがなぜあえて中国語読みで彼の名を呼んだのか、その意図を彼等もすぐに察していた。

 

「チャオさんも一緒です。カチュアに付き添っているはずです」

「分かった。君たちもご苦労だったな」


 彼等の労を労うようにシェンもは声をかける。そして彼等もまたミンメイと同じように求めてくるのだ。

 

「シェンさん」


 彼等の言葉に足を止める。振り向いたシェンに若者たちは言った。

 

「カチュアを助けてあげてください」

「無論だ」


 彼等の言葉にシェンははっきりと頷いた。

 

「そのためにこそ、私の〝技〟は在るのだ」


 その言葉を残しシェンが地下フロアへと続く階段へと降りていった。

 その時、その店の前に集まっていた誰もが、天満菜館でシェンたちの帰りを待っている誰もが、この東京アバディーンと言う街に住む無垢なる人々の誰もが、小さな命が救われることを心から願っていた。

 事件の詳細は噂となり街を駆け巡る。あるいは電子の波に乗り、瞬く間に世界を駆け巡った。

 無垢な少女が狂拳で殺されかけている。

 誰かが少女を救おうとしている。

 それは困難な手術だ。

 だが救われるべき命であるのだ。

 そして、誰かが言った。

 同じことを、また別の誰かが口にした。


「少女のために祈ろう」


 その言葉はさざ波となり、この荒れ果てた街のいたるところへと広がりを見せたのだ。

 私設の小さな協会で、

 簡素なモスクで、

 街角で、

 東屋で、

 路上で、

 海辺で、

 人々の祈りと願いは広がり続ける。

 少女の名はカチュア、彼女の命が救われることを誰もが願っていたのである。

  

 

 @     @     @

 

 

 足早に階段を降りればエントランスと通路があり、まずは診察室を兼ねた控室がある。そこに待機していたのは楊夫人と李大夫、そして朝の3人である。

 楊も李もカチュアを連れてきた朝の素性については、あの若者たちから伝聞で聞いていたらしい。正体がバレていないのか、シェンを手伝う人物と言う設定のそのままに、すでに楊が用意した手術着に着替えを終えていた。

 朝がシェンに問いかける。

 

「ようやく来たか、急いでくれ。チアノーゼと血圧低下が出始めている。おそらく輸血が必要だと思う」


 朝は刑事である。それと同時に警察官の基礎知識として救急救命処置について基本的なことは必ず習得しているはずなのだ。それらの知識に加えて朝は独自に救急医療について学んでいる経緯がある。それらの知識を自ら駆使することで〝シェン・レイの補助役〟と言う肩書きをより信憑性のある物へと昇華させているのだ。

 シェンが朝に問う。

 

「出血状況は?」

「外観から見るに頭部の打撃部位からの出血はさほどひどくない。しかし同様の事例を別の案件で見たことが有る。腹腔内にて出血が発生している。どこか重要な血管がキレたか、体内臓器に傷が付いている可能性がある。内臓破裂の可能性も考えられる」

 

 朝は刑事である。刑事事件に立ち向かう刑事部の刑事である。傷害事件も、殺人事件も、また人の命が奪われる現場にも、何度も鉢合わせしている。朝も刑事としての経歴は伊達ではないのだ。

 シェンは朝の所見に意見を述べた。

 

「大動脈や頸動脈の系統で出血しているならすでに事切れているはずだ。これだけ安定して持っていたと言うことはおそらくソレ以外、体外から衝撃を受けやすい臓器と言えば脾臓か腎臓、あるいは肝臓だな」

「俺としては脾臓か腎臓を疑いたいね。肝臓をやられたら即アウトだ」

「同感だ。すぐに検査しよう。状況によっては腹腔内手術を平行して行おう」

「頸部整復に頭部頭蓋骨の修復に脳挫傷の処置、それに加えて腹腔内手術で出血箇所の探索と修復――、難易度S級の手術のオンパレードだぜ?」


 朝の不安げなニュアンスにシェンは落ち着いて答える。


「沒問題、この程度の手術は何度もやっている。一つ一つ対応すればいい。まずは頸部骨折部位の固定処置と腹腔内の出血だな」

「分かった。その順番で行こう」

「それでカチュアのへの処置は?」

「こっちだ」


 手招きする朝についていけば、前部控室の奥、カーテンで仕切られた処置室にストレッチャーに載せられているカチュアが居た。頚部骨折の事があり簡易担架から下ろせないでいる。そのままの状態で幾つかの処置が施されていた。

 口元には酸素吸入が取り付けられ、手首から点滴が行われている。細菌感染を防止するための抗生物質投与だろう。さらには着衣の襟元があけられて、すでに呼吸や脈拍や血圧などを得るためのセンサーの類がいくつも取り付けられていた。

 シェンはその様子を視認しつつ足早に歩み寄る。

 

「確かに血圧は低いな。このまま低下するなら急がないと間に合わない」


 シェンは小脇に抱えていたマントコートを楊に手渡していた。そんなシェンに李が問いかけてくる。

  

「シェン。随分と遅かったな」

「ちょっと野暮用でね。今回の事件の張本人に〝トドメ〟を刺してきた」

「あのベルトなんとかと言う白人風のアンドロイドか」

「あぁ、戦闘機能を封じて、何もできなくしてやった。あとはこの国の警察にまかせてきた」

「大丈夫なのか?」


 その問いには日本の行政や警察などへの不信感がにじみでていた。それを朝が聞いていることを考慮してシェンは李と楊に向けて告げた。

 

「俺が自分の目で見極めて決めたんだ。普通の警察の範疇から外れた連中だが、かえってこう言う街の事情をきちんと解ってくれてる。信用できる奴らだから何も問題はないさ」

「そうか――アンタがそう言うなら何も言うまい」


 李は溜め息つきながら同意する。そして間髪置かずに更に告げる。


「患者だがご覧のとおりだ。アンタが連れてきた補助役と一緒に前処置は済ませておいた。手術にも同席すると言うから必要な処置は済ませておいた」

「謝々、あとは任せてくれ。彼と――チャオと一緒にオペを開始する」

「判った。後のことは頼んだよ」


 シェンは壁際のラックに収納してある幾つかのコンテナトランクの中から一つを取り出す。

 

【医療オペレーション用装備一式】


 そう記されたコンテナを開けると、中にはさらなる特殊装備がならんでいるが、傍目にはそれらが医療用具だとは到底思えない。

 両手首に付けるカフス状のブレス、頭部をすっぽりと包むフードマスク、幾つもの配線ジャックとコードリールが付いた分厚いチョッキ状装備、足元には足首から先だけをすっぽりと包むカバーを付けている。それらを装着し終えるとまずは手首のカフス状アイテムの作動スイッチを入れる。

 その時シェンは自らのゴーグル内に表示されるメッセージを視認していた。

 

【 滅菌用医療ナノマシン空中散布装置    】

【 カフスタイプ2基            】

【 > 作動良好、起動開始         】

【 > 術者体表、及び、周囲空間を連続浄化 】

【 屋内除菌係数 ⇒ 0.0003     】

【 > 外科手術術式可能レベル以下まで低下 】

【 ――滅菌処置完了――          】


 両手首のカフスが軽い電子音を立てながら内部システムが動作を始める。そこからは肉眼では目視不可能なナノマシンが大量に散布され始めていた。そしてその他の装備も作動を開始させる。上半身に纏ったチョッキ状装備は各種特殊医療機器とのリンク中継を行うターミナル装置である。


【 ウェアラブルスタイル          】

【   メディカルオペレーションターミナル 】

【 > 起動完了              】

【 > 接続対象高速チェック開始      】


 機材の立ち上げが順調に進んでいることを理解して、シェンは朝にコンテナの中からマスク状のものを取り出すと投げ渡した。

 

「チャオ」


 朝はその呼び名が自分に対して向けられているのだと言う事をすぐに理解する。今、この場では朝は日本の刑事ではない。シェンの知人として振る舞わねばならないのだ。投げ渡されたのはガスマスク状の物だった。それをつけろということらしい。

 

「俺の手術設備で必ず使うナノマシンフィルターマスクだ。術前にそれを装着しろと教えたろう?」

「はい、すいません」

「それじゃアシスト頼む。今回はオレ一人ではかなり骨だからな」

「えぇ、解っています」

「それじゃ術式を開始する。ついてこい」


 そしてシェンと朝は連れ立って奥の部屋へと向かった。二重のエアロック扉に閉ざされた閉鎖区画。それがシェンが秘密裏に設けた手術室だ。シェンと彼に特別に許された者だけが入ることを許されているのだ。

 シェンが先を歩み、その後をストレッチャーを押しながら朝が続く。

 手術室へと歩みを進める二人に、その背中へと李が声をかける。

 

「しかし、珍しいな」

「何がだ?」


 振り向くシェンに李は訊ねる。

 

「いつも一人で手術をするアンタが助手を連れてくるなんてな」


 その問いにそっと笑みを浮かべながらシェンは答えた。

 

「そりゃ、これだけハードワークが続いたら、俺だって音を上げるさ」


 それが明確な答えになっていたかはわからない。ただ、それ以上は李も楊も問い詰めるような無粋なことはしなかった。そして手術室のドアを潜ろうとする楊が、二人にこう声をかけたのだ。

 

「請務必幫助這個孩子」


 それは、カチュアを必ず助けて欲しい、と言う意味の言葉だった。それに返答を返したのは意外にも朝であったのだ。

 

「我答應」


 朝のその言葉に楊も李も一瞬驚いたような表情をする。しかし楊は、すぐに安堵の表情を浮かべてこう声をかけたのだ。

 

「我希望好運」


 誰もが願っていた。神なる者の慈悲を、そして希望と幸運を。

 

「謝々――」


 そして今、その願いはシェンたちの手に委ねられたのだ。

 数多の人々の願いを背負って二人は手術室へと入って行く。その背中を眺めながら楊が言う。

 

「李さん、あのチャオって男、もしかして――」

「言うな」


 だが李は楊の言葉を遮った。

 

「あのシェンさんが信頼して連れてきたヤツだ。客人に対して失礼だ。疑うな」


 そして、控室の片隅にある手近なローラー付きの椅子を引き出すとそこに腰を掛けた。

 

「今はカチュアが助かることだけを祈ろうじゃないか」


 李は苛立ちも微笑みもせずに真剣な表情で楊に諭していた。楊もそれを素直に聞き入れている。

 

「えぇ、そうね――、私は一旦もどるわ。そろそろローラも私の店に駆けつけている頃よ」

「分かった、彼女を此処に連れてきてくれ。1階の私の店の奥の間に招こう」

「えぇ。それではまたあとで会いましょう」


 楊は頷きながらそれだけ告げると静かにその場から立ち去って行く。あとに残されたのは李大夫ただ一人だ。物静かな室内に時計の針だけが刻む音が響いている。新たな戦いが今、始まったのである。


次回、

魔窟の洋上楼閣⑯『オペレーション・後編』


挿絵(By みてみん)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ